頭の痛い記憶

白露アイは、世話焼きな少女である。その世話焼きは主に四季巡絶佳に向けられることが多いが、それ以外の人間に向けられることだってある。
白露アイが最も多く世話を焼いた相手は、議論の余地なく四季巡絶佳であるが二番目はだれかとなれば、おそらく…

深林さぐり。

…彼女のことを思いだすと、アイは頭痛を覚えずにはいられない。

☆ ☆ ☆

現在 理科室

「久しいですね!中一の時以来ですかね!懐かしいですね白露さん!」
「ええ、お久しぶりです深林さん」

白露アイと深林さぐりは、理科室の大きな机を挟んで向かい合っていた。

「というわけで白露さん。単刀直入にいきましょうよ。こうしてプリントがどうこうとか言う口実で文化祭主役争いをしている二人が一対一なわけですけども」
「話が早いですね深林さん」
「まどろっこしいのは苦手なものでして」

あまりにも明け透けなさぐりの姿勢に、そういえば彼女はこういう人だったな、とアイは思いだす。互いに中等部の頃から大分外見も変わったかと見えたが、本質はそう変わっていないらしい。
そう思いだして、アイはこめかみを抑える。深林さぐりに関する記憶は、アイにとって文字通りの頭痛の種なのだ。

「私を呼び出してくれたのは白露さんなわけですけども、私からもちょうど白露さんにお見せしたいものがあるのですよねー。なんのことだか、わ・か・り・ま・す?」
「その手には引っかかりませんよ。わからないっていった瞬間アマゾンに引きずり込むつもりでしょう」
「ちぇー。さすがに白露さんは引っかかってくれないかー」
「あとどうせ一対一とか言いつつもそこいらに新聞部の人を伏せているでしょう。それも退かせてください」
「ほーんとうに白露さんはそういうところ抜け目がないですよね~…というわけだから物部さーん。呼び出しといて悪いけど退出してくださーい」
「一人だけということは無いでしょう?」
「かなわないですね白露さんには」
「あなたの性質はそれなりに知っているつもりですので」

姿は見えないが、いくつかの気配が部屋の外に出ていった。おそらくは魔人能力によって隠れていたのだろう。飯綱千狐のアマゾンではしゃいでいるところを激写した手口だ。
使えるものは何でも使う。アマゾンで生きるためには手段を選んでいられないから。白露アイの知る深林さぐりのスタンスそのもの。

「それを言うなら私も白露さんとはそれなりに付き合いがあったつもりなのですがね。意外でしたよ、白露さんがこうして主役争いに名乗りを上げるなんて」
「それを言うなら深林さんだって、演劇になんて大して興味ないと思っていたのですけれども」

ばちばち、と見えない火花が両者の間に散った。

「随分ギラギラしていますね白露さん。昔とは大分違うようですけども私はそういうほうが好きですよ」
ずい、とさぐりが身を乗り出してアイを威圧する。

「そういう深林さんは昔から変わりませんね。常に積極的で、迷いがなく、自分の行いについて確信がある」
ずずい、とアイも負けじと身を乗り出して睨み返す。

「言いますねえ白露さん。『阿保坊』との決闘で随分と覚悟が固まったようで」
「そちらこそ、中等部の子に対して容赦なく新聞部を動員して嵌めたそうですね」
「嵌めたなんて人聞きが悪い。私はいつだって本気なだけですよ」
「本気の度合いで言うならば私も同じです。あなたよりは手段を選びますがね」

ぎちぎちと軋むような緊張感と共に、威嚇しあう両者の距離がどんどんと詰まって行き―
がつん、ととうとう額がぶつかり合うに至った。

「ぬぎぎぎぎぎぎ」
「うむむむむむむ」

しばしぐりぐりと額と意地を押し付けあう少女二人。
体格で言えばアイの方が大分大きいが、さぐりのアマゾン仕込みの体幹はそれをものともしなかった。

「ぐぐぐぐぐぐぐぐ…」
「ぬぬぬぬぬぬぬぬ…」

意地の張り合いはしばらく続いて―
ひょい、と意外にもさぐりが先に退いた。アイは勢い余ってつんのめるのを、慌てて机に手をついて耐える。

「なるほどなるほど。白露さんの御覚悟、よ~くわかりました。『記憶の地平線』で口喧嘩の準備までしてこられたその覚悟を見せられては、こちらとしてもそうそう邪険にはできませんね」
「演技、バレてましたか…あなたに対して会話の主導権を握らせるわけにはいきませんでしたから、少々柄の悪い演技をさせていただきました。…お嬢様は、練習を見て大笑いなされていましたが」
「そういう柄じゃないですからねー白露さんは」

