私は、ドン・キホーテを知らない。
愚かだと言われた騎士のことを。
痩せた老馬を駆る彼のことを。
滑稽と言われた御伽噺を。
巨大な風車に立ち向かう、哀れで愚かで愛しく気高い、偉大な騎士の物語を。
私はまだ、ドン・キホーテを知らない。
◇ ◇ ◇
【諦めたら他のことに時間を割けるでしょう。そもそも、私は貴方の演奏が嫌いだわ。家の中で演奏されるのも耳障り】
屋上で一人、彼は音楽をかき鳴らす。極彩色の音色が響き渡る。
母に『ああ』言われたあの時から。私は『こう』鳴ることが決まっていたのかもしれない。
【艶奏。貴方はどうするべきかしら】
眼下は緑色に広がる。アマゾンが学園を埋め尽くしている。
【試してこい。お前の音楽を…演劇の主役をとって代われるレベルの音楽を奏でてこい。お前の全力を見せつけるんだ】
眼窩は緑色に広がる。私の瞳を碧色の馬が埋め尽くしている。
【あんたたちは、要らないでしょ?自分が手に入れることもできない奇跡なんて】
緑色の瞳を持った怪物が。
【手に入らなくなった奇跡なんて。見送ってやる価値なんてないでしょう?】
蒼褪めた顔の『私』を、じつと見つめ返している。
「鐘は鳴る。願いは叶う。善き才が、世に知れ渡る。素晴らしいじゃないか、何も封じる必要などありはしない」
『僕の”音”に…耳を傾けてくれるかい?』
動物を引きつける音色は深き林に劇的に響き渡る。
劇的な展開は何も啼く。
劇的に思惑は交錯死。
劇的に音は乱れ策。
幾星霜も昔より。ただそうであるがごとく、そうであったかのように
そう、これは幾星霜も昔の物語。
【ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた】
神々は音の祝福と共に森羅万象を織りなした。
世界には音楽が満ち、そして神々が
天へ帰ると共に静寂が訪れた。
【広い門の下には、この男のほかに誰もいない】
神々の置き土産である祝福を忘れぬ者のみが
音を愛し、音楽を奏でたが
次代を経るにつれ忘れ去られていった。
【どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑はない】
そうして訪れた音の無い時代に
高らかに詩を歌う詩人が現れた。
【選んでいれば、築土の下か、道ばたの土の上で、餓死をするばかりである】
詩人の歌に人々は耳を傾け心震わせた。
ただひとりを除いては。
【外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである】
下人の行方は、誰も知らない。
◇ ◇ ◇
ロータリーにて、四人の演者が激突する。
ありとあらゆる方法が赦される殺界の劇場で。
劇的な展開は何も啼く。
劇的な思惑は交錯死。
劇的な光が乱れ策。
天龍寺あすかは熱を知らない。野山を駆けて宝を追う、宝石のような友を知らない。
深林さぐりは世界を知らない。未知を求めて道をゆく、共に並び立つ宝を知らない。
鐘捲成貴は友を知らない。心沸き立ち胸振るわせる、真の宝を未だに知らない。
故にこれこそが青春だった。鎬を削り才を競う檜舞台。
どうにもならない事をどうにかする為に、私たちは全力だった。
【拙者はアロンソ・キハーダではない!】
【拙者こそは…このラ・マンチャに住まう遍歴の騎士、ドン・キホーテじゃあ!!】
私は、ドン・キホーテを知らない。
愚かだと言われた騎士のことを。
痩せた老馬を駆る彼のことを。
滑稽と言われた御伽噺を。
巨大な風車に立ち向かう、哀れで愚かで愛しく気高い、偉大な騎士の物語を。
◇ ◇ ◇
ロータリーにて、四人の演者が激突する。
ありとあらゆる方法が赦される殺界の劇場で。
劇的な展開は何も啼く。
劇的な思惑は交錯死。
劇的な光が乱れ策。
「・・・何でもアリの無法な投票勝負。そう、聞いていたのよ」
投票まで四人は競い合い鎬を削る。
死力を尽くしてぜえぜえと倒れ伏す四人の中で、演劇に特化する異能を持ち、全力を出し尽くして制御できるのは唯一人であった。
そのただ一人が一人ごちる。別格として生きて別格として育ってきた別格の少女。ただ熱もなく生きてきた少女。
「それでもこんな競い合いは出来た。私と競い合える人はいた。私が見ていた私の世界は、私の中を見ていただけのモノでしかなかったわ」
それが熱を得た。どうにもならない事が出来た。どうにかするために足掻いた。
「知らないことがこんなにも面白いことだなんて、初めて知った」
ぜえぜえと倒れ伏すライバルたちに話しかける。
「あんたたちは、どう?」
私は、ドン・キホーテを知らない。
愚かだと言われた騎士のことを。
痩せた老馬を駆る彼のことを。
滑稽と言われた御伽噺を。
巨大な風車に立ち向かう、哀れで愚かで愛しく気高い、偉大な騎士の物語を。
彼の熱を、いまだに知らない。
◆ ◆ ◆
