そのドアを開けたなら

 川越 翔馬が奇跡を望むのは、親友の不治の病を癒すためであった。

 が、結論から言うならば、川越 翔馬は、天凌の奇跡の扉に触れることもできなかった。

 彼は正しく『一人劇団ワンマントループ』であり、そして、奇跡への前提である『満天の空と約束の鐘』は、わかりあうものたちの舞台であった。

 どれほど願いが強かろうとも、どれほど想いが燃えようとも、踏み出した一歩目が、目的地と逆方向では、辿り着こうはずもない。

『君は、能力に頼らない演技を広げるべきだ。その時々、観客の心情に寄り添う最適解を追うだけでは、演技の一貫性が担保できない』

 いつか、教師から向けられた言葉を思い出す。
 一対一で相手を楽しませることに特化した川越 翔馬は、「多くの票を集めて代表として選ばれる」という条件と、どこまでも相性が悪かったのだ。

 学園における主要人物の『心のドア』を開いて集票戦略を進めてはみたが、一人一人が世界を変えるほどの固有認識を持つ魔人が集うのが、天凌である。
 組織票の力は、大勢に影響を及ぼすものではなかった。

 選挙戦序盤にして、早々に川越 翔馬の名前は生徒達の意識から消え、脱落の運びとなったのである。

 それでも、川越 翔馬は奇跡を諦めることはできなかった。
 主役候補が定まったならば、――奇跡を巡る対象が一人になったならば。

 そうなれば、『一人劇団』は、どんな相手の『心のドア』をもこじ開けうる。
 主役は奪えずとも、主役が願う奇跡の方向性を、望むものへ誘導することはできる。

 ――そう、思っていた。

 ―      ―

『天凌学園は、危機に瀕してる』

 講堂で演説をする、その生徒を見たとき、川越 翔馬は目論見の甘さを知った。

『ふとした弾みで人を傷つけてしまうのが魔人ってやつだ。
 けれど、そんな悲劇を、天凌の『無限蘇生の保健室』は止めてくれた』
 
 魔人能力『そのノブはひとりの扉ノブオブハーツドア

『けれど、それに対する抜け道が見つかっちまった。
 よりによって――『奇跡の舞台』を前にして、校内がピリピリしてる、この状況でだ』

 川越 翔馬の異能は、視認した対象の『心のドア』……心に張り巡らされた障壁と、その解きほぐし方を包括した概念……を知覚するものだ。

『誰が自分を傷つけるのかわからない。
 傷つけられれば簡単に回復しない。
 殺されればいつ蘇生できるかわからない。
 そんな状況で、不安に思うのは当然だ。
 文化祭を止めようという話もあるだろう』

 率直に、真摯に、胸襟を開いて全校生徒に語りかけているように見える生徒。

『だけど、俺は、だからこそ、文化祭の舞台は行うべきだと思う』

 しかし、川越 翔馬に見えているのは、あらゆるものの侵入を拒む城門だった。

『天凌学園が、藩校から今の形になったとき、最初にできたのは、演劇専修科だったんだとさ』

 鋲が打たれ、厚く鉄の板がめぐらされた、重い扉。

『ほら、魔人ってのは……いろんな意味で、「自分の認識が絶対だ」って思っちまう存在だろ? その思い込みで、世界のルールを捻じ曲げちまうくらい』

 赤く錆びた鎖で封が為され、無数の錠前がかけられた、遮断と拒絶の象徴。

『けど、演劇ってのは、「自分でない何か」の人生を想像して……まるで自分のことみたいに、喜んで、怒って、哀しんで、楽しんで……そういう営みだ』

 演技を偽装だと定義するならば、その演説は、最高の舞台だった。

『だから、魔人として生まれた子ども、魔人として育った子どもが、自分の認識に埋没して孤独に陥らないように、学習の場として、演劇を推奨した。
 まあ、そんな話があったらしいよ』

 この扉を開き、相手を誘導して奇跡をものにする?

『文化祭の定期公演に奇跡があるか、俺は正直わからない。
 みんなが言うような、万能の願いを叶えてくれるものとは信じ切れてもいない』

 川越 翔馬に、そんなことができるのか?

