I’m over the moon

――那須先生。もしも僕が動けなくなったら、よろしくお願いします。

 

「全く。面倒事を押し付けるだけ押し付けて、自分は早々に退場か」

 白衣を着た女が、ぼそりと呟く。

 天凌学園。運動場の真下深くに位置する、天然の地下空洞。その中心には、朱塗りの鳥居とその奥に鎮座する同じ色の祠が祀られていた。そして、その奥に広がる巨大な地底湖。決して枯れない噴水の水源にもなっている湖水はコバルトブルーに光り輝き、地下洞の壁面や天井をぼんやりと照らしている。
 
 ここが天凌学園の七奇跡の発生源、『天凌の霊脈』の中心部だった。

「坊やの小細工も功を奏したのだろうが、今、この霊脈は五十年前以上のエネルギーに満ち溢れている。既に、人ひとりの願いを叶えることなど容易い・・・・・・・・・・・・・・・・・・だろう」

 霊脈は、人々の願いの数に呼応して、よりその力を強める。学園内はもちろん、学外からの支持者を集めていたのも、敗者の得票が丸ごと取り込まれるといった支持者数の極端な動きうらこうさくも、奇跡の力をより強めていくためであった。
 そして今、そのエネルギー量は“彼”の目論見通り、かつてない水準レベルにまで達しようとしていた。
 

「なぁ坊や、この先、全ての人々の想いを一つに束ねることが出来るのだとしたら……」
 

――霊脈の管理者である妖狐の女は、祠の前で来たる日の大祭に心躍らせていた。
 


 

――『満天の空と約束の鐘』最終オーディションの日。

 寝起きの悪い身体を無理矢理起こし、いつもの頭痛に顔を歪める。けれどそんな日々もあと少し。今日、奇跡を呼ぶ演劇の主役が決まるのだ。

 ようやくここまで来た。私は何としても願いの権利を勝ち取り、全てを元に戻さなければいけない。そう、『陽乃ホンモノ』をこの世界に取り戻し、間違って生き残った『月乃ニセモノ』を完全に消し去る。
 

 そう、思っていた――
 

『俺が全部、許すから……。自分を価値のない者だなんて……思わないでくれ』
 

 誰かの声が、私の決意を鈍らせる。甘く優しい言葉が、私の意志を蝕んでいく。
 やりきれなくなり、机の上に置いてあった演劇の台本をめくる。蛍光ペンでマークされた詩人と心閉ざす者しゅやくたちの台詞。そして巻末のメモ欄に残る走り書き。陽乃を喪った十六夜の日の誓いを思い出す。

(五十鈴 陽乃の命は、五十鈴 陽乃が取り戻す)

 この胸の痛みも、狂おしいまでの心のざわめきも甘んじて受け入れよう。だけど結末は変わらない。私はもう立ち止まらない。そう、決めたのだから。

 

――こうして、私の運命の朝は、始まりを告げたのだった。

 

 最終オーディション、そして本番の演劇が行われる中庭の特設ステージでは、実行委員の生徒や設営班が休日返上で忙しそうに準備を進めていた。その様子を見下ろせる3Fの空き教室にて、主演候補者のうち数名が、至神 かれんの呼びかけで集まっていた。

「で、朝から何の用ですか? まさかまた良からぬことでも考えてるんじゃないでしょうね?」

 天龍寺 あすかが念のため牽制をかける。先日の件で向こうもそれなりに痛い目にあっているので、この土壇場で短絡的なことはしないと思うが。

「まっさか~☆ 神様ちゃんの心はいつでもホワイト。定時登校定時下校ですよ~!」

 とても胡散臭い。すかさず飯綱 千狐がフォローに回る。

「まあまあ、話があるってことで呼ばれたんだし、とりあえずそれを聞いてみましょうよ」
「そうですね。ここに居ない人達もいるのが、少し気がかりですし」

 白露 アイも千狐に同調する。かれんの呼びかけでこの場に集まったものは五人。天龍寺、千狐、アイに加え、意外にも酒力 どらいぶと深林 さぐりまで呼ばれていた。

「ここに来てないのは四波平と五十鈴っスね。正直な話、あの二人を差し置いて、何故俺やアマゾン女が呼ばれたのか、よく分からねーんスけど?」
「それはもちろん、自己肯定感投げ捨て勢のあの二人を完膚なきまでに叩きのめして欲しいからです☆」
「は?」

 かれんは語り出す。四波平から聞いた「五十鈴 陽乃」の真実と本当の願い。そして四波平自身の目的と、想定している結末を。

「神様ちゃんに言わせれば、二人とも「ありもしない罪」を勝手に背負い込んで、悦に浸ってる飛んだ勘違いコンビです。ココはひとつ”わからせ”てやらないといけないでしょ?」

「確かに気に入りませんね! 何よりアマゾンに一言の相談もなく奇跡なんぞに突っ走ってるところとか! 私に対する挑戦と見做します!」

 深林 さぐりが開口一番、かれんの意見に賛同する。

「奇跡に何を願うかは本人達の自由ですが、愛する者から目を背ける姿勢に関しては、私からも一言言ってやりたいですね」

 ぱっと見クールだと思っていたアイも、珍しく気炎を吐く。逆に千狐は、曇り顔で考え込むようなそぶりを見せていた。

(陽乃つきの先輩も、私と同じく、大切な人の為に、その命を……)

「おい、天龍寺サンよぉ、なんスかその顔は?」

 天龍寺の表情を見た酒力が訝しむ。この場で誰よりも深刻な顔をしていたのは、彼女だった。
 本来ならば、天龍寺にとってライバル達の背景など、どうでも良い事象だ。しかし、今の彼女の胸の奥底には、靄がかった黒い霧が広がるのを感じる。

 かつての定期公演で二人の演技は見たことがある。あの時の二人は、地味ではあるが堅実な立ち回りをする演者という印象があった。学ぶべき技術もあり、なにより、舞台上での真剣さから、「演じること」が好きだという熱意が伝わってきた。
 だからこそ、天龍寺の口から自然とこの言葉が出てきた。

