神は月蝕を顧みない

(語り:至神 かれん)

 櫛の歯が欠けていくように、天凌学園の「平和な学園生活」を構成する要素は、零れ落ちていった。

 まだ「平和な学園生活」を続けている生徒さんだって多いと思う。
 けど、神様ちゃんの能力は「傷を看破する」もの。

 魔人能力こそ生物にしか使えないけど、神様ちゃん、そういう嗅覚は人一倍優れているのです。えへん。

 学園に刻まれた致命傷の原因は一つじゃない。

 学園でも有数の暴力保持者、荊木 きっどが、行方不明になっていること。

 学内敷地全ての唐突なアマゾン化と、それによる心身の消耗。

 校内有数の良識派で人望のあつい、求道先輩による、暴力による主役奪取の肯定宣言。

 学園の『何でも屋』が、蘇生しない殺人を請け負うようになったという噂。

 特定の手順を踏めば、保健室の加護をキャンセルできるという説。

 ある種の魔人能力はそれができるという風説の流布。

 理不尽の具象。木っ端の暴力組に対する抑止力であった魔人が倒れ、平和的なはずの何でも屋が金次第で汚れ仕事を請け負うようになり、学園のセーフティーネットであった蘇生の抜け穴バックドアが明らかになった。

 全員が危険な異能を持ちながら成立していた「学園生活」の土台が、崩れ去った。

 ざっくり言うとこんな感じ。

 隣にいる人間がいつ自分を殺すかもわからない力を持っている。
 そして、自分は蘇生できるかどうかわからない。

 そんな状況で、クラスメートなんだから仲良くしましょうと言われて、そうできる人ばかりではない。わかります。人ってのは、そういうもの。

 ある生徒は、主役を物理的に排除して奇跡の権利を手に入れようとした。
 ある生徒は、蘇生を阻害できる能力を持つ生徒を、人殺しだと迫害した。
 ある生徒は、『何でも屋』の少女の無実を証明するため、日々校内を駆けまわった。
 ある生徒は、寮に閉じこもった。
 ある生徒は、魔人能力を無差別に暴走させ、「保健室の加護を無効化する殺され方」で止められた。

 ――Bellum omnium contra omnes.万人の万人に対する闘争。

 天凌は記念すべき学園祭、奇跡の争奪戦を前にして、混迷を深めている。

 そんな中でいち早く立ち上がったのは、意外な生徒だった。

 四波平 月張ナミーくんさん

 今回の主役候補者の中で、一番政治とは無縁だと思われていた男の子だ。

 彼は自警団を編成し、校内のパトロールを開始。

 主役候補者に対する襲撃の阻止や、『蘇生』をキャンセルできる能力持ちという風評で迫害されていた生徒の保護に努め、あっという間に一大勢力を作り上げた。

 昨日まで普通に接してたクラスメートから、急に危険因子扱いされるようになった生徒さんたちにとって、真っ先に手を差し伸べてくれた月張くんは天から伸びた蜘蛛の糸だったってワケだ。

 ……いや、まーね? 正直妬けちゃうなーなんて思ったりしてね?

 だって、そういう「傷ついた子たちのたまり場」が、「神様ちゃんを囲む会」の存在意義の一つですし?

 ま、行き場を失った子たちが安心できる場所を見つけられたのなら、その中心にいるのが誰かだろうが、どうでもいい話だけど。

 ともあれ。

 これまでの平和だった学園の空気を維持するという「建前」と。
 迫害からの保護という名目で『蘇生』を阻害できる魔人を多く抱え込む「戦力」と。

 その二つを兼ね備えた彼ら、通称『月組』は今や学園の一大勢力だ。

 人の好い、けれど、どこか人生を斜めに見る、消極的な男の子。
 そんなイメージだったのに、彼に何があったのかな?

 その謎はアマゾンに行っても解明できなさそうなので、神様ちゃんは渦中のナミーくんさんと、校門で待ち合わせることにしたわけでした。

 彼には、陽乃ちゃんさん絡みで聞きたいこともあったしね?