『けど、そんなことに関係なく、保健室に綻びができて、魔人としてのリスクが前面に出てる今だからこそ、俺たちは、演劇をするべきだ。
 自分以外の誰かを想うことを、諦めないでいるべきだ』

 うかつに踏み込めば、相手を飲み込み、縛り捕えてしまうモノを相手に?

『もし、俺に賛同してくれるヤツがいるなら、パトロールとか、手伝ってくれると助かる。 そうでなくても、主役を決める投票には、きちんと一票を投じてほしい。
 今言ったような理由で劇をするなら、主役を暴力で勝ち取るのは、違うと思うんだ』

 自分をも噛み殺そうとする怒りと悔悟に閉ざされた心。

『もちろん、それをよしとする考え方があるのは知ってる。奇跡が本当にあるのなら、そのために手段を選ばないという考え方もあるだろう。
 俺も正義とか倫理からでなく、『アクションと暴力は混ぜたくない』っていう、ただのワガママのためにそうするだけだ』

 猛毒の液体で満たされた硝子の杯。

『もし、そんな俺を認めてくれる人が多かったとして――奇跡の舞台の鐘に何か願えることになったとしたら』

 開けられるのか? そもそも、開けていいのか?

『この学園が、元の、みんながバカやって喧嘩したりして、けど、笑ったり泣いたりして、ああ、悪くない学生時代だったなあって、卒業できる、そんな人生の中の一つの舞台に戻ってくれることを、祈るつもりだ』

 ―      ―

「――川越。すまない、今、アレに、何を見た?」

 肩に置かれた手が、意識を現実へと引き戻す。
 演劇専修科アクション課程の、観月 藤十郎。

 変わり者の多いアクション課程の中で、顔役とも言える常識人――のはずだった。

 川越とは、入学直後、成り行きでとある事件の解決に協力した仲だ。

「……俺が『ドア』のことを他人に口にするのは」
「相手の命に関わる時だけ、だろう。知っている。その上で聞いている。
 おそらく……月張は、近いうちに、命を犠牲にして、ある生徒を救うだろう。
 俺は、その自己犠牲を止めたい」

 真っすぐな視線が向けられる。
 読心系統の魔人である川越 翔馬に、嘘は通用しない。

 だが、それ以前の問題として、観月 藤十郎は、嘘がつけない男だ。

 初めて観月を見た日、川越は自分の能力が失われたのかと誤解した。

 『そのノブはひとりの扉ノブオブハーツドア』は、観月という男の『心の扉』を映さなかったのだ。

 しばらく行動を共にして、川越 翔馬はその理由を理解した。
 そして同時に、そんなわけがあるかと、笑いだしたくもなった。

 なんということはない。
 観月という男の、『心の扉』は、最初から、開きっぱなしだったのだ。

 『そのノブはひとりの扉ノブオブハーツドア』は、『心の扉』の開け方を看破する異能知覚だ。
 ならば、最初からあけすけに開かれた心を目の当たりにしたとき、何が見えるのか。