さぐりに会話の主導権を握られたら、どうやっても会話の流れの中で疑問形の発言を引き出され、アマゾン行きは確実。そうなればもう完全にさぐりのペースだ。アイはそれを知っていた故に、らしくもない威嚇的姿勢を取ったのである。

「他でもない白露さんがそこまでの覚悟で事に臨まれているのであれば、私としても譲歩いたしましょう。それくらいには、昔のことを私も恩に感じていますので」

ニコニコとした笑みと共に、さぐりはアイに取引を持ち掛けた。

「白露さんが今後の主役争いの手段として私のアマゾンを用いて―アマゾンの良さを広げるのに協力してくださるのでしたら、票をお譲りします」
「……………!!」

余りにも大胆な提案に、アイが目を見開く。そしてさらにさぐりは付け加えた。

「白露さんも御存じでしょう?アマゾンの素晴らしさは」

そうだ。アイは知っている。『記憶の地平線』にその記憶は確かに刻まれている―

☆ ☆ ☆

4年前

「今日も元気にアマゾ…ごぼはーっ!」
「また深林が吐血した!」
「またかよ!ちょっとは体をいたわりやがれ!」
「誰かほがらか先生呼んできてー!」

天凌学園は魔人能力者のための学校という側面が強いが、その大きなセールスポイントとして、保健室による蘇生がある。
そのため病を患っている魔人能力者(大体の魔人能力者は身体能力も常人より高いのでそうそういないが)が、その保健室に惹かれて入学することも少なくない。

今では信じられないことではあるが、当時の深林さぐりもその一人であった。
…そしてその世話役という立場にいつの間にやら収まっていたのが、白露アイであった。

「全く深林さんはいつもいつも無茶ばかりしますね」
「いや私も今回ばかりは可能な限り体をいたわりつつ行こうと思っていたのですよ?しかし鉄球がインディージョーンズしてきたので無茶を承知で全力ダッシュせざるを得ずその結果肺がちょっと悲鳴をあげまして」
「前もそういっていませんでした?」
「いやいや前インディージョーンズしたのは大岩であって鉄球では」
「同じことです!いつもいつも危ないことを!ただでさえちょくちょく吐血しているんですからいい加減アマゾン行とやらをやめてください!」
「ムッ!いくら白露さんといえどそれは承服しかねます!それを否定されては戦争ですよ!」
「このままでは私との戦争を待たずに深林さんの方が死んでしまいます!」

やいのやいのと喧嘩する少女二人。さぐりがアマゾンで無茶をして大怪我を負って帰ってきて、それにアイがついつい世話を焼く。そんな関係だ。

「そもそもですねーっ私のこれはなんか現代医学ではなんか病名もついていないような病なんですから治すにはアマゾンしか無いんですー!白露さんは私に一生病気していろと言いたいのですかー!?」
「この調子じゃ治るよりも先に死んでしまうと言っているのです!こんなことはとても治療とは呼べません!」
「なんですとー!これでも元よりはだんだん良くなってきているんですよー!アマゾン療法の効き目を疑うのですか!」
「そう言いつつ何回危なっかしいことになっているんですか!これまで保健室なしでは一生後遺症が残る怪我が32回!帰還後の死亡が7回!死ぬよりも酷い何かになって風紀委員が出動すること2回!それでも懲りないのですか!こんな危なっかしい綱渡りに頼るより医学の発展を待った方がよほど建設的です!」
「いいえアマゾンです!絶対にアマゾンがいい!アマゾン以外ありえない!」
「ええい強情な!お嬢様も何か一言言ってやってください!」

隣で微笑ましいものを見る目で二人を見ていた絶佳に、アイは何気なく話を振って―

「そんなに深林さんが心配なら、アイがついていってあげればいいんじゃない?」

「え?」「ほ?」
予想外の提案に、目をぱちくりさせる二人。
そして顔を見合わせて―
「いいですね!最高です!白露さんもアマゾンの素晴らしさを体感すればいいんですよ!そういえば他の人と一緒に行くのは初めてです!わーい!」
「いやいやいやいやお嬢様お嬢様、私にはお嬢様の侍従としての使命がございますから、いくらなんでもお嬢様を置いてアマゾンに行くというのは」

