アイの讃歌

 

 

 天凌祭開催式 主役選考特別演目
 「満天の空と約束の鐘」前日譚

 『世に祝福の祈り降る』

   脚本/構成:八重桜 百貨
 演出/脚本補助:鐘捲 成貴
   美術/照明:求道 匠
   音楽/音響:羽曳野 琴音

 

 あらすじ

 詩人が約束の鐘を目指す満天の夜よりも、はるかな昔。
 世界がまだ、その在り方を決めていなかった頃。

 天から遣わされた四人の神は世界に降り立つと、
 祈りと祝福、音楽の調べと共に、大地に数多の生命をもたらした。 
 木々が、動物が、人が、世界に満ちた音楽と共に繫栄した。
 神が人と共に歌い、踊る時代が形作られていった。
 
 だが、やがて人間が争いを始め、四人の神はそれぞれ道を違えていく。
 神々は個々の信念のもとに人との関わり方を選び、
 結果として、ひと柱の神が力を失ってしまうこととなる。

 自分達の行いを深く悔い、悲しんだ神々は世界に別れを告げ、
 いつかやがて花開くと信じ、世界中に「祝福」を降らせたのだった。

 かくて音楽という名の祝福は、この世界で眠りにつく。

 ――約束の鐘は、その時を待つ。

 

 

・ ・ ・

 

 

「あ、おかえり~鐘捲クン、どうだった?」

「フ、万事問題ない。学園の正式な許可が下りた。公演は二週間後だ」

「ひょえ。時間は無いけどやるしかないよね。モモカ、動きます」
 

 部室棟のとある一室。
 わたし、八重桜やえざくら 百貨ももか率いる今回の目論見の仕掛け人が揃う中に、鐘捲かねまき 成貴なるきクンが朗報を持って来てくれた。
 

 天凌学園、最後の「七奇跡」を目指した前夜祭の演劇の主役を決める人気投票。

 50年に一度のビッグイベントの主役争いは、今や混迷を極めてしまっている。
 アマゾンやら殺人やら派閥形成やら妖狐やら、普段の天凌では起こらないような事件が目白押しの状況だ。
 同時に、学生の皆の関心事としても、この主役争いの盛り上がりは最高潮。

 今のカオスな状況も、きっと前夜祭の演劇ともたらされる奇跡で全部収まるのだ、と。
 そんな漠然とした期待感や高揚感が、イベントそのものに向けられている。
 

「私も読ませて貰ったが、良い脚本だ。劇伴にも力が入るよ」

「うわお、羽曳野センパイにそう言って貰えるなんて! やっぱりIQ5倍で書くと良いものが出来るってコトかもですね!」

「5倍か……そうかもね。実はこちらはほぼ完成している。後で聴いて感想を貰えるかな」

「もう!? センパイは5倍じゃないのに仕事が早すぎませんか?」
 

「…………いや、5倍さ。なにせ5人分の音が、私には付いてるんだ」

「センパイ……」

「……いい舞台にしよう、八重桜」
 

 皆の期待が寄せられている主役争いもいよいよ終盤。
 有力候補もかなり絞られている。

 なのに、肝心の候補者たちの主役争いは、というと。

 未だに各人が出会い頭のエチュードやら、殴り合いやらで票の取り合いをしている。
 こんなにも期待と希望が寄せられた舞台の選定の儀式にしてはあまりにも……

 なんというか。あまりにも小さい。

 モモカなんかは、四波平クンのお兄さんに操られたりして、ちょっと人気投票の主戦場からは撤退気味な感じではあった。
 洗脳の元凶が除かれたことにより無事に正気にも戻れたし、荊木 きっどクンも今は無事に保健室で復活を果たしてくれているけれど、それでも今から主役を張りに行くような空気でもなく。
 であればと、モモカは自分と同じく一歩引いた立場にあった候補者の皆……鐘捲クンや羽曳野センパイ、求道センパイ達と一緒に、一計を案じることにしたのである。

 ズバリ、正式な舞台をセッティングして、そこで主役を決めて貰おう、というもの。

 そう。みんな大好き、優勝決定戦である。
 

「お待たせモモカちゃん! 大道具、小道具一式も目処が立ったよ!」

「求道センパイすっごい! 有難うございます!」

「いや、私の望みとも合致する舞台だしね、張り切るに決まってるよ」

「主演に相応しい人を見つける、でしたっけ」

「うんうん! 一時は酒力君が凄すぎて贔屓にしちゃってたから、こういう機会は素直に嬉しいかな。……これならちゃんと、見極められると思う」

 

 月張クンと一緒に挑んだ『図書館迷宮破りアレクサンドロス・ブレイク』で手に入れた書物、定例演目「満天の空と約束の鐘」に関する詳細な資料。
 それをベースに、モモカは「満天の空と約束の鐘」の前日譚にあたる演目を、四人の神を主軸に当て書き・・・・の脚本として作り上げた。
 
 前日譚の舞台直後の投票で主役を決定し、選ばれた者が前夜祭で鐘を鳴らす。
 50年に一度のイベントを盛り上げる一助として、企画は無事、学園に承認された。

 

「うん、後は『華麗なる何でも屋』の采配を見守るのみだ……絶対成功させようね!」

「そうだねえ……あ、そいで鐘捲クン、さしあたって追加のお願いが……」

「フ、任せておけ! 能力現金の保持であろう。1億ほど追加で飲んでおくといい!」

「やったぁ! これでモモカは身体能力もIQも常時5倍の『華麗なるスペシャルハイスペック何でも屋』! ……いや1億は流石に多いよ! 単純計算で……えーと1億秒って何日だろ!?」
 

「1日が86400秒だから、……1157日ですかね」

「すっごくオーバースペック! ……あっ観月クン! いらっしゃい!」

「八重桜先輩、どうも。俺たちにも声を掛けてくれて、有難うございます」

「いやいや。モモカもやっぱりアレは放ってはおけないからさ。……お願いね」

「ええ。やるからには……全力でやらせて頂きます」

 

 

 登場するメインの四人の神は、現行の人気投票の状況から選出させてもらった。
 実質的に最も主役に近しい位置にいる、生徒たちのほとんどの票を集める人たち。
 
 ただし、同じく主役を目指した候補者による推薦を得ることを条件とした。

 最後にひとつに束ねられる願いなら、自分だけじゃない願いも抱えて立つべきだ。
 モモカの脚本には、それぞれの推薦を得た四人の候補者が書き留められている。

 

 

 天凌祭開催式 主役選考会特別演目
 「満天の空と約束の鐘」前日譚

 『世に祝福の祈り降る』
 

  主演

  陽の神:五十鈴 陽乃   推薦人:飯綱 千狐
  愛の神:白露 アイ    推薦人:深林 さぐり
  天の神:天龍寺 あすか  推薦人:酒力 どらいぶ
  月の神:四波平 月張   推薦人:至神 かれん