 

    【明】   【転】

 

「よう、至神。大丈夫だったか?」

 四波平 月張……ナミーくんさんは、正門の外で神様ちゃんを待っていた。
 学園の敷地外。即ち、『蘇生』の加護の対象外。

 さあ、どうしたものか。
 誘い? 学外で、神様ちゃんを物理的に排除するつもり?

 けれど、相手のスローガンは『不殺』。
 ここで神様ちゃんを殺しては、チーム『月組』は解散だ。

 何より、神様ちゃんを「殺しきる」魔人なんて、そういない。

「ちーっす。てか、それはこっちのセリフ。そっち、最近結構ヤバい橋渡ってるっしょ」
「ここ一週間で味方が十倍、敵が百倍だ。至神みたいなサークル主を尊敬するよ」
「ふふん、神様ちゃんは神様ちゃんですし? 敬ってよろ」

 学外に踏み出した、その瞬間。

 ――刃。刺。

 攻撃!?

 ――『神の左手ヒューメイン・レフト

 反射的に握った拳を一閃。
 手ごたえあり。

 けれど、能力は、不発。

 月張くんナミーくんさんは、ポケットに手を入れたまま、わずかに横に一歩動いただけ。
 最初、攻撃だと錯覚したのは、動作すら伴わない「攻撃を行う」という演技。

 そして、神様ちゃんの『神の左手』は、不発。手は、相手に触れてすらいない。
 手ごたえを感じたのは、相手の演技力による錯覚か、「そういう能力」?

「いきなり悪かった。……で、どうだ? 意識の方は。
 『押し付けられた役』は、これで、上書きできたんじゃないか?」

 『押し付けられた役・・・・・・・・』?

 ざらり、という、嫌な感覚が全身を這いまわる。

「俺の『真偽体のうりょく』は、アクション演技によるダメージや感覚を相手に与える。
 言い換えれば『アクションの相手という役を相手に押し付ける』異能だ。
 舞台がくえんの外なら、同系統のアイツの力を、相殺できると踏んだんだが」

 役の強要? 行動の押し付け?
 神様ちゃんは、誰かに、操られていた――?

「……だってさ、至神。
 おまえ、本当は安易に人を攻撃とかしないヤツだろ・・・・・・・・・・・・・

 意識が、冴えていく。
 右手に隠していた画鋲が、ぱらぱらと石畳に落ちた。

 
(痛かった腕は治っても、痛かった記憶・・・・・・は残るもんね)
(それを分かってないのか、分かってても変わらないのか)
(毎日毎日、何かしら理由をつけて傷つけてきて)
(それで、みんな口をそろえて言うんだ)

治せばいいじゃん・・・・・・・・
 

 ああ、中学三年生の十二月。
 誰もいない屋上で、至神 かれんはそんなことを考えていたはずではなかったか。

 至神 かれんは、人が傷を負うことの心の痛みを、誰より知るはずなのに。
 たとえ傷は塞がっても、癒えることのない苦しみを哀しんでいたはずなのに。
 それが積み重なって、自らの死を考えるほど、重く認識しているはずなのに。

 この、奇跡の鐘を巡る争いの中では、どうして。
 なんでこんなに容易く、人を傷つけることを選択してしまったのか。

 思考が、現実感を取り戻していく。
 
 そうだった。

 五十鈴 陽乃には、平和的に近づくはずだった。
 天龍寺 あすかには、無限と夢幻の空間で、みっちり演劇を教わるつもりだった。

 それなのに。

 気がつけば、靴に画鋲を仕込み、あまつさえ殴り掛かるなんてことをしていた。
 まるで「演劇モノのライバル役ならばこうするだろう」という、わかりやすい役割演技ロールプレイ

 なんで、こうなった?
 いつから、歪んでしまった?

 吐き気がする。
 まあ神様ちゃん、吸血鬼なんで、吐く固形物ものとかないんだけどね!

