「地学室の自動人形」白木 鉛 プロローグ

『地学室の自動人形オートマータ



 

「もし君が、その想い持て余しているのなら
 その想いごと取り出してしまおうか」

人気ひとけのない放課後の地学室。
人形のような血の気のない白い顔に、作りものめいた笑顔を浮かべてその人は言った。

 

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はじまりは他愛もない噂話だった。

いわく、理科準備室のさらに奥。
生徒が足を踏み入れることのない、倉庫のような古い教室に、忘れられた自動人形オートマータがいるらしい。

そして。自動人形オートマータに会えたら、
願いを叶えてくれるとか。
恋占いをしてくれるとか。
その人だけのパワーストーンを選んでくれるとか。

まるで童話みたいな、ささやかで無害な甘い話だ。

 

そもそもここは魔人能力者のための中高一貫の全寮制私立学校・天凌学園だ。

世間で超常現象と呼ばれるものでもここでは日常、なんてことも少なくない。
例えばこの学園には、すでに「七奇跡」と呼ばれる現象すらある。
枯れない噴水、死すらも覆す保健室、悪夢を拭い去る花。

それらに比べればまるでとるに足らない。

なのに。
以前なら気にもかけなかった、ささやかで甘い噂話に吸い寄せられてしまったのは。

ここ最近の教室の空気のせいだろうか。

 

 

ここ一か月あまり、ことに演劇専修科の生徒たちの間ではある話題で持ちきりだった。

天凌祭開催式・定例演目
「満天の空と約束の鐘」

前夜祭で演じられる形式的な公演だ。
例年ならば、学園祭のただの前触れ、たいして注目もされない舞台だろう。

だが今年は違う。

「50年に一度、文化祭の前夜祭にあたる開催宣言の演劇で
主役を務めた生徒が鐘を鳴らした時に奇跡が起きる」

それは昔話のように校内で語り継がれてきた逸話ジンクス
そして、今年こそがその50年に一度の年だというのだ。

 

かつて何が起きたのかは誰も知らない。
にもかかわらず、どうして半世紀もの間、曖昧なまま風化せず語り継がれてきたのか。

単に後世になって誰かが流した新しい作り話にすぎないと言われた方が自然とすら思える。

それでもここは天凌学園。
魔人能力と超常現象が日常にある環境下では、
奇跡を信じる理由があるというより
奇跡を信じない理由がないのだ。

「ねえ、君は出るの」

クラスメイトにかけられた言葉にぴくりと肩が震えた。

ああ、また。
何度問いかけられただろう。
自分だけではない。
クラス中が、学園中が、いったい何度この言葉をやりとりしたのだろう。

演劇の主役は投票で決められる。
立候補は自由。
そして、妨害も自由。

「君は出るの?」

明るい声音に他意はないのかもしれない。

それでも、浮き足だった空気とは裏腹に
不穏な噂も少なからず漏れ聞こえてくるようになっていた。

いわく。
演劇科首席の彼は、パートナーに決めていた彼女が事故にあって下半身付随になったとか。

隣のクラスの歌姫は、火の気のないはずの寮で小火に巻き込まれて、煙で喉を潰されたとか。

「まだ迷っている」

こたえる度に喉の奥がざらりと痛む。
大した実績のない自分が妙な噂を気にするのは莫迦げているという自嘲。
いざ何かの妨害にさらされたときに、自らと大切な人を守れるのかという自戒。
それでもなお、皆が注目を向ける舞台へ挑戦したいという浅ましい想い。

いつまでもこたえを保留にしたまま教室を出れば。

『先月より、保健室の利用者が極端に増加しているので生徒諸君は注意されたし』

廊下に貼り出された通知文がいやに目につくようになっていた。

 

 

出来心とか好奇心なんて言い訳は出来なかった。

理科準備室のさらに奥。
普段訪れることのない倉庫のような古い教室に足を向けてしまったのは。

たぶん、溺れるものは藁にも縋るというやつなんだろう。

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「それで、どうしようか?」

声をかけられて我に帰る。

ここは地学室。
目の前にいるのは1人の生徒。

(この人が自動人形オートマータ

癖のない黒髪に白い肌。切れ長の目と華奢な頬の線。
着ているのが制服ではなく黙って立っていれば、出来すぎた人形だと錯覚してしまうかもしれない。

ただ、話は予想外の成り行きになっていた。

噂では願いを叶えてくれるのではなかったのか。
そこまでのことはなくとも、簡単な悩み相談くらいはできるのかと勝手に想像していた。
現実はそんなに甘くないということか。

「……想いを取り出すって、どういうことですか」

「そのままの意味さ。
 君の演劇に対する想いはとても強い。
 でも、その想いゆえに今自分や大切な人たちのことで身動きが取れなくなっているのなら。一度、手放してみるのもありだと想うよ」

不意を突かれて押し黙る。

本当は冷静になりたいと、そう思っていた。
客観的に。俯瞰で自分を見てみたい。
がんじがらめのジレンマが解ければ、本当にやるべきこと、やりたいこと、
巧いやり方がみえてくるんじゃないか。
そうすれば、この先どうやっていけばいいのか見通せるような気がした。

