幕間・希望在れと少年は願う

幕間・希望在れと少年は願う

静謐な空間に、コツン、コツンと響く靴音。―緊張しているのが、自分でも分かる。ステージの上は、白く照明で照らし出され、いやが応にもこの場で僕だけが、今は主役であることを実感させる。
 意を決し、観客席へと視線を向ける。暗がりからでもわかる、僕を吟味する審美眼。期待も、不安も、彼らには存在しない。只、其れが美しいものか。醜いものか。語るに及ばない物か。判別するために、一切の私情を取り払っている。
 嗚呼、審査員としては、正しい在り方なのだろう。だが、一聴衆としてはどうだろうか。僕は、僕の奏でる音を聴いてもらいたい。感情を切り捨てた鑑賞…公平な審査であるならば、私情を挟まぬが道理。しかしならばこそ。
 その切り捨てた感情だって、僕が。もう一度奮い立たせて見せよう。

 秋が過ぎ、吹き付ける風に棘が増し始めたころ。僕は変わらない日々を送っていた。
 あの天凌祭から1か月。結局、僕は主役になれなかった。誘われてバンドに参加したりもしたが、それだけじゃ票は稼げない。そもそも演劇をやったことがない素人が、太刀打ちできる場所じゃあない。
 僕じゃない誰かが主役を張り、僕じゃない誰かが願いを叶えた。…いいことだ。僕の願いは、あまりにも身勝手で安直なもの。そんなものより、もっとかなえるべき願いは、あるはずなんだ。
 ―例えば、死した友人を生き返らせること。
 ―例えば、喪せものを探し出すこと。
 彼らのように、人知の及ばぬ願いこそ。奇跡を希うものだ。

「だって…僕の願いは、奇跡じゃなきゃかなえられない物じゃないんだ…」

僕自身がもっと。もっと頑張れば、努力すれば、かなえられる願い。パートナーを見つけることも、母さんを納得させることも、奇跡に頼る必要はない。僕自身の行いで、変えられる。
 だからこそ、僕は最初から降りているべきだった。僕は、自分の弱さだけに目を向けて奇跡にすがった。―ああ、今にして思えば、寮長が言っていたことが事実であると。そう理解できる。
 失礼だ。確かに、僕は失礼な人間だ。なにより、僕は僕の好きな、続けたいと思った音楽に対して失礼だ。

「ッーー…」

深呼吸一つ。僕はヴァイオリンに弓を付き添わせる。あくまで趣味、と自分に言い聞かせて続けてきたヴァイオリンは、しっくりと指に馴染んだ。
 こんな僕でも、楽器は受け入れてくれる。それだけでもうれしかった。
 趣味、勿論その側面もあるが、今は本気で。為したいと思ったからこそ、僕はここに立っている。

『No.7、長門 艶奏。どうぞ』

無機質な機械音声が僕の試練を促す。いままで培ってきた全身全霊を。この音に込めよう―

『~♪』

神経を指先までいきわたらせ、極限まで高めた集中力でヴァイオリンを爪弾く。僕の背にはいくつもの楽器が並べられている。演奏に合わせて、彼らに魂が宿り始めた。
 ヴァイオリンの音色に合わせてピアノの旋律が交わる。だが、僕の背後には誰もいない。この音色は、僕の音に連れられてきた『彼ら』の魂だ。

『From that sky to the present day―(あの空から現在に至るまで―)』

獣性。それは、理想へと近づけようとする生命の本能だ。より楽しく。より美しく。高いところを目指し続ける、命を走らせ続ける衝動。
 其れは被造物にも宿る。被造物は、言うなれば人の分体、人と同じ性質を持つ。故に、僕の背後に在る楽器たちにも獣性が存在しているのだ。

