『後輩…お前はさぁ、分かっていたのか?私の歪さに』
『とても良いライブだった。…後輩。私はお前の言う通りサポートに回ろう。最高の音楽でお前を主演まで連れていこう』
『ただし!お前が腑抜けたマネしてみろ…さっさと別の奴について、別ルートから奇跡を目指してやるからな?支え甲斐のある主演でいてくれよ?“天才”!』
『魂の震える時間でした。共に演奏出来て光栄でした!』
「……うーん」
天凌学園、部室棟の一室。
安物の折り畳みテーブルに置かれたラップトップPCのスピーカーから響く感動的なやり取りが、パイプ椅子に座る少女の鼓膜を揺らす。
少女――至神かれんは、ディスプレイに映る『その場面』を眺めながら、幾度目かになる唸り声をあげた。
『その場面』。天龍寺あすかが配信した、羽曳野琴音をキーボードに迎えてのライブ演奏。
賞味10分にも満たないその動画のアーカイブは、配信当日から一ヶ月も経たないうちに10万再生を超えていた。
反響は凄まじく、コメント欄では絶賛と熱狂の声が現在進行形で増え続けている。
元々の天龍寺あすか支援者、羽曳野琴音支援者の枠を超えて、大きな支持のうねりを作り出した事は疑いようもなかった。
「うーん……」
再び、唸り声。
至神かれんは、この動画を見る度に言葉に出来ない感情に襲われる。
音楽にはさほど興味のない彼女にも分かる。動画で披露されたのは、名演奏と言っていい類のものだ。
最後のあすかと琴音のやり取りも含めて感動的で、感情を揺さぶる物である事は間違いない。
だが。
「…………」
かれんはマウスを操作し、動画を少しだけまき戻した。
天龍寺あすかの声が、スピーカーから再び流れ出す。
『魂の震える時間でした。共に演奏出来て光栄でした!』
「……」
動画が止まる。数秒の静寂。
「嘘つき」
その言葉は、かれん以外の誰の耳にも届かず、消えた。
◆
Vanitas vanitatum, et omnia vanitas.
◆
天龍寺あすかは多忙である。
先日の配信の効果もあり、天凌祭前夜祭演劇主演の支持者集めではトップを走っている(新聞部調べ)彼女だが、その事実が彼女をさらに多忙にしていた。
新聞部のインタビューを始めとする広報活動や、”満天の空と約束の鐘”の資料読み込み、ライバルたちの動向調査に彼女を蹴落とそうとする厄介者への対処などなど。
もちろん、それに加えて本来の学生生活に必要なことをしなければならないのは言うまでも無い。天才であっても、学んだことのない英単語や定理は知らないのだから。
結果、彼女のスケジュールは分単位で埋められていき、自由にできる時間は貴重な物となっていた。
「うーん、嬉しい悲鳴をあげそうになっちゃうわ。人気者は辛いわね!」
嘘である。
天龍寺あすかは辛いとは思っていないし、無論嬉しくもない。
ただ、現状をやり過ごすための最適解を導き出し、実行するだけである。
「ありがとうございます、求道先輩。助かりました」
天龍寺あすかはそう口にすると、目の前の自分よりも小さな先輩にぺこりと頭を下げた。
「どういたしまして、天龍寺さん。うまく対処できてよかった!」
巨大な金槌を肩に担ぎ、にこりと笑う彼女――求道匠の足元には、幾つかの機械部品と薬品が転がっている。
事情を知らない者は、まさかこれらが数瞬前まで時限爆弾として構成されていたとは思うまい。
『パラドックスデカハンマー』――人工的な製造物を原料まで還元する求道匠の魔人能力は、物理的な罠、とりわけ爆発物の処理に対して強い適性を発揮する。
匠にとっては甚だ不本意な能力応用ではあるが、それでも後輩を無用な暴力から救出できたのは喜ばしいことだ。
ちなみに、匠とあすかは数年来の知己である。
演劇専修科と普通科という差こそあれ、数多の演劇部に大道具担当として頼られる匠は、あすかにとって信頼できる先輩の一人だ。
「しかし、下駄箱にラブレターならぬ時限爆弾とはねー。あすかちゃん、心当たりは?」
「ありすぎて逆に分からないですね!」
「そりゃそうか。一部の生徒が手段選んでないって噂、本当なんだなあ」
匠の言葉には、少し嘘が混じっている。
匠は先日、その『噂』が『事実』であると身をもって知ったばかりだ……その時は匠にはどうしようもない攻撃手段だったため、対処もできなかった。
あすかが今回受けた攻撃に匠が対応できたのは、本当に幸運な偶然に過ぎない。
「私が言うまでもないとは思うけど、気をつけてね、あすかちゃん。毎回対処できる誰かがいるとは限らないんだから」
「ご忠告痛み入ります、先輩! でも大丈夫ですよ。私は今回の主演、何があっても絶対諦めたりしませんから」
「……そっか。それならいいんだけど」
笑みを浮かべる匠に、「そういえば」とあすかが問いかける。
「先輩、こっちの棟に来てるってことは、今日は演劇専修科にご用事ですか?」