 

 

 みんなのいろんな想いと、いろんな願いを乗せて。
 運命の舞台の幕が、開こうとしている。

 

 

・ ・ ・

 

 

<五十鈴 陽乃と飯綱 千狐の場合>
 

「五十鈴先輩、じぃじとばぁばのこと……改めて本当に有難うございました!」

「ううん、当然のことをしたまでだよ」

「でも、あんな危険な目に合わせてしまって……」

「……過ぎたことだから、大丈夫だよ。気に病まないで欲しいな」
 

 五十鈴いすず 陽乃ひのが練習を行う体育館に、飯綱いいづな 千狐ちこの姿があった。
 運動場での一件以降、久しぶりの顔合わせになる。

「今は那須先生が付いてくれているから、じぃじとばぁばも安心です……」
 

 生徒に危害を加えた妖狐の長率いる組織については、天凌の教師の間で既に情報共有、対策の方針が打ち出されている。
 千狐の保護者は今は学園敷地内に迎え入れられ、問題解決まで身の安全を保障されることとなっていた。
 那須なす ほがらか率いる教師陣、霊脈管理者がじきに直接的な問題解決にあたるはずだ。

 役者が役者である。
 これについて、生徒たちが心配するようなことは今後起こり得ないであろう。

 

「……千狐ちゃん、君は、君の願いは……。」

「……今は、まだ。考え中なんです。」
 

 小さな狐は、その小さな肩に抱えた運命の重さに耐えるように、困り顔で微笑んだ。
 

「全部が整理出来たわけじゃなくて。わたしが……例えば、村の皆を取り戻したいと願ったとして……それでわたしが消えてしまったら、じぃじとばぁばは、どう思うのかな……って」

 

 話を聞く陽乃の胸の奥がちくりと痛む。
 千狐の願いは彼女の材料として犠牲になった、村の千の妖狐の魂を取り戻すこと。
 それは、結果として自分自身の存在の抹消に繋がる願いに他ならない。

 その願いは、極めて陽乃自身の願いと種類を同じくするものだったから。

 

「そういうこと、まだ考え尽くせてないんです。まだ、わたしは手を伸ばすには……知らなきゃいけないこと、考えなきゃいけないことが、沢山ある」

「……」

「だから、今は五十鈴先輩に託します。お互いの事情は色々あると思うけど、五十鈴先輩なら、わたしの分の想いも、連れて行ってくれると思うから」

「……うん、有難う、千狐ちゃん……」

 

 自分が居なくなった時に、それを周りがどう思うのか。

 改めて、陽乃はそれを「関係ない」と思う。
 だって、今この場に居るのは『陽乃』であるのだから。
 『月乃』は既に世界から失われていて。周りがどう思うかなんて話は、あの日にもう置いてきてしまっているのだから。

 

「私、願いを叶えてくるよ」

 陽乃は自分を慕ってくれる後輩の頭をひと撫でし、誓いを口にしたのだった。

 

 

・ ・ ・

 

 

<白露 アイと深林 さぐりの場合>
 

「いやー、なんだかんだ言っても白露さんにはお世話になりましたからねえ!」

「そんな、こちらの台詞です、深林さん」
 

 教室に居た深林ふかばやし さぐりのもとに、白露はくろ アイと四季巡しきめぐり 絶佳ぜっかが顔を見せていた。
 アイに向けて推薦を表明してくれた、さぐりへの感謝を伝えるためである。
 

「ここに至ってはやはり、上位の方々の全力の、万全の舞台を見せて欲しいというもの。しっかり頑張って頂きたいなと! 推薦をさせて頂いた訳です!」

「……はい、どこまでやれるか分かりませんが、励みます。有難うございます」

 

 友人からの真っ直ぐな後押しに、アイの胸の内の熱が高まる。

 最初は絶佳との約束事でしかなかった、ふたりだけで始まった誓いだった。
 今ではそれが、さぐりを含む多くの支持者からの期待となって彼女を包み込んでいる。
 自分にこんなにも負けたくない理由が出来ていることを、アイは嬉しく感じていた。

 絶佳も、気合を入れる従者の様子を見ながら愛おしそうに微笑む。

 

「私も応援してる。……頑張ってね、アイ」

「お嬢様、はい、頑張ります。……見ていてくださいね」

「おやお熱い! あっそうだ忘れていました白露さんにはこれをお渡ししようと思って」

 
 さぐりが、制服のポケットから小さい何かを取り出し、アイの手に乗せた。
 小さく固い感触が掌に転がる。
 

「? はい……ってこれは」

「ヒッ! こ……これはアマゾナイト!!」

「まさか深林さん!?」

「いえいえ、ご安心を。これはれっきとした購入品ですよ、通販アマゾンです!」

「そ、そうなんです……?」
 

 己の心と同じ輝きを放つ宝石を友人に渡したさぐりは、くるりと窓の方を向いて、言葉を続ける。
 こんな照れくさい台詞は、以前の自分からは出てくることはなかったけれど。
 

「……石言葉、なんてものがあるのをご存知ですか? アマゾナイトの石言葉は『希望』『行動』なんですよ」

「え……」
 

 一緒に能力の秘密を知ったから。
 人を害するかもしれなかった自分の力に、向き合って制御するきっかけをくれたから。
 さぐりは、自分の心ごと、目の前の友人に賭けてみたいと思ったのだ。
 

「白露さん、あなたに迷いのない結果が訪れますように。信じています」

「深林さん……っはい!」
 

 アマゾンの奥地で、記憶の地平の向こう側で。
 それぞれの問題に向き合い、その答えを出したもの同士が握手を交わす。

 宝石アマゾナイトは、窓から差し込む日差しを受けてきらきらと輝いていた。 

 

 

・ ・ ・

 

 

<天龍寺 あすかと酒力 どらいぶの場合>
 

「……なあ、天龍寺……あの時、俺はアンタに『参った』と言ったな」

「はい」

「あれは嘘だ」

「…………ええ!?」
 

 校舎裏で酒力さかりき どらいぶに話しかけられた天龍寺てんりゅうじあすかは、実のところは意外にも思わなかった彼の発言に対し、わざとらしいほど大袈裟な反応を返した。
 そうすべき、と思ったからだ。

 先日の対決は、楽しかった。間違いなく、あすかにとって楽しいと思えるひと時だった。
 自分はこんなに明確な楽しさを自覚させてくれた先輩に、少なからず敬意を抱いている。
 そう振り返ることが出来たからこそ、あすかはそのままどらいぶの次の言葉を待った。
 

