僕らグリーンアイズモンスター

荊木きっど、行方不明。
その知らせを聞いた酒力どらいぶは歯ぎしりした。彼は天凌祭そのものにはさしたる興味はない。演劇がしたい。そのための舞台が必要だ。荊木はそのための根回しをしていた。天凌祭の主役争いから落ちた者を集めて、天凌祭を潰す独自の舞台をぶち上げようとしていたらしい。そのビジョンには、酒力も少なからず心惹かれていた。
舞台そのものは、どこでもいい。自分が全力で駆けられる舞台であれば天凌祭であろうと、それを潰す敗者の舞台であろうと、どちらでもいい。
邪魔する輩は全員、己の演劇で灼き尽くす。そのつもりだ。だが。

「クソッ…どうすりゃいい…!」

足りない。望む舞台への道筋に必要なものが足りない。
影響力が足りない。
計画性が足りない。
組織力が足りない。
演技力の他すべてが足りない。

禁忌を犯し演劇部を放逐された札付きの身である酒力の前に立ちふさがるのは他の主役候補だけではない。追放者としての悪名がある。演技の実現に不可欠な飲酒を咎める法律がある。はみ出し者を圧する無形の圧力がある。酒力を縛る、有象無象の枷の数々。
それらを押しのけて臨む舞台に立つには、尋常の支持では足りない。
圧倒的な、既成の舞台を、お決まりの舞台を叩き潰し押し流すような濁流を作らねばならない。
しかしその手立てを整えていた荊木きっどは何者かの手によって動けない状況にある。

「どォしてどいつもこいつも、俺が劇やんのを邪魔しやがる…!」

ドス黒い碧色の感情が酒力の臓腑を焦がす。それは嫉妬だ。
俺は演劇がやりたいだけなのに、なぜこんなにも壁が多いのか。
小奇麗なだけの演技をする奴らが、なぜ俺と違ってちやほやされるのか。
紛れもなく人の心を揺さぶってやまないはずの俺の演技がなぜ排斥されるのか。

『月光』。『弟』。『完璧』。なぜあいつらばかり。なぜ俺は。
その舞台を降りろ。そのスポットライトは俺のものだ。その舞台は俺の居場所だ!

嫉妬が極彩色の呪いとなる。これ即ち ”ナマエノナイカイブツ(お前は誰だ)”。
暴れ狂う緑色の目をした嫉妬と言う怪物が、酒力の中に巣食い、時に呪いとなって他者の魂さえも歪めるのだ。
その怪物の矛先をどこに向けるべきか、酒力にはわからない。

道を見失った酒力が、答えが見つかるという密林に引き寄せられたのは偶然ではなかったのだろう。

¥ ¥ ¥

「『ファンタスティックスカイ・イリュ〜⤴︎ジョンショー』!!!!ハーッハッハッハ!御機嫌よう貧乏人のお二人!僕も話に混ぜてもらうぞ!」

ロータリー上空に現れたヘリから降下してくるのは、当然「阿保坊」鐘捲成貴である。そして当然彼のパラシュート降下と同時に降り注ぐのは紙幣…ではなかった!硬貨である!それもただの硬貨ではない!肉厚の純プラチナ製コインである!これぞ「阿保坊」がこの日の演出のためだけに鋳造させた特製記念硬貨。それが大量にヘリからばらまかれているのだ!無論ヘリに乗り込んだ魔人の制御により、安全性に問題はない。