「ムカつくわね……!」

 それは、天龍寺 あすかが初めて吐露した怒りの感情であった。

 彼女が望むのは、胸の奥に炎を宿した演者同士の、魂のぶつかり合い。演劇専修科で最前線を走る二人ならば、それが叶うかもしれないと密かに期待していた。
 だが、当の本人達は、そちらを見ていなかった。大切な者を失い、憧れの存在に裏切られ、奇跡に囚われ続けている。技量こそ上がれど、「演じること」そのものに対する情熱は、見る影もない。
 天龍寺にはそれが腹立たしかった。自分が何年もかけて追い求めてきた、激しい感情の揺らぎ。二人にも確かにあっただろう、情熱の炎。彼らはそれすら否定し、舞台からも世界からも退場しようとしている。
 誰が主演を目指したって構わない。けれど、そのような心持ちで主演を目指すのは許せない。
 理屈ではない。天龍寺自身がそれを許せない。それは演劇に対する裏切りとさえ感じたのだ。

「いいわ、至神先輩。貴方のご要望通り、私があの二人を”わからせ”てあげるわ!」

(本気である。だが天龍寺は自分が怒りを露わにしていることに気づいていない)

「ていうかよぉ! コイツの提案に乗ろうが乗るまいが、俺のやるコトは変わんねぇから! ココにいる全員も含めてぶっ潰す。お前らもそうだろうが!」

「そうですね。あの二人はもちろん、私は誰にも負けるつもりはありません。お嬢様の為にも」

「私だって、奇跡とアマゾン、どちらが上か決着をつけねばなりませんので!」

「うん……私もまずは、舞台で全力を出し切らなきゃ!」

 各々がそれぞれ闘志を燃やす。その熱を抱いたまま、主役候補者の六名は覚悟を決める。

「私の話はそれだけです。さあ行きましょうか。オーディションが始まりますから!」
 


 

 最終オーディションはAM10:00から始まる。その一時間前には、来賓受付が始まっていた。中庭の座席もポツポツと埋まり始めている。
 鐘撞き櫓が聳える中庭の面積では、全校生徒を受け入れることはできない為、座席は来賓席のみとなっている。その代わり、中等部と高等部の体育館に、ライブビューイングが設置され、更に寮のTVでも生中継を流す措置が取られた。放送委員会の手際の良さが光る。
 また、どうしても生で見たい生徒達は、舞台の見える各教室から、眼下の中庭を覗いていた。

 八名の主演候補者達も全員集結し、ステージ周りで待機している。

「千狐、今日は悔いの無いように頑張りなさい」

 駆けつけた千狐のじぃじが千狐を力づける。ばぁばも笑顔で千狐の手を取る。その温もりを感じると、後ろめたい気持ちで胸が痛くなる。だけど今は、自分に出来る事をやり切るだけだ。

 主役候補者の応援に駆け付けた者は、他にもいた。2Fの教室から、一際大きな声が聞こえて来る。

「アイ! 負けないで! 他でも無い、貴方自身の為に!」

 四季巡 絶佳が、今まで聞いたことの無いような大声でアイに声援を送る。彼女の能力、『愛の言霊』によって、【負けないで】のフレーズがアイの身体能力を増幅させる。

「ええ、お嬢様。貴方の愛が私を限りなく強くします。だから見ていて下さいね」

 絆を確かなものにし、心身の充実した今のアイに死角はない。古院 櫻花と水火金 木月はその様子を寮の自室のモニター越しに眺める。

「気合の乗ったいい表情をしてますね。この前とは別人だ」
「これまでの下馬評では、一線級の候補者よりかは一枚劣るという評価だったが、存外大逆転は有り得るぞ」
「むしろそんな評価をしていた人達ほど、彼女の演技に度肝を抜かれるかも知れませんね」

 時計塔で櫻花が見た、アイの演技に宿る光。画面に映る彼女の迷いの無い表情を見定め、その光が舞台を照らすことを確信する。そして二人は、ニュースターの誕生に期待を寄せた。

 深林 さぐりと酒力 どらいぶは良くも悪くもマイペースだった。さぐりはアマゾンの愉快な仲間たちを召喚し(出来るの!?)、一大応援団を結成していた。

「ポンポーン! ポンポコポーン!!」
「グルルル………!」
「ヤギュー! ヤギュギュー!」

 首狩り先住民、アマゾンキツネクイオオタヌキ、アマゾン復讐の獣イオマンテ、アマゾン自動生成柳生等が、来賓席の隅でわちゃわちゃしている。
 酒力は早くもほろ酔い気分でその危険生物共と酒盛りを始めていた。控えめに言って地獄絵図だ。

 実行委員会はその様子を随時監視、何か騒ぎが起きれば即座に対応出来るよう、委員会顧問の一人である那須先生指揮のもと、戦う司書さん、蓑田 洞助先生と観月 藤十郎率いる月組自警団の実行部隊を配置している。

 観月ツッキーは危険生物の動きに気を払いながらも、四波平 月張の様子を伺っていた。月張は何者をも寄せ付けぬ雰囲気で、台本を読み込み、舞台上での動きをチェックしていた。その立ち姿は既に、名優の存在感を纏っている。

(もしもアイツが、四波平 明として完成したのならば、もう誰も勝てないだろう。だから本番では、必ず俺らがお前を止めて見せる……!)

 そう願う者は、月組自警団だけでは無かった。

(ナミーくんさん、覚悟して下さいね。あなたの言う通り、神様ちゃんは好きにやらせてもらいました)

(あなたの暴走を、みんなに言いふらしてやったし、ムカつくので、何としてもあなたと月乃ちゃんさんをくっつけてやります)

(どうせ二人とも拗らせてるんです。だから二人寄り添って、せいぜい投げ捨てた自己肯定感を拾って来て下さいな)

 至神かれんは使命感に燃える。ひょんなことから参加した主役争奪戦だったが、今ははっきりと、演劇は楽しいものだと言える。
 そのきっかけをくれた月乃が、そしてその想い人である月張が、絶望のまま舞台から去っていくのは、ひどく悲しいことだ。故にかれんはそれを黙って見過ごすことは出来なかったのだ。

(だから全部上手くいったら、たっぷりと神様ちゃんを敬って下さいね☆)

 天龍寺 あすかも、この二人に対して静かな闘志を燃やす。狙うは有無を言わさぬ圧倒的勝利。もしも二人が演劇に対する情熱など忘れ去ったと言うのならば、この私が引導を渡そう。
 心から演劇を愛する者には勝てない・・・・・・・・・・・・・・・・ということを思い知らせてやるのだ。
 以前の天龍寺ならば、この様な考えに至ることなどあり得なかった。特定の人物に対する敵愾心など、トラブルの種でしかなく、天龍寺がこれまで行ってきた、【他人に嫌われるよりはマシな生き方】とは相反する感情である。