「あの時、あの場では確かにアンタが勝った。今の俺では届かないなと思っちまった」

「……」

「だが、明日はどうだ。一週間後は、来月は。一年後は?」

「……それは、分かりませんね……それくらいに酒力先輩は凄かったです」

 

 本心である。

 場を掌握し、己の色に塗りつぶすほどの圧倒的な演技。
 そのレベルの表現が出来るのは、現在の主役候補の中では自分とどらいぶくらいではないか、とあすかは考えている。
 だからこそ、あの場での勝敗は決したものの、どらいぶが自分を推薦すると言い出したことについては、まだ疑問があった。

 

「そうさ。だから嘘だ。だが」

「……だが?」
 

「悔しいが、今はお前だ。だから、俺はお前に託す」

「!」
 

 あすかはどらいぶの内に燃える炎を見る。
 この光景は心象である。決して実際の火が見えたわけではない。
 だが、あすかには確かに見えたのだ。好意と嫉妬が混じる、彼の内に滾る炎を。

 これは、彼なりのけじめの付け方だ。
 一度、明確に敬意を抱いた相手へ向ける、拍手オベーションの代わり。
 自分が持っている演技に対する何よりも大きな欲を、渇望を、確かに満たしてみせた年下の表現者への、現在どらいぶが渡すことの出来る唯一のチケットであった。
 

「一番になれ、天龍寺」

「……もちろん、勿論です。そのつもりですよ!!」
 

 大きく頷いた中等部の少女の眼は、いままで見てきた何よりもぎらぎらと輝いて見えた。 
 

「いいんスか?」

 去っていくあすかの背を見やるどらいぶに向けて声がかかる。
 

「荊木先輩……ああ、いいんです。まだ呑み方も知らねえ子供ガキっすけど、それでいい」

「なーんか……ちょっと見ない間に変わったッスね、良いことでもありました?」
 

「……どうですかね」

 

 どらいぶは胸元からスキットルを取り出すと、今は合法になったそれを一口だけ喉に流し込んだ。

 

 
 

・ ・ ・

 

 

<四波平 月張と至神 かれんの場合>
 

「憑きものが取れたみたいな心持ちの神様ちゃんは、色々悩んだけどこうすることにしたのでした」

「……」

「ナミーくんさん、これが私の『好きにやった』結果ですよ」
 

 正門の外。至神いたるがみ かれんと四波平よなひら 月張つきはるとが会う時は、どちらともなくここを選ぶようになっていた。
 互いに互いを傷付けないと分かっているからこそ、ここには他者の目が無いというメリットがあった。
 

「……ありがとな、至神。正直、このルールじゃ俺はあの場に立てないと思ってたよ」

「いえいえ。流石にあの票数でナミーくんさんが落ちたら他の子が黙ってなかったかと。まあ、神様ちゃんとしては種蒔きも終えたことですし?」

「種蒔き……?」

「奇跡を勝ち取る、までは任せろって豪語してましたもんね。それを目指すための席にもつけない、なんてオチは可哀相です、ナミーくんさんには似合わない」
 

 言いながら、そっとかれんは月張の手を取った。
 月張も、かれんに害意が無いことが分かるが故に、それを拒まない。
 
 ――『神の左手ヒューメイン・レフト

 改めて、かれんは自身の能力で彼の傷を認識する。
 これほどの痛みを抱えてなお、人の為に己の命を使おうとする目の前の同級生に、少しだけ涙が出そうになる。

 そう。彼には似合わない。
 似合わないものを背中いっぱいに抱えて、似合わない最後に向かおうとしている。
 

「……行ってきて下さい、明くんでも月張くんでも何でもいいから、行って、そして」

「……」

「ちゃんと自分のやりたいことをやってくるべきです」
 

 瞳を潤ませながら自分を直視するかれんを見ながら、月張はまた自分を責めた。
 何度。このごく短い期間の中で、何度同じように自分を責めただろう。
 自分で選んで、ひとつずつ決めてきたはずの道に、こんなにも後悔が転がっている。

 それでも、決めたのだ。
 そのために進むと誓ったのだ。
 

「……本当に、ありがとうな、至神」

「god blessですよ、ナミーくんさん」
 

「ああ……行ってくる」

 

 背を向け学園に戻る月張を見送ると、かれんは瞼の涙を拭う。
 ひと呼吸整え、スマホを取り出した。
 

「……ここまでは作戦通り、ですね」

 

 

・ ・ ・

 

 

 かくて、名優は集い。

 舞台の幕が開く。

 

 

 主役選考会特別演目、当日。
 舞台が上演される講堂は、生徒や教師、学園関係者で満員になっていた。 

 ただでさえ学内の話題を独占する、主役争いを賭けたイベントである。
 その投票の上位を占める役者が一堂に会する、事実上の決勝戦。
 しかもそれが学外でも名の通った、羽曳野 琴音や鐘捲 成貴をはじめとするスタッフたちの元でひとつの舞台をするというのだ。注目が集まるのは当然と言えた。

 会場のライトが静かに落ちていく。
 騒がしかった客席の話し声がすうっと引いていき、講堂全体が静寂に包まれる。
 

 皆の期待の視線が集まる中、中央から幕がゆったりと開いていく。
 中央に立つ人物を認めた何人かから、小さく悲鳴に似た声が上がった。

 

『これは、原初の物語――』
 

『いのちの産声。はじまりの朝。黎明の歌の一節を、此処に紐解こう――』
 

 不破ふわ れんが演じる星の神が、静寂に少しずつ、優しく声色を乗せていく。
 オーケストラのはじまりに、調律の音がゆっくりと会場を包んでいくように。
 朗々とした語りは穏やかで、まるで歌うように響いていく。

 

 ステージが、講堂が、世界が、星の神の声ではじめて音の存在に気が付いた・・・・・・・・・・・・・・

 そう思わせるだけの説得力が伴う、圧倒的な引き込みであった。

 

『まだ、この地には何も無い。故に私は、お前たちを遣わせよう』

 

『世界を照らす陽の神よ』

 五十鈴 陽乃を、いくつものスポットライトが照らした。

『慈悲に満ちる愛の神よ』

 白露 アイを、

『全てを見通す天の神よ』

 天龍寺 あすかを、

『闇に導を灯す月の神よ』

 四波平 月張を。

 舞台に降り立つ四人の神を、白く塗りつぶさんばかりに光が包み込む。

 

『お前たちに、この星を託そう』
 

『祈れ、祈れ。歌え、歌え。世界を満たし、創造するのだ』
 

『歓びを! いのちを!』
 

 星の神は両手を掲げ、それに呼応するように音楽が始まる。
 野性的なパーカッション。魂までを震わせるほどの大地の鼓動。
 風が講堂を吹き抜け、舞台には四人の神が残された。

 音が。鮮やかな色彩が。舞台に溢れる。

 それぞれの神が、喜びの感情を爆発させながら、歌う。
 この星に生まれ出るいのちへの祝福を言葉にし、踊る。

 
 ――光で満ち溢れますように!

