地学室の自動人形

 

 何度見ただろう。
 何度見ることになるのだろう。

 彼奴の指が、目の前の生徒の瞼へと触れる。

 奇妙にもその指先は、しだいに滲むような光をおびていく。
 低く差し込んだ放課後の西陽のせいだろうか。
 瞼と爪の輪郭線が淡い燐光の中に溶ける。

 つう、と水面を揺らすように眼の縁をなぞって、
 指を離す瞬間、わずかに火花のような光が弾け、小さな欠片がその手に転がりおちた。

 

 呆然とした生徒の顔と、慈しむように目を細める彼奴の表情。
 まるでいたわるように声をかける様。

(お前が慈しむのは石だけだろうが)

 二人の言葉は届かない。
 だが、どうせいつもと変わらない。
 舞台台詞と同じだ。多少の即興が入ろうが本筋は変わらないのだから。

 そんな有様を地学準備室の硝子戸から横目に見る自分もまた、いつも通り。

 石が生徒の手に渡ったのを見届けて、扉から体を離す。
 荒く息を吐いて、軋む椅子に身体を沈めた。

 ああ、
 見るたびに吐き気がする。
 それをわかっていて目が離せない自分がなおさら気持ち悪かった。

 
 

 からり、と扉が開いた。

「嫌なら見なければいいのに。先生も奇特な方ですね」

 嫌味なほど整った顔で可笑しそう笑う。

「綺麗な蜜色の方解石でしたよ。すこし脆そうでしたが」

 

 白木鉛の能力は、相手の持つ願望や欲望などを鉱石に変える能力だ。
 相手の中に鉱石を見出し、見出したものを形にして取り出すという。

 その人を動かす情動の根を簡単に抉り出す。
 そこまでのことをしておいて、当人はかの想いが何であったのかまるで頓着しない。
 石は石として愛でるだけ。

 自分が取り出したものが何なのか
 それを取り出すことにどんな意味があるのか考えもしないのだ。

 

 初めて白木の能力を見た時に、規制を設けたのはとっさの判断だった。

【地学室以外で石を取り出してはならない】
【取り出した石は本人が拒まない限り返さなければならない】

 感情はあくまで持ち主のもの。
 簡単に奪ってはならない。
 取り出したとして、扱う権利は当人にある。
 

 だが。
 

 結局のところ強制力はない。
 今はただ、準備室の鉱石標本を自由に閲覧する権利と引き換えに条件を呑んでいるだけ。
 守るかどうかは本人の匙加減ひとつの「お願い」にすぎないのだ。

 

 最初から私は彼奴の能力が疎ましかった。

 いや、本当に疎んじたのは。
 あの力を忌むべきものと認めながら、
 あの指先に魅入られてしまった自分自身に他ならなかった。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 白木が天凌祭開催式の主演に立候補すると聞いたのは夏の初めだったろうか。
 なかば辟易しながらも、放課後の「部活動」が習慣化してきたおりのこと。

 地学室の外に興味を示したことうすら寒いものを覚えていた。

「演劇はやめたんだろう」

 やめたのか、演劇科から弾き出されたのか。
 詳しくは知らないが、あくまで今は普通科の一生徒として舞台からは離れたはずだ。
 それはそうなんですけど、と白木は目を細める。

「今までにないくらい興味深い結晶が見られそうなので。
 彼らの輝きを一番近くで見るためには、同じ舞台に上がるのが得策かなって」

「どうしてそんなにも他人の想いを覗きたがる」

 聞いても仕方ないと知りながら、ため息混じりに疑問が漏れる。
 硝子光沢の黒い眼が不思議そうに私を見返した。

「先生だって石を愛でるのは好きでしょう?」

 どうしてそんなわかりきったことを聞くのかと言わんばかりの口ぶりに言葉を失う。

 お前が見ている石を私は知らない。

 もはや白木の目には人が人として見えているのかすら疑問だった。
 此奴にとって他の人間は動く結晶に過ぎないだろうか。

 

 

 結果として、数ヶ月後に発表された主役候補者の中に白木の名前はなかった。

「予選 落ちたんだってな」

「嬉しそうですね、先生」

 白木の表情は変わらない。
 それでも少しだけ憮然とした声が可笑しかった。

「お前が余計なことをしないで済むなら、まあ喜ばしいさ」

 からかうように笑ってやれば、何故か不思議そうな表情で顔をのぞきこまれて、少し身体を引いた。

「先生の望みって何なんですか?」

 何で唐突にそんな話になる。
 話を逸らしたにしても脈絡がない。

「楽しそうな顔をしているから。何を考えているのかなと」
 
「……どうせお前には見えてるんだろうが」

「石は、わかりますけど。
 でも何を考えているのかはわかりません」

 石は見えても想いは見えない?