その二人の反応に、絶佳はいたずらっぽく答える。
「じゃあ私も行こうかしら」
「四季巡さんも来ます!?」
「駄目ですお嬢様!危険すぎます!それはいくらなんでも認められません!」
「じゃあアイと深林さんの二人ね!大丈夫よ、私もちょっとくらい一人でもなんとかるわ」
「そうと決まれば善は急げ!早速初めての複数人アマゾンです!」
「あああああ私が行くのが決定事項に!?お嬢様どういうおつもりですか!?」
「駄目かしら?」

絶佳の上目遣いが、アイのハートにクリティカルヒット。

「そ………それを、お嬢様がの―

言い終わるよりも先に、二人はアマゾンの奥地へと消えた。

「アイもいつも私の後ろに控えてるだけじゃなくて、たまにはこういうこともしなきゃね」
絶佳はいたずらっぽくそう言った後―
「……流石に無茶ぶりしすぎたかしら」
ちょっと反省した。

その後、なんやかんやでさぐりとアイは何度もアマゾンへと一緒に赴いた。

ある時は猛獣に追い回され。
「なぜ熱帯雨林に狸がー!?」
「大自然の神秘でげぼーっ!」
「こんな時に吐血ですかー!?」

ある時は謎に直面し。
「白露さん。この意味ありげな石板、もしかしてパズルってやつでは?」
「それよりもこんなコッテコテの遺跡ダンジョンの存在にツッコミたい気持ちで一杯なのですが」
「そうですねぇ、なんかだんだん後方の壁が迫ってきてますし」
「そういうことは先に言ってくださいよ!?」

ある時は覚悟を決めて。
「これ…食べるんですか?ゲテモノってレベルじゃないですよ?」
「ほらでも、焼いてたらだんだんいい匂いがして来たじゃないですか…というわけで白露さん、あーん」
「私はお嬢様以外の人の分まで毒見役をする義理は「えい」むぐっ…うわおいしい」
「×××って意外と美味しいって噂マジだったのかー」
「名前言わないでもらえます…?」

ある時は美しいものを見て。
「おお~!凄い!一面の花盛り!」
「凄いですね…こんな色鮮やかな花畑なんて、聞いたこともないです。お嬢様にも見せたいな…」
「こういうところは大体ハナカマキリ的なのがいたり有毒植物だったりするから踏み入ると死ぬるんですけどねー」
「台無しです…」

そんなこんなが、大体半年。
アマゾンの空気がよかったのか、それとも本人が健康に良いなどと嘯いてアマゾンで見つけては食べていた謎の果物やらなんやらが本当に効いたのか。じわじわとさぐりの病状は改善していった。

それに付き添い続けるアイの方はというと。
「つ、疲れました…」
「お疲れ様、アイは今回も頑張ったみたいね」
「本当に、頑張りましたよ…聞いてくださいよお嬢様、入るや否やいきなり巨大蜂の群れと八足羆がやりあってる現場のド真ん中でして、しかも深林さんがこの機に乗じて蜂蜜を漁夫の利すると言いだしまして…」

ぶつくさと絶佳に愚痴を漏らすアイ。しかしその表情がどこか嬉しそうなことに気付いているのは絶佳だけだ。

「ねえアイ」
「なんでしょうかお嬢様」
「アイは、アマゾンに行ってみてどう?楽しい?」
「なにを言うのですか、そんなこと……………」

アイの『記憶の地平線』に、やたらと濃い記憶が次々と浮かんだ。
猛獣。珍獣。毒物。珍味。魔境。絶景。密林。大河。遺跡。大自然。危険。解放感。

「…………………………頭が痛くなってきました」
「うふふ」

絶佳は顔をしかめるアイを見て、にやにやと笑った。

「ねえ、アイ、私はもっとアマゾンのお話をアイから聞きたいわ」
「…お嬢様が、それを望まれるのであれば」

その後、白露アイが深林さぐりのアマゾンに赴くことは無かった。
進級に伴うクラス替えと同時期に、深林さぐりが単身アマゾンに行ったきり行方不明となったからである。

当然だ、とアイは思った。あの危険ひしめくアマゾンに人が行く以上、その結末は容易に予想できたことだ。
しばらくの間は悲しい気持ちもあったが、それも徐々に忘れていった。

…ちなみに深林さぐりは外部時間にして3ヶ月くらいかけて大冒険をばっちり乗り越え体を治して帰ってきていたのだが、クラス替えやら授業の遅れやらその他のなんやかんやのごたごたもあり、アイにそれが知れたのは最近である。

そして今に至る。

☆ ☆ ☆

「正直に言いますとですね。私個人としては主役自体には特段の思い入れはないのですよ。だからそれ自体は白露さんに譲っても構いません。新聞部の人たちも私とはアマゾンと主役争いに関するスクープで協力を結んでいる関係ですから、白露さんが主役になっても利害は対立しません」