 ――全ての魂が幸せでありますように!

 ――この広い広い世界に生まれ来る、唯一つのいのちたちよ!
 

 四人の神が曲の終わりに合わせ、それぞれ大きくポーズを取る。
 ひときわ眩いライトが四人を照らし、流れる汗を反射して輝きを散らした。

 割れんばかりの拍手に包まれながら、舞台が始まった。

 

 

・ ・ ・

 

 

「凄かったな、不破様、今は海外のはずだろ?」

「皆の衣装、すっごい綺麗……!」

「劇伴がヤバ過ぎ、もう泣いてるもん私」

「なんだろ、いろいろ不穏なこともあるけどさ、やっぱ」

「うん……」

「演劇って、いいよね……」

 

 学生たちのリアルタイムの反応を見ながら、舞台袖でモモカはにやりと笑う。
 羽曳野先輩は笑顔で自分の曲の響き方にじっと耳をすませているし、求道先輩は子供みたいにきらきらと輝く目で舞台を見つめている。
 鐘捲クンは、照明担当の生徒たちと同じブースからお得意の『ファンスティックスカイ・イリュ〜⤴︎ジョンショー』で舞台に特殊効果を与え、見るものの心を奪いまくっていた。

 これが私の復讐だ。

 天凌の治安が悪くなった原因のひとつが自分なら、逆に天凌を楽しみで包んでやろう。
 不安で周囲に信頼が置けないのなら、共通の娯楽で皆が夢中になる空間を作ってやろう。

 私たちは魔人能力者だけど、まだ学生なのだ。
 この檻が私たちを縛るものではなく、優しく育てるためのものであるならば。
 その中で、私たちは誰よりも幸せになっていいのだ。楽しんでいいのだ。

 きらびやかなステージの中心を彩る仲間を、こんなにも頼もしく、尊く感じられる。
 カンパニーの皆がひとつの塊になって、大きな大きな作品を形にしていく。
 う~ん、モモカってば、新しい趣味に目覚めちゃうかもしれないな。
 光と共に舞台に降り注ぐ手ごたえに身震いしながら、私はそんなことを考えていた。

 

 舞台は、続く。

 

 

・ ・ ・

 

 

 煌びやかないのちの創世は終わり、音楽と共に時は過ぎる。

 

 客席で友人たちと一緒に舞台を眺める四季巡 絶佳は、アイの稽古に付き合って一緒に読んだ台本を思い返していた。

 四人の神による盛大な歌劇による世界づくりの後。

 神々は、自らが生み出した人間たちとの交流の中で、それぞれの心の在り方に変化を起こしていく。
 同時に、かつてのような神同士の交流の機会は少なくなっていってしまう。

 四人の神という主人公たちの性質を描きながら、それぞれがひとりひとりの「個」として、違う道に進んでいってしまう不穏な時の流れを表現するパートだ。

 

 

(まず、月の神……四波平さん)

 月の神は武勇に優れ、土木、治水、脅威となる生物の排除など、人の手に余る強大な力を必要とする仕事を、自分を頼って集まってきた人々の為に積極的にこなし続けた。
 彼は人々から乞われ、神でありながらその国の王であるかのように慕われていく。
 自分を求める人の存在を愛しく想い、際限なく彼らに施し、尽くす姿勢は、あまりにも豊かで不満の無い、不足の無い国を形成し……その形はみるみる肥大化していった。

『お前たち! 壮健であるか!』

『神王さまだ! 神王さまがお見えになっているぞ!』
『歓迎だ! いつも我々のため、国のために有難うございます!』
『神王さま、バンザーイ!』
 

 群衆に笑顔で応える月の神が、自国民アンサンブルの顔ぶれに一瞬顔をしかめさせる。

(あ……アイツら! 観月に『本家月組』の連中じゃねーか! リハと違うんだが!?)
 

『きゃーっ、神王さま、カッコイイーッ!』

(至神までいやがる!? ……ったく、脚本モモカのやつ……!)

 演技とは別の理由で困ったような顔で民に応える月の神の振る舞いは、舞台の登場人物としてなんら違和感のないものであった。

 

 

(続いて、愛の神! アイ……頑張って!)

 愛の神は、自らの育てた国の民を深く慈しみながら、人間たちから一歩距離を置いたところで彼らを見守っていた。祭事の折には皆の前に顔を出し、人々を勇気づけ、慰め、心を通わせた。
 が、ある時、祭事で己の元に来た国の姫君と出会うと、愛の神は姫に心を奪われる。
 愛の神は自分の魂が起こした変化に驚愕し、戸惑い、同時に歓びに打ち震えた。
 天から遣わされた神の身でありながら、自分は人を愛することが出来る。
 彼女の深い慈しみと愛情は、いまや国の多くのいのちたちにではなく、唯一つのいのちに向けられるようになっていた。
 

『ああ、神様、来て下さったのですね。今宵はお見えにならないかと』

『いいえ、姫。この世界の何処からでもわたしは、あなたの元に参りましょう』
 

 鮮やかなロングヘアウィッグ姿で登場した姫君の美しさに、会場からも溜息が漏れる。

(う、うわぁ。深林さん、ものすごく衣装もメイクも決まってます……!)
 

『……嬉しいです。さぁ、今夜も、共に歌を』
 

(ドキドキします……が、お嬢様もこの舞台を観てらっしゃるので……こういうシーンはちょっと……! もう、脚本モモカさんったら……!)
 