『How many stories have we spun?(僕らはどれほどの物語を紡いできただろう?)』

僕の力は、獣を従え操る力。その本質は、獣性の統率…管理。僕の力はあらゆる獣と繋がり、同調する。

『I can’t talk about it now, but…(今はまだ語れないけど)』

そして、音楽もまた被造物だ。僕の獣性が僕の音楽に映し出される。
 何故僕の音楽を聴くと人は狂ってしまうのか。それは恐らく、認識の多重化によるものだ。音楽は聴覚情報、しかし僕の力はそこに目視できる獣という視覚情報を映してしまう。この認識の多重化は、人の脳の容量を圧迫してしまうのだ。

『There were those who wished for a miracle(奇跡を希うものがいた)』

本来、耳に届くだけの音楽。それが目に見える形となりつつ耳にも同一の情報が入ってくる。2つの感覚器官に同じ情報が入ってくることはあり得ない。そりゃあ、脳もバグるというものだ。

『Some went on to dream(夢へ進む者がいた)』

だが、それでは僕の音楽が魔人にしか聞こえない不協和音となってしまう。それは嫌だ。もっとたくさんの人に、僕の音を聞いてもらいたい。
 そのための、歌だ。

『Everyone brought their own hopes and wishes(皆それぞれの希望と願いを持ち寄って)』

僕の演奏に合わせて獣性が励起することは止めようがない。だから、僕はその獣を統率する。獣は音という形へと統率されるため、彼らの視覚には自ずから音を奏でる楽器たちに見えているだろう。

『They all went on to their respective futures(皆それぞれの未来へと突き進んでいった)』

瞼から熱いモノが零れ落ちる。涙ではない。脳の過負荷による血涙だ。
 獣を統率し楽器を演奏する。獣はあくまで僕の能力の一部であり、彼らが為すことは総て僕が為すこと。
 だけど楽器一つ一つを同時に演奏するのは、あまりにも僕という存在を酷使した所業だ。脳内でいくつもの楽器を操作する工程を並列で処理する以上、魔人とはいえ人の仔である僕の身体はそう長く持たない。

「ッ…ぁ」

鈍い痛みが頭を突き刺した。だけど、演奏を止めることはできない。否、止めたくない。ここで僕の全力を見せたい。弦を爪弾くこの指先だけには一部の狂いだって産ませない。

『Will there be a shining tomorrow?(輝く明日が来るだろうか)
Will there be the future we’ve been waiting for?(待ち望んだ未来はあるだろうか)
We are running through without knowing anything(何も知らないままに僕らは駆け抜けていく)』

赤く染まった視界の中で、審査員の表情が克明に映し出される。忘我する者、是非を定めんとする者、眉を顰める者…審査員だけでなく、後方の観客たちの顔さえ僕の脳は認識していた。
 僕の後ろで演奏を続ける獣たちも、僕の眼としての働きをしているようだ。―嗚呼、この情報量はあまりにも耐えられない。
 だけど、そろそろこの演奏もラストスパートだ。ここで立ち止まるわけにはいかない。目を閉じ、音の世界へと没頭する。
 暗闇の中、只独りであるかのようだ。聞こえてくる音は自分の演奏のみ。いつもは夕焼け空に独り漠然と弾き鳴らしていただけの音楽。

『Say and celebrate, the steps you have taken.(言祝ごう、その歩みを)
Let us pray, let there be light along the way.(祈ろう、その道筋に光在れと)
Even if all return equally to dust.(総て等しく塵に帰るとしても)』

でも今は、聴いてくれている人たちがいる。僕の音楽に耳を傾けてくれる人がいる。―それだけでも、うれしかった。
 楽器を弾くということが、これほどまでに楽しいと感じたのはいつぶりだろうか。自らの衝動を音に乗せることのなんと甘美たることか。
 ―もっと、もっと弾き続けたい。表したい。嗚呼でもそれは叶わぬこと、この演奏会において僕の出番はもう終わる。
 ここを終点にしてしまうのは口惜しい。やはり僕はもっと音楽を続けていきたい。だからこそ、この楽曲の終着は今魅せられる一番を。