ああ、そうだ、深林さぐりはそういう人間だ。白露アイは知っている。
彼女はおおよそ訳の分からない人間ではあるが、彼女なりの理屈と打算を確かに巡らせているのだ。そうでなければアマゾンで生き残ることはできていない。

「……………ッ」

狼狽えてはならない。迂闊な発言は致命のミスになる。疑問文で発言したら最後アマゾン行きだ。

「本日限定!この場限定!白露さんだけにお送りするお得な取引ですよ!」

陽気なセールスマンのように、さぐりはニコニコとアイを威圧した。
わざとらしいほどに都合がよい、しかし筋は通った取引。
この取引に嘘がなく成立したならば、メリットは絶大だ。現状さぐりが抱えている票数と、新聞部の影響力。純粋な演劇の腕で名だたる名優たちに一歩譲るアイとしては、喉から手が出るほど欲しいカード。
しかし裏切りの可能性は。協力して票を集めた後、土壇場で新聞部を使役して票を横取りしてはこないか。それはありえる。アイの知るさぐりが本気で主役を取りにくるならばやりかねない。
深林さぐりを信用してよいのか。本当に彼女の目的はアマゾンのアピールで、主役争いへの参戦は手段に過ぎないのか?
『記憶の地平線』を総動員して、脳内の深林さぐりの情報を洗う。信用できるか、否か。頭が痛い。

「…何も考えずに乗るには、あまりにもおいしすぎる取引ですね。相手をその気にさせたいならば、何故にそうあっさりと主役争いから降りることを是とするのか、主役の座に執着がないならばなぜこれまでにそれほど熱心に票を集めていたのか、しっかりと説明するべきでしょう」

疑問文を口に出さないように、細心の注意を払いながら対応する。
その言葉に、さぐりはぎちぎちと音がしそうなほどに獰猛な笑みと共に答えた。

「疑われるとは心外ですねえ!他でもない白露さんだからこうして主義を曲げて主役をお譲りすると言っているんですよ!?他のどこの馬の骨にも譲歩してやる気はありません!確かに私としては主役の座やら奇跡やらにはさしたる興味はございません。でも私にとってこの奇跡をめぐる争いはアマゾンに対する挑戦です。だから私はこの争奪戦を絶対に侮りません。真正面から向き合って、持てる手段を根こそぎ動員して、アマゾンを以て完膚なきまでに勝利します。それが私の方針です。誰にもアマゾンは侮らせないし、私もこの争奪戦を侮らない!」

牙をむき出しにして、さぐりは吠えた。歪な、それでいて純粋な熱意。自分の信じるモノを、誰にも足蹴にさせない。誰にも侮らせない。真正面からその力を見せつけてやる。そういう宣誓だった。

「で!その上で大まけにまけて他の誰でもないただ一人アマゾンで一緒にサバイバルした仲の白露さんだけには!特別に譲ってもいいよ!って話なのに、そんなこと言われると傷ついちゃいますよ~」

(…まずった。チャンスを逃したか?)
アイの脳が『記憶の地平線』の過剰使用できりきりと痛む。さぐりの熱意は本物だ。しかしそれはアイを裏切らない保証にはならない。だからといってこの取引を逃すのはあまりにも惜しい。

「お悩みみたいですね白露さん。私も白露さんなら絶対にアマゾンの良さを広げるのに協力してくれるって信じていましたけど、なんだか揺らいじゃいそうですよ。……あと十数える間だけ、信じます」
「…待って、考えさせて…!」
「待ちませーん。じゅーう」

信じるべきか、否か。テンカウントで決められなかったならば、千載一遇の好機を失いかねない。あるいは友情さえも。

「きゅーう」

考えなければならない。

「はーち」

判断材料を求めて『記憶の地平線』を必死で漁る。頭が割れそうに痛む。

「なーな」

信じるべきか、否か。

「ろーく」

足りない。時間が足りない。

「ごーお」

検分するべき記憶は頭が破裂しそうなほどにあるのに、それを確かめるための時間が足りない。

「よーん」

それでも決断しなければならい。

「さーん」

信じるべきか、否か。

「にーい」

信じるべきか否か。信じるべきか否か。信じるべきか否か。
信じるべきか否か。信じるべきか否か。信じるべきか否か。
信じるべきか否か。信じるべきか否か。信じるべきか否か。
信じるべきか否か。信じるべきか否か。信じるべきか否か。
信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か信じるべきか否か――