ちゃりんちゃりんちゃりん。
深林さぐりが文字通り雨のように降り注ぐコインにはしゃいで何か言っているが、大量のコインが立てる轟音で何も聞こえない。
ちゃりんちゃりんちゃりん。
酒力どらいぶもさすがのアホの所業に呆れて何事か言っているが、やはり大量のコインが立てる轟音で何も聞こえない。
ちゃりんちゃりんちゃりん。
スタイリッシュ着地を決めた鐘捲成貴も爽やかな笑顔と共に二人に向けて何事か話すが、やはり大量のコインが立てる轟音で何も聞こえない。
ちゃりんちゃりんちゃりん。
「何の用だお前」的なことを酒力が言うが、やはり大量のコインが立てる轟音で何も聞こえない。
ちゃりんちゃりんちゃりん。
「何か言いましたか?」的なことをさぐりが言うが、やはり大量のコインが立てる轟音で何も聞こえない。
ちゃりんちゃりんちゃりん。
成貴も「貧乏人は声が小さいな~」的なことを言ったが、やはり大量のコインが立てる轟音で何も聞こえない。
ちゃりんちゃりんちゃりん。
話が聞こえなくて困った様子のさぐりは何か思いついたような様子で懐に手を伸ばした。
ちゃりんちゃりんちゃりんちゃりーん。
コインが全て落ち切る。文字通りに目も眩むような輝きと耳を聾するような轟音が、さぐりの取り出したそれが何であるかを気づかせるのを遅らせた。

さぐりの指につままれていたのは、青緑色の石。それが意味するところは…
「白木先輩の馬鹿!なんてもん渡してんだァ!」
「一億円あげるからそれは待ちたまえー!」

彼女は最悪のカードをすでに手にしている。

☆ ☆ ☆

ちょっと前 地学準備室
「たのもう!」
「おや君か。一体何の用だい?」
「あの時の石、もっとたくさん欲しいです!」
「たくさんって。すぐに元に戻るだけでもイレギュラーなのに、何度も取り出しちゃっていいのかい?」
「アマゾン魂は不滅!とだけ言っておきます!」
「なるほど?実に興味をそそられるな君は…!」

こうしていともあっさりと『爆弾』が天凌祭の舞台に投げ込まれた。

☆ ☆ ☆

「深林先輩…それが何なのか、聞かせていただいても…?」
「ご想像の通り、白木先輩に貰った石でして…『アマゾナイト・デーモンコア事件』のトリガーですよ」
「いやはや、お気楽なだけの貧乏人ではないようだね」

さぐりはその気になったらいつでも再び『アマゾナイト・デーモンコア事件』を起こせる。その事実は重い。

「そんなもの用意して…何を企んでいるんですかねェ?」
「なんにもー?今まで通り主役争いと、アマゾンのアピールがしたいだけですよ?この石は前見た時きれいだったし美味しかったから、白木先輩に頼んでいくつかもらったのです」

『アマゾナイト・デーモンコア事件』はどういうわけか新聞部はほとんど報じなかったが、人の口に戸は立てられぬということで、かねてより過激危険人物としてマークされていた深林さぐりの情報はその性格から能力詳細に至るまで、かなりの広範囲に知れ渡ることとなった。
故にこそ、このカードは最悪だ。抑止力としても、あまりにも危険すぎる。

「ンなモノ持ってるって、俺に見せていいんスかぁ?割と問題だと思うんですけど」
「酒力君こそ、お酒買う時は気を付けたほうがいいよぉー?新聞部の皆、嘘は報道しないけど事実には容赦しないから」
「おやおや、僕には見せていいのかい?」
「お金パワーでハイテクメカを放ちまくってるあなたに隠し事できるとは思ってないですぅー」
「ハッハッハッハ!貧乏人らしい、いい割り切り方だ!」

ぎりぎりぎり、と酒力は歯軋りする。気に食わねえ。一方的に話の主導権を握られている。
しかしどうにもできない。酒力にあるのは怪物的な演技力だけ。それ以外の小難しい話は酒力には全くわからない。