 見えていて関心がないのかと思っていたが
 その石を構成する感情がそもそも把握できていないのか。

 それはそれとして、
 自分の中に眠る衝動はどんな姿をしているのだろう。
 あやうく問いかけてしまいそうになる自分をかろうじて押し留める。

「取り出してもいいですか?」

 見透かされたようにかけられた言葉に唸る。

「断る」

 手放す覚悟がないのなら知るべきじゃない。
 白木は肩をすくめてそれ以上は何も言わなかった。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 望みが何かというならば。
 
 お前が、自分の欲求を自覚することだと。

 自分の行いの欲深さを自覚して打ちのめされればいい。
 あるいは無責任に愛玩していた情動に自分が呑まれてしまえばいい。

 あの硝子光沢の黒い眼が。
 他者を抉るだけの白い指が。
 石ではない何かを求める様を見せてみろ、と。

 ああ、なんて莫迦莫迦しい。
 あまりにも浅ましい。

 

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢

 

 白木が珍しく何かを机に広げて書きつけをしていた。
 学園で配布される校内新聞だ。

「なんだそれは」

 何かのリストと顔写真。
 付記された学年と学級。
 そして、その横に走り書きされた鉱石の名前。

 ぞくりと冷たいものが背筋を這う。
 まだ諦めていないのか。

 

「お前、予選に落ちたのにどうやって主演候補の中に入るつもりなんだ」

 問いかけた声はどこまで平静を保てているだろうか。
 新聞部にでも転部するつもりか、と皮肉混じりに水を向ける。

「それはそれで面白そうですが、警戒もされそうなので。
 今回は化粧担当としてお邪魔することにしました」

 化粧。
 学生とはいえ舞台に立つとなればそういうものもあるのか。

 なるほど、それならば舞台に上がれずとも役者達には近づける。
 ーーー何より、顔に触れても不自然にならない。

「……お前」

 思わず漏れた低い声に、苦笑で返される。

「同意なく取りませんよ。少し見るだけでです」

 信用ないな、と嘯く顔はどうしたって信用ならない。
 此奴は、地学室の外で何をしようとしているのか。

 だが、警戒したところで自分の手は届かないのだろう。
 勝手に痛むこめかみを押さえて息を吐く。

「そもそもお前、化粧なんかできるのか」

「まあ人形ですから。
 顔を作ったとして不思議はないでしょう」

 あっさりと返された言葉に眉根を寄せる。
 莫迦げた軽口だと思いはすれど、此奴が言うと冗談に聞こえない。

(顔を作る、ね)

 整った顔立ちと思ってはいたが、これまであえてよく見ようとはしなかった。

 目や口に色を乗せた風はない。
 ただ、忌々しいほどにすべらかな白い肌は、あとから作られたものだというのだろうか。

 奴はといえば妙に楽しげに歌うように言った。

「チタンにタルク、シリカにマイカ。グンジョウにマンガン。
 舞台化粧は派手な色で遊んでも怒られないので、なかなか楽しいですよ」

「男子も化粧をする時代、か」

 ひとりごちて、台詞の年寄りくささと偏見に自分で顔を顰めた。

「先生はどっちだと思いますか?」

 独り言を拾われると思わずに、横目で白木を見る。

「何がだ」

「性別。先生は、どちらがいいと思いますか?」

「ーーー私がどう思おうがお前の性別に関係はないだろう」

 それとも何か。
 私が望めばそのように、男だろうが女だろうが演じてみせようとでもいうのか?

