求道と羽曳野探検隊シリーズ アマゾン奥地に恐るべき蛇足は実在した!

その時、一つの会話があった。
多くの観客が見守る舞台の上で、しかしそれを知る者は二人だけの。
兄弟ではなく、姉妹ではなく。鏡像のような二人の会話。

(なあ、五十鈴)
(なに、月張くん)
(俺は、おまえが死ぬのは嫌なんだが)
(私も、また知り合いが目の前で死ぬのは嫌)
(――陽乃さんは)
(蘇らせるわ。けれどそれは、今日じゃないみたい)

言葉通りに。それが起こるのはその日ではなかった。
五十年に一度の奇跡があると多くの者が信じた日。彼女が蘇るのはその日ではなかった。
であれば、それはいつであるのか。それとも、その日は訪れないのか。
その謎を解明するため、我々探検隊はアマゾンの奥地へと向かった――。

【暗】   【転】

アマゾゾゾゾゾゾン……アマゾゾゾゾゾゾン……。
川を上るボートのエンジン音である。

河口付近では勇壮に聞こえたリバーボートの快音も今は虚無的な響きに思えた。
小さな機械の唸り声は巨大な密林の中に消えていく。
スクリュープロペラが深緑の水を泡立てる音は、大河の中に藻掻き溺れる者が肺の中のわずかな酸素を手放したような、そんな不吉なイメージを我々探検隊にもたらした。

「いけないな。気分が暗くなっている。どうも暑さにやられたかな」
「本当に暑いねえ。さすが本物のアマゾンだよ」

羽曳野琴音が頭を振り、求道匠が同調した。
つば付きの帽子も、頑丈な手袋も、長袖のシャツも、首に巻いたクールタオルも、随分と汗臭くなっている。

暑い。アマゾンが高温多湿であるとは誰しもが知っている。
しかしこの現実のアマゾンは深林さぐりが思い描いたそれと比べれば、ひどく優しさに欠けている。
そして羽曳野を苛むのは決して暑さだけではない。

恐るべき密林の奥地には死者をも蘇らせる秘薬がある。

それをただの迷信と断ずる余裕が彼女にはなかった。

羽曳野琴音は天龍寺あすかを支持したことを後悔しているわけではない。
四波平月張が主演を務めたあの舞台で失われた命が帰ることはなかったが、今ある命と引き換えに死者を呼び戻すことを決して良しとは思えなかった。

ただ、それはそれである。

生命と引き換えるには別の生命が必要だ。等価交換の原則に基づくもっともらしい理屈ではある。

彼女の心は肯んじない。
理不尽に失われたものならば、代償なく奪い返してやる。
そういう奇跡を諦めてはいなかった。

彼女の能力は他者を傷つけることはなく、自身が生き残るだけの性能を持っている。
アマゾンは弱肉強食の秘境である。
しかしただ過酷なだけの環境を越えた先に可能性があるというのならば、彼女にとっては悪い条件の冒険ではなかった。

もっともこの探検に同行しようとする者が現れるとは予想していなかったのだろうが。

羽曳野琴音は求道匠のことをよく知っている。
専攻こそ異なるものの同じ演劇の裏方仕事を務めた経験は一度や二度ではない。
お互いの性格や境遇はわかっているはずだ。

求道は奇跡を求めているわけではない。
ただ単に放っておけずについて来たのだろう。
彼女にそう決心させるほどに思いつめた顔を見せていたことを羽曳野がどれだけ自覚していたかはわからない。
私から見てもひどい表情だったが、私もそれをとやかく言えるような状態だという自信はない。
我々探検隊の中で誰の命であってもを失っていいと思っている者はいない。かつてと比べれば健全で前向きになったはずだが、実在の保証がない物を求める探索行に鬱屈した心情に傾きかけるのは仕方のないことだろう。

「塩飴どうぞ!」

求道は口の空いた袋をこちらに向けた。ごみを減らすために個包装がされていない物を持ってきたのだ。
彼女がいてくれてよかったのだと思う。

「ありがとうございます」
「私もありがたくいただこう」

一つ受け取った後、求道に手を伸ばす羽曳野の姿をカメラに収める。
撮影係としてこの探検隊に参加した以上、取れ高には敏感でなければならない。
傷のない綺麗な手。
鍵盤楽器には指の長い方が有利というイメージがあるが、羽曳野の手はごく平均的な骨格をしているように思えた。
むしろ普段の練習量を想起させる肉の厚さが好ましいくらいである。
白い手をレンズの中心に捉えズームイン。
その時。