「多分、俺はその黒幕を知ってる。
 そいつのせいで、至神、八重桜、荊木……この一連の騒動のフィクサーになりえた人間が「当初の評判とは食い違う行動」を強制されるか、あるいは、排除されている。
 俺もまた、その能力の制御下にあるかもしれない」

 相手の行動を方向づける、『役割演技の強制』。
 ぞっとする話だ。
 けれど、どうして彼は、神様ちゃんが「おかしい」と気付いたのか。

 言ってはなんだけど、神様ちゃんは、意図的に自由で奇矯なキャラをかぶってる。
 その方が動きやすいし、侮っている相手に、人は無防備になるものだし。

 だから、神様ちゃんが、人を傷つけることを、そもそも禁忌にしているなんて。
 そんなこと、囲む会のみんなでさえ、気付かなかったはずなのに。

 陽乃ちゃんさんに画鋲を仕込むことも、あすかちゃんさんを暴力で脅すことも。
 本来はあるはずのない、至神 かれんにとっての根本的なルール違反であることを、気付いてくれなかったのに。

「テレパスかなんかですか? 神様ちゃん、ポーカーフェイスでご近所でも評判なのですが」
「役者ってのは、台本の情報の断片からキャラクターの人生や心中を想像して再現する職業だ。生身の人間の情報量なんて、台本の何倍あると思ってやがる」

 ああ、まただ。

 陽乃ちゃんさんも。
 あすかちゃんさんも。
 そして、ナミーくんさんも。

 演技に真面目な人たちは、じりじりとこちらを炙るような熱さがある。

 けど、今はそれに感動している余裕はない。

「はあ……しっかし、役の強要せんのうとは舐めた真似してくれやがりますね……」
「そっちは、俺がなんとかする。任せてもらえないか」
「――任せる?」

 は? 
 思わず神さまちゃんらしからぬ声が出ちゃいましたけど??

 だってね。ここまでされて関わるなとか?
 それ、わりと相当ふざけたセリフじゃないかなあ?

 すうっと細めた目線の先で、彼は顔をそらして俯いた。

「悪い。許せないのはわかる。
 ……ただ、こいつは身内の不祥事なんだ。頼む。全てカタをつけたら説明するから。
 それより、ここに来たのは、五十鈴のことだろ?」

 ふうん。意地でも教えない、と。
 
 身内……身内ねえ。
 だとしても、一人でぜんぶ背負いこんで誰にも知られず片付けようとか。
 それ、ちょっと傲慢なんじゃないっすかね。

 ま、もういいや。
 そっちがその気なら、神様ちゃんは神様ちゃんで好きに動くだけのこと。

 ここで話をこじらせるより、当初の目的に戻ることにしましょう。

「御明察。陽乃ちゃんさんも苦労人ですから。
 ちょっぴり放っておけませんで。
 うまくすれば「囲む会」の広報隊長になってくれるかもですし?」

 もともと彼と会うことにしたのは、陽乃ちゃんさんについての情報交換のため。
 
 彼女の様子は、彼と酒力どらいぶブーくんさんとの稽古から、少しおかしかった。

 今となっては、これもどこかの黒幕の意図かと思うと業腹だけど。
 出会いのきっかけが仕組まれたものだろうと、神様ちゃん的に陽乃ちゃんさんは好ましかったし、何より放っておけない相手だ。

