(音忘れの君)
『私には才があった』
『技芸の才ではない。時を越え『過去を覗き見る才』だ』
『そして、私は神の音を聴いた。それが私の業。私の愛。私の――太陽』
『これを世に蘇らせねば。私の異能はそのためにあったのだ』
(BGM停止。『贋・音楽神のテーマ』アカペラコーラス。転調、リズム、複数アレンジで繰り返す。不協和音を交えて輪唱。音忘れの君の試行錯誤)
『――嗚呼、違う。足りない。何かが。何もかもが。
私の調べは月影の仄か。陽を照り返す借り物の輝き――』
【暗】 【転】
(語り:四波平 月張)
朝焼けの天凌学園中庭。
天凌祭前夜開催式で『満天の空と約束の鐘』が演じられる場所。
古びた鐘撞き櫓が、俺を含めた5人を見下ろしている。
3人の役者。
2人の観客。
動き出したのは、五十鈴 陽乃。
瞬間、中庭はスポットライトに照らされた舞台へ。
2人きりの観客は無数の観衆へと変容する。
そうなったのは、五十鈴の目線が、動きが、「そこにあるはずの舞台と観客」を前提として、あまりにも自然なものだったからだ。
演技で、ないものをあるかのように錯覚させる。
演劇の基本である幻想の共有。
舞台の魔法。
これが、高等部演劇専修科のホープ。
中等部の天龍寺、高等部の五十鈴といえば、誰もが未来を嘱望する完璧超人だ。
そう、なのだが――
なんか、評判と、違わないか?
SNSで「若者に大人気!」というふれこみのラーメン店で出されたのが、めちゃくちゃ旨いニシンそばだったような……そんな、違和感。
五十鈴は兄貴の側の人間ではなかったのか。
感性や天性に頼った動きではない。
思考し、思索し、思案した末の、地道に見出した最適解による演技。
良くも悪くも地に足の着いた堅実さ。
その、精緻にくみ上げられた空間を、
『嗚呼、アンデレ、舞台を照らす太陽の君。
何かが違っていれば――僕は、あの場所に立てていたのだろうか』
碧なす髪を振りかざす蒼褪めた馬が、極彩色の呪いで、塗り変える。
業と、愛とで、覆い潰す。
酒力 どらいぶ。
演劇専修科ではない、普通科の生徒。
その演技で、三つの演劇部を崩壊させたモノが、動き出した。
【明】 【転】
(語り手:八重桜 百貨)
説明しよう!
即興劇とは!
場所や人物の性格のみ設定して、詳しい台本なしに演じるものなのだ!
動作やセリフを役者自身がリアルタイムで作り上げる演技訓練で、TRPGを知ってる人なら、サイコロなし、GMやGKなしのセッションだと思ってもらえばいいかも。
酒力 どらいぶ。
五十鈴 陽乃。
四波平 月張。
三人が劇の練習をすると聞いて、題材に『ガーデンの聖ペトロ』を提案したのはモモカだ。
普通、エチュードは脚本が固まっているものを題材にはしない。
でも、「みんな予想外の題材を演じるなら、公平でしょ?」っていう、モモカのロジカルな説得によって、納得してもらえたのだ。
隣で、刺し殺しそうな視線を向けてくる、荊木 きっどクンを除いては。
「荊木クン、おこ?」
「気に食わないスね。全てを俯瞰するような――昔、嫌いだったヤツとそっくりス」
「それは買いかぶり。モモカが知っているのは、本当に少しだけだもん。
たとえば――」
さあ、ここは、モモカの戦場だ。
演劇少年少女たちが火花を散らすその横で、傍観者の戦いを、始めましょう。
「酒力 どらいぶクンの、能力とか。
荊木 きっどクンの、目的とか。
……50年前の、『ガーデンの聖ペトロ』の真実とか」
「そいつは――興味深い話スね」
荊木クンは、呪詛を吐くように、口を三日月の形にして嗤った。
迫力すご!
さすが、モモカの数倍は長く生きているだけあるなあ!