 教職にあるまじき品のない揶揄が出そうになって無理やりに口を閉じた。

「じゃあ、もし仮に生殖機能がないとしたら、性別に意味はありますか?」

 何だそれは。
 はぐらかすためではなく、本気で不思議そうに聞くから呆れる

 ああ、此奴はそういう奴だ。
 本人は何も考えていないのだ。

 人を動かす言動を無意識でこなしながら、奇妙な無邪気さで不意をつく。

「ある種の機能に違いがなくても、組織構造が違えば別物だ。
 別物だと相手が思えば、そこに見出す意味は変わるんだろうよ」

 答えたこっちの方が煙に巻く言い回しになってしまって嘆息する。

「お前は、蛍石の紫と紫水晶の色をいっしょくたにするのか」

 訝しげに首を傾げる。

「自分にとって大差がなくても相手にとっては別物だとか、相手からは見分けがつかなくても自分にとっては違うなんてのはいくらでもある」

「そんなものでしょうか」

「そんなもんだと思っておいた方がいいんだろうよ、お前は特にな」

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 学園祭の準備も後半に差し掛かったころ。
 いつもより少しだけ遅れて地学室に向かった私は、扉をあけて飛び込んできた光景に目を疑った。

「あっ、先生ですか! お邪魔してます!」

 
 そこにいたのは白木と、ショートカットの快活そうな女子生徒だった。
 主演候補の写真の中にいた顔だ。

(深林さぐり、だったか)

 それだけならまあいい。
 問題は2人の間にある長机の上に散らばった、無数の天河石だった。

「…………なんだそれは」 

「すごいですよね。
 彼女の頼みで取り出したんですが、ここまで尽きないとは思わなかったな」

 
 ばらばらと広がる結晶が、全てこの女子生徒から取り出した想いだというのか。
 
 基本的に、一回で取り出せる想いは一欠片だ。
 取られた方は想いの喪失に呆然とするのが常だし、仮に再び発生するにしても時間がかかる。

 だが当の深林さぐりは平然とした、むしろ上機嫌な顔で、「いやあ、ありがとうございます!!」などと笑っている。

 そんなやりとりをなかば呆然眺めてると、
 白木はその中の石をひとつをつまみあげ、そのまま口に入れてしまった。

「おい、」

 咄嗟に咎めようとしたところで、場に合わない陽気な声が割って入った。

「あ、先生も食べてみますか!? 意外と美味しいんですよコレ!」

「いや、やめておいたほうがいい。
 他人の石を僕以外が食べた場合の影響は計り知れないからね」

「あああ、そうなんですか!? カリカリサクサク、シュワっとジュワっと新食感なのになあ。うう、残念っ」

 会話の特異さに反して、あまりに和やかな空気についていけない。

 完全に毒気を抜かれて準備室に逃げ込んだ。

 

 

 脳が痺れていた。

 今まで白木の能力は、どう扱おうとしても負の存在だと思っていた。
 奪い、抉り、喪失を突きつける。
 確かに、本人が厭う感情を切り離すために使われることはあった。
 その場合はなるほど相手の救いになることもあったのだろう。

 だが。
 今回の深林さぐりは違う。
 彼女は白木の能力を、喪失の利用ではなく。
 むしろ自分の能力を増幅するために求めたという。

 白木の能力が正の要素として、肯定的に望まれて扱われることがあり得るということ。
 そして仮にそれが、石を食べるという白木の欲求をも満たすのだとしたら。

 
 もはやこんな監視ちゃばんなど無意味ではないか。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 何度見ただろう。

 陽の落ちたの地学準備室で伸ばされる白い手。
 ただいつもと違うのは、その指の向かう先が私の瞼だということ。

 瞼にひんやりと柔らかい感触が触れる

 最後の残照を透かたように瞼の裏がほの朱く光った。
 触れられた点が熱を持つ。
 つうっと輪郭をなぞる感触を追えば、
 じわりと滲むようの脳裏が白く塗りつぶされていく。

 侵食される。

 
 ほどなくして何かを引き剥がすような小さな痛みが走り、目尻を抑えていた指が離れた。

「取れました」

 光が消える。
 突然消えた残像が瞼の裏で明滅する。

「雪片黒曜石ですね」

 
 白木が石をつまんで目の前に掲げた。
 
 硝子光沢の黒い断面に、雪の結晶のような白い模様が浮いている。
 これが、自分から取り出された感情か。

(ーーー硝子光沢の黒い、)