――それでも。

 天龍寺は断じて今の二人を認める訳にはいかなかった。この戦いを通じて、僅かずつだが確実に大きくなっていった心の内の炎。それを忘れた演者にだけは、この主演を譲ることは出来ないのだ。
 

 そして、五十鈴 陽乃。

(陽乃。どうか見守っていて。私はこのオーディションで主役の座を掴み、陽乃の演技が最高だということを、必ず証明してみせるわ)

 姉妹二人分の経験と技術。それを十分に発揮すれば、誰であろうと負ける筈はない。陽乃つきのは、「五十鈴 陽乃」の絶対性を固く信じている。どうしようもなく間違ってしまったこの世界で、それだけが自分を導いてくれる唯一の標だったのだから。

 視界の先に、彼が映る。

 かつての飄々とした印象は消え、生徒間でカリスマ的存在にまで変貌した少年は、五十鈴 陽乃にとって最大の壁として立ちはだかる。眼鏡を外し、髪を黒に戻して「四波平 明りそうのすがた」となった彼を見ていると、あの夜の訣別が決定的なものに感じてしまい、ひどく淋しかった。

(……自分から拒んだくせに。勝手すぎるわね)

 後悔は、ない。

 ここで泡沫うたかたのような恋に溺れたところで何になるのだろう。いずれ自分は消えてしまう。彼をいたずらに傷付ける結果になるだけだ。だからこれで良かった。良かったのだ。陽乃つきのは自分にそう言い聞かせる。

 さあ、もう幕が上がる。すべては、この時のために。
 


 

 オーディションでは、くじ引きで選ばれたパートナーと、決められた特定のシーンを演じ競い合う。パートナー決定後に、再度くじを引き実演審査の順番を決める。
 抽選の結果、パートナーと審査の順番は以下の通りとなった。

一組目・白露 アイ&深林 さぐり

二組目・天龍寺 あすか&酒力 どらいぶ

三組目・五十鈴 陽乃&飯綱 千狐

四組目・四波平 月張&至神 かれん

 投票はオンラインを使ったリアルタイム形式で行われ、各組ごとに0〜3ポイントの得点をつけ投票する。ここで獲得したポイントと、これまでの支持者数をポイント化した合計点で主演が決まる。表向きにはそう言う事になっている・・・・・・・・・・・・・・・・

 四波平 日向は、一人の人間により多くの支持者が集まるよう裏工作を試み、お抱えの魔人能力者を使って、それが不自然に思われぬように認識を操作した。
 荊木 きっどの様なイレギュラーが発生した場合は、その都度対処をしながら。

 そして四波平 日向が倒れた今、その役目は利害関係の一致した【霊脈の管理者】那須 ほがらかに引き継がれていた。

(恐らく奴は、このタイミングを狙って来るだろう。霊脈の莫大なエネルギーは、その時必要になる)

 この地に対する妄執を纏った妖狐の長。既に不穏な動きは察知している。だが奴は慎重な男だ。ここへ引きずり出すならば、事が起こるまで泳がせて置かなくてはならない。しかし……

(蘇生の抜け穴がバレたお陰で、人間達を守り切るのが難しくなっている……)

 ここは新たに結成された自警団に、ある程度対応してもらうしかない。那須はそのリーダーに声を掛ける。

「観月くん、いざと言う時は頼むわね」
「え? あ、はい。分かりました」

 突然声を掛けられたせいか、観月は面食らった表情で返事をしていた。
 普段は頼りなさげだが、いざと言うときには冷静な立ち回りができる。そんな観月に、那須は大きな期待を寄せた。
 

 AM10:00になり、ステージの準備が整う。そして一組目の演者が壇上に立った。

【満天の星と約束の鐘:四章第二節】
 終盤のクライマックス。満天の星空の下、詩人と心閉ざす者が古びた鐘を前に、願いの歌を唄う。詩人が奏でるハープの旋律に合わせ、心閉ざす者が澄んだ声で独唱する。

 彼らの音楽に、神々が呼応し、夜空に流星群が降り注ぐ。幻想的な風景を背に、信じ合う二人は、互いに手を取り鐘を鳴らす。(注釈・本番では、実際に中庭の鐘撞き櫓を使い、主演俳優がパートナーと共に鐘を撞く)

 丘の上に鐘の音が響き渡り、櫓を中心に世界は彩られる。そして二人の願う奇跡は起こり、物語はエピローグの最終節へと移る。
 

 配役は、さぐりが詩人、アイが心閉ざす者となる。そしていよいよ、一組目の演技が始まった。

『さあ、ついに辿り着きました! ここアマゾンの最奥! 奇跡が起こると言われる希望の鐘の前に!』
『ああ、私は貴方という友を得てから、少しずつ前を向くことが出来るようになったのです。そしてとうとうこの約束の地にまで……!』

 詩人さぐりが初っ端からやらかしてくれるが、あらすじに沿ってさえいれば多少のアドリブは見逃される。
 アイにとっては重めのハンデとなるが、逆にここを上手くアドリブで返す事が出来れば、評価は一気に覆る。

『まずはアマゾンの神プライムを迎える為に、音楽を奏でましょう! 音響さん! ミュージック、スタート!』

 ここからはアイの独唱パート。ここで彼女のスイッチが入った。コメディタッチだったはずの劇の性質が180度変化する。

 

劇中歌:『ねがいのうた』

 神の御使いの 言葉を賜り

 星を仰いで 希望を謳え

 時に闇は深く 迷い彷徨えど

 また陽はのぼり 大いなる大地を照らす

 心優しき人々の願いはいつか

 すべてを変える 奇跡を呼ぶ

 

「うわ……歌うっま」
「白露さんって、こんな声出るんだ……」

 ギャラリーがざわめく。演劇専修科の生徒として、特に秀でている印象は無かった白露 アイ。しかし、その熱唱は愛に満ち、見ている者の心を溶かす。

 観客だけでなく、ライバルすらも白露の唄う姿に酔いしれていた。

「これ、俺が唄ったってコトになんねーっスかね?」
「す……凄い。尻尾のブルブルが止まらない……」

 そして陽乃も、白露のパフォーマンスに驚きの色を隠せずにいた。

(何て心地よいメゾソプラノ……。音域も広く、なによりあの迷いのない表情。一体彼女に何があったというの?)