「まあそれはそれとして酒力さんに鐘巻さん、いったい私に何用で?アマゾンならばいつでもだれでも大歓迎ですよ?」

足止めを喰らった酒力を置いたまま、ニコニコした顔でさぐりは話を前に進めようとする。
酒力が口を開くよりも先に、成貴が堂々と答えた。

「うむ!ここでそちらのお二人がちょうど会うと聞いてな!ちょうど話したいことがあったのだ!」
「ほほう!それは一体!?」
「うむ!ズバリ言おう!」

成貴は堂々と凄まじいことを言う。

「君達は危険だ!天凌祭からご退場願おう!」
「ほーん?それはいったい如何なることでしょうかねぇ?」
「ああ!?どういうことだ!」

上級生二人に凄まれるのもものともせず、成貴は続ける。

「君たち二人は天凌祭の舞台を丸ごとひっくり返しかねない危険勢力なのだ!まず深林さぐり!『アマゾナイト・デーモンコア事件』の後にも関わらず白木鉛と再度の接触!その事件後にも関わらず能力使用に躊躇見られず!このままの活動を続ければ再度暴走の危険大と判断した!これ以上の大規模能力暴発事件は天凌祭の開催が危ぶまれる!そしてさらに問題なのが酒力どらいぶ!荊木きっど及び天凌祭主役落選者複数人と結託し、無許可で天凌祭同日にゲリラ公演を行う計画を立て、天凌祭の権威失墜を狙っていることは金の力でお見通しだ!あれこれと企むことは勝手だが、天凌祭は僕らの一世一代の大舞台!邪魔はよしてもらおうか!なにただで引けとは言わん!金ならいくらでもくれてやろう!」

堂々たる告発。言外に『金で引き下がらなければ強硬な手段を取るぞ』、という威圧も込めている。
告発された二人。深林さぐりは
「ありゃあー?端から見ればそう見えますかね?困ったなあ」
とぼやいた。
酒力どらいぶは―
「ふっ…ざけんじゃねェ。荊木がなにやってたか知らねえが、なんで俺がそれで天凌祭から引かなきゃならねェんだよ…!!」
ずるり、と懐から現れたるは琥珀色の液体が入った瓶。
怪物が顕れる。

―はずだった。

「あ!先輩方!稽古ですか?私も混ぜてくださーい!」

さもたまたま通りかかったとでも言うように、完全な笑顔で。
完璧に純真無垢な後輩であるかのように装って、彼女は現れた。

「天龍寺、あすか…」

無論状況は承知の上、計算ずくのタイミングでの登場である。

☆ ☆ ☆

至神かれんとの勝負の末、天龍寺あすかの内面にはかなりの変化があった。
―がしかし、それに秘められた意思は変わっても、表向きの行動の方針は変化しなかった。

つまるところ、真っ向勝負での主役奪取である。
演技を競い、あるいはそれ以外の勝負で雌雄を決し、その勝利を以て己の票とする。
であるならば、主役争いの対抗馬が複数人集まっているであればそこに挑みかかるは当然の戦略。
懸念点はこの場の三人が勝負に乗って来るか。
言うまでもなく成貴は乗るだろう。
演技力を拠り所とする酒力も、勝負から逃げるまい。
唯一よくわからないのはさぐりだが、もし勝負から退いたであれば彼女の排除を目論んでいる成貴は勝負から逃げたという事実を存分に利用するだろう。

ほぼ間違いなく、この場はあすかの得意とする演技勝負の舞台になるはずだった。
―が。

「天龍寺ィ゛ア゛ア゛ア゛!!」

酒力どらいぶは、キレた。
天龍寺あすかは、見誤っていた。あるいはどこかで美化していた。
酒力どらいぶは演劇に対して真摯で、プライドを持っているのだと。
自分との演劇勝負を堂々と受けてくれて、競い合った後は固い握手を交わせるだろうと。
まさか彼が大人げなくも後輩である自分に激しく嫉妬していて、隙あらば廃人にしてやろうと思っているなんて、想像もしなかった。

天龍寺あすかにとって、演劇は温かいものだったから。
害意を持って演ずる者がいるなど、全く想像できなかった。

☆ ☆ ☆

怪物の蹄に踏みつけられて、呼吸ができない。
(錯覚だ)
無論錯覚だ。碧なす髪を振りかざす蒼褪めた馬は脳が生み出す幻像に過ぎない。『俯瞰症』は目の前にいるのが怪物ではなく酒力どらいぶであると告げている。

(なんで?なんで?)