 その答えが、観月 藤十郎というあり方だったというわけだ。

「……あいつは」
「ルームメイトで、親友だ」

 てらいもなく、観月は口にする。

 親友を救う。
 それは、川越 翔馬がこの学園に入り、奇跡を求めたのと同じ動機だった。

 ここで観月に手を貸すことは、川越 翔馬にとって寄り道以外の何でもない。
 無視をして、奇跡の担い手の候補者たちに干渉する手段を模索するべきだ。

 理解はしている。
 理性は告げている。

「開け方は自分で探す。対価も払う。だから――あいつが、何に苦しんでいるのか。
 その形を、少しでいい、教えてもらいたいんだ」

 それでも、観月 藤十郎の言葉は、川越 翔馬の『心のドア』をこじあけた。

 ―      ―

 そして――観月 藤十郎の演技は、四波平 月張の『心のドア』をこじあけた。

『心を合わせて鐘を鳴らせ。――過去の己に悔いなきように』
『心を合わせて鐘を鳴らせ。――あなたの今を拒まぬように』

 文化祭定例公演。
 異例の舞台ジャックと、乱入による大立ち回り。

 主役二人の抱えていた自己犠牲の告発と否定。
 主役二人のあるがままのあり方の是認と肯定。

 客席でそれを見ていた川越 翔馬は、息を飲んだ。
 異能を使うまでもない。

 それは、閉ざされた城門に対する、破城槌めいた一撃だった。

 生きろと。生きてくれと。
 抱えたもの、罪、恥があっても、とにかく、ここにいてくれと。

 自分たちを、四波平 月張という人生の舞台の、共演者きょうはんしゃにしてくれと。

 そんな、理屈ではない、わがままでしかない想いの発露だった。
 開け放たれた『心のドア』から解放された、飾り気のない願いだった。

 周囲に目を配ると、皆一様に衝撃を受けたであろう状況が広がっている。
 これもまた、舞台。

 千変万化に相手の望む像を演じる、川越 翔馬の演技とは対極。
 率直に。まっすぐに。愚直に心性を叩きつけることで、伝播する幻想の共有。

 演者と演者、観客と演者の心が共鳴したときに生まれる、舞台の、奇跡。

(こんな、こんな演技が出来るのか……こんな「奇跡」が、伝えられるのか)

 自分も、自分にも、と思う。

 観月 藤十郎の演技は、他の演者と比べて、洗練されたものではない。
 
 だが、その泥臭さこそが、今は、輝きとなっていた。

 おそらく、この図を『俯瞰』し、手引きした天才は、この瞬間、この場面に全てのピントを合わせて、観月 藤十郎を配役し、台詞を練り上げたのだ。

 まさに、舞台と演者、その背景までを見下ろすように把握した故の『完璧』な演出。

 それに、観月もまた、応えた。

 愚直に思えた彼が、その愚直故に、四波平 月張を主役として押し上げた観客たちの言葉の、正しく代弁者となった。観客たちの想いを乗せる、器となった。
 
 だから――四波平 月張の『門』を打ち砕いたのは、観月 藤十郎ひとりの演技ではない。

(皆、拍手を送るに決まっている)

(四波平が奇跡を求める、あんな理由を聞かされたら)

(……みんな、あの自己犠牲バカを蹴り飛ばしてやりたくなるに、違いないんだから)

 ―      ―

 川越 翔馬が奇跡を望むのは、親友の不治の病を癒すためであった。

 が、結論から言うならば、川越 翔馬は、天凌の奇跡の扉に触れることもできなかった。

 彼は正しく『一人劇団ワンマントループ』であり、そして、奇跡への前提である『満天の空と約束の鐘』は、わかりあうものたちの舞台であった。

 繫がりを作る、舞台であった。

 そしてそれは――『一人劇団ワンマントループ』が『一人劇団ワンマントループ』であり続けることを、許さなかった。

「へいへいへい、わかってるかな、劇団ひとりちゃんさん。神様ちゃんが学外で能力を使うとか、超絶特別なんだZE☆ 観月クンに感謝しろー?」

 観月 藤十郎の「払った対価」とは、とある生徒の紹介だった。
 肉体の傷を見つけ出し、それが肉体に与える影響を制御する魔人。

 ――『神の左手ヒューメイン・レフト』 

 それは、親友の生来の病を癒すことはない。
 親友の「あるべき肉体」は病んだ状態であるからだ。
 だが、その病によって副次的に発生する、消耗や損傷を癒すことはできる。

 つまり、この病を根本から癒す方策を探す時間を、得ることができるのだ。

 観月 藤十郎。
 開け放った扉の青年。

 彼がぶちやぶったのは、親友の閉じた心だけではない。

 友を救うためならば、一人であらゆる手段を講じると決めた、川越 翔馬の『心のドア』をも、こじあけたのだ。

 ならば、この後でするべきことは決まっている。

 ここから先は、真っ白な病室に閉じ込められた親友を、鍵のかかったドアから、連れ出す物語だ。

 非力な自分に絶望して50年に一度の奇跡にすがるのではなく。
 心の扉を開いて、みっともなく周りに助けを求めて、多くの人に借りを作って、弱みを見せて……そんな、喜劇を始めよう。

 なんてことはない。
 悲劇で終わるくらいなら、道化を演じることの、なんて幸せなことか。

 川越 翔馬は、役者なのだから。

 

作品一覧に戻る

タイトルとURLをコピーしました