ひゅう、と空を切る音と共に羽曳野の手に赤い線が走った。わずかな血の雫が丸く零れると同時、傷を覆うように火が灯る。

「っ、これは」
「琴音ちゃん大丈夫!?」

我々撮影班のカメラは偶然にもその瞬間を捉えていた。
それでは記録された映像をスローでご覧いただこう。

羽曳野の指先が塩飴の袋に届く寸前、横合いから飛び出した何かが彼女の手をかすめて行った。
高速で横切ったそれの姿はぶれているが緑と赤の体色と銀の光沢がお判りいただけただろうか。
そう、この生物の正体はアマゾンピラニアである。

この恐るべき魚類は生物の血中に含まれるアミノ酸の匂いをかぎ分けて獲物を見つけると言われている。
そして後に確認したところ求道が持ち込んだ塩飴にもやはりアミノ酸が含まれていた。
この塩飴がアマゾンピラニアを誘引したのだろう。
ボートに飛び込んできた小さな個体は既に求道が金槌の柄で抑え込んでいたものの、いつの間にか我々探検隊はバシャバシャと音を立てて水面から顔を出すアマゾンピラニアの群れに囲まれていた。

「ふむ、傷はもう治った。一匹なら大した脅威ではないが、しかし多いな。これが本物のアマゾン固有種か」
「どうしよう琴音ちゃん?」

ボートの速度は歩くよりは速いという程度。振り切ることは難しいと思われた。

「そうだな、むしろ釣ってしまうか? 私たちの方がこいつらを食べて悪いということもないだろう」

それが可能であるなら悪い案ではない。食料は十分な量を持ち込んでいるとはいえ、長期保存が可能なそれらを温存して現地調達した物を消費していけば食料を切らすリスクをより低くできる。
釣り竿もボートに備え付けた物があり、餌は既に捕らえた一匹を切り分ければ十分通用するだろう。
しかし。

「釣れるかなあ?」

求道は首を傾げる。
私も同様の疑問を感じていた。

アマゾンピラニアたちは最初に襲い掛かってきた一匹を除いてこちらの様子を窺うにとどめている。
その無機質な瞳は以外にも高度な知性を感じさせた。

「別に試して駄目でも問題はないだろう」

羽曳野はすっかりやる気らしく座席の下の釣り具を取り出そうとした。
その時。

「キュキュキュッ」

甲高い鳴き声と共にボートが揺れ水しぶきが上がる。
空中に跳ね上げられたアマゾンピラニアを薄赤い生物が突き上げた。
ピンクの捕食者、即ちアマゾンカワイルカだ。

「おおー! イルカだ!」

求道は歓声を上げたがそんなに可愛い生物ではない。
体長は3メートルに迫り、亀や蟹の類も容易に嚙み砕く肉食獣だ。
人間を襲うことは稀であるが対応を間違えればアマゾンピラニア以上の脅威になり得る。

「……釣りはよそうか」

羽曳野は残念そうに肩をすくめた。
たった一頭のアマゾンカワイルカによってアマゾンピラニアの群れは見る見るうちに数を減らしていく。
我々探検隊がこの状況に手を出す理由はない。
程なくしてアマゾンカワイルカは哀れな小魚を平らげ切ってしまい、こちらに向けて別れを告げるように胸びれを振って見せた。

「可愛いー」

私が正直かなり不気味な顔をしていると思っている一方で求道が呑気にそんなことを言ったその時。

「なんの音だ?」

最初に気づいたのは羽曳野だった。
奇妙な音だ。
水の底から響くような、川それ自体が唸っているような、チューバにも似た陰鬱な音。

「キュキュッ」

正体不明の音声は我々探検隊に不安を抱かせたが、アマゾンカワイルカは一層狼狽えていた。いや、怯えているのか。
おそらくアマゾンカワイルカはこの音の正体を知っている。