 アイが歌い終えると、観客席から拍手が巻き起こる。教室側からも黄色い歓声が上がった。危険生物共も涙を流している。ギャラリーの声が落ち着くのを見計らって、アイは次の台詞に移る。

『さあ、参りましょう。詩人さま。共にあの鐘を』

 さぐりの目の前にアイの顔が迫る。不覚にも彼女の歌声に心奪われかけていたところに、この距離感。さぐりの脳裏に、過呼吸を引き起こしたキスをされた時の記憶が蘇る。

『わひゃっ!? は、はい! 鐘ですね! ガンガン行きましょう!』

 さぐりの顔が紅潮し、心臓が早鐘を打つ。共に手を取りながら、ゆっくりと歩き出す。

(ここ、これはまずくないですか!? え、演技に集中しないと! てか手汗めっちゃ吹き出てて恥ずかしいんですがね! どーしようヘルプミー! プライム神!)

「ダメエェェェェっ!!!」

 突然、さぐりは突き飛ばされる。倒れかけた体勢を立て直し、目の前を確認すると、黒髪の令嬢が、涙目でこちらを睨んでいる。

「お、お嬢様……?」

 アイに呼びかけられた乱入者――四季巡 絶佳は、はっと我に返り自分のしでかした事の重大さにガタガタと震え出す。
 アイは激しく困惑する。さっきまで2Fに居ましたよね? お嬢様。

「あ……えっ、す……済みませっ……! 私、なんてことを!?」

 自分はなんでこんな真似を。激しい後悔が絶佳を襲う。『ねがいのうた』が、アイがさぐりに近づいた瞬間、絶佳の目の前が真っ赤に染まった。
 アイに視線を合わせたさぐりの、とろんとした表情を彼女は見逃さなかった。ちょっと待ってほしい。それはダメだ。それ、恋する乙女のやつじゃない。この女と鐘を撞くアイなんて絶対に見たくない。
 

――アイは、私ひとりのものなのに・・・・・・・・・・!!!
 

 気がついたら事を起こしていた。うん、最低だ私。

 オーディションを台無しにした罪悪感でへたり込む絶佳に、突然外野から声が掛かった。

「いやあ! 助かった。よくやってくれたよ! 四季巡さん!」

「えっ?」

 アイと絶佳が声の方へ同時に向く。声の主は、那須先生だった。

「このバカ、柄にもなく突然緊張し出して、アマゾンに助けを求めて・・・・・・・・・・・しまっていた。危うく二度目のアマゾナイト・デーモンコア事件が起こるところだったよ。ありがとう」

 那須先生は絶佳を労う。実際問題、中庭は一瞬、アマゾン化しかけていた。絶妙なタイミングで絶佳は乱入して来たのだ。

「というわけでさぐり、あんたはイエロー累積二枚で失格。反省しなさい」
「そんな? ご無体な! 私に再びチャンスを下さいよ!」
「えっ? アンタそこまで奇跡に執着していたっけ?」

 さぐりの参戦動機は、あくまで得体の知れぬ奇跡よりも、アマゾンが最高だという証明。ライバルとの交流(と思っている迷惑行為)で、その目的はある程度達成されたと言っても過言ではない。だが――

「いえ、何というかですね。実は、少し楽しくなって来てたんですよ。演劇」

 さぐりは照れ臭そうに鼻の頭を擦る。

「アマゾンが最高なのは言うまでも無いんですが、それとは別の魅力が演劇にはあった。私はそれに気付いたんです」
「さぐり……」
「あ、でもやっぱりこの辺りで潮時ですね! これ以上続けると、そこのお嬢様が怖いですし!」

 さぐりは絶佳に向き直る。そして平手を掲げ、絶佳にハイタッチを促す。

「四季巡さん、約束の鐘はあなたに。あとはよろしくお願いします!」
「深林さん……!」

 絶佳は浅く頷くと、握りしめた手を開き、小気味よくさぐりの平手を打った。

 アイと絶佳はお互いの手を取り、リハ用の鐘を鳴らす。予想外の展開は、結果的にアイの味方となった。そして二度目の歓声と拍手が、二人のこの先を祝福した。

「やっぱり、彼女は本物でしたね。師匠」
「これから彼女、忙しくなるだろうな。定期公演でもメインを任されることが増えるだろう」

 モニター越しの櫻花と水火金も、アイの演技に称賛の言葉を述べた。

 

 二組目。酒力が詩人を演じ、天龍寺が心閉ざす者となる。演技開始の直前、天龍寺は周囲のギャラリーに向けて、語り出した。

「皆様、白露先輩の歌と演技、とても素晴らしいものでしたね。私も、大変感銘を受けました。でも、敢えてここに宣言させて頂きます」
「何ィ……?」

 パートナーの酒力が怪訝な表情をする。

「私は! 彼女の演技すら霞ませるような、そんな演技をここでお見せすることを約束するわ! そして今、このレースの上位を走っている四波平 明先輩。五十鈴 陽乃先輩」

 突然の名指しに、二人の表情がかすかに動く。

「私は今日、貴方たちを超える。私のキャリアの踏み台になってもらうわ!」

 一つ間違えば、ギャラリー全体を敵に回しかねないほどの挑発行為。敢えて棘のある言い回しを使い、自らの退路をも易々と絶つ。そして、

「酒力先輩。私の足を引っ張らないでね」
「……抜かしやがったっスね、上等」

 パートナーにも、腑抜けた演技は許さぬと、釘を刺す。そして、二組目の演技が始まった。

『さあ、ご覧よ我が友! 夜空に輝く満天の星! ここが約束の地。奇跡の鐘が、目の前に!』

『ああ、私は貴方という友を得てから、少しずつ前を向くことが出来るようになったのです。そしてとうとうこの約束の地にまで……!』

 思いのほか、静かな立ち上がりだった。だがそれが、嵐の前の静けさだった事が分かるまで、そう時間はかからなかった。

『まずは森羅万象を司る神々を迎える為に、音楽を奏でましょう! 静寂の世界に、新たなる祝福を!』

 詩人天龍寺は舞台袖に置いていたサウルハープを取り出し、柔らかな旋律を紡ぎ出す。
 この楽器を触るのは三度目だったが、彼女の場合、対応する音程さえ把握していれば、演奏技術を習得している他の楽器の応用で演奏が可能である。
 膝に乗せたハープの響きは、耳心地が良く万人の心を一瞬で掴む。その25弦の音色は煌めく星々の輝きを描き出した。

(相変わらず天才サマは、何をやっても様になりやがる。だけどヨォ!!)