寺子屋の傍に、枝垂桜が植樹されている。
桜の下で、童たちが遊んでいる。
異能たる者たちを集め、纏め、通常を教え人と交わる夢の楽土。
曰く妖怪として交わる事なき彼らを人間として扱うための彼の夢だ。
――――鐘巻の名の元に。
それでも交わりきれなかったものはあった。交われないものはあった。最後に残るものはあった。
【殺戮し、誅殺し、殺傷し、殺害し、鏖殺し、他殺し、殴殺し、撲殺し、刺殺し、斬殺し、射殺し】
【銃殺し、絞殺し、扼殺し、圧殺し、轢殺し、屠殺し、惨殺し、虐殺し、暗殺し、謀殺し、捕殺し】
【活殺し、生殺し、減殺し、瞬殺し、忙殺し、悩殺し、黙殺し、蕭殺し、消殺し、殺賊し、殺陣し】
【封殺し、氷殺し、強殺し、密殺し、挟殺し、焼殺し、爆殺し、畜殺し、補殺し、併殺し、重殺し】
【薬殺し、毒殺し、必殺し、格殺し、搏殺し、挌殺し、相殺し、故殺し、抹殺し、末殺し、自殺し】
【笑殺し、罵殺し、劫殺し、一殺し、賊殺し、皆殺し、人殺し、誤殺し、撃殺し、縊殺し、閑殺し】
【禁殺し、歳殺し、愁殺し、粛殺し、磔殺し、的殺し、焚殺し、要殺し、秒殺し、牛殺し、猿殺し】
【蛆殺し、蝨殺し、残殺し――――】
最後の一人は最期まで鬼として、異能を胸に枝垂桜を後にした。
この寺子屋のこの山の、首魁であった彼がどこに行ったのか。
誰彼のいく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
【外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである】
下人の行方は、誰も知らない。
◇ ◇ ◇
子供のころから「何故?」を考える女の子だった。
皆何のために奇跡を求めるのか。その為にこの戦いに身を投じたのだ。
だから、まさか。
ここまでまともで劇的な、鎬を削る凌ぎ合いになるとは思ってもみなかった。
年が一周り小さいながらも自分とほぼ同格の技量を持つあの少年は金の力でこちらの密林が通じにくく。
頭一つ抜けている演劇特化の二人の対戦相手はどちらも自身の持つ欲求を歯牙にもかけていない。
【何でもアリの無法な投票勝負。そう、聞いていたのよ】
加えて最近学園の周りが獣などで治安が悪く、密林の展開が手に余るものになっている。
【それでもこんな競い合いは出来た。私と競い合える人はいた。私が見ていた私の世界は、私の中を見ていただけのモノでしかなかったわ】
故に全力の全力を出し尽くす。保健室に向かう。筋肉痛だ。湿布を貰わなくては―――
【あなたは、どう?】
こんな風に湿布を貼るような青春を、私は知らなかった。
全力で走って謎を追いかけることはあったとしても。
謎のない答えに向けて走ることは、今までになかったのだから。
私は、ドン・キホーテを知らない。
愚かだと言われた騎士のことを。
痩せた老馬を駆る彼のことを。
滑稽と言われた御伽噺を。
巨大な風車に立ち向かう、哀れで愚かで愛しく気高い、偉大な騎士の物語を。
彼の世界を、いまだに知らない。
◇ ◇ ◇
祇(とちのかみ)を無くし亡くした哀しき声への鎮魂歌。
それは祇無亡(ぎむなじ)さまと、そう呼ばれた。
【今の世の中だからこそ…遍歴の騎士は必要なのです】
異能を通常に変えて世に馴染ませる儀式があった。
天の定めを凌駕するための儀式があった。
【太平太平と皆はおっしゃるが…王や貴族が国も守っているようにみえようとも、
やはり不正は各地にはびこり、放っておかれるままなのです…】
少しずつ、少しずつ。歪みが産まれだした。成長する社会に対応しその儀式に対応するかのように通常に馴染まない異能が生まれ始めた。
断たなければいけなかった。立たなければいけなかった。
【なぜなら人間の無為な格差にこそ弊害があるからです】
『彼』と訣別し。
妖怪としての最後の荊を背負った、最期の童が。
◇ ◇ ◇
【雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る】
孫を犠牲にし、人生を犠牲にし、私は産まれた。
【死骸の中に蹲っている人間を見た。檜皮色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆である】
それがその道が強大な逆風であったとしても、巨大な風車に挑むような愚行であろうとも、やらねばならぬことがあった。
【老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇のつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った】
死して保健室に運ばれた、これはまさに運命であったのだ。
妖怪としての最後の荊を背負った、最期の童が。ワシと同じ志を持った悪童が、ともに横にいた。