唐突に黒い影が伸びあがった。
急な大波に転覆しかけるボートを滝のような泥水が襲う。
二股に分かれた黒い巨体が鋏のように閉じ、アマゾンカワイルカが飲み込まれていった。

アマゾンカワクジラだ。

それを認識できた時には。
宙返りしたアマゾンカワクジラは再び水面の下へ潜り込み。
再度の波濤は今度こそボートをひっくり返し。
我々探検隊は深緑の川の中に落ちて行った。

【暗】   【転】

目覚めた私が最初に見たのは奇妙な木彫りの仮面だった。
縦に長い獣の顔を模した無塗装の仮面がこちらを見ている。

「お、目が覚めたみたいだねえ。アンタ川岸に流れ着いてたんだよ」

快活な女傑らしい声だった。
大して似ているわけでもないのに天龍寺に通ずる不思議な迫力を感じた。
青と白に染められた衣服から褐色の手足が突き出ている。
アマゾネスの中でもヒシ族という部族の衣装だったと思う。

「あなたが助けてくれたんですよね……? ありがとうございます」

身を起こすと全身がずきずきと痛む。
羽曳野であれば意識のない間に治ったのだろうけど。

「あの、私の他にもう二人いませんでしたか?」
「いや、アタシが拾った人間はアンタだけだね。荷物はリュックが一つ、それとこれもだ。大事そうに抱えてたんだよ」

そう言ってヒシアマゾネスはカメラを差し出した。
受け取る。片手で持てるビデオカメラがやけに重く感じる。
今の私にとっては最も大切な持ち物だった。
純粋に探検隊の中での撮影係という役割を大切にしているというのとは少し違う。
今の私は私という人間が持つ他の側面を表に出さないようにしている。撮影係という存在を演じることでそうではない自分の再定義を保留しているのだ。
私の願いが叶うのならば、今までの私の行動はその時点で破綻する。それはわかっているのだけれど――。

「連れがいたのか。そいつは心配だね」

ヒシアマゾネスの言葉が私を思考の渦から引き戻した。
実際のところ今は自分のことを考えている場合ではない。

「ええ、あの、私たちボートで川を上っていたんですが転覆してしまったんです。この場合はやっぱり下流に流されるんでしょうか?」
「そうだねえ、どの辺りで転覆したかわかるかい?」

ヒシアマゾネスは大きな地図を広げて見せた。意外と文明的というか、私たちが使っていたのとほぼ変わらない防水紙に機械印刷された地図だった。

「この辺りのはずです」

決めていたルートと移動時間から考えられる地点を指差す。

「そうかい、アタシたちがいるのはここさ」

対してヒシアマゾネスが指し示した場所は転覆地点よりも上流側の陸地だった。

「今はポロロッカの時期だからね。ひょっとするとアンタの仲間はもっと奥まで流されたかもしれないよ」
「奥ですか」
「ああ、マナウスに連絡して捜索隊を出してもらわないとね。この集落からだって人を出してもいい。ただ……」
「ただ?」
「アタシたちはここにだけは近づけない」

褐色の指が地図の一点を軽く叩いた。赤い×印がついている。

「昔からの言い伝えでね。遺跡があるらしいんだが実際に見に行ったやつは一人もいない。少なくとも生きて帰ってきたやつはね」
「言い伝えというのは」
「ずっと昔の呪い師、もしかしたら魔人だったのかもしれないけど、そいつが言い残したんだよ。『生者と死者の区別なく、恐ろしい龍が贄を餌食む。命のある者は触れてはならぬ。不死鳥の火が闇を照らし、妖精の槌が岩塔を砕き、撮影係がカメラを回す時、不死の龍は地の底に沈み、太陽は再び上るであろう』ってね。昔から伝わってるのはそれだけだよ」
「『撮影係がカメラを』……?」

カメラを持つ手に思わず力が籠る。それではまるで私のことを予言したかのようだ。不死鳥の火、妖精の槌というのも羽曳野と求道を連想させるフレーズに思える。

「心辺りがあるって顔だね」
「もしかしたら、私の仲間はそこに行ったのかもしれません」
「獣道もないんだ。大体の方角しか教えてやれないよ」
「構いません。今行かないと駄目なんです」

