「不屈の作曲家」羽曳野 琴音 プロローグ

 7月、天凌学園夏の定例発表会。
 演劇専修科演劇コースの演劇が行われる講堂の中、スタッフ席に一人の女子生徒がいた。
 彼女は演劇の様子を心配そうな顔で、ずっと見守っていた。

 演劇は多くの拍手と共に終わりを迎えた。
 それを聴き、彼女も緊張が取れたかのように笑みを浮かべた。

 音響スタッフの男子生徒、土浦が彼女に声を掛ける。

「琴音先輩、今回も劇伴提供、ありがとうございました!」
「いやいや、これも授業の一環だ。私にとっても勉強になったよ」
「次の発表会も是非とも琴音先輩に劇伴をお願いしたいと僕は思っていますね!」
「ははは、その話は主宰に直談判して欲しいよ」

 2人が話していると、琴音と呼ばれた女子生徒は申し訳なさそうな顔をしてその場を去ろうとした。

「ああ、済まない。別の演劇チームにも劇伴を提供していてな。そっちの準備をしないといけないんだ」

 土浦もその事情は掴んでいた。

「そうですよね。うちはもう大丈夫ですので、琴音先輩はそちらの方に向かって下さい」

――――――――――

 もう一つ担当した演劇チームの演劇を見た後、琴音は寮の自室へと戻っていた。
 本来、学生寮は一部屋二人であるが、彼女は一人で部屋を使っている。
 少し寂しい自室を眺めつつ、琴音は自分の椅子に腰かけた。

 急に琴音は涙を流しつつ、机に突っ伏した。

「心愛、みみ、一花、紗良……。私は『Rainbow Ignition』として定例発表会に出たかった……!」

――――――――――

 遡る事昨年10月、羽曳野琴音はガールズバンド、『Rainbow Ignition』のキーボード担当として中高生バンド選手権の楽屋にいた。
 高校二年生で修学旅行直後だったものの、この選手権には天凌学園を背負って出ている。手を抜く訳にはいかない。
 楽屋にはボーカル担当の妹、羽曳野心愛、ギター担当の栗東一花、ベース担当の鳴門みみ、ドラム担当の日向紗良が共にいた。

「お姉ちゃん! 今日の私の声はどうかな?」

 心愛が琴音に向けて話しかけた。

「うんうん、今日も良い声だね。この調子で行けばきっと最優秀賞を取れるよ」

 そこに琴音のルームメイトでもあるみみが苦言を呈す。

「琴音? 妹だからって甘くない?」
「私は心愛を身内である事を抜きにしても素晴らしい声をしていると思っているよ」
「まぁ……私もそう思ってけどさ……」

 実際、心愛の天凌学園における評価は高い。声優志望ではあるものの、演劇や歌、ダンスにも真摯に取り組んでおり、学内外に彼女のファンクラブが出来る程である。
 そこに紗良がからかうように話す。

「琴音先輩。もしかしたら心愛ちゃん、来年の天凌祭前夜祭で鐘を鳴らしてしまうかもしれませんね」
「えっ、日向先輩!? そんな、私には過ぎた役職ですよ!」

 鐘を鳴らす。その意味を知る心愛は必死に否定する。

「少なくとも私は心愛ちゃんに投票するんだけどなぁ」
「私もだぜ、心愛。難しい楽曲を歌いきるのはすげぇと思う」
「栗東先輩まで……!」

 一花もその話に乗る。

「はいはい、来年の事を言えば鬼が笑うよ。今はバンド選手権に集中しましょう」
「す、すみません! 鳴門先輩!」
「うげっ、鳴門さん! すまねぇっ!」

 みみに注意され、びっくりする紗良と一花。
 そこに琴音が付け足す。

「うちは強豪と言われているからね、最優秀賞を取らないと錦を飾れないよ。4人共準備はいいかな」
「勿論!」
「はい!」
「はいっ!」
「おう!」

 Rainbow Ignitionは気合いを入れ、ステージへと向かった。

――――――――――

「次は天凌学園、『Rainbow Ignition』です!」

 司会がそう言うと、5人は演奏を始めた。
 演劇専修科を擁する学校として前評判の高いRainbow Ignitionは、その評判通りの演奏を見せた。
 1曲目が終わり、2曲目が始まろうとしたその時……。