【この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしようと思うたのじゃ】
どちらも死して生き返った体だが。
どちらかをどちらかとして一つにすれば。
中山ギムナは、荊の皮を被って再び再生できる。
このレオタードでふたりごと包めば。
人として動くことが出来ない箇所を補い合った『たった一人』に再生できる。
「入学するのもギムナジウムるのも優勝するのも、ワシじゃ・・・!!」
「祇無亡産(ギムナジウム)るのじゃ、このワシが!」
そうだ、初めからこうすればよかったのだ。
二人が無理やり一人になったような、異形で異様な巨乳な巨クリの巨女が鐘の前に現れれば。
・・・
その場にいる全員の想いを独り占めにすることができる。
【外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである】
下人の行方は、誰も知らない。
◇ ◇ ◇
「あなた達はすでに知っているはずです――――他人から想われるということが。他人を想うということがどういうことなのかが」
「自己を変えることができる複数の魔人の想いを束ねることによって、鐘は強大な奇跡を引き起こす。」
変態王子と呼ばれた留学生が深き林の中で歩いている。
控えていた側仕えはいない。彼女はこの使命には関係がないのだから。
「私が遥かインドより留学して来た目的がこれですからね」
「人民であれば自らを由としましょうが、私は名に恥じぬよう望まれております。五七五でケツ打ってイクイクチンポソイヤですから」
私はどう生きようとこの名前に落ち着いた。ならばただ
「ゴシチゴデケツブッテ・イクイク・チンポソイヤの名のもとに、あるがままに」
私がこの土地に来た理由を果たすために
「どうにも鳴らない事が、どうにも鳴らない時は」
私に対する偏見が根を張りつくしたこの学園にならば
「この学園が、世界を滅ぼさないように」
私には、それができる。
「私がこの学園を、根本ごと滅ぼします」
『五師稚児で 訣ぶて往く往く鎮守杜の 粗衣や添うやう 王○器よ』
―――王○器を賜りました五師稚児は、杜の鎮守を訣して往くことでしょう、粗衣を纏うとも、添うが如くに。
◇ ◇ ◇
何故こんなにも演劇にこだわるようになったのか、俺は知らない。
ただ、一つだけ覚えている。
さびれた神社で遊んでいた俺たちを。
桜の下で、羨ましそうに見ていたアイツと。
一緒に演りたいと、そう想っていたんだ。
【・・・そんなわけないじゃないっスか】
一見ただの演劇勝負に持ち込んでいる。その時点で勝負は既に決まっているのだ。
【あんたはただ、探していただけッスよ】
例え勝とうが負けようが、すでにやることに変わりはない。
【自分の闘争心を満たす相手を。負けず嫌いを満たす相手を】
荊木きっども俺と同じだ。何をどうしてどうなろうとも、必ず最後に来るはずなのだ。
【あんたは、器が小さいんすから・・・俺と同じように、ね】
俺は、知らない。
愚かだと言われた騎士のことを。
痩せた老馬を駆る彼のことを。
滑稽と言われた御伽噺を。
巨大な風車に立ち向かう、哀れで愚かで愛しく気高い、偉大な騎士の物語を。
俺はまだ、ドン・キホーテを知らない。
◆ ◆ ◆
これは幾星霜も昔の物語――。
神々は音の祝福と共に森羅万象を織りなした。
世界には音楽が満ち、そして神々が天へ帰ると共に静寂が訪れた
神々の置き土産である祝福を忘れぬ者のみが
音を愛し、音楽を奏でたが
次代を経るにつれ忘れ去られていった。
そうして訪れた音の無い時代に
高らかに詩を歌う詩人が現れた。
詩人の歌に人々は耳を傾け心震わせた。
ただひとりを除いては。
その者は様々な理由から
心を失い、愛を失い、恋を失い、
ゆえに音を聞くことができなかった。
詩人は心を閉ざした者の境遇を悲しみ、
毎日新しい歌を届けた。
心を閉ざした者は戸惑いながらも
歌を受け取り、次第に二人は親しくなった。
そんな折、二人はある不思議な伝説を知る。
離れた丘の上にある、古びた鐘のことだ。
心から信じあう者同士が共に
鐘を撞くと奇跡が起こるというのだ。
とある晩、詩人は決心をする。
心を閉ざした者のためにその鐘を目指すのだ、と――。
Dangerous 祇無亡産 SS 輪廻・坐・辺土
Folled dance Folled voice
来仏土・汚泥吐・穏郷怨逢途
―――lived out dead and more alled
――――いきるかしぬか。おしまいか。
◆ ◆ ◆
祇無亡、生者(ぎむなじしょうじゃ)と鐘の声。
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色。、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。
――――『平家物語』より抜粋