『Your wishes will never be sullied―(君たちの願いは、決して穢れない)』

音の余韻に浸かりながら、弦から弓をゆっくりと離す。暫しの静寂、張り詰めた空気の中唐突に響いた炸裂音が会場内を埋め尽くした。

「………」

思わず声をあげたくなるその音をぐっとこらえ、僕は聴衆へ深く頭を下げた。―少なくとも、僕の音は決して雑音とならなかった…そう、受け取っていいのだろう。

『それでは、NO.8…』

無機質な機械音声が舞台袖への退散を促す。―ああ、今ここでの僕の舞台は終了だ。次の演者へ席を渡そう。
 暗闇に足を踏み入れた途端、脚がもつれてしまった。受け身も取れず、地面へと倒れ込む。どたどたと駆け寄ってくる足音の中、僕の視界に少しだけ赤く染まった制服が映った。

 温かな風が肌を撫でる。ゆっくりと瞼を持ち上げると、白い天井が視界に入った。薄い桃色のカーテンが僕を囲っている。

「あれ…なんで保健室…?」

ゆっくりと体を起こす。服は制服のままだ。ただところどころ赤い血の斑点がついている。―ああ、そうだ。僕は発表会を終えてから舞台袖で倒れたんだっけ。
 結果はどうなったのだろうか。最優秀賞…とは言わずとも、優秀賞は取れているだろうか。

「失礼するよ。いいかな?」

突然カーテンの後ろに影が見えた。声的には寮長だろう。お見舞いに来てくれたのだろうか。

「はい。寮長、ですよね」
「ああそうだとも、おれだよ長門君」

カーテンを開けて寮長がその姿を覗かせる。

「いや全く面白い。まさか定例発表会で倒れる人がいるなんてね、前代未聞だよ。一体どんなことをしたんだ?」
「多分脳が過負荷を起こしちゃったんだと思います…いろんな楽器を頭一つで並列演奏したので」
「ほう、君は能力を随分柔軟に使えるようになったのだね。さて…おれがここにいるのは結果を伝えに気わけだが…聞きたいかい?」
「…お願いします」

僕の、全力の結果。それが、彼らにどう映ったのだろう。どう聴こえたのだろう。

「では率直に。君の結果は特にない。いわゆる参加賞という奴だな」

…予想していなかったわけではない。だけど、思っていた以上に僕は落胆していた。やはり僕の音では人に響かないのだろうか。

「…そう―でしたか」
「ああ。だが、この審査は割と不思議でね…君の評価は5人の審査員のうち4人が最高評価を下していた。ただ1人だけ、何も聞こえなかった故に不可と証言したそうだ。定例発表会の基準は知っているだろう?1人でも不可とした場合は賞が与えられない」
「不思議だとしても、結果は結果です。その人に、僕の音を聞かせることが出来なかったのは僕の実力不足ですから」
「そうね。だけど、私には聞こえたわ」

突然響いた声に、そこにいるはずのない声に、僕は顔を上げた。会いたいと思っていたわけではなかった。だけど、今こうして目の前にいると不思議と寂しさがあった事実を感じてしまう。

「来てたんだね…母さん」
「定例発表会だってこの学園にとって外部とのコネクションを作るいい機会だもの。…それに、貴方が演奏を披露する、と聞いたのだからいかないわけにはいかないでしょう?私が何のためにここへ来ることを許可したと思っているのかしら」
「まあまあ長門君の母君、感想を伝えてあげたらどうだい?君が一番知りたかったことが、今日知れたのだろう?」
「本当に貴方、ここの生徒なの?…今貴方のことはどうでもいいわ、グレイ」

ふっとため息を吐いて、母さんが僕を視る。

「長門。今日聴いた貴方の演奏は今まで聞いたものと全く違った。明らかに別物だった。…貴方が奏でていたのがあんなにも荒々しく、躍動に溢れていたものだと思わなかったわ…」
「聞こえた…ってことだよね」
「ええ。まさか、貴方が家を離れてかられんにかけずりまわされるなんて思わなかったわ…私、芸術を批評はしても鑑賞したことなんて一度もなかった。知らなかったの」