 いつか、彼女と握手をして『神の左手』で解析した彼女の傷。
 その中には、明確なトラウマがあった。

 そう、デリカシーに欠けるからあまり大っぴらにはしないけれど。
 神様ちゃんの『神の左手』は、心の傷もまた、ざっくり知る事ができる。

 強いストレス、恐怖、悲しみによって、人の脳は、扁桃体、前頭前野、海馬等に対する萎縮・損傷という形の傷がつく。

 生物の肉体的な傷・症状・不具合を即座に全て認識できるということは、そうしたことも看破できるということだ。

 だから、彼女の抱えている心の傷のことを伝えて、それと引き換えに、彼の知っている陽乃ちゃんさんのことを聞こうと思ったのだけど……

「……至神なら、いいか」

 月張くんは「敷地内」に戻ると、こちらへ向き直り、訥々と語り始めた。

 この学園にいる『五十鈴 陽乃』の真実。
 彼女だけが居る世界を願い、奇跡を求める月乃さんのこと。

 主役争奪戦に勝っても、彼女には破滅しかないこと。

 彼女の命を救うには彼女の勝利を阻み。
 彼女の心を救うには、月乃こそを必要としていると、誰かが伝える必要があること。

 なんだ。神様ちゃんより、ずっとずっと、詳しいじゃないっすか。
 ってか、これじゃあ情報交換じゃない。
 一方的な、神様ちゃんに対する告解ってなもんです。

「ナミーくんさんは、陽乃つきのちゃんさんの命と心を救う、ヒーローになりたいん?」

 心の機微に敏いのが神様ちゃんの真骨頂。
 彼が陽乃つきのちゃんさんを真剣に想っているのは、すぐにわかった。

 それも、甘酸っぱいラブじゃない。
 ヒリヒリとした、感傷じみた痛みを伴う昏い共感と執着だ。

 彼は、思いつめた表情で首を振った。

「俺ができるのは、月乃の命を救うところまで。
 奇跡を勝ち取って、妹の命を代償にせず、姉の陽乃を取り戻すところだけだ」

 ……つまり、彼女の心は、救えない、と。
 彼女と心を通じ合わせることは、諦めたと。

「至神。月乃の心は、おまえが助けてやってくれ」
 
 ナニソレ。

 思うより先に、左手を振り抜いていた。

 至神 かれんは、人を傷つけることを禁忌とする。
 その例外は――相手が、誰かを意図的に深く傷つけようとしているときだ。

 こいつは、報われない献身で、彼女を助けようとしている。
 それが彼女をどれだけ傷つけるのか、たぶん、わかっていて。
 
 体術のエキスパート、アクション課程のエースは、そのビンタを、よけなかった。

 ――『神の左手ヒューメイン・レフト

 そして、神様ちゃんは、理解した。
 彼の積み重ねてきた傷を。
 彼の積み重ねてきた痛みを。

 彼が、様々なことに消極的であった理由を。

 こうして笑っていることが不思議なほどの、虐待の跡だった。

「だから、幸せになれないって?
 ナミーくんさんの過去なんて、月乃ちゃんさんには関係ないっしょ。
 二人で幸せになっちゃ、いけない理由なんて――」
「あるんだ。理由」

 静かに。けれど、反論を許さない強さで、彼は、言いきった。
 
四波平明は・・・・・五十鈴陽乃を殺した・・・・・・・・・

 

    【明】   【転】

 

「至神。おまえは、好きにやってくれ」

「おまえなら、どう行動しても、月乃にとって悪いことにはならないはずだ」

「もしおまえが主役に選ばれるようなことがあれば……あいつも、演劇を始めたときのことを、思い出してくれるかもしれないしな」
 
「そのためになら、演技のレッスンだってしてやる。
 最悪、月乃が主役を射止めなければ、俺である必要はないんだ」

 そんなことを口にして、月張くんナミーくんさんは神様ちゃんを見送りました。
 この後、別の人と待ち合わせがあるそうで。

 ……あっさりと、しすぎている。

 奇跡に対して願うことがあるから、あるいは主役に執着する理由があるから、そもそも月張くんは立候補をしたんじゃないのか。
 そんな理由より、月乃ちゃんさんを救う方が大事と割り切ったのか。

 まったく、なんてお人よし。
 そして……どこまでも、月乃ちゃんさんと、同類おにあいだ。

 だからこそ、あの二人は、奇跡でも起こらない限り、結ばれることはないんだろうな。
 ホントにもう、男子の意地とかめんどくさ!