【明】 【転】
(語り:四波平 月張)
『ガーデンの聖ペトロ』の主要登場人物は3名。
鬱屈した環境で芽が出ず懊悩する役者志望の青年、ペトロ。
ペトロの才能を信じ、献身的に彼を支える親友の、シモン。
ペトロが憧れる、街中で人気の劇団の花形俳優、アンデレ。
前半では、活躍するアンデレと、下積みに悩むペトロ、彼を支えるシモンが描かれる。
ペトロを酒力、シモンを俺、アンデレを五十鈴が演じるのが、今回の配役。
五十鈴の完璧な演技を、酒力が客席から見上げる。
『――嗚呼、違う。足りない。何かが。何もかもが。
私の調べは月影の仄か。陽を照り返す借り物の輝き――』
それは、『ガーデンの聖ペトロ』とは別の劇のセリフ。
『満天の空と約束の鐘』。
俺たちが目指す舞台で、準主役である『音忘れの君』が漏らす慟哭だ。
だが、単なる引用ではない。
今のペトロの絶望の吐露としてどこまでも自然で、
何より、俺と、五十鈴への、極彩色の宣戦布告だった。
『違う。おまえの歌を、おまえの演技を、俺は見てきた。
紅玉と真珠を比べるのは、強欲な相場師だけ。おまえの値札をおまえが破るな』
人の形をしていると思った。
碧色の髪を伸ばした。蒼褪めた肌をした。人の形をした馬。
『真珠か。自らを燃やすこともできず。光を正しく照り返すこともできぬ失敗作。
それが僕――紅玉の炎に炙られる、貝の中の歪つな真珠だ』
極彩色の呪いを吐く。
その演技は、脳を灼くような呪詛だった。
【おまえは、月だ】
じゃらりと鎖の音がする。
身を縛る呪詛が木霊する。
五十鈴が朗々と歌う。
【おまえは、太陽にはなれない】
中庭で、馬が踊る。
碧なす髪を振りかざす蒼褪めた馬が、極彩色の呪いを吐く。
【おまえの能力は、目覚めては、いけないものだった】
鼓動が暴れる。
役に集中しろ。今の俺は、シモン。
ペトロの隣に立ち、彼を支える親友だ。
だから――眩しい太陽を妬むペトロに、あの監禁生活を、連想なんて、するな。
【おまえにできることは、それだけだ】
アイツのことが頭から離れない。
アイツの言葉が耳から剥がれない。
アイツの悉くが口から吐き出される。
【無理を通すに、手段を選んでいるひまはない】
故にこれは呪いなのだ。
クソオヤジから浴びせ続けられてきたのとよく似たモノ。
唾して棄てるべき、まがまがしい極彩色の、業と愛。
どうしてこんなモノを見て、五十鈴は当然のように演技をしていられる?
【だから、儂は、おまえを――】
これが、「三つの演劇部を潰したモノ」の正体だ。
酒力 どらいぶの演技は、込められた業と愛は、
見る者の心に深く押し込めていた、拷と哀とを引きずり出す。
五十鈴と酒力の演技は対極。
だが、どちらも、俺など比べ物にならないほどの、存在感だ。
そんな二人を前に、俺は、どうすればいい――?