動けない。心拍数が危険なほどに上昇する。酸素が不足しているのは怪物に踏まれているからではなく、過呼吸だ。適切な対処を取らなければならない。できない。

(動かなきゃ、動かなきゃ)

目の前で演じられているのは『満天の空と約束の鐘』のワンシーン、音の無い時代に荒んだ炭鉱夫が、詩人に対して詩など信じられぬと詰め寄るシーンだ。演じなければ。主人公の詩人として、詩を歌い、その素晴らしさを見せなければ。幾度となく練習したシーンのはずだ。

『詩なんざ、俺の腹を満たしてくれねえ』
『石にヒビすら入れられねえし、崩落だって防いじゃくれねえ』
『ぴいちくぱあちく鳴くだけなら、小鳥らしくとっとと毒気でくたばれや。そうしてくれりゃあちょっとは俺達の休みが増えるってもんだ』

苦しい。苦しい。息ができない。なんで。なんで。どうしてこんなことするの。
わたしたのしみにしてたのに。せんぱいとえんげきをきそうのとってもたのしみにしてたのに。
こんなにわくわくすること、うまれてはじめてだったのに。
なんでわたしのことがそんなにきらいなの。どうしてそんなふうにえんじるの。
いやだ。
こんなどろどろしているのは、わたしがやりたかったえんげきじゃない。
わたしがやりたかったえんげきは、きらきらしてて、あたたかくて。

なのにどうしてめをとじることができないの。

いや。
いやだ。
くるしい。
くるしいよ。
いやだ。くるしい。いやだ。くるしい。いやだ。くるしい。いやだ。くるしい。いやだ。くるしい。いやだ。くるしい。いやだくるしいいやだくるしいいやだくるしいいやだくるしいいやだくるしいいやだくるしいいやだくるしいいやだくるしいイヤダクルシイイヤダクルシイイヤダクルシイイヤダクルシイイヤダクルシイイヤダクルシイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌ダ苦シイ嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦嫌苦-

「アマゾンキック!」
「げぼーっ!?」

さぐりに蹴り飛ばされたショックであすかはなんとか呼吸を取り戻した。
あと一歩であすかを演じ殺すところだった酒力が激昂する。

「なぜ邪魔しやがる深林ィィ!」
「何故というならアマゾンにこーい!」

かくして我々探検隊はアマゾンの奥地へと向かった―

☆ ☆ ☆

「なぜ!お前は!お前らは!俺を邪魔しやがる!お前ら俺より才能とか!異能とか!金とか持ってんだろォが!なぜよってたかって俺の舞台を邪魔しやがゴベェッ!」

怒れる酒力の顔面にさぐりの拳がめり込み、アマゾンの茂みの中へと強かに叩き込んだ。

「な、殴った…」
「そりゃあ殴りますよ。演劇勝負とかやっても勝ち目ないですからね」

「おおおあああ…」
脳を揺らされてなお、酒力は立ち上がった。
「お前…お前…お前お前オマエエエ!!!」
口角泡を飛ばしながら、最早焦点のあっていない目でさぐりを睨む。その身の内から無形の怪物が這い出る。
碧なす髪を振りかざす青褪めた馬がばら撒くのは嫉妬心という病。人の魂を内側から犯し、魂を火にくべて生み出した至高の魔的演劇を以て見た者の世界を灰色に灼く。
これ即ち”ナマエノナイカイブツ(お前は誰だ)”。悪念を以て人の世界を灼く、まさしく呪いである。