「ああ、半分正解」
「半分?」
「うん。こっちに用事があったのは確かだけど」
匠は一旦言葉を切ると、真剣な表情であすかを見上げた。
「私はあすかちゃんに用事があって来たんだ。少しだけ付き合ってもらっていい?」
◆
天凌学園の校舎は、広大な雑木林に囲まれている。
さくり、さくりと落ち葉を踏みしめて二人の少女が歩いているのは、その一角だ。
先導する匠について行く形となったあすかが、辺りを見渡して呟く。
「うーん、この辺りは空気が美味しいですけど、ちょっと暗くて薄気味悪いですね……」
嘘である。
天龍寺あすかは空気の味の違いを感じていない。
暗闇による不気味さについても同様である。
これらはすべて、好感度を維持するための演技に過ぎない。
「求道先輩、まだ歩くんですか?」
「もう少しかな。疲れちゃった?」
「まあ、少しだけ」
嘘である。
単純な肉体的疲労という観点で言えば、天龍寺あすかは現時点ではほとんど感じていない。
精神的疲労という観点でも同様である。
ただ、匠の態度については少しだけ不信を抱いていたが。
「そっか。まあ、もうすぐだよ……うん、着いた」
匠がそういうと、二人の前の視界が開けた。
小さな広場のようになっているその場所は樹に遮られた周囲に比べて明るく、一般人が見れば少し神秘的なようにも感じられるだろう。
広場の中心には巨大な切り株のような物体が鎮座していた。おそらく、かつてこの場所にそびえていた古木の残骸だろう。
だが、そんな事は天龍寺あすかにとっては些事であった。
「あ、来たっすねー。いらっしゃいっす」
切り株に座っている、一人の女生徒に比べれば。
「……帰ります」
「うわ、初対面なのに嫌われたもんっすね」
「私が貴女を好く要素があったら教えてほしいんですけど、サキュバス先輩」
「パーフェクトな塩対応! やっぱマジだったっすかあの話」
「先輩には関係ないです」
「名指しで嫌われてるんだからあると思うっすけどぉー!」
サキュバス先輩――夢魔原千寿。
普通科三年、夢研究会主催。彼女も、鐘を鳴らすことによる奇跡を求めていると言われる生徒の一人だ。
だが、彼女の場合、こう呼んだ方が通りが良いかもしれない。
『天龍寺あすかを激怒させた演劇素人』、と。
天龍寺あすかが『鐘を鳴らす』事を宣言した瞬間の出来事は、幾人もの生徒が目撃していた。
宣言に至る、その直前。あすかは、演劇のド素人である千寿が奇跡を求めていると聞き――彼女としては非常に珍しい事に――激怒した、というのである。
この時の一連の出来事は『奇跡狩りの宣誓』と名付けられ、目撃した者たちから人づてに噂が広まっているというが、それはさておき。
天龍寺あすかにとっては、非常に珍しい事に。
彼女はこの時、自身の感情を制御できず、また、周囲の警戒も怠っていた。
致命的な事に。
ガサガサガサガサガサッ!!
「……え?」
木々の合間を猛スピードで駆けてくる何者かに、あすかは対処できなかった。
そのままの勢いで地面に押し倒され、そのまま何者かに圧し掛かられる。
勢いに比して、感じる重量はそれほどでもない。平時ならあるいは、抵抗することもできたかもしれない。
だが、当然、こんな時に襲い掛かってくる存在は、平常の存在ではない。
何者かの両手があすかの肩に触れたと同時、あすかの全身を猛烈な倦怠感が襲う。
「これ……な、に……」
およそ生物である以上、誰もが必ず負う事になる不調がある。
『疲労』である。
この時あすかを襲ったそれは、先日のライブを終えた時の疲労と同種で、だが、はるかに強いものだった。
「よーしよし、準備オッケー。じゃ、後ヨロシク、サキュバスパイセン」
「……貴女、誰……」
あすかに圧し掛かる何者か――栗色のサイドテールを揺らす女生徒は、ちらりとあすかを見ると、にやりと笑った。
「初めまして、天才ちゃん」
「私は至神かれん。気軽に神様ちゃんって呼んでオッケー」
「じゃ、すぐ後に」
「夢の中で、会いましょー」
◆
「えー、ルールを説明するっす」
「ここはお三方の夢をつないだ空間っす。この中の経過時間は外部とはまったく連動しないっす」
「具体的に言うと、どんだけ時間が経っても外では全然時間経たないっす」
「お三方には……正確にはかれんちゃんは、この中で」
「他の二人が納得する水準に達するまで、演劇の稽古をしてもらうっす」
「かれんちゃんの自己申告だと、大体三年ぐらいあればなんとかなるらしいんで」
「そんぐらい? 頑張ってほしいっす」
「じゃ、よーいすたーと」
◆
かれん達が目覚めるまで、夢の中でおよそ千日を要した。
◆
Mitte panem tuum super transeuntes aquas,
quia post tempora multa invenies illum.