【明】 【転】
(語り手:八重桜 百貨)
「いやあ、すごいね。ウイスキーボンボン一つでアレだもん」
酒力クンの演技は、魔的だった。
ペースを崩さない五十鈴さんと彼に挟まれて、月張クンはたじたじだ。
それでも、『幕が上がれば最後まで』。
ペトロの苦悩から、アンデレとの交流、シモンの献身、
やがて、ペトロの才能の萌芽へと、演技は進む。
『ガーデンの聖ペトロ』のこの先のあらすじは、こうだ。
アンデレと知り合ったことで才能を開花させたペトロは、アンデレと二人、大劇場公演の大役を射止める。
しかし、同時に街では、人々が謎の怪物に変化する事件が起きていた。
自警団の団員だったシモンは、その原因が、親友、ペトロだと知る。
彼は逆十字の呪いに掛かり、怪物を生み出す災厄となっていたのだ。
アンデレとペトロの共演初日。
怪物となった災厄を、自警団が追い詰める。
そして――災厄の毒を受ける危険な刺客に名乗り出たのは、シモンだった――
「これは、天凌で50年前に起きた事件がモチーフの物語。
その事件の中心にいたのは、至神 十字という生徒。
彼は、前回の「奇跡の舞台」に挑み、もう一歩のところで魔人能力を暴走させ、生徒会執行部に討ち取られた。
……植生観察用の温室でね」
それは、禁書『天凌学園祭回顧録』に記された、悲劇の真相。
学校の敷地内で起きた、学生同士の殺し合いの事実。
「今じゃ無理よね。
保健室で蘇っちゃうし」
つまり、50年前は、七奇跡の一つ、『無限蘇生の保健室』は、存在しなかった。
その事実は、ある仮説の証左となるのだけど、まあ今は関係ないから脇にぽいする。
――『それにつけても金の欲しさよ:五千円』。
さあ、ここからは、ブラフとハッタリによるカマかけの時間。
「十字青年を殺し、彼の毒で共倒れになったとされるのは、当時の生徒会長――茨木 童司。
魔人能力は、名前に相応しく『変身』。
老若男女好きな姿に変わり、身体能力も変容する、武闘派だったって話。
その生徒会長クンは、直前まで、至神 十字の主役獲得活動の熱心な協力者だったみたいね。実際どうだったの? 茨木 童司さん?」
荊木 きっど――推定、『ガーデンの聖ペトロ』、シモン役のモデルでもある、茨木 童司老は、モモカの言葉を静かに聞いていた。
「あなたが望んでいるのは、酒力 どらいぶの勝利じゃない」
全精神知覚機能を五倍にし、相手の反応を漏らすことなく観察。
全てを知っているかのように振舞ってペースを握る。
「50年前、舞台に上がることができなかった、至神 十字の全力の演技を、全校生徒に叩きつけることこそが、目的」
彼が全力であの『極彩色の演技』ができるのは何回だろうか?
3回――いや、2回も危ないかもしれない。
命の死なら保健室で蘇生できる。
けど、彼が削っているのは魂だ。
精神の死は体が癒えても意味がない。
荊木 きっどが、酒力 どらいぶの友人ならば止めるはずだ。
けれど、違う。
彼が――茨木 童司が50年間執着しているのは、至神 十字であって、酒力 どらいぶではないから。
「酒力クンの力は、土地に沁みついた残留思念と共鳴するもの。
そこにある『残留思念』に、『お前は誰だ』と呼びかける異能。
禁忌を犯す、酩酊という条件をスイッチに自我を希薄にし、土地と感応して「何か」を降ろす。
シャーマン信仰を基盤として、地方ではそれなりに見られるタイプの魔人能力ね」
こちらの推論をひとしきり聞いた後、荊木 きっどは大きく息を吐いた。
内に溜まる呪いを、吐き出したようだった。
「アレは――父親と反りが合わなくてね。至神じゃなくて、母方の姓を名乗ってた。
――酒天 十字。
奇跡の舞台に立てなかった、ほんの一口の運命が足りなかった。
そんな、俺が殺した、バケモノだ」
――大当たり。
【明】 【転】
(語り:四波平 月張)
遠く、五十鈴が歌う。
運命の舞台が始まった。
本来ならば、アンデレと、ペトロが開演の鐘を鳴らすはずだった劇が。
けれど、俺は、それが叶わないことを知っている。
「こうなる気はしていた。君が僕の行き止まりだと」
青白い炎のような極彩色の靄を纏い、碧なす髪を振りかざす蒼褪めた馬が跳ね踊る。
路地裏に追い詰められた「災厄」。
近づくものを狂わせ、人ならざるものにする、世界の敵。
シモンにとって、ペトロは今でも親友だ。
努力を重ね、花開かんとする直前で、それが潰えようとする姿。
それを