(至神。おまえは、好きにやってくれ)

 ともあれ、それじゃあ神様ちゃんはどうしましょうか。

 なーんて。
 最初にやることは決まってる。

 ――八つ当たり・・・・・

 どこかの黒幕気取りの誰かさんのせいで、ずいぶん回り道をしてしまいましたので?

 だから、まあ。
 まずは、自業自得ってのを、思い知らせてあげましょう。

「あ、もしもし? ちーっす! 神様ちゃんだぜ☆
 え? なんでこの番号を知ってるかって?
 そりゃあ、神様ちゃんは傷のエキスパートっすから。

 脛に傷持つ・・・・・人のことは、隅から隅まで把握済みなのですぜ」

 覚悟しろ、名前も知らない、誰かさん。神様ちゃんは、やりますよ?

「それより、ねえ、可憐な何でも屋さん。
 女の子たちの運命を弄んだ黒幕の思惑を粉砕するいやがらせとか、お好きですか?」

 ――がんばっちゃいますよ?

 Vengeance is mine;I will repay,saith the Lord.主曰く、復讐するは我にあり。人よ報復する莫れ。

 

    【明】   【転】

 

(語り:四波平 日向)

 雨が降り出した。
 傘も差さず、僕と月張は、濡れたままになっている。

「覚えてるか? シネマ総論の、アヤさん。
 あの人にリークしたよ。四波平 明の正体は、俺だって」

 体が冷えていく。
 雨のせいではない。
 
 延髄にまで届く刺し傷。銀の刃による、致命傷。

 月張が、僕を、刺したのだ。

「クソジジイお抱えの認識操作能力者は押さえた。
 センセーショナルな天才子役の真実は高く売れたよ。
 アイツと、兄貴お抱えの『何でも屋』を懐柔するには十分な金額だった」

 死にはしない。
 僕は数分前、月張に脅されて、天凌への転入届にサインをしている。

 保健室の加護は、僕にもあるだろう。
 この銀の刃が、僕の死体から引き抜かれれば、だが。

「これで四波平 日向という人間は、存在しないことになった」

 容赦がない。
 一緒の舞台に立ちたいと、約束してくれたときには、あんなに純真だったのに。

「暴とよく似たものだからこそ、技斗使いは、人を傷つけることを戒めねばならない。
 アンタとは……もう同じ舞台に、立てない」

 冷ややかな視線で、月張は僕を――死体になろうとしている肉を見下ろす。

 日を、僕を喰らい、月は、明になる。

 これでいい。
 これで――御爺様の、望みが叶う。

「華と技を備えた、四波平 徳郎の最盛期の再来……『四波平 明』か」

 僕の目的は、御爺様……四波平 徳郎の計画の継承。
 子役ではない、次代を担う天才アクション俳優『四波平 明』の完成だ。

 双子の類似性は第二次性徴でぶれてしまう。
 つまり、僕と月張のスタントダブルによるプロジェクトは継続できない。

 ならば、どちらかが、御爺様と同格にまで、進化せねばならない。

 僕にはアクションの才がない。
 ならば、月張を成長させるしかなかった。

 そのために、月張の、僕に対する思慕と敬意を粉砕する必要があった。
 それこそが、彼の成長に壁を作っていたから。

 だから、月張が成長できるよう、必要なキャストを配役した。
 何年もかけて学園の生徒を調査し、干渉し、このシナリオを描いてきた。

 僕の能力は、そういう暗躍に向いていた。
 月張と似て、さらに地味で、悪辣な能力。
 特定の舞台上で、人に役を押し付ける異能。

「……そんなことのために。あんたは、八重桜に、人殺しをさせたのか」

 味方として彼を戦場に引き出し、その後裏切り、暗躍する『何でも屋』だとか。

「……至神の、人を傷つけないという矜持を捻じ曲げたのか」

 主役候補生をわかりやすい暴力で脅かす、かたき役だとか。

 そして、

「……五十鈴 陽乃を、殺したのか」

 月張とよく似た境遇の、姉を失う悲劇を抱えた少女だとか。

 全員、よく演じてくれた。
 彼が僕を心底憎むための、犠牲者になってくれた。

 全ては、月張の殻を破るために。

「一万円で人を殺す『何でも屋』が、『何でも』教えてくれたよ。
 まあ、それも織り込み済みで、『あの役割』を八重桜に演じさせたんだろ?
 