 天龍寺の演奏に合わせ、酒力が『ねがいのうた』を唄う。すると以前相見えた者達の顔色が変わった。

 それは、澄んだ冬の夜空のような歌声だった。
 かつてのような、自己表現に異常なほど固執した極彩色の演技ではない。
 零れ落ちそうな星の海を想起させる天龍寺の演奏に合わせた、透明感のある爽やかなテノール。二人の演奏と歌声が、輝く満天の星空を完全に再現していた。

(どうだ見たか! 同じ相手に二度もやられる訳にはいかねーんだよッ!)

「これ、何かの魔人能力でしょ。目を閉じると星空見えるんだけど!」
「オペラって、声も楽器の一つって言うけど、その意味が分かったわ。こういうことか」

 観客達は、心の内に眠る思い思いの星空を、『ねがいのうた』に見いだす。中には感極まって、涙を流す者すら居た。
 更に天龍寺は、サビの部分で酒力とのハーモニーを見せた。とても即興コンビとは思えない、完成された音楽のマリアージュだった。

 歌が終わると、観客は立ち上がり、本日三度目の拍手の嵐。個々の力量の高さは勿論、二人の完璧なセッションが、多くの人々(危険生物含む)に感動を与えたのだった。

『さあ、参りましょう。詩人さま。共にあの鐘を』
『はい。たった今、分かりました。この鐘はもう奇跡を起こしてくれていたのですね。貴方との出会いという、最大の奇跡を!』

 二人は目配せをしてお互いの手を取り合い、鐘を鳴らす。全ての演技を終えると、観客席と校舎からまたもや歓声が上がった。そして――

(近い……あの時の感覚に……)

 天龍寺の心の揺らぎが、あの時に近づいている。思えばここ最近、自分が考える【嫌われるよりはマシ】な生き方に、度々逆らって行動を起こし、それが良い方に向いていたような気がする。
 今回だって、四波平先輩や五十鈴先輩にいい知れない感情を覚え、必要以上に挑発した。
 だが今は、この心にこんなにも熱が満ちている。

(ひょっとして、私はとんでもない回り道をしていた……?)

 そこで天龍寺は、目の前にいる嫌われ者の代表みたいな先輩に、質問を投げかけた。

「酒力先輩。貴方には私がどう見えますか?」
「なんスか突然。らしくねぇ台詞」
「いいから。答えて下さい」

 酒力は即答する。

「まー人に嫌われたくねェってのは感じるな。だけど、八方美人気取るよりも、もっとエゴ出して生きた方が人生楽しいと思うっスけどね」

 他人に指摘されて、初めて気付く事もある。
 
なまじ『俯瞰症』などと言う能力を持ってしまったがため、その機会が無かった天龍寺は、生まれて初めての自己嫌悪に苛まれた。

 とはいえ、宣言通り最高のパフォーマンスを見せた天龍寺 あすか。
 

――陽乃つきのの心に、初めて危機感が湧いた。
 

 月乃の中で、陽乃の演技は信仰心にも近い目標であり、絶対のものだった。だが、天龍寺と酒力の圧倒的なパフォーマンスを見て、それが揺らぐのを感じてしまった。
 天龍寺は宣言していた。今日、この場で自分は、五十鈴 陽乃を超えると。そしてそれは、現実のものとなりつつある。
 

――『天龍寺 あすか』は『五十鈴 陽乃』が全力を出しても、勝てないかも知れない。
 

 そんな事は認められない。仮にここで負ける様な事があれば、陽乃は二度と戻って来ない。間違いを二度も起こさせる訳にはいかないのだ。

「超えないと……私も、五十鈴 陽乃を。でも、どうやって?」

 心穏やかではない者はもう一人いた。四波平 月張だ。

(流石天龍寺だ。大口を叩くだけの事はあった。何とかして、アイツを上回らないと、陽乃を救うという前提条件ですら、頓挫してしまう)

 もしそうなってしまえば、もっと汚れた手段で陽乃/月乃を救う方法を模索する必要がある。
 
 例えば、日向がやって居ただろう得票操作。

 例えば、日向がやって居ただろう懐柔工作。

 頭をフル回転させ、次の手をどう打つか逡巡していると、『月組』の生徒が、慌てた顔をして駆け込んで来た。

観月ツッキー! 大変だ! 体育館が襲われている!」
 


 

「何だって!? 一体どういうことだよ!」
「どうもこうも! 『月組』アンチのモヒカンヤンキー共が、生徒たちを無差別に襲っているんだ!」

 その集団は、『月組』結成初期に、アンチ筆頭として小競り合いを起こしていた反抗勢力だ。しばらく大人しかったが、やはりこのタイミングを狙っていたのか。
 すると、別の『月組』メンバーが血相を変えて、叫びながらこちらに向かって来た。

「那須先生! 観月! 中等部の職員室が、黒服の集団に占拠された!」
「は!? 意味がわからないんだが!?」

 こちらはまるで心当たりがない。思い当たる黒服と言えば、鐘巻家の私設SPだが、彼らは治安維持側。『月組』とも協力関係を結んでいる。

「奴ら、レイミャクはどこだ、とか訳分からんことを言って先生たちを脅している。観月、何か分かる?」
「いや、俺にも分からない。先生はどうですか?」
「そいつらには手を出すな。私と鐘巻の方で対処する。君たちは体育館の方を頼む」

 どうやら那須先生は黒服の心当たりがある様だ。しかしそれ以上の詮索は無用だと、険しい表情が語っている。

「那須先生、ここは一旦オーディションを中断して避難した方が良いのでは……?」

 蓑田先生がそう提言するが、那須先生はそれを拒む。

「いや、今から生徒たちの大移動は逆に狙われる危険性がある。それに候補者同士の公平性も損なわれかねない」
「では……」
「最大警戒の上で審査は続行。上の教室にいる運動部の能力者達に声を掛けてここの守りを固めよう」

「それならば私も協力致しましょう! アマゾンの愉快な仲間たちならば、テロリストごときに遅れを取ることはないでしょう!!」
「ポポポーン!ポンポコポーン!」
「オデ、テキクビ、オトス。イイカ?」

 深林 さぐりと危険生物共が吠える。正直オーバーキルの方が心配だが、戦力は少しでも多い方が良い。

「専守防衛を徹底しなさい。来た奴らを追い払うだけでいいからね」

 さぐりだけでは無い、月張も参戦を希望するが、

「あんた達はオーディションがあるでしょ。どうしてもって言うなら、ここで観客たちを守って」

 那須先生に待機を命じられる。結局体育館には、さぐり、観月と『月組』の精鋭たちで向かうこととなった。

「月張!」

 観月が月張に声をかける。

「お前さ、前の二組の演技を見てどう思った?」
「……正直、危機感を感じたよ。俺は負ける訳には行かない。だが、あの演技の上を行くとなると、大分厳しい戦いになるだろうな」