その呪いを一身に受けた深林さぐりは。

「ふふふふ…私もなんだか気が立ってきましたよ…!!」
睨み返す。酒力と同質の、内側から情念の炎に灼かれた目だ。
「ふふ。ふふふふふ、こういう気分は久しぶりです。こんなに思いっきり殴り合いをするべき相手も」
ごき、ごき、と拳を鳴らす。酒力が演劇という形で発露させた暴力性を、よりプリミティブな形で噴出させようとしている。
「別段あなたに恨みはございませんよ。でもですねえ、それは私の流儀と正面から相反するものでありますから。ここできっちりぶちのめさせてもらいますよ」
牙をむき出して、獰猛に笑う。

その有様に、天龍寺あすかは驚愕した。
(なんで、アレを浴びて動じないの…?)
酒力どらいぶの呪いは、人の魂を根底から灼く。現にあすかは危うく呼吸が止まるところだった。なぜ深林さぐりはそうならないのか。
そしてあすかは見た。
さぐりが自らの口中に青緑色の石を流し込むのを。
(そうか、『アマゾナイト・デーモンコア事件』の…確かにそれなら、精神干渉の類は弾けるかも…!?いや、それだけ…?)
本当に?それだけのことで、酒力どらいぶが魂を削って放つ呪いに抗し得るのか?

あすかが見つめる中、衝突は始まった。
それは天凌祭の主役争いにおいて、もっとも荒々しく、原始的な戦いであっただろう。
互いに行使しうる最大の武器を、躊躇なく相手に向けて振るう。
ルールなどない。
審判などいない。
どちらかが力尽きるまで、互いを攻撃し続けるのみ。

酒力どらいぶが幕を上げる。彼にとって演劇はすべてだ。魂を削り、身体に死に至りかねないほどの酒精を注いで、彼はそれを吐き出す。演劇ならば誰にも負けない。それが追放者で劣等生である彼の唯一の誇りだ。
故に演劇の極点に至った酒力どらいぶの演技は、呪いとなって人間の魂を灼く。酒力どらいぶにはそれしかない。故にこそ自分の道を阻む相手に対して、彼が取りうる手段はただ一つだ。
その演劇を以て、真正面から叩きのめす。

深林さぐりは、それに対して真っ向から挑みかかる。別段酒力どらいぶに恨みや因縁があるわけではない。
しかし酒力どらいぶの演技は、人の世界を灼き、その有様を一変させる。その演劇で魅了し尽くし、他の全てを灰色に変える。それは深林さぐりにとってアマゾンに対する挑戦だ。
誰にもアマゾンの価値を否定させやしない。そちらが問答無用であるというならば、こちらもそうする。
持ちうる武器を使って、真正面から叩きのめす。

思えば二人の在り方は対照的で、あるいは似ていたのかもしれない。
一人は呪いを以て他人の世界を灼いた。
一人は独善を以て自分の世界に巻き込んだ。
故にこそ衝突は必然だった。

酒力どらいぶが呪いを込めて演じる。
深林さぐりはそれを躊躇なく殴った。
それでもなお酒力どらいぶは演技を揺るがせない。
それを見た深林さぐりはなおも容赦無く殴り続ける。

表面的に取っている行動は全く違ったが、それに込められた意思は同じだ。
俺/私が押し通る。
お前は引っ込んでろ。

ただそれだけだ。

☆ ☆ ☆

(わけがわからない)

天龍寺あすかは困惑していた。
目の前で繰り広げられる闘いは、天凌祭の主役争いに他ならないのだろう。
ならば自らの演技力を見せるのはわかる。
原始的な武力を行使するのも、わかる。
だがなぜその二つが互いに当然というような顔でぶつけ合わされているのか。
それに対して、自分はどう動くべきか。全く想像もしていなかったような事態だ。