 己の感情の動きに戸惑いながら、しかし確かにひとりの人間に魅了されてしまった神の姿がそこにあった。絶佳はちょっと頬を膨らませる。

 

 

(……次が、天の神。天龍寺さん)

 天の神は、月の神と愛の神の行動を疑問にしか思わなかった。
 彼らの行動は神としての範疇を越えており、自分たちを遣わした星の神の意図からも外れてしまっていると感じていた。
 彼女の元にも生み出された人々は集い、共同体を形成してはいたが、彼女はその営みの一切に興味を抱いておらず、干渉を行わない姿勢を保ち続けていた。
 

『報告は以上です、神よ』

『前にも言ったけれど、その手の報告はワタシには不要よ』

『自分たちの生活を、自分たちの幸福を知ってほしいと思うものが多いのです。聞き流して頂いて構いませぬ』

『……それよりも、あちらはどう。新しいものはある?』

『楽器、でございますな。市井に出回っているものを集めております。こちらへ』
 

 天の神の興味は、昔も今も音楽だけにある。

 四人の神で生み出し奏でた音楽こそが、彼女の魂を奥底から震えあがらせた。
 人間たちの生命には何も興味を引くものは無かったが、彼らが作り出す新しい音には、音楽にだけは価値があると思うことが出来た。
 

(……よく、分かってるじゃない)

 髪を纏め、普段と全く違う印象のどらいぶが演じる宰相に案内されながら、天龍寺は心の中で悪態をつく。
 

(確かに、ワタシの心は乾いている。今も、その自己認識は変わっていない)

 無論、演技に影響は微塵も出さない。今も己を俯瞰し全身に纏わせているのは、完璧な仕上がりの「天の神」そのものである。
 

(けど、それを知っていなければ、こんな当て書きは出てこない。……脚本先輩ってば)

 あすかは微かに口の端を吊り上げる。
 音楽だけに興味を抱く神の、唯一の潤いとなる楽器たちに向けた笑みが、客席に、舞台袖に印象的に向けられたのだった。

 

 

(最後に、陽の神。五十鈴さん)

 陽の神は、国を持たなかった。持つことを選ばなかった。
 彼女の一番の関心は別のところにあった。天の神々の元に残してきた、大事な妹である。
 
 こんなにもいのちに溢れた世界を。
 こんなにも音楽に包まれた世界を。
 大好きな妹に、今すぐに見せてやりたかった。

 自分たちが地上でやるべきことはもう終わっているのではないか。
 いつしか、そんな想いに囚われたまま、彼女は天に帰ることばかりを夢見るようになってしまっていた。
 

『もし、そちらにいらっしゃるのは陽神さまではございませんか?』

『……? ええ、いかにも、そうですが』

『なんと、噂は本当だったのですね。わたしたちは見ての通りのキャラバン隊です。どうか、隣の国へ行くまでの旅をお守りくださいませんか?』

『……いいでしょう。道行きを照らすくらいであれば、共に』

『ああ、感謝いたします! おうい、チビたち! 陽神さまがお守りくださるぞ!』
 

 わちゃわちゃと、舞台袖から同じ顔のキャラバンの子供たちが9人、顔を出す。
 同一人物過ぎる見た目に、特殊メイクかと客席が若干のざわつきを見せた。
 

(ふふ、千狐ちゃん、大盤振る舞いだね)

 陽乃は、舞台の上に最大数の分身を登場させ、多彩な芝居を見せる後輩に笑いかける。

(それにしても、大好きな妹、か……この脚本は、間違いなく陽乃への当て書き。そして……)

脚本モモカさん……これは、ズルいよ)

 寂しそうな顔で笑う陽の神は、遠くに残した妹を案じる姉の顔そのものであった。

 

 

(いや、それにしても)

 えげつない脚本だな、と絶佳は思う。
 
 当て書きとは良く言ったものだ。つまるところ、それは主演それぞれのパーソナリティを大なり小なり可視化して、物語の構造上の弱点、キャラクターに対する皮肉として書くことに等しい。
 学内のイベントだからギリギリ通るようなものだ。他人事ながらこれを書いた百貨の度胸に若干の寒気を覚える。

 
 ともあれ、これで四人の主人公が抱える問題がそれぞれ示された。
 歓喜から始まった物語は、来るべき崩壊へ転がり続けていく。

 

 

・ ・ ・

 

 

 終わりの始まりはあっという間。

 人間たちが、争いを始めてしまった。

 
 月の神が擁する国の欲望が肥大化し過ぎたとか、国家間の文化水準や財政の格差だとか、信仰の在り方だとか。いろいろと後から理由を付けることは出来るけれど、きっとはじめはもっと些細なことで。

 気が付けば、三つの国はもう後戻りできないくらいの戦火にまみれていた。

 

 天の神あすかは、燃えゆく自分の国を見つめていた。

 城壁にも、建物にも、そこに住むいのちたちにも興味は無かった彼女だったが、眼下の蔵の中で集めた楽器が焼けていることに気付き、少しだけ眉をしかめた。
 蔵の炎の中に宰相の姿を認めるのと、その爛れた手を掴んで飛び去るのはほとんど同時だった。

『貴方に心から、笑って貰える国には、できませんでしたな』

『盛大な酒宴を、貴方に……』

『笑っ……て……』

 焼ける喉から声を振り絞りながら、宰相のいのちが尽きていくのを、天の神はただ黙って見つめていた。

 地上に広がる炎とは別の種類の火が彼女の中に静かに、暗く灯る。
 その瞬間を見る人間は、ここには誰もいなかった。

 

 愛の神アイは、襲撃の最中にはぐれてしまった姫を探し続けていた。

 王宮を襲撃したのはどこの国の者たちだったのか、思い返せど判別がつかない。姫以外の全てに無頓着となっていた彼女には、格差に苦しむ自国の民すら何者か知ることができなかった。

 姫を隠し通路に逃がした「  」の言葉を信じれば、この先に居るはず。
 宮中の警護をしていた「  」の記憶の限りでは、最後に見たのはこのあたりのはず。

 探せども探せども、彼女は最愛の人を見つけることができなかった。
 悲しみに暮れ、両目からは止めどなく涙があふれ続けた。

 名前を呼ぶ。声は返らない。
 おぼつかない足取りで、愛の神は愛しき人を探し続ける。

 

 月の神月張は、自分の国の人間たちが他国の人間を殺している、という事実を長きにわたり知らされていなかったことに気付いた。

 それどころか、彼は民たちの求めるままに開拓のための道具……実際には、人殺しのための道具を作らされていた。全ての事実を聞き出せた時には、すでに天の神の国は地図から消えた後であった。
 
『仕方が無かったんだ』

『家族が、親戚が殺された!』

『弓矢を向けられている中で、どうして砲を放たずに射られるのを待てるのでしょう』

 仲裁を試みようと、民を問い詰めようと、そこはもう争いの果ての果て。
 互いが互いに相手に責任があると主張し、互いが互いに自分に正義があると主張した。
 
 落胆する月の神。
 そこに、静かに歩み寄る昔馴染みの、冷たく燃え上がる気配があった。

 

 陽の神陽乃は、天の神と月の神が互いに殺し合う様を目撃してしまった。

 多くの救えなかったいのちを見送って、他の神の様子を見に行った矢先の出来事だった。
 天の神が身震いするほどの形相で、月の神のいのちを刈り取ろうとしている。
 月の神も諦めたような表情をしながらも、それでも抵抗を続けていた。