自嘲気味に笑う母さん。それを見ながら寮長は愉快そうに口角を吊り上げている。…この人、本当に物怖じしないな…

「私の所業が許されることでもないのは分かってる。艶奏。本当に、音楽の道を目指したいのよね」
「…それは変わらないよ」
「なら、もう私は口を出さない。今日、貴方の覚悟が見て取れたから。…まさか、倒れるなんて思いもしなかったけれど」

久しぶりに見た母さんの笑顔は、昔みたいに華やいで―

「ここですねお邪魔しますすでにしてますよー!」

どばーんと乱雑に開け放たれた保健室の扉から1人の男子生徒が駆け込んできた。突然の闖入者に目を白黒させる僕と母さん、寮長は終始にやにやしている。

「いましたいました!すみませんそこのお方!制服を少し朱に染めた貴方!」
「えと…僕のこと?」
「貴方しかいませんそう!貴方!まさかこの学園に貴方のような黒馬さんいたとはおもいませんでしたよ!天啓天啓今日此の日発掘できたのはまさに神の思し召しッ」

…第一印象、怖い人。何なんだこの人。

「演奏会拝聴させていただきました!実にcool!あれほど間に生命荒ぶる演奏は聞いたことがない!是非とも私たちオーケストラ愛好会に来ませんか!来て!雇用!採用!」
「お、オーケストラ愛好会…?」
「現状4人しかいないから部活扱いされてないんだよ。いやはや、スカウトとは驚きだ」
「えと…でも僕の音楽は…」
「知っています!既に新聞部の方から情報サーチ済みです!ご心配なく、私たちのメンバーに優秀な調律能力者がいるので!貴方の音楽で人が狂うことはありませんとも!」

それは…僕にとって理想的なパートナーだけどいいのだろうか。僕みたいに能力に悩まされている人なんてたくさんいるだろうに。

「ちなみに彼、この学園を影ながらに救う手助けをした一員だよ」
「救うって僕そんなに役に―なんで寮長知ってるんですか…?
「おれの眼がごまかせるとでも?」
「なんと!闇夜に紛れる英雄的属性もお持ちのようで!是非に!私たちと一緒にミューズをぶっちぎりましょう!ね!」

本気にはしてなさそうだけど、まあそこは重要じゃない。僕にとって大切なのは、自分の音を響かせることのできる場所だ。

「…あの、あとで見学に行きたい…です」
「ハーイ解りました!ヤッダアアアアアこれで部活認定だアアアア!」

嵐のように去っていく男子生徒。そういえば名前聞き忘れた…

「…音楽するのはいいけど、今日みたいに倒れるなんてやめて頂戴ね」
「今日はやりすぎただけだから…大丈夫だよ」
「ならいいのだけど…」

これからは、自分に嘘をつかなくていい。黄昏に向かって弾き続けていたあの音も、報われる。僕のオーケストラは1人ではなく、まだ見ぬ4人とともに奏でることになる。
 4人でオーケストラ、というのも変な話だろうか。まあ、悪くはないだろう。

 明かりの灯った一室に、チェスの駒を動かす音が響く。

「チェックメイト。私の勝ち」
「おれの負け、だね。やっぱり姉さんは強いなあ」

グレイの真正面には車いすに座った少女がいた。クイーンの駒を片手に、不機嫌そのものといった眼差しでグレイを見据える。

「私の言いつけを破って、望む結果は得られたのかしら?」
「さあね。現状では判断しがたい…が、少なくとも時間は動き始めた。もう止められない」
「そう。欲望の吹き溜まりもきれいになったみたいだし…私の判断は間違っていたのかもね」
「言い切ることはできないさ。動き始めた学園は止められない。おれたちはあくまで演外人として、舞台を見守るしかない」

「何、悪い方向にはいかないさ。この学園は希望に満ちているからね」

 

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