 月張の返答に、観月はため息を吐く。

「……そういう事を聞いてるんじゃねーよ」
「……?」
「俺は素直に感動したぜ。役者って、演じるだけであんなにも世界を創れるんだってな。それにあいつら、今のお前に足りないものを持っているしな」
「……」
「それを思い出せなきゃ、お前は負ける」

 そう言うと、観月は駆け足で体育館へと向かっていった。
 そして那須先生は、実行委員会の生徒と蓑田先生にオーディションの引き継ぎを頼み、中等部の校舎へと向かった。

「えっと、三組目の演者の方、よろしくお願いします!」

 陽乃と千狐が舞台に呼ばれる。もう後戻りは出来ない。陽乃は自分を奮い立たせる。

 臆するな。たとえどんな困難が立ちはだかろうとも、“五十鈴陽乃”に後退の二文字はない。そう誓ったじゃない。ここで見つけるんだ、陽乃の演技を超える何かを……!!

 だが、そんな決意を抱いた陽乃に、予想だにしなかった出来事が起きる。
 委員会の女子生徒が、血相を変えて蓑田先生に告げた。

「蓑田先生! 飯綱さんが、どこにも居ません!!」

 飯綱 千狐が、中庭から突然姿を消したのだ。

 

 
    ヨンデイル。

。ルイデンヨ

       ヨンデイル。

           。ルイデンヨ

 千狐は、まるで魂が抜けたような表情で、雑木林の獣道を一人歩いていた。目的地は分かり切っている。あのお方の下に・・・・・・・

 そして、◾️◾️◾️の◾️◾️◾️◾️から、おもむろに床板をずらし、地下へと続く◾️◾️◾️◾️を降りて、古びた地下道まで到達した。
 そして、南側に延びるその地下道を、道なりに進んで行った。
 

 中庭は、俄かに騒がしくなって来ていた。
 出演者の突然の失踪により、オーディションは再開に至らず、かと言って警戒体制が解けるまでは、迂闊にその場を動く事も叶わない。
 ギャラリーのフラストレーションが溜まってゆく。

 すると、至神 かれんが呆れたようにため息を吐き、実行委員会に提案する。

「仕方ないですね。このまま膠着状態が続くのもアレですし、ここは神様ちゃんが千狐ちゃんさんを待つ事にしましょう」

 半ば一方的にそう言って、かれんは陽乃と月張をこちらに呼び出す。

「二人とも、ここは神様ちゃんが大チャンスをあげちゃいます。三組目は、あなたたちでやって下さい」
「どういう……こと?」

 陽乃が戸惑いながらかれんに問いかける。

「どーゆー事も何も、弟子がししょーを立てるのは、当然でしょーが」
「待て、何でそうなるんだ?」
「だって、あなたたちが共闘しなきゃ・・・・・・・・・・・・、絶対にあすかちゃんさんに勝てないですよ?」

 かれんが淡々と現実を突き付ける。彼女の見立ては正しい。『五十鈴 陽乃』と『四波平 明』が共闘しなければ、あの圧倒的な演技に対抗する事など不可能だ。
 つまり、『陽乃』の復活を望むならば……

 俺たちが。
 私たちが。

 共に手を取り、最高の演技を見せなければならない。

「分かった。俺は至神の大チャンスとやらを頂こう。陽乃は、どうする?」
「私も異論は無いわ。ありがとう、神様ちゃん」

「それともう一つ。月乃ちゃんさん・・・・・・・

 陽乃つきのがビクリと反応する。どうしてそれを……?

「あなたとナミーくんさんは、似た者同士。あなたが本当に彼を大切に思っているなら――」
 

――きっと、心を通わすことが出来るはずですよ☆
 


 

 鐘巻家の私設SPは、嵐が過ぎ去った後の片付けをしていた。

「いや、あの保健の先生、めっちゃ武闘派でしたね」
「この妖狐共も、決して弱くなかった。それをいとも容易く……」
「まだやる事があるからって、すぐに立ち去って行ったけど、アレと敵対する不審者、ご愁傷様だな」

 那須 ほがらかこと玉狐が、職員室を鎮圧し、霊脈の中心部に戻ったときには、既に先客がいた。

「ようやくお出ましか。乱狐。とっくに死んだかと思っていたぞ」
「生き汚なさならば貴様も似たようなものだろうが、玉狐。だが、今日でそれも終わりだ」

 乱狐と呼ばれた妖狐族の長は、人間に味方をした一族の裏切り者を睨む。もっとも、玉狐は人間との共存を模索していただけなのだが。

「しばらく見ないうちに、私の恐ろしさを忘れたらしいな」
「いいや、貴様の恐ろしさを誰よりも知っている。だからこその『二人がかり』だ」

 背後から突然、何者かが襲いかかってきた。だが、素晴らしい反応速度で、玉狐は不意打ちをかわす。しかし――

 ざくり。

「いや、失敬。正確には『十一人がかり』だったな」

「千狐……ッ!」

 襲撃者・飯綱 千狐の分身体の一人が、手に持つ刀で玉狐の背中を斬り裂いた。瞳に生気が宿っていない。

「ああ、コイツらに語りかけても無駄だ。既に自由意思は封印してある」
「得意の神通力か。ひどいことを……」

 玉狐が辺りを見渡すと、十人の飯綱 千狐が、彼女の全方位を取り囲む。

「すぐには殺さん。しばらくコイツと踊って貰おうか」

 そして、一対十の死闘が始まった。
 千狐分身体の強さは、玉狐から見ればそれ程でもない。だが、十人が絶え間なく襲いかかって来るとなれば話は別だ。
 玉狐も相当数、分身体を減らしていったが、ひと息つけばまた十人に戻る。背中の傷も、彼女の体力をジワジワと奪いつつあった。

(まずい、このままでは先にこちらが参ってしまう)

 玉狐は千狐の攻撃をかわしながら、霊脈のエネルギーを利用する為、呪文を詠唱する。

「……天凌の霊脈よ。我が呼びかけに応えよ。この身を器として我を満たせ!オンベレブンビンバ ピンタラポンチンガー ボンタラクーソワカ!