「あれは完全に意地と意地の勝負だな」
「うわっ!?」

いきなり話しかけてきた鐘巻成貴の声に、あすかは反射的に身を震わせ、自分が闘いに見入っていて周囲が全く見えていなかったことに気付いた。

「割って入るのは、やめたほうがいい。邪魔すると両方から目の敵にされかねないぞ」
「意地と意地の勝負…というのは?」
「そのままの意味だとも。互いに譲れないもののために戦っている。大事なのはどっちが折れ、どっちが貫き通すかということであって、その手段は問題ではない」
「……………」

譲れないもののための闘い。
天龍寺あすかは、未だ『譲れないもの』を見出せてはいない。
心を燃やす小さな灯は、未だ小さくて。
それのために、あの呪いに向かい合うことができるだろうか。
敵意をむき出しにした暴力の前で、演技を続けられるだろうか。

天龍寺あすかは、初めて自分の実力の不足を味わった。

「さて、と。黒畠たちがアマゾンに来た時に置いていかれてしまったのが痛手だが、行くとするか。安綱を持参しなかったのが悔やまれる」
あすかを尻目に、成貴が立ち上がった。
「なにを、する気?」
「もちろん戦いに行くのさ。金持ちらしく、金の力でな!」
「そん、な―」
無茶を。という言葉を、あすかは呑みこんだ。成貴にとって、それは『譲れないもの』だから。「金持ちに金で買えないものはない」。彼の信念。鐘巻成貴は金を持っている以上、逃げることを己に許さない。
どんな相手だろうと、彼は金で立ち向かうのだ。

(私には―ああいう風に、できない)

初めての嫉妬だった。

☆ ☆ ☆

「………………!」
「うぐるぁああ!」

殴る。殴られる。
呪う。呪われる。
血を流す。焼き焦がす。
極めて動物的な、理屈抜きの闘い。
倒れて立ち上がらなかった方の敗け。
最後まで立っていた方の勝ち。

酒力どらいぶの顔面に拳がめり込む。手段としての安易な暴力ではない、断固とした信念と共に酒力をぶちのめそうとする人間の拳だった。
故にこそ、その拳は重い。
だからこそ、酒力どらいぶは倒れない。
これは物理的な衝突である以上に、信念のぶつけ合いだから。ここで倒れたらばそれはただ転倒したということではなく、相手の信念の前に己の信念を折ったということになるからだ。

(テメェは―なぜ倒れねぇ)

呪われろ。呪われろ。お前の世界の全てを灰にしてやる。
敗色の燃え滓に変えて、俺の演劇以外何も見えなくしてやる。
その呪いは、確かに効いているはずだ。誰であろうと、その呪いから逃れることはできない。
その絶対性は、酒力どらいぶの唯一のプライドだ。
だというのに。

(テメェは―なぜ膝を折らねぇ)

酒力どらいぶの呪いの核は、嫉妬だ。”ナマエノナイカイブツ(お前は誰だ)”は、嫉妬そのものであり、相手の心の内に秘められた嫉妬を呼び起こし、相手自身の嫉妬の炎こそが、酒力の圧倒的な演劇の前に魂を焼き尽くす。
どんな強靭な意思でも、夢でも、信念でも、『己は酒力どらいぶではなく、故にこそ目の前の存在と同じにはなれない』という真実を前に嫉妬に沈む。
そのはずだ。
「テメェ、は…」
だというのに、なぜ倒れない。

「ガアアアアアアアアアアッ!」
深林さぐりは、目を血走らせて吠えた。”ナマエノナイカイブツ(お前は誰だ)”は、確かに彼女の精神を蝕んでいる。
嫉妬。嫉妬。嫉妬の炎がその身を焦がす。
しかし、倒れない。

(いい、加減にィ…)
酒力どらいぶの懐から、それは現れた。
懐に忍ばせていた、2本目の酒瓶。魔人であっても急性アルコール中毒で即死しかねない量の酒を、一息に呷る。
(灰に、なれ!)