 俺が暗躍に気付いて、こうして排除するところまでがあんたのシナリオだ。違うか?」

 御明察。

 まあ、月張が僕の手引きに気付かないルートもありえた。
 そうなれば、彼は五十鈴 月乃への恋心を動機に、シンプルな青春物語の主人公として成長しただろう。

 結果は同じことだ。

「いいぜ、なってやるよ。『四波平 明』に。
 兄貴とクソジジイが望む理想の姿に。

 ――八重桜を人殺しにして、至神を歪め、五十鈴 陽乃を殺した犯人に。

 それが俺を成長させるための暗躍なら、つまるところ、全て俺が原因だ」

 月張は伊達眼鏡を外す。
 雨で濡れ、ワックスが流れた髪を手櫛で下ろす。
 これで、茶色に染めた髪を黒に戻せば、完璧だ。

 僕と違う存在であることを強調するために、月張がつけていた虚飾が全て剥がれる。

「ただし、天凌祭の前夜祭が、『四波平 明』の最期の舞台になる」

 その姿は、かつての「天才」四波平 明の成長した姿そのものだった。

「……人殺しの俺は、アクション俳優になんて、なっちゃ、いけないんだ」

 

    【明】   【転】

 

(『元天才子役 四波平 明』四波平 月張のスピーチ)

『天凌学園は、危機に瀕してる』

『ふとした弾みで人を傷つけてしまうのが魔人ってやつだ。
 けれど、そんな悲劇を、天凌の『無限蘇生の保健室』は止めてくれた』
 
『けれど、それに対する抜け道が見つかっちまった。
 よりによって――『奇跡の舞台』を前にして、校内がピリピリしてる、この状況でだ』

『誰が自分を傷つけるのかわからない。
 傷つけられれば簡単に回復しない。
 殺されればいつ蘇生できるかわからない。
 そんな状況で、不安に思うのは当然だ。
 文化祭を止めようという話もあるだろう』

『だけど、俺は、だからこそ、文化祭の舞台は行うべきだと思う』

『天凌学園が、藩校から今の形になったとき、最初にできたのは、演劇専修科だったんだとさ』

『ほら、魔人ってのは……いろんな意味で、「自分の認識が絶対だ」って思っちまう存在だろ? その思い込みで、世界のルールを捻じ曲げちまうくらい』

『けど、演劇ってのは、「自分でない何か」の人生を想像して……まるで自分のことみたいに、喜んで、怒って、哀しんで、楽しんで……そういう営みだ』

『だから、魔人として生まれた子ども、魔人として育った子どもが、自分の認識に埋没して孤独に陥らないように、学習の場として、演劇を推奨した。
 まあ、そんな話があったらしいよ』

『文化祭の定期公演に奇跡があるか、俺は正直わからない。
 みんなが言うような、万能の願いを叶えてくれるものとは信じ切れてもいない』

『けど、そんなことに関係なく、保健室に綻びができて、魔人としてのリスクが前面に出てる今だからこそ、俺たちは、演劇をするべきだ。
 自分以外の誰かを想うことを、諦めないでいるべきだ』

『もし、俺に賛同してくれるヤツがいるなら、パトロールとか、手伝ってくれると助かる。 そうでなくても、主役を決める投票には、きちんと一票を投じてほしい。
 今言ったような理由で劇をするなら、主役を暴力で勝ち取るのは、違うと思うんだ』