 彼の後ろには、月の神の治める国がある。彼が愛した人間たちが、いのちたちがある。
 彼が死ねば、天の神はそれらを全て消し去るだろう。故に彼は、退くことが出来ない。

 止めたくとも、その方法が分からない。ふたりの名を呼んでみても届かない。

 そこに、愛の神が泣き腫らした顔で現れる。

 姫が何処に行ったか知らないでしょうか。
 何処かで泣いているかもしれない。自分を待っているかもしれないんです。
 ぼろぼろと泣きながら訴える彼女が、不思議と妹と重なって見えて。

 月の神が放ち、天の神が避けた槍の一投が、愛の神に届く軌跡を描いていたから。

 陽の神の身体は勝手に動き、その間に割って入った。
 陽乃の口が勝手に動いて、その名を声に出していた。 

 

月乃・・、危ない」

 

 陽の神は愛の神を庇い、槍に貫かれた。
 

 雷のような音響とスポットライトの閃光。
 致命的な傷を負いその場に崩れ落ちる演技をするはずの陽の神は、しかし呆気に取られたように数秒の間、固まった。
 周りの演者が、陽乃の動きを待ち、動きを止める。

(私は……、今、何て言った?)

 身を挺して他者を庇う。その動作に呼応し、彼女の「太陽と月の幻視鏡エクスペリエンス・ヴィジョン」はあの日、月乃を庇った陽乃の体験を強烈にイメージさせた。
 それは、あの時の後悔と苦しみを鮮明に思い起こすものであり。そして。

 自分月乃の中に陽乃の意思が、想いが残り続けていることの証明であった。
 自分の中に確かに姉が生き続けていることを、月乃は初めて、感覚的に理解した。
 
 理解して、しまった。

 
 陽の神は、ゆっくりと。その身に受けた傷を思い出すように、その場に崩れ落ちた。

 

 

・ ・ ・

 

 

『嘘……陽の神? アンタ何、やってんの』

『あ、あああ、そんな、そんな。わたしを……庇って……』

『な、なあ……おい、待て……待てよ……』
 

 倒れ伏した陽の神から、神の力が光の粒として零れ落ちていく。
 傷は深く、じきに彼女は神としての力を全て失ってしまうだろう。

 天の神と月の神の争いは収まり、同時に深い悲しみが空を、世界を包んでいく。
 終わりを覚悟して事を構えた両者でなく、それを良しとしなかったものが犠牲となって、世界から失われようとしている。

 自分たちが愛し、歓び、祈りと共に世界に生まれてきたいのちは炎に包まれ、音楽は人々の怒号と悲鳴にかき消され、四人の神のひと柱が……欠ける。

 天の神に遣わされた自分たちは、「失敗」したのだ。
 そう、確信するに足る光景だった。

 

『……月の神、貴方は、悪くないわ』

 陽の神が光を零しながら口にする。
 月の神はハッとして、顔を歪ませた。
 

『……何、言ってるんだ、俺だ、俺が! お前を!』

『誰のせいでも、ない。天の神も、愛の神も……みんな、悪くない』
 

 陽の神は、月の神の頬に手を当て、穏やかに微笑んだ。 
 

『妹を……お願いね』
 

 心からの願いであった。
 妹がしあわせであってくれたなら。健やかであってくれたなら。

 陽乃は、自分の中から自然と湧き出る感情を、そのまま台詞に乗せる。
 観客の胸を打つ、圧巻の演技であった。
 

『分かった、任せろ。お前の妹は……俺が絶対に守ってやる……』

『……よかった、傍で光を受けてくれる貴方がいるのなら……月が、見守ってくれるなら……きっと、大丈夫』
 

 零れる光が、だんだんと小さくなっていく。
 終わりの時が来る。

 

 

『……歌おう』

 陽の神の最後の提案に、三人の神は顔を上げた。
 

 失敗してしまった神々は、この世界を去らねばならない。
 世界の神に遣わされる際に、課された約束事のひとつだった。

 沢山の音楽をもたらした自分たちが居なくなった世界は、きっと音を忘れてしまう。

 世界ではじまりの静寂を破ったのは、神たちであった。
 だが、神なき後に訪れる静寂は、誰が破ってくれるだろう。

 誰が、破る術を知るのだろう。
 

『そうだ、ワタシたちは……歌わなくちゃ』

『この世界に音を、音楽を残さなきゃいけない』

『祝福の旋律を、祈りの唱歌を誰かが思い出してくれるように』
 

『歌おう。歌を蒔いて、大地に埋めよう』
 

 人がいつか、争いでなく、愛で音を取り戻せるように。

 神々は、「祝福」を世界中に残そうと決めた。

 

 

 クライマックスの歌唱パートが始まる。
 

(…………今、ここだ)

 アイは、呼吸を整え、静かに目を閉じた。

 

 

・ ・ ・

 

 

「つまるところ、白露さんの武器はその『能力』依存のつぎはぎの演技ではないわけよ」

「そうなんですか、古院先輩? アイは何だって『思い出せる』のに……」

「あの、お嬢様。あの」
 

 時計塔の一件の後。
 本気でふたりで主役を獲りにいく誓いを新たにしたわたしと絶佳お嬢様は、余韻もそこそこにお嬢様に手を引かれて古院先輩とその師匠、水火金さんにお会いしていた。

 本当に主役を目指す上では、避けて通れないもの……わたしの演者としての力量の不足という問題があったからだ。

「正味、現段階で上位四人の五十鈴、白露、天龍寺、四波平がぶつかるとして、勝率はどのくらいになると思う?」

「四人だから25%ではないんですか?」

 お嬢様が少しわざとらしく答える。流石にわたしからその数字は出せない。
 

「……良くて10%くらい、でしょうか」

「うん、悪くない。私の見立ては天龍寺さん40、四波平くん25、五十鈴さん20、白露さん15……ってところかな。師匠は?」

「ほぼ同意見、やる台本ホンによっては現状1位の五十鈴にやや優位かもな」
 

「アイは凄いんですからね……」
 
 お嬢様が恨めしそうに抵抗してくれている。可愛らしい。
 しかし実際、表現者の先輩ふたりの読みは妥当性のあるものに思えた。
 

「……どうすれば、その15%を掴めますか」

「良い目だね白露さん。そういう ”嘘” が無いのは好きだよ」

「ああ、化け物の中で表現するうえでの勝ち方を教えてやる。ただし」

 

 博打にしかならないからな。

 お嬢様とわたしは、ふたりの師匠の言葉に力強く頷いた。

 

 

・ ・ ・

 

 

 クライマックスは、最初の世界創造のような証明と音響、演出の中で、それぞれの神が地上に残していく「祝福」を歌い上げるものだ。
 

 月の神は、地上に残る自分を愛してくれたいのちたちに、深い感謝と謝罪を送る。
 神王と呼び自分の元に集ってくれて、慕ってくれて、共に在ってくれて、有難う。
 導いてあげられなくて、変化に気付いてあげられなくて、申し訳なかった。