「いーち」

信じる、べきは―
頭痛が止んだ。

「決めました!深林さん」

信じるべきが誰かは、わかっている。

「おお!信じてもらえましたか白露さん!」
そう言うさぐりの顔は、信頼を得られたことを心の底から嬉しがっているように見える。少なくともアイにはそう見える。
もしかすると、ここまでの悩みは本当に単なるアイの杞憂だったのかもしれない。本当にさぐりはアイとの友情に免じて勝ちを譲ってくれようとしていたのかもしれない。
でも。

「ええ、疑ってすみませんでした」
「なら取引は成立ということで!」
「いえ!それはしません!」

ぽかん、とさぐりの口が開く。アホっぽい顔だった。

「お嬢様が、『アイは本当に凄いんだって。私は、皆に分かって貰いたいの』―と、おっしゃっておられましたから!今回の主役争いは、私の力を見せる場であれと、お嬢様が望まれましたから!私は私自身の力で、主役を目指します!深林さんの力は、借りられません!ごめんなさい!」

そうだ。白露アイが信じるべきは、四季巡絶佳への忠誠だ。それを思い出して、頬が熱くなる。あの可憐な令嬢に己を捧げることが、白露アイの使命なのだ。いかな善意があろうと、深林さぐりの取引にのることはできない。

さぐりはしばらくぽかん、とした顔をさらした後―

「はああああああああああああぁぁぁ……………そっかあー」

と盛大なため息をついて理科室の机に突っ伏した。

「そっかそっかー。そうでしたねー。白露さんは、お嬢様が第一だったですからねー。私の方こそそれを忘れてましたよ。残念無念」

その姿に、アイもふう、と息を吐く。交渉の決着と共に、弛緩した空気が流れた。

「ところで白露さん、アレなんでしょう?」
「え?なに?どれのことです?」
「隙ありいいいいいいいッ!!」
「うわーっ!?」

かくして我々探検隊はアマゾンの奥地へと向かった―。

☆ ☆ ☆

湿った暑い空気。むせ返るような緑の香り。どこからともなく響く獣の声―そう、アマゾンである!

「ちょっ、あっ、だまっ、騙しましたねーっ!!」
「ふーはははははは!私の手口を失念している白露さんの隙ですよーう!」

ああ、そうだ。白露アイは知っている。
深林さぐりは、意外と第一印象と違って彼女なりに理屈立てて動くし、打算を巡らせることもある。
でも本命の策は、いつだってコレなのだ!

「さあ行きましょう!まずは予め入ってもらっていた新聞部の人と合流です!」
「ちょっとー!何をするおつもりですかー!」
「もちろんみっちりもっちりアマゾンの素晴らしさを思い出していただいて新聞に載せるのです!偏向報道はしても虚偽は書かないのでご安心を!」
「ど、土壇場でしくじったー!」

アイは頭を抱えた。これはもうどうしようもない。いい感じの写真が撮れるまで無期限アマゾンツアー突入である。そのどうしようもなさを知っていたから疑問文で話すことが無いように細心の注意を払っていたというのに。一つのうっかりで飯綱千狐と同じ轍を踏む羽目になってしまった。

「そんなこと言いながら、アマゾン好きでしょう白露さん!知ってますよ!」
「何を言うんですか!そんなこと……………」

頭が痛い。深林さぐりのことを思いだすと、アイは頭痛を覚えずにはいられない。
アマゾンの濃い森林の匂いに誘われて、『記憶の地平線』から次々と記憶が溢れ出す。溢れ出してしまう。白露アイにとってもっともかけがえのない記憶はお嬢様のことであるが、その記憶とはまた違った、かけがえのない記憶。
騒がしくて、ドキドキして―楽しかった記憶。
ああ―深林さぐりとアマゾンを駆け回った記憶は、あまりにも楽しくて際限なく思いだしすぎてしまうから、頭が痛くならずにはおられない。

「そんなこと…そんなことあります!ううー!」

「よーし!次はカメラの前でそれ言ってみましょうか!」
「言いません!票は手放しません!最後まで抵抗してやりますからね!アマゾン最高とか言ってやりませーん!」

白露アイは頑張った。頑としてカメラの前でアマゾンを良しとする発言をしようとはしなかった。が……………
業を煮やしたさぐりがなんか一服盛った結果、へべれけに酔わされてばっちり写真を撮られたのであった。どのような写真となったのかは、とりあえず公に頒布しても問題が一応は無かったとだけ記しておこう。
その後しばらくの間、羞恥で顔を真っ赤にするアイと、それを慰める絶佳の姿が見られたとかなんとか。

 

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