想いを取り出す、というのは想像がつかなかったが、
この息苦しさからほんの少しだけ離れられるならそれもいいような気がした。

わかりました、と小さく呟く。
彼は満足そうに微笑んだ。

「目を閉じて」

顔の前に伸ばされた白い手に、反射的に目を瞑った。
瞼に触れる柔らかい感触。

瞬間、陽を透かしたように瞼の裏が光った。
目を閉じているのに目が眩む。
脳裏が白く塗りつぶされる。
触れられた点が熱を持っていく。

「取れたよ」

ふっと光源が消えた。
突然消えた光の残像がチカチカと明滅する。
つう、と瞼のふちをなぞるようにして感触が離れた。

「何を」

したのかと、問いただそうとした声は掠れてうまく出ない。

「だから、君の想いを石にしてとりだしたのさ」

ほら、と言って彼は手の中の物を見せた。
くすんだ薄い青色の、透き通ったガラスのような石の欠片だった。

天青石セレスタイトだね。綺麗な灰青の結晶だ。
 でも、火に焚べると真っ赤に爆ぜる。
 大人しそうないろをして、中々に苛烈じゃないか」

くつくつと妙に楽しそうに笑う。

普通に考えれば、目から石が出てくるなんて有り得ない。
第一あんなものがあれば痛くないわけがない。
目を閉じている間に、あらかじめ用意していた石を出して見せただけじゃないのか。
だが。

「気分はどう?」

聞かれてみれば。
自分の中で何かがはっきりと変わっていた。

息を吸って、記憶を辿る。

何がきっかけで演劇を志したのか。
誰に見て欲しかったのか。
誰と舞台に上がりたかったのか。
それはわかる。覚えている。
にもかかわらず。

やりたいという熱意。
やらなきゃいけないという焦燥感。

そういう、自分を動かしていた何かがごっそり抜け落ちている。

何をそんなに悩んでいたのか。

他人事のように冷ややかに自分を眺めている自分がいる。
あんなにも熱中し頭を悩ませていたことに、そもそも興味がわかないのだ。

背筋がすうっと冷えた気がした。

目の前の石が本当に身体から出てきたのかはわからないない。
それでも、今起きたことが、自分自身に得体の知れない変化をもたらしたのは確実だった。

怯えるような顔をしていたのだろうか。
なだめるように彼は言った。

「もし君があの熱意と衝動をもう一度必要とするなら、この石を食べればいい。
そうすれば想いは持ち主に還るからね。
まあ、一度凪いでしまった感情がこの熱量に耐えられるかはわからないけど」

……食べる?

「そう。僕が取り出した石には可食性があるのさ。
 それぞれ味も違う。案外癖になるかもしれないよ?」

目から石を取り出しただけでも異常なのに、今度はそれを食べるという。

「いらなければこのままもらうけど」

まるで余った焼き菓子を取り上げるように、彼は青い欠片をつまんだ。
なんのためらいもなく、ゆるく開いた口もとに持っていく。

「待って、」

薄赤い唇に触れる寸前。
とっさにあげた声に白い手が止まった。

「要る」

目の前のことに頭がまだついていけない。
自分がどんな状況で、その石が何なのか。
理解はまだ追いつかない。
それでも少なくともそれは自分ものだ。
手放してはいけない。

冷めてしまった意識の中で、何かが警鐘を鳴らしていた。

「要るから」

手を開くと結晶をのせてくれる。
言えばくれるのは本当らしい。
受け取った石を握り込む。その硬さと重みに何故か安堵した。

彼は目を細めて、残念、と呟いた。
嘆いているのか笑っているのか。その表情から読み取ることはできなかった。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

石を持った生徒が出ていってほどなく、がらりと再び扉が開いた。
現れたのはこの教室の管理人。地学部の顧問でもある教師だ。
夕日の差し込んだ教室を一瞥し、低い声で言った。

「ちゃんと返したんだろうな」

「美味しそうだったんですけどね」

じろりとねめつけられ、わかってますよと言葉を返す。

「『持ち主が望むなら取り出した石は必ず渡すこと』それが地学室このへやを使わせてもらう条件ですからね」

「……『持ち主が拒まなければ全て返すこと』だ。莫迦者」

唸るような声に、返事はしないで肩をすくめる。
それにしても。

「やはり、演劇専修には想いの強い子が多いな」

果たして。今日の生徒は食べるのかうけいれるのか捨てるのかてばなすのか


そして。
学園祭の主役を決める争奪戦。
そこには、どれだけ強い想いけっしょうを持った生徒たちが集まるのだろうか。

 

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【天青石】Celestite[SrSO4]
硫酸ストロンチウムを主成分とする鉱物。
名称はラテン語の空を意味する「Coelestis」に由来する。

マダガスカル産の本鉱には晶洞の中に淡い青色の結晶群を作るものが知られている。ストロンチウムの原料となる。
直方晶系。モース硬度3〜3.5

 

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