 彼らが、皆が、全てのいのちが。
 自分なき世界でどうか許されるよう。

 歌う。謳う。祈る。祷る。

 

 陽の神は、自分に残る最後の力を振り絞りながら、精一杯の希望と夢を送る。
 一度こんなにも音楽で満ちることが出来た世界なら、また絶対に花が開く。
 地上に芽吹く沢山の祝福は、きっと世界にまた響き渡ると信じている。

 いつかどこかで、この祝福を見つけた人が。
 天まで届くような音色を奏でられるよう。

 歌う。謳う。祈る。祷る。

 

 天の神は、純粋な音楽の力を信じ、音楽への情熱とその魅力、熱量を送る。
 ワタシたちがもたらした音は劇薬に似ている。完全な忘却は訪れない。
 取り付かれるように、狂いだすように。音楽は止まらない。止まるはずがない。

 貴方たちは奏でずにはいられない。
 それが願わくば、貴方たちにとって尊きものであるよう。

 歌う。謳う。祈る。祷る。

 

 愛の神は、

 

 

 

 

 愛の神は。
 

 唯、ひとりに送る。

 離れ離れになってしまったあなたに。
 今もどこかで、この声を聴いてくれているだろう、あなたに。

 その耳にこの歌が、そっと寄り添ってくれるように。
 自分の居ない世界でも、寂しくなんてならないように。
 

『あなたに……届ける』
 

 神としての祝福にはそぐわない。
 けれど、懸命で、一途で、不格好で必死でがむしゃらで倒錯的で無我夢中で。

 頬を染めながら、涙を伝わせながら。
 最後までひとつのいのちだけを愛した神は、真っ直ぐにその人だけを見て、歌った。

 

 

(うわ…………っ!!)

 客席でそれを見ていた川越かわごし 翔馬しょうまは、自分が本当に彼女を愛しているような感覚に囚われ、息を飲んだ。
 慌てて周囲に目を配ると、同じように彼女に心を奪われ固まる男子、目がハートになっている女子、失神する先輩……皆一様に衝撃を受けたであろう状況が広がっている。
 今、舞台の中心にいるあの表現者の心のドアは、自分に向けて真っ直ぐに開かれていた。

(こんな、こんな演技が出来るのか……こんな「愛」が、伝えられるのか)

 自分も、自分にも、と思う。
 愛の神の役者のここまでの演技は、特筆すべきものを持ってはいなかった。
 難しい役をこなしてはいるものの、他の三人のような、観る者の心を釘付けにしてくるほどの印象を残してはこなかった。

 おそらく、この瞬間。この場面に全てのピントを合わせてきたのだ。
 役の中にある、ただひとりに向けた愛を、客席のひとりひとりに向けて放ったのだ。
 紛れもなく、目の前に居るひとりを/皆を/自分を、心から愛している表現だった。

 平凡に思えた彼女が、この一点でのみ、演者としての印象で、他の候補者を上回って見せた。
 
(皆、憧れるに決まっている)

(……だってこれは、誰でもそこに立てる・・・・・・・・・という証跡に他ならないんだから)

 

 

 四人の神の歌が、世界に祝福を授け。

 みっつの光が、天に向かって消えていき。
 ひとつの光が、大地にそっと溶けていった。

 

 かくて音楽という名の祝福は、この世界で眠りにつく。

 ――約束の鐘は、その時を待つ。

 

 

 講堂に万雷の拍手が降り注ぎ、それはしばらく止むことはなかった。

 

 

・ ・ ・

 

 

 

 

 

 

・ ・ ・

 

 

『神はこの地を捨てたのだ。
 人の奏でる音楽は、神たる者らの忘れ形見、残響残滓に他ならない』

『たとえ僕の奏でる曲が、神の模倣であろうとも。
 それが心を揺らすのならば、その共鳴に真偽はない』

『それでも――もう、私の心は音を聴かず、魂は震えず、
 ――君の奏でる歌も、私の闇を払えない』
 

『ならば』
『だけど』
 

『――あの鐘を――』

 

 

 天凌祭開催式 定例演目
 「満天の空と約束の鐘」

   主演:白露 アイ
   助演:四季巡 絶佳

 

 

 天凌祭前夜祭、当日。
 滞りなく進む本番の舞台を、月張と月乃は中庭の端から観ていた。
 

「……なるほど、ありゃ天龍寺が稽古について正解だったな」

「四季巡先輩、ちょっとだけ課題が多かったもんね」

 冗談を言って笑い合う。
 例年より少しだけたどたどしい舞台が、賑やかな学園祭のはじまりを彩っていた。
 

 間もなく、鐘が鳴る。

 50年に一度の奇跡の鐘、皆が求めた、万能の願望器と思われていたもの。
 だが、その奇跡の正体をふたりはすでに知っていた。

 

 先日の舞台の直後、ステージの裏。
 『本家月組』の観月はふたりを呼び止めると、有無を言わさずそれを告げてきた。
 

「奇跡は、俺たちの運命や何かを変えるような、願いを叶えるようなものじゃない」

 それは、図書館の禁書『天凌祭回顧録』にて、観月とかれん、モモカたちがいち早く辿り着いた、天凌の真実。

 50年に一度の奇跡について、噂話には「奇跡が起こる」としか語られていない。
 それなのに、まるで何でも願いが叶うような扱いとして認識されてしまっていること。
 それがそもそもの間違いであり、主役争奪の激化を狙う出所の狙いでもあった。

 出所は、学園側。学園創始者の願いに端を発する。

 魔人として、社会に対し隔たりが存在してしまうとしても。
 人の心を動かし、震わせ、その磨かれた技術によって、希望を与えられる存在であって欲しい。
 そんな願いが、今もなお噂話を流布させ、学生たちの競い合い、高め合いが起こってくれることを望んでいたのだ。
 

「奇跡の正体は……流星群だ」

 50年周期でこの付近の気候条件でのみ観測可能な天体現象。
 人々の頭上で煌めく星たちのショーは、学園側から事前にその接近を観測され、その訪れに同期して前夜祭の演目の時間が設定される。
 

 鐘が鳴り、星が降る。
 つまるところ、ただそれだけの事象。

 これこそが天凌の奇跡であり、この舞台のために全力で演者が挑むことで、『人の心に残る舞台』を作り出すのである。

 

「結局、私の願いは……叶わなかった。陽乃を取り戻す、取り戻して、自分が居なくなるなんてことは……私の中の夢でしかなかった」

「俺も……同じだ。あんなに息巻いて、結局、前提としての願いが叶えられなかった」

 