あるいは酒に酔った時はこのように高揚するのだろうか。
正直に言えば、この時の私は何よりも言い伝えの最後の言葉に気を取られていた。
太陽は再び上るであろう――あの時からずっと私は、そういう奇跡を望んでいた。

【暗】   【転】

羽曳野琴音は自分の命が無事であったことにまずは安堵した。
どんな重傷も癒える能力を持つものの、外傷によらない溺死の危険性はゼロではなかったと考えている。
自分の身体に不調はないこと、探検隊の仲間が見当たらないこと、そして現在地がアマゾン熱帯雨林の川岸ということ以外はどこかもわからないという現実をすぐに把握した。

彼女は自分の足で仲間を探すことに決めた。
自身のリュックは手放さずに済んでいたもののトランシーバーは誰にも繋がらず、仲間たちは自身とは異なり負傷すれば身動きが取れなくなるという認識による判断だった。
しかし当てがあるわけでもなく。
彼女は川沿いにそって川の流れる方向に歩みを進めていく。流された物はそちらに向かうはずだというだけでなく、下流へ向かえばどこかの都市に辿り着くだろう、そこで救助の要請をしようとも考えていた。

ここで一つ、羽曳野は大きな勘違いをしていた。
ポロロッカという現象について探検隊は大まかな知識を持ってはいたが、あくまでも河口地域で起こるものだと認識していた。
彼女たちが探検を始めた中流域地帯では無関係なものだと考えていたのだ。だが実際はその時の雨量や干満差によって逆流の届く距離は大きく変動する。
過去最大規模のポロロッカは彼女をアマゾンの深奥へと導いて行ったのだ。

「……あれは、建物か?」

そして奇縁に誘われるように彼女はそこへたどり着いた。
切り開かれていないはずの密林が不自然に隙間を空けてそれは姿を現した。

巨石を組み合わせた建造物。

漠然と感じていた異様さは近づくほどにはっきりと不審へ変わっていった。
石材の表面を覆う奇妙な幾何学模様の彫刻。
削られてない平面は鏡のように滑らかな黒一色で、岩の隙間にはわずかな草も生えていない。
自然に晒されていることが信じられないほど綺麗すぎる。
常識手に考えるなら人の手が加わっているはずだ。
しかし人の気配がない。獣の鳴き声も聞こえなかった。
静かだ。

外周を回って観察すれば一か所入口らしき空間が開いている。
一見した範囲では大して奥行きのない隙間。
下方に向かって真っ暗な空間が伸びている。
アマゾンの暑気を忘れるような悪寒を感じた。
それでも羽曳野は足を踏み入れた。
目視しがたいが整った階段がある。
よく気を付けてさえいれば足を滑らせたり踏み外す心配はなさそうだ。
その他に安心できる点はなかった。

【暗】   【転】

急流に流されながら求道匠は狂気的な選択をしていた。
大金槌を手放さなければ自分が自ら浮かび上がることはない。その事実を理解してなお柄を握る手を緩めはしなかった。
得意なことと言えば大道具を作ること、魔人能力は金槌で叩いた人工物を素材に戻すというもの。
その他にアマゾン探検に役立ちそうな技能は持っていないし、それらの能力も使う機会があるかないかもわからない。
それでも無理を言って探検隊に加わった者として自分のできることを減らしたくはなかった。
川底に開いた洞窟に飲み込まれた時、既に彼女の意識はなかった。

「ぴゅー!」

泥水を噴き出して目覚めた時、彼女は奇妙な空間にいた。
太陽光の代わりに青緑色の不思議な光に照らされた薄暗く冷たい部屋だった。

「ああ、目が覚めたのかい?」

傍らには服とも言えないようなぼろ布を体に巻き付けた女が座り込んでいた。
ヒシ族のアマゾネスの一人であったが求道には判別できなかった。

「あなたが助けてくれたんですか?」
「いや?」

ヒシアマゾネスはへらへら笑って首を振る。ひどく厭世的な笑みだった。

「見ていただけさ。ここじゃ死んでるのも生きてるのも変わらないからね」
「それはどういう……?」

言い切る前にヒシアマゾネスは求道の口を押さえた。

「静かにしな。アイツが来やがった。……ショックだろうが見た方が早いな。絶対に声を出すんじゃないよ」

ヒシアマゾネスは背後の岩を音のならぬ程度に軽く叩いた。
壁ではない。ただの大岩だ。
つまり岩の向こう側には空間があり、これが障害物となって求道たちの姿をなにかから隠しているのだろうと思われた。