『もちろん、それをよしとする考え方があるのは知ってる。奇跡が本当にあるのなら、そのために手段を選ばないという考え方もあるだろう。
 俺も正義とか倫理からでなく、『アクションと暴力は混ぜたくない』っていう、ただのワガママのためにそうするだけだ』

『もし、そんな俺を認めてくれる人が多かったとして――奇跡の舞台の鐘に何か願えることになったとしたら』

『この学園が、元の、みんながバカやって喧嘩したりして、けど、笑ったり泣いたりして、ああ、悪くない学生時代だったなあって、卒業できる、そんな人生の中の一つの舞台に戻ってくれることを、祈るつもりだ』

 

    【暗】   【転】

 

(舞台裏での語らい)

 かくて月は、日を喰らった。

 敬意を払い、横に並ばんとしていた兄に絶望した。
 愛する少女の命を守るという、最優先の目標を得た。
 身を縛る鎖と折り合って武器にするのではなく、憎み、引きちぎった。

 故に、もう彼を縛るものはない。
 自縄自縛だった青年は、培ってきた全てを活かして暗躍する。

 たとえば、祖父の行っていた世論操作。
 たとえば、兄の行っていた印象制御。
 たとえば、演技の術として覚えてきた、技斗の力。

 政治力を。虚偽と詐術を。演技力を。暴力をねじ伏せるための暴力を。
 倫理や美学という鞘に収めていた刃を、四波平 月張は縦横に振るう。

 それは、五十鈴 月乃が目指していた姿。
 月が陽/日の如く振舞う、そのあり方。

 四波平 明は、五十鈴 陽乃/月乃を救うだろう。
 あらゆる手段を用い、阻むものを全て排除するだろう。
 そして、それが生む歪みを受け止めて、文化祭の当日を迎えることなく、四波平 明は消えるだろう。

 多くのものを犠牲にして四波平 明りそうのすがたとなった青年には、四波平 月張じぶんじしんを救う気など、ないのだから。

 ――しかし、それでも、未だ、ハッピーエンドを諦めていないものたちがいる。

「……あの、自称神様娘の言うこと、信じられるのかよ?」

「月張が、芝居やめるって話か?」

「観月、どう思う?」

「最近、様子がおかしいとは思っていた。驚きはしたが、納得もできる」

「……ったく。案の定、太陽目指して堕ちやがったってワケかよ。
 だから、『リトルブラザー』は無理しすぎだってんだ」

「一人で思いつめすぎなんだよアイツ。何でも自分でできると思ってんのかな」

「違う違う。「自分は誰かに助けてもらう価値なんてない」って思ってんの。
 あんだけ才能あるクセに。腹立つ」

 空から消えると決めた、月の決意。始まった月蝕。
 だが、そんな覚悟を顧みぬ神によって撒かれた種から、芽吹いた可能性が立ち上がる。

「……月張の暴走を、止めたい。
 みんな、――手伝ってくれるか?」

「あったりまえでしょ。
 アクション課程からヒーローが出るってのに、本人が捨てバチじゃあ意味ないもん」

「あんなカリスマやってる月張、月張じゃねえ。
 俺は来年の2月14日も、月張とふんどし神輿を担ぐんだ」

「いや、普通に彼女諦める前提なの普通につらいんじゃが」

「しっかし、どうする観月? 『本家月組』のリーダーさんよ?」

「決まっている。俺たちは、魔人である前に、舞台人だ。
 なら、舞台で、語るしかないだろう。奇跡の舞台だかなんだか知らないが。

 ――舞台の奇跡は、一人では成立しないんだと」

 月を観て、愛していたものたちが、立ち上がる。

 ああ、月は太陽のニセモノで、自らは輝かない。
 けれど、だからこそ人は月を直視できる。

 生の感情ではなく、演じられた舞台だからこそ娯楽にできる。
 薄暗い舞台の中で輝くスポットライトこそ、地上の月。

 演劇という名の、作りごとの救いペーパームーンであるのだから。

 

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