 しかし何も起こらない。霊脈のエネルギーは既に乱狐とのラインが繋がっていた。

「残念だったな。この霊脈の絶大なエネルギーは、既に儂の手の内だ! 大人しく死ぬが良い!」

(クソっ! 間に合ってくれよ! 二人共・・・)

 

――三組目。月乃と月張の演技が始まった。月張が詩人、月乃が心閉ざす者となる。

『さあ、ご覧よ我が友! 夜空に輝く満天の星! ここが約束の地。奇跡の鐘が、目の前に!』

『ああ、私は貴方という友を得てから、少しずつ前を向くことが出来るようになったのです。そしてとうとうこの約束の地にまで……!』

 お互いの緊張感が伝わる。些細なミスも許されないからだ。だが――

「少し、手探り感が強いですね。この緊張感はギャラリーに伝わってしまいますよ」
「ああ。強い信念で演じているのは分かるが、少し危ういな」

 モニター越しの櫻花と水火金は、二人の演技に敏感に反応する。

 演者の二人も、相手の顔色を見て、少し冷静さを取り戻す。

(少し月乃を落ち着かせよう。まだまだこれからだ)
(不安げな表情は駄目よ、四波平くん。もっと伸び伸びと)

 ここは積み重ねた経験が生きた。並の演者なら崩れかねないメンタルを、即座に立て直す。

『まずは森羅万象を司る神々を迎える為に、音楽を奏でましょう! 静寂の世界に、新たなる祝福を!』

 詩人月張は、天龍寺と同様、舞台袖から出したサウルハープを奏でる。美しい音色から発せられる「1/fのゆらぎ」が、観客席の心をほぐした。天龍寺の音色は煌めく星々を描き出したが、月張の音色は、それよりも繊細で、静かな夜の風景を描き出す。

――ふと、月乃の脳裏にかれんの言葉がよぎった。

――あなたが本当に彼を大切に思っているなら。

――きっと、心を通わすことが出来るはずですよ☆

 月乃はハープの演奏を噛み締めるように、そっと目を閉じてみた。すると、時は静かに止まり、目の前の大切な人の、辿って来た道のりと声に出せない声が聞こえてきた。瞼の裏の月張は、暗闇の中、膝を抱えてしゃがみ込んでいた。

(ねえ、四波平くん。何で蹲って泣いているの?)

(月乃……? 済まない。俺はみんなに、取り返しのつかない事をしてしまったんだ)

(取り返しのつかない事って……?)

(四波平 明という偶像を作り上げるため、沢山の人間が犠牲になった。陽乃も、その犠牲者の一人だったんだ)

(――っ!!)

(俺はそれを、一生かけて償わないといけない。俺は陽乃を助け出し、舞台を降りる)

(四波平くん……)

(人殺しの俺は、アクション俳優になんて、なっちゃ、いけないんだ)

(そんなの、私だって!)

(月乃……)

(私だって陽乃を殺したの! 私の嫉妬心が、陽乃の命を奪い去ったのよ! だから、私は、生きてはいけない人間だと思ったの!)

(何だよそれ。痛いほど気持ちは分かるけどな)

(……でも、貴方の言葉がとても嬉しかった。この世界は、間違ったものだと思っていたけど、貴方の言葉だけは、間違いになって欲しくなかったわ)

(……なあ月乃。多分、白露や天龍寺は、俺たちに教えてくれたんだと思う)

(ええ、私たちが忘れてしまっていた、大切なものを)

(だから月乃。改めて頼む。俺の為に、生きていてくれ)

(じゃあ交換条件。私の為に、舞台を降りないで)

(だって、君は)

(だって、貴方は)

 

――演じることが、今も大好きなんでしょう。

 

 そして月乃の独唱が始まった。天まで響くようなソプラノボイスが、静寂の夜空を一気に灯す。
 

 【神の御使いの 言葉を賜り】

 【星を仰いで 希望を謳え】
 

 月張の落ち着いた演奏は、余韻まで美しい彼女の歌声を引き立てる為の布石だった。
 

 【時に闇は深く 迷い彷徨えど】

 【また陽はのぼり 大いなる大地を照らす】
 

 夜空が彩られると、月張の演奏が次第にダイナミックなものへと変化する。神々の降臨を意味する流星群がハープの25弦から解き放たれる。
 

 【心優しき人々の願いはいつか】

 【すべてを変える 奇跡を呼ぶ】
 

 月乃のアプローチは、楽器としての声楽ではなく、敢えて語りかけるような唄いあげ。歌詞に込められた願いを、月乃は大事にしたのだ。

 白露アイは、愛を唄い、酒力 どらいぶは、歌で風景を描いた。そして、五十鈴 月乃は、歌で物語を紡ぎ出したのであった。

 

観月は体育館(一部アマゾン化)のライブビューイングでその様子を見て、満足気にうなずいた。

「忘れていたもの、取り戻したじゃん」

 妖狐の長乱狐に唆され、大暴れしていたモヒカンヤンキーたちも、

「ヒャッ……ハァァァア、えぐっ!」

『月組』に拘束されながら、危険生物と共に涙を流していた。

 

 一方、霊脈中心部でも、異変が起こっていた。

「ぐっ!? なんだ? この不快な歌声は。頭が痛い!!」
「……間に合ってくれたか」

 玉狐を追い詰めていたはずの乱狐が、突如苦しみ出す。陽乃の歌声によって、束ねられた人々の想いが、霊脈を再び活性化させる。

「何故だ!? エネルギーの制御が効かん!!」
「当たり前だ馬鹿たれ。今の霊脈は、過去最大級の願いのエネルギーを蓄えているんだ。元々お前如きに扱える代物じゃないんだよ」
「おご……あが……!」
「つまり、霊脈を確保した時点で、お前は詰んでいたのさ」
「が……だず……げ……」
 二度と化けて出ないよう、玉狐は呪印を結び、乱狐に「野狐の呪い」を掛けて復活を阻止する。

 臨界状態に達しようとする巨大なエネルギー流が、接続した乱狐の身体を風船のように膨らます。明らかなキャパオーバー。その先の末路は一つしかなく――

「じゃあね。乱狐クン。お疲れ様」

 ボン。と、赤い血煙と共に、乱狐は破裂した。
 それと同時に、千狐の身体は一人に戻り、ハッと我に帰る。

「那須先生! ここは何処ですか!? オーディションは!?」
「あー。今から行っても間に合わないかも」
「そんな!? 私は故郷を蘇らせなきゃいけないのに!!」
「いいコト教えてあげる。実はこの霊脈、【悪質な票操作】で願いのエネルギーを溜め込み過ぎてんのよ。多分、今回の主役候補者全員分の願いをカバー出来るくらいに」
「本当ですか? じゃあ私の願いは……」
「でもいいの? 君の霊力となってしまった人たちを蘇らせても。君、ただの狐娘・・・・・になっちゃうわよ?」
「ふぇ?」