「……!」

恐る恐る岩陰からそっと頭を出した求道はそこに非現実的かつ冒涜的な存在を見た。

長大な胴体がある。求道が目いっぱい頭の上に伸ばした手からつま先までの長さを測ってもその直径には届くまい。
恐るべき頭部がある。緑に輝く眼球の上部からはねじ曲がった角が生えている。大きく開かれた口には鍾乳石のような牙がびっしりと生えていた。
全体として蛇にいている。しかしあり得ざるものが備わっている。角と牙だけではない。その体には二対の足が付いていた。
蛇足という言葉がある。現実の蛇には足などない。即ちそれが古来からの想像上にしか存在しないと考えられていた生物であると直感した。

「アマゾンドラゴン……!」
「ああ、アマゾンドラゴンだ……!」

衝撃に打ち振るえる求道の口をヒシアマゾネスは改めて手で塞いだ。
彼女はそこでこれから起こる出来事を、恐るべき龍によって常に行われていた出来事を知っていたのだ。

アマゾンドラゴンの目の前には数名の人がいた。
ヒシアマゾネスと同じようなぼろ布を纏った、見るからに無気力な人々だった。
彼らが怯えたり逃げようとする様子がなかったことから、その瞬間まで求道は危険を感じ取れていなかった。

アマゾンドラゴンはぼうっと佇む一人におもむろに鼻先を近づけた。次の瞬間、人間が蚊を叩くような俊敏かつ気軽な動作で彼を咥えこんでいた。
閉じられた口の隙間からはみ出した一本の脚が血を垂らしながら石の床に落ちた。

求道は危うく叫びかけたがヒシアマゾネスを振りほどくことはしなかった。
体に伝わる力の弱さからヒシアマゾネスが非魔人であると察していた。
暴れれば彼女に怪我を負わせかねない。

そして悍ましい光景が続く。
打ち捨てられた片足にアマゾンドラゴンが唾を吐いた。
片足が痙攣し、腰と、反対の脚と、胴と、腕と、頭が瞬く間に生えだした。
五体満足の人間がいた。

「外じゃ死者を蘇らせる薬があるって言われてるらしいね」

ヒシアマゾネスが呟いた。

「見ての通りさ。アイツの唾がそうなんだろう。アイツが永遠に生餌を食うために死者を蘇らせ続ける。伝説の薬は実在した、結構じゃないか」
「ここから逃げられないんですか?」
「アイツは入ってくる奴には何もしない。外に出ようとする奴を狙って食っちまう。残った体の欠片をここに吐き出して唾をかけるんだ。逃げる奴がいなくても適当な相手を食ってるけどね。アタシも何度か食われたけどいい気分じゃない」
「出入口はどこに?」
「上に続く道がある。狭いから見つからずに通り抜けるのは無理だ。ここの下に川があるけど外に繋がってるかはわからなくてね。アンタはそこに流れて来たんだが」
「私は川の底に沈んだんです。泳いで出るのは難しいかも」
「そうかい」

まあ期待しちゃいなかったよ、とヒシアマゾネスは再び笑った。
求道は何か言葉をかけようとしたが何を言えばいいのかわからなかった。

ぶるる、とポケットの中で何かが震えた。

【暗】   【転】

もしも人が、仲間がいるならば。
トランシーバーも有効な距離にあるかもしれない。
羽曳野がそう思い至ったのは人に会わない不安に駆られてのことだったが、求道と連絡が付いたのは幸運だった。

情報を共有した羽曳野は薬の確保よりも優先するべきことがあると考えた。

「つまり、そこにいる人々が逃げ出せないのはアマゾンドラゴンを無視して狭い通路を通ることができないからなのだろう。私が外側からアマゾンドラゴンの気を引く。この遺跡の外まで釣り出せればそこにいる人たちと共に外へ出られるだろう」
『アマゾンドラゴンを外に出した後はどうするの?』
「上手く撒ければ遺跡に帰るとは考えられないか? 話を聞く限りそいつには餌を貯め込む知性がある。怒り狂う可能性はあるが遺跡の中で次を待つ方が奴には都合がいいはずだ」
『上手くいくかな?』
「そこで一生暮らす気か? ちゃんと死ねるかもわからないらしいが」