呪いの出力が爆発的に増した。
酒力の演技は、この瞬間人類の限界をぶち破ったと言ってもよいだろう。
アマゾンの獣が、嫉妬に発狂した。
情動無き昆虫さえ、嫉妬にのたうった。
意思持たぬ植物ですら、嫉妬にうねった。

そして、酒力どらいぶは深林さぐりの目を見た。
嫉妬に焼き焦がされた眼を。
そして、嫉妬の中に希望を見ている瞳を。

嫉妬というものは、羨望の表裏である。
そして羨望は、成長の原動力だ。
深林さぐりは、かつて誰よりも弱かった。
そして、求めるものを掴み続けた人間だったから。

―求めよ、されば与えられん。

それが彼女の律だった。
だから嫉妬が彼女を焼き尽くすことは無い。
嫉妬するならばアマゾンに行って望むものを掴めばよいのだから。
嫉妬は、彼女の原動力でこそあれ、足を止める理由にはならない。

「酒力ィィ!」
膝蹴りがめり込む。演技は止めない。
「私は、演劇じゃボロ負けだけど!」
右フック。なおも酒力は舞台を降りない。
「私の意地は、譲らない!」
轟音と共に、額と額が打ち合わされる。
ぐるり、と酒力の眼球が回って白目を見せた。しかしなおも踏ん張り―
ずるり、とアマゾンの泥に滑った。べしゃり。

(ぐ……)
血の味が広がる。
(俺の…俺の、舞台だ。スポットライトと、観客の目を独り占めする、俺の、俺の、俺の舞台―)
酸素を求めて喘ぐと、一杯に広がるあまりにも濃い土の匂い。
(……じゃねえじゃん、ここ)
演劇の一点に全てを賭け続けた『悪魔』は、ついに起き上がらなかった。

☆ ☆ ☆

「あー、おつかれ、さま、でした?」
天龍寺あすかは、さぐりに背後から控えめに声をかけた。ずっと蚊帳の外だったが、せめて労いの言葉くらいはかけておくのが、見届けた者の務めだと思ったのだ。
ぎょるん、と額から血を流すさぐりの血走った瞳があすかを捉える。

(あ、殴られる?)

それもいいかもしれない。そうなれば、このもやもやした気持ちも少しは晴れるかもしれない―
などと思っていたら、襟首をつかんで引きずられていた。
「深林先輩?私を引いていずこに行くのです?」
「演劇の練習。酒力にあんなもの見せられてじっとしてられない」
うわあ。嫉妬心がめっちゃ前向き。口に出したら血走った目のさぐりに何をされるかわからなかったので、あすかはおとなしく引きずられていった。
(でもまあ、いい機会かも?)
2人の中には、確かな熱がある。それは嫉妬だ。そしてそれは成長の種なのだ。
すべてが秘められたアマゾンは二人の嫉妬の熱にも応えてくれるだろう。

「ははは、そろってキレイに敗けたな」
「あ?オマエまだいたのかよ」
「やれやれ、存在を忘れられるとは金持ち失格だな」
割って入ろうとして普通にさぐりにKOされていた成貴が、倒れた酒力に声をかける。
「お前のことは正直ただの危険人物だと思っていたが、考えが変わった。大した演技だ。―お前のために劇団を立ち上げてもいい。天凌祭を譲るつもりはないが、お前のための舞台を用意しよう」
その誘いに、酒力はふーん、と考えて―
「光栄な話だが、『今』やらずに将来に話を先送りする気はねえな。天凌祭の主役をやった後なら話を聞いてやるよ」
「そうかい。交渉はまた後日」
気付くと成貴はいつの間にかいなくなっていた。元より彼はアマゾンに答えを求める必要はなかったのだろう。

「……どォやって帰んだ、これ?」
…意地を張って喧嘩をしただけの酒力どらいぶが答えを得るための探検はこれからだ!

 

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