 ああ、なるほど。
 何でこの石だったのかなどと、考えるまでも無い。
 あからさまな姿に乾いた笑いが漏れた。

 冷めた目で石を見やる。
 正しく熱を失った。
 すがすがしい虚しさを感じていた。

「どうしますか、これ」

「食べるか?」

「……さっきからどうしたんですか。
 急に石を取らせてくれるだなんて言いだすし」

 さすがに不審がるか。
 というより石を取る目的を終えたから、今更のように違和感に目を向けるようになったのかもしれない。

「食べないのか?」

 
 それでも、あと一押し。

「頂きますけど」

 こちらが答えずにいると、あきらめたのか欲求が勝ったのか、白木はようやくつまんだ石を口にした。
 小さく、からころと飴玉のように舌で転がす音がする。
 
 ささやかなその音に安堵して、私は大きく息を吐いた。
 
 
 
 祭が終わった。
 前日までは物騒なこともあったらしいが、今はもう祭りの後。
 学園は何事もなかったように日常を取り戻していた。

 それでも何も変わらなかったのかと言われればそれは違うのだろう。
 ひどく個人的なことを含めて。

 例えばこんなことも、今なら簡単に言える。

「私は年末で退職する」

 白木が目を見開いた。
 そんなことで今までの溜飲を下げられてしまう自分に少し驚く。
 そうか、執着が消えたからかと感慨もなく納得する。
  

「それは餞別だ。よく味わえよ」

 ほら、こんな軽口すら出てくる。
 今までどれだけ張りつめていたのだろう。
 抉られて初めて余裕ができるとは。

 

 こうして自らの空白に気を取られていた私は、

 再び伸ばされた手に気づかず、

 白い指先に顎をとられて、

 唇を塞がれた。

 

 呼吸が止まる。

 ざらりと濡れた感触によって硬い欠片が口内に捩じ込まれる。
 焦砂糖カラメルのような苦い甘さが舌を刺す。
 ぬるい唾液に流されて、石が奥に落ちていく。

 私の喉が鳴ったのを確かめるように、いやにゆっくりと目の前の顔が離れた。
 息苦しさに喘ぐように咳き込む。

「かえせ、とは、いってな」

 本気で窒息したらどうしてくれる。
 

 喉元をすべり落ちた熱が胸を灼く。

 ふざけるな。
 どうして手放してくれない?
 どうせ求めることなどないくせに。

 お前は地学室と準備室の鉱石標本があればそれでいいんだろう?
 鍵を持つ人間がすげ替えられたところで構わないんだろうが。

 なんで。なんで。なんで。
 どうして捨て置いてくれない。
 
 
 凪いでしまった心の洞で、突き返された剥き出しの感情が暴れ出す。

 今まで傍にいられたのは、部活の顧問という肩書きがあったからじゃない。
 白木の能力を監視するという役割を自分に課したからだ。
 彼奴の隣にあることを自分に許す言い訳だ。

 だが。あの女子生徒が示した可能性によって、浅い言い訳すらなりたたなくなった。
 

 感情を押しとどめていた役割が奪われてしまえば、残るのはあからさまになった行き場のない衝動だ。

「持ち主が拒まなければ全て返せと。言ったのは先生でしょう」

 返ってきた声はいつになく低かった。
 揺り戻しの熱さに灼かれながら、睨みつけようと顔を上げれば。

 硝子光沢の黒い眼に初めての意思を見た。
 それは明らかな人の情動だった。

えん、」

 ーーーお前、人形じゃなくなったのか。

 これが熱に浮かされた夢ではないのなら。
 それはあまりにもささやかで、くだらないほどの小さな奇跡だった。

 

 

 

 

雪片黒曜石せっぺんこくようせき雪片黒曜石】snowflake obsidian
[SiO2+CaO,Na,K]
 深い黒または黒みがかった緑の火山岩の一種。
 石基はほぼガラス質で少量の斑晶を含むことがある。
 流紋岩質マグマが水中などの特殊な条件下で噴出し、急激に冷やされることで生じると考えられている。

 白い気泡や結晶が入ったものを雪片黒曜石と呼び、装飾品に使われる。
 モース硬度は5。水を1 – 2%含む。

 

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