 

『さあ、参りましょう。詩人さま。共にあの鐘を』
『はい。たった今、分かりました。この鐘はもう奇跡を起こしてくれていたのですね。貴方との出会いという、最大の奇跡を!』

 月乃と月張は互いに手を取り、二人で鐘を撞く。そして、弾けるような笑顔で、世界に祝福を振りまいた。
 観客席と教室のギャラリーは、またしても熱狂の渦に包まれる。大喝采の中、二人は初めて『満天の空と約束の鐘この演劇』を心から楽しむことが出来たのだった。
 


 

「さあ、いよいよ50年に一度の奇跡の演劇! 『満天の空と約束の鐘』! 今回はいつも以上に豪華なキャストでお届けします! 映えある栄光を勝ち取った主演は――」

 天凌祭は例年以上の盛り上がりを見せた。最終的に支持者数は優勝者が総取りしたが、霊脈の力は、主演候補者を始めとした多数の生徒に、大小様々な奇跡を起こした。

 例えば、とあるお嬢様とお付きの人は、取り替え子の記憶を全て失っていたり。

 例えば、とあるモヒカンヤンキーが、自分を更生させてくれた女子とカップルになったり。

 例えば、とある少女がリーダーとなった、アマゾン探検部が創設されたり。

 ただし、ルールを捻じ曲げて、無茶な奇跡を起こしたので、学園から七奇跡が消え去った。
 那須先生曰く、霊脈そのものが破壊された訳ではないので、いずれ新たな奇跡が起こるだろうとのこと。それまで、この学園は外と同じく殺し合い厳禁だ。

 

 祭りの後、天龍寺 あすかはとある男子学生に声を掛けられた。

「お疲れ様。元気してるかい?」
「あら、生き返る事、出来たんですね」
「今回のハッピーエンド功労者特典で特別に」

 男子学生は、なるべく多くの人たちに奇跡が訪れるよう、必死だった。あらゆる手段を用いて、他人を利用した罪を償うように。

「まあ、アイツには向こう数年、口聞いて貰えないだろうけど」
「まあ、今はそれでいいんじゃないですか?私もあなたのやり方、嫌いですし」

(ウソである。天龍寺 あすかは別段この男には興味がない。四波平の兄で、胡散臭い男という認識だけだ)

「その様子だと、やっぱり君の心は、乾ききったままなんだね。残念だよ」
「三つ子の魂百まで。持って生まれた性質は、中々変わらないですよ。黒幕さん」
「まあ、うちの弟が、さらに成長してくれれば、きっと君を楽しませてあげられるよ」
「そうだと……いいですね」
 


 

「いいのか?みんなに顔を見せなくても。話は付けてあるんだぞ」

 里を見渡せる丘の上で、那須先生は千狐に問いかける。妖狐の里は蘇り、千狐はその霊力の全てを失った。霊力を溜めていた九本の尻尾は枯れ果て、千狐のお尻には、尻尾が一本だけ残った。
 里の人々には、千狐の存在を、こう説明していた。
【自分の霊力と引き換えに、里の人々の命を蘇らせた救世主】と。
 
「大丈夫です。私には、新しい家族がもう居ますし、みんなの元気な姿を見たら、それで満足しちゃいました!」
「そうか。それならいいんだ」

 二匹の妖狐は手を繋ぎ、人間社会の棲家へと帰って行った。

 

 天凌祭絡みの騒ぎも落ち着き、季節は冬。クリスマス・イブ。

 演劇専修科名物の、仲良し双子姉妹が『下界』へと繰り出した。夕暮れの街はLEDのイルミネーションで彩られ、黒いサンタがクリスマス中止のプラカードを掲げている。

「ねぇ陽乃。私、髪型おかしく無いわよね?」
「それ聞くの何回目? バッチリ可愛いよ! 月乃」
「だって心配なんだもん。初めてのクリスマスデートだし」
「うわー、ナチュラルに喧嘩売ってんねー。月乃ちゃーん💢」
「ひっ! ごめんってば!」
「ウソウソ☆月乃が幸せそうなら、陽乃は嬉しいのです!」

 月乃は彼氏とデート、陽乃は『死人仲間グループライン』で知り合ったバンドメンバーが所属する、『Rainbow Ignition』のライブに参加する。

「月乃はさ、まだ時々私の夢を見るの?」
「もうさっぱりよ。何かちょっと寂しいけど」

 陽乃が蘇った日から、姉妹の魔人能力は徐々に衰え、今では殆ど夢を見なくなった。多分、二人ともそれぞれの人生を歩む日が近いからなのだろう。

「でも私はラッキーだったかも。夢で延々と月乃のイチャイチャを見せ付けられたら確実に病むわ」
「何よそれ! 私そんなにイチャイチャしてないわよ!」
「あはは、相手が相手だからね〜、そういうタイプじゃないか」
「そう言われるのもなんか不服」

 とある通りの交差点で、二人は別れる。

「じゃあ、デート楽しんできてね、月乃」
「そっちも後でライブの感想聞かせてね、陽乃」

 姉妹はそれぞれの目的地を目指し、歩き出した。勿論、道行く車に注意を払って。

 月乃は少し急ぎ足で、アウトレットモールを通り過ぎる。すると間もなく、待ち合わせ場所の映画館前に到着した。
 入口では、眼鏡を掛けたやや大柄な少年が、月乃を待っていた。少年は、少し驚きの表情を浮かべてこちらを見ている。

「お疲れさま! ってどうしたの? 月張くん・・・・
「いや、完全に油断してた。ちょっと……可愛くて」

 月張が恥ずかしそうに視線を逸らす。月乃の顔もみるみる赤くなる。そりゃ結構気合い入れて来ましたから、褒めて欲しかったけれど……。初っ端からそのリアクションは卑怯よ。

「なあ。俺の格好平気かなあ? 月乃の隣に居て大丈夫?」
「平気平気! ちゃんと格好いいよ、月張くん!」
「まあ、今日は映画館だし、誰も他人の服装なんて気にしないか」

 その理屈が可笑しくて、月乃はクスリと笑う。

「じゃあ、行こう。月乃」
「うん! 月張くん」

 二人は手を繋ぎ、クリスマスムードたっぷりのバイオレンスアクション映画を観るために、シアターの中へと消えて行った。

 

 

「その様子を、後方彼氏面で見守る神様ちゃんなのでした☆」

 

 

 

 

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