そうして羽曳野は動き始める。
閉じ込められた人々はすっかり無気力になっているらしいが、その対処は求道に任せるしかなかった。

遺跡の内部は碌な明かりがなかった。青緑色の未知の鉱石がほのかに光るが遠く先まで見渡すことはできない。
羽曳野はサバイバルナイフで手のひらを大きく傷つける。灯る火に熱はないが照らしはする。
暗がりの中にアマゾンドラゴンを見逃して相手よりも遺跡の奥に進んでしまえばこの計画は破綻する。
慎重に歩みを進め、羽曳野はついにそれを見た。
青緑の鱗を持つ信じられないほど巨大な生物。距離はある。こちらに尾を向けている。

「かかってくれよ」

羽曳野は拾っていた手ごろな石を魔人の膂力で投げつけた。
与えた傷はその体に比べて悲しくなるほど小さかった。
それでもアマゾンドラゴンは体を震わせ、とぐろを巻き、羽曳野を確かに睨みつけた。
それがわかった瞬間、羽曳野は反転して階段を駆け上った。

「釣れたぞ!」

トランシーバーに叫びながらも速力を緩めはしなかった。

【暗】   【転】

アマゾンドラゴンは遺跡の外まで羽曳野を追った。
順調だったのはそこまでだろうか。
密林の木々をなぎ倒して這い回るアマゾンドラゴンを羽曳野は引き離せずにいた。
想像以上に速い。
トランシーバーから聞こえる求道の声は人々が無事に抜け出したことを伝えるが、それに応じる余裕もなかった。
捕まらずにいることが奇跡に近い。

奴が諦めずに追い続けるというのなら戦って倒すしかないのではないか。
そういう発想はあるものの実際に勝てるとも思えなかった。
まず探検隊の面々が持つ魔人能力は殺傷力を備えていない。非魔人と比べれば優れた身体能力も根本的にスケールの違うアマゾンドラゴン相手にどれほど通用するかわからない。

絶望的に解決困難な状況だった。

だがしかし。
そういう時に現れる者モノの名をを聞いたことがありはしないか。

逃げ回る密林の中にアマゾンジャガーやアマゾン鳥類がいないことを羽曳野は疑問に思っていなかった。
遺跡周辺が奇妙に静かだったから、アマゾン生物はアマゾンドラゴンを避けているのだろうと漠然と考えていた。
それも間違いではない。
だが元々遺跡内部に立ち入らなければアマゾンドラゴンに襲われることはない。アマゾン生物が避ける領域というのは彼女の想像よりもずっと狭い範囲に収まっていた。

アマゾンドラゴンとは別に、アマゾン生物が周囲から逃げ出した原因がある。

不幸にも遺跡のごく近くで羽曳野とすれ違っていた彼女はアマゾンの密林を切り開いていた。
彼女はヒシアマゾネスから言い伝えを聞き、遺跡に入る前に「恐ろしい龍」に備える必要があると考えていた。
魔人ではあるもの、現在の彼女が行使できる能力はこの場の役に立つことはなく、だからこそ仲間を頼る発想を持った。
彼女は密林を切り開き、使える状態の木材を集めることを考えた。
岩塔を砕くと予言された仲間が十全に力を揮えるように。