 月乃は想う。

 あの舞台で、月乃は自分の中に、能力の残滓として生きる姉を確かに認識してしまった。
 これで、月乃が自身を世界から消してしまったら。
 自分の中に居る陽乃すらも、この世から完全に失われてしまう。

 私の分まで、大好きな演劇を辞めないでね――

 あの時、最後に聞いた陽乃の声が。
 今ではほんの少しだけ、受け止めることが出来るようになった気がした。

 

 月張は想う。

 四波平 日向は、観月たちにより奇跡封じの短剣を引き抜かれ、蘇生に成功していた。
 彼らは必死に自分を説得してきた。お前の罪はここには残っていない。
 それでも自分を許せないと言った月張に、観月は生徒手帳を突きつけた。
 開かれたページには、学園の校則が書かれていて。

 ・校外で法律に抵触する犯罪を犯すことを禁止する。
 
 お前の罪は、学園ここには残っていない。改めて仲間たちは、自分にそう言った。

 
 

 ――鐘が、鳴らされた。

 

 静かに、けれどはっきりと。
 中庭から見上げた夜空に、光の筋が煌めき始める。
 すぐに光は数多くの線を描きながら、舞台のクライマックスを彩った。

 集まった生徒たちの歓声が、夜空に咲いた奇跡を歓迎する。

 

「…………っ、く……」

 空を見上げながら、月乃は大粒の涙を零す。

 おそるおそる伸ばされた手を、月張は同じく、溢れてくる涙を堪えられぬまま、しっかりと握った。
 

 ひとりでは立って居られなくとも。支え合えば、立ち続けることが出来る。
 

 彼らの物語は、まだ。

 

 

・ ・ ・

 

 

 あすかは、舞台袖から頭上に映し出される流れ星に目を奪われていた。
 大きな瞳が星の閃きを映し、きらきら、きらきらと輝いていた。

(今回は……負けた)
 

(舞台の最後、観劇後の印象値だけに焦点を絞ったアプローチ。白露先輩が取った手段は、邪道も邪道。これっきりの勝利を求めたものに過ぎない)

 でも。だが。
 結果としてあそこに立っているのは白露先輩である。

 あすかにはそれがたまらなく悔しかった。
 悔しい、と想える自分の心が、なんだかとても誇らしかった。
 

(……次は、古院先輩と、現役の劇団員の方々が相手)

 
 舞台直後のオファーだった。
 あすかは、来春から古院 櫻花と同じ劇団に招かれ、客演としての興行が決定している。

(……やってやる。≪私≫ の舞台は……これからが本番なんだから!!)
 

 見開かれたあすかの瞳が、一層輝く。
 その輝きは、星の光を映しただけのものではなかった。

 

 

・ ・ ・

 

 

 
 伝説の鐘は、その音を艶やかに中庭に響かせる。

 わたしは、傍らで一緒にそれを鳴らした絶佳お嬢様に笑いかけた。
 互いの顔を見たタイミングが同じだったようで、お嬢様からも笑顔が帰ってくる。
 それだけのことが、こんなにも幸せで。こんなにも心を弾ませる。

 
 舞台裏で、羽曳野先輩が最後の曲を準備している。
 我が儘を言って、この日の為にアレンジして貰った愛の歌。
 お嬢様と一緒にこんな舞台で、こんな素晴らしい記憶が残せるとは思わなかった。

 『記憶の地平線レミニセンス・ホライズン』は生涯、これを宝物とするだろう。
 ずっと、ずっと。わたしはお嬢様の、唯一の付き人であり続ける。
 
 ずっと。いつまでも。

 

 『愛の讃歌 -Hymne à l’amour-』 Édith Piaf(1949)

 Le ciel bleu, sur nous peut s’effondrer
 Et la terre, peut bien s’écrouler
 Peu m’importe, si tu m’aimes
 Je me fous, du monde entier

 (空が落ちようと、地が崩れようと、あなたが愛してくれれば構わないの)

 

 役者は、人生において必須の職業ではない。
 舞台は、人生において必須の事柄ではない。

 でも、人は舞台を観に行って、制作者の意図に触れて。
 役者の表現する世界に、時に人生をも凌駕する何かを得る。

 

 Tant qu’l’amour, inondera mes matins
 Tant qu’mon corps, frémira sous tes mains
 Peu m’importent, les problèmes
 Mon amour, puisque tu m’aimes

 (あなたの愛が、ぬくもりがあれば、世の中の問題なんてどうだっていい)

 

 幕が下りて。
 深く頭を下げる彼ら、彼女らの満足そうな表情を目に焼き付けながら。
 帰路につくわたしたちの胸に、想いを残していくのだ。
 

「観に来てよかった」

「凄かった!」

「明日からまた、頑張ろう」
 

 そんな、明日のための活力を、人生にそっと寄り添う欠片を残すのだ。
 それがきっと、舞台の持つ本当の力なのだと思う。

 

 J’irais jusqu’au bout du monde
 Je me ferais teindre en blonde
 Si tu me le demandais
 J’irais décrocher la lune
 J’irais voler la fortune
 Si tu me le demandais

 (あなたが望むなら、世界の果てにだって行くし、何だって手に入れてみせる)

 

 Je renierais ma patrie
 Je renierais mes amis
 Si tu me le demandais
 On peut bien rire de moi
 Je ferais n’importe quoi
 Si tu me le demandais

 (あなたが望むなら、何もかも捨ててもいい、笑われたって何でもやってみせる)

 

 これが舞台。これが演劇。
 

 今宵、わたしたちの響かせる鐘の音が。
 優しく響く愛の歌が。

 どうか、あなたの心にも残りますように。

 

 Si un jour, la vie t’arrache à moi
 Si tu meurs, que tu sois loin de moi
 Peu m’importe, si tu m’aimes
 Car moi je, mourrai aussi

 (あなたの愛があれば、いつか別れの時が来ても、わたしも一緒に旅立てるの)

 

 
 そうして、わたしは座長として、言葉を届ける。

 共に奇跡を見届けた、素晴らしいカンパニーに。観客の皆に。

 

 Nous aurons, pour nous l’éternité
 Dans le bleu, de toute l’immensité
 Dans le ciel, plus de problèmes
 Mon amour, crois-tu, qu’on s’aime ?

 (わたしたちは広い空の下で永遠を得る、あなたは、ふたりの愛を信じられる?)

 

 Dieu réunit, ceux qui s’aiment !

 (神よ、愛の神よ。愛し合うふたりを、何度でも結ばせたまえ!)

 

「ご観劇、有難うございました」

 

 

「……また舞台で、お待ちしています」

 

 一礼。降り注ぐ拍手。

 

 
 

Ring the Bellアイの物語』、これにて終演。

 

 

 

 

 

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