 ステージで明らかに楽器ではない大きな音がした。
 ステージの上に吊るされていた照明が落下したのだった。

 そして、ステージには照明の下敷きになった楽器と、鮮血にまみれた5人の姿があった……。

――――――――――

「……な、何があった……?」

 琴音が2曲目の演奏を始めようとしたその時、身体に気絶する程の痛みを感じた。
 しばらくして琴音は起きたものの、身体からは激しい炎が上がっていた。

「これは……大怪我をしたのだな……」

 琴音は魔人能力、『不死鳥の翼』が発現したのだと感じた。
 身体から炎が治まったのを確認すると、周囲を見渡した。

 落下した照明から流れる鮮血、ぐしゃぐしゃになった楽器、意識を失ったバンドメンバー。

「こ……心愛! み……みみ! い……一花! さ……紗良!」

 あまりに衝撃的な光景に、琴音は叫んだ。

「う…………うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

――――――――――

 その後、救急隊員が来たものの、4人の意識は回復すること無く、そのまま息絶えた。
 4人が致命傷な一方、無傷だった琴音に対し、救急隊員は訝しんだものの、そういう魔人能力ですからと言うと、それ以上救急隊員は詮索しなかった。
 この事故はメディアでも報じられ、舞台照明落下事故で4人死亡というセンセーショナルな記事は、舞台関係の業界に大きな衝撃を与えた。

 しかし、最も衝撃を受けたのは、言うまでもなく琴音だった。

 もしこれが学内であれば、保健室で復活できていたかもしれない。
 もし照明の位置がもう少しずれていれば、メンバーは助かったかもしれない。
 もし照明の異常に気づくのが早ければ、避けられていたかもしれない。

 もしもの事ばかり考え、琴音は自己嫌悪へと陥っていった。
 亡くなった4人の葬儀には参加したものの、もはや泣くことはできずに無気力だった。
 そして、その時ばかりは、自分だけが助かる結果となった能力、『不死鳥の翼』すら憎く感じた。

 事態を重く見た天凌学園は、琴音に対し休学措置を執り、実家へと帰す事にした。

――――――――――

 その後も琴音は、何もする気が起きずに実家で過ごしていた。
 そんな琴音に12月25日、1通のメッセージが届いた。

「……一体これは……?」

 メッセージを開くと、演劇専修科音楽コースの後輩、土浦からだった。
 彼も演劇専修科ではあるものの、音響スタッフという裏方で、いつも劇伴を頼むなら琴音と、彼の所属する演劇チームに強く要望していた人物だ。Rainbow Ignitionの熱心なファンという一面もある。

 お久しぶりです。琴音先輩。
 あれから、いかが過ごしていますか。
 僕も、琴音先輩に対し連絡をしていいか迷ってしまい、クリスマスまで遅れてしまった事はお許し下さい。
 ただ、これだけはどうしても言わせて下さい。

 11月の天凌祭、琴音先輩の劇伴のおかげもあり、僕の所属する演劇チームが観客動員数2位を獲得しました!

 本当は1位を獲得したかったんですけれどもねぇ……。やっぱり1位の壁は厳しいですね。
 とは言え、普段4位や5位をうろうろしている演劇チームが2位を取れた事は快挙と言うしかありません。

 この結果にうちの主宰の堀越先輩も喜んでいまして、また琴音先輩に劇伴をお願いしたいとおっしゃっていました。
 とは言え、あの事もあるせいか、堀越先輩も頼んでいいか悩んでいる状態でした。

 だから僕からもお願いします。またうちの演劇チームの劇伴、お願いできるでしょうか。
 勿論、無理にとは言いません。ただ、もう一度、僕は琴音先輩の音楽が聴きたいのです。

 僕の勝手なお願い、申し訳ありません。

「……私の楽曲を……まだ望んでいるのか……」

 土浦の連絡に、嬉しくもあったが、また音楽と関わる事でバンドメンバーの事を思い出してしまわないかと心配になった。
 だが、琴音に音楽の事を再び考えさせるには十分であった。
 琴音は長い事触っていなかったクリエイターPCの電源を入れた。

 久しぶりの作曲に、琴音は寝る間を惜しみ没頭した。
 朝になり、琴音は土浦にメッセージを返した。

 ……ありがとう。久しぶりにやる気になったよ。
 まだ復学については考えていないが、復学したら、必ず土浦の演劇チームに劇伴を提供するよ。

――――――――――

 1月の定例発表会には間に合わなかったものの、琴音は2月少し前に復学する事ができた。
 しばらくはどう接していいか分からなかったクラスメイトも、前とほぼ変わらぬ琴音の様子に溶け込んでいき、4月までには以前とほぼ変わらない関係を取り戻した。

 そして日時は夏の定例発表会。約束した土浦の演劇チームの他、もう一つの演劇チームからも劇伴を依頼され、5・6月は大忙しだった。
 両方の演劇チームから高い評価を受け、満足する一方、思い出すのはバンドの事。あの事故が無ければ、今頃自分もステージに出ていたのではないか。
 定例発表会の後、机に突っ伏したまま、琴音はずっと泣いていた。

――――――――――

 夏の定例発表会からしばらく経ち、琴音に天凌祭実行委員会より連絡が届いた。
 『天凌祭開催式・定例演目「満天の空と約束の鐘」』の劇伴作曲・編曲依頼だ。
 作曲・編曲専攻にとって、これ程名誉な事は無い一方、琴音はある事を考えていた。

『50年に一度、文化祭の前夜祭にあたる開催宣言の演劇で主役を務めた生徒が鐘を鳴らした時に奇跡が起きる』

 そんな奇跡、本当にあるのだろうか? そもそも演劇専修科とは言え裏方の自分に演劇の主役など務まるだろうか?
 でももし、奇跡が起きるのであれば、あの世から4人が一時的でも復活し『Rainbow Ignition』としてもう一度ライブができる?
 一縷の望みを懸けて、琴音は決心を固めた。

 翌日、琴音は土浦を呼び出した。

「琴音先輩! やりましたよ! 僕、開催式の音響スタッフに選ばれたんですよ!」
「こっちもだ。開催式の劇伴担当に選ばれたよ」
「凄いですね! 琴音先輩ならきっとと思っていましたよ!」
「……けど、今日はそれを伝えるために呼び出した訳じゃない」

 真剣な表情になった琴音に対し、土浦にも緊張が走る。

「どういう事ですか? 琴音先輩」
「……私も開催式の主役を目指すことにするよ」
「……へ?」

 土浦はキョトンとした。

「……せ、先輩、本気ですか!? 劇伴はどうなるのですか?」
「それは勿論する。私はその演劇で主役を張る。音響は頼んだ」
「勿論僕は主役が誰であっても音響スタッフとして支えますが、先輩は何故それを目指すのですか?」

 琴音はフッと笑った。

「……土浦なら大体分かっているだろう」
「……やはり、Rainbow Ignitionの事ですか……」
「私は今でもRainbow Ignitionとしてライブをやりたいと思っている」
「奇跡でも死者が蘇るかは分かりませんよ」
「そんな事は分かっている。それでも奇跡に賭けたいと思う」
「本格的に役者を目指す方も多い中、どのように人気を得るのですか?」
「そこまではまだ考えていない。本格的にはこれから考えるが、とりあえず琴音復活ソロライブでも行おうと思っている」

 琴音がそう言うと、土浦はため息を吐いた。

「……覚悟をしているなら止めはしませんよ。但し、琴音先輩への投票は考えさせて下さい。琴音先輩は音楽家としては尊敬していますが、役者としては別の推しがいますからね」
「それでもいいさ。私も人に宣言する事で方針がはっきりしたからな。急な呼び出しに応えてくれてありがとう。土浦」
「いえいえ、琴音先輩の頼みならいつでも」

 そう言うと、琴音は晴れ晴れとした気持ちでその場を去っていった。

――――――――――

 紗良、いつもバンドのCDジャケットを描いてくれて本当にありがとう。
 紗良からは芸術面でのライブの見せ方を教えてもらったよ。

 一花、ライブでのギターソロには驚かされたよ。
 一花からは激しいだけじゃないメタルの奥深さと魂を教えてもらったよ。

 みみ、次々と音楽の知識を吸収する様子は尊敬していたよ。
 みみからは新しい分野を学ぶ事の重要さを教えてもらったよ。

 そして心愛、私は今でも心愛の事が天才だと思っているよ。
 心愛からは芸能人たる在り方を教えてもらったよ。

 あの時は憎く感じていた魔人能力『不死鳥の翼』も、今となっては必要なものだったと感じる。
 人気を取るために荒事を起こす輩までいるらしいからな。

 もし4人がもう一度、Rainbow Ignitionとしてライブをやりたいなら、私に力を貸して欲しい。
 例え居る世界が違ったとしても、私はまたライブが出来ると思っている。

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