そして羽曳野が逃げ回る間、妖精と撮影係は無事の再開を果たしていた。

木々が揺れる。
羽曳野はアマゾンドラゴンのせいだと考えていた。

大地が揺れる。
振り返ってみればアマゾンドラゴンは歩みを止めて、警戒するように首を振っていた。

密林が、割れる。
恐るべきものが現れた。
それは木で造られているのだろう。
姿形は人を模している。

だがそれは。
木槌を手に立ち上がったそれは。
アマゾンドラゴンよりを見下ろすほどに巨大だった。

そういう物があるのだと、羽曳野琴音は知っていた。
これまで彼女が関わる舞台に縁はなかったものの、それはあまりにも有名だった。

絶望的に解決困難な状況を、前触れなく解決に導く者。

デウス・エクス・マキナ。

神話に終焉の鉄槌を下す劇場装置。

つまるところ、一つの大道具だ。

巨人の体から太い蔦を束ねたらしいロープがいくつも伸びている。
その先には求道匠がいた。
原理としてはマリオネットの一種なのだろう。

求道が力いっぱいにロープを引く。
巨人は木槌を振り上げる。
アマゾンドラゴンはただそれを見上げていた。

音の消え去った世界で「伏せて」という声が聞こえた。

次の瞬間。
隕石が空を割るような轟音。
恐ろしい生物の恐慌の絶叫。

飛び散る土と塵と熱風にさらされ、羽曳野は意識を失った。

我々撮影班のカメラに残された記録映像もまた、ひどく不明瞭なものであった。

【蛇】   【足】

そこまでしてさえアマゾンドラゴンは死ななかったのだと羽曳野は後から知らされた。
正確に言えば、潰れて飛び散った肉片の一つから一匹のアマゾンドラゴンに再生したということらしい。
体液が蘇生薬ならばそういうこともあるのかと、彼女はそこでようやく思い至った。
戦って勝つというのは非常に無謀だったわけだが、アマゾンドラゴンは大人しく遺跡に戻ったのだという。

それから探検隊はヒシアマゾネスの集落で話し合いを行い、ちょっとした措置を行った。

遺跡に戻った求道が金槌で石壁を叩いたのだ。
今ではもう地下に伸びる空洞は石材で隙間なく塞がれており、地上から人が入り込む余地はないと言う。

そして。

「それがアイツの唾なのか」
「蘇生薬って言ってよ」

遺跡の最深部にはアマゾンドラゴンが吐き散らかした唾が相当な量あったそうだ。
求道は脱出する際に抜け目なく採取瓶に詰めてきていた。

「あの子にはもう渡してあるからこれは琴音ちゃんの分! 他にも欲しがってる人がいるみたいなんだけど渡していいかな? 同じ学校の生徒のよしみで」
「私は構わない。しかし……」

羽曳野は眉間に皺を寄せた。

「……杞憂であればいいのだが。死体にかけたら蘇生したのだろう。焼いた遺骨でも大丈夫だろうか」
「えっ」

求道は虚を突かれた様子だった。
二人はしばらくの間、黙って顔を見合わせた。

【蛇】   【足】   【二】   【本】   【目】

伝来の先祖と陽乃が眠っている墓の前で、私はまず手を合わせた。
どうか、上手くいきますように。
玉砂利の上で瓶を空ける。
どろりとした透明な液体が石の色を暗く変えながらも吸い込まれていく。

効果はすぐに表れた。

ぼこりと、玉砂利が盛り上がる。
次の瞬間、何本もの腕が地面から突き出した。

「えっやばっ」

慌てて玉砂利から飛びのき墓地の通路に避難する。

我が家の墓地はもう凄いことになっていた。

「いとをかし」
「婆さんここはどこかのう」
「うーん拙者は死んだはずでござるが……」
「オレ、ナウマンゾウ、タベタイ」

伝来の先祖たちが蘇っている。
それぞれの時代に生きた先祖たちが集まって非常にカオスな光景だ。

そして、その中には。

「え、なにこれ……」

呆然としているのは私そっくりの女の子。

今は少しだけ違いも出てきた。

彼女がいなかった間、私の体はしっかりと生きていた。
要するに背が伸びているのである。

こうして蘇った陽乃は当然これから陽乃として生きる。
だが今の私たちを見れば、空白期間のなかった方、これまで生きていた方が私なのだとわかるのだ。
つまり、あの事故の後、五十鈴陽乃として振舞っていたのは五十鈴月乃だと明かすことになる。

皆には改めて説明しなければならないけれど、なんと言われるだろうか。

こうして決して陽乃でもはなく、しかし月乃とも名乗らない匿名の撮影係の日々は終わった。

大変なことばかりだったけど、思えば楽しい日々だった。

役を演じるということを私はやめられないのかもしれない。

「今度の主演は私がもらうよ」

そう呼びかければ、陽乃はぽかんと口を開け、それから大いに笑って見せた。
そんな笑顔を見るのは随分久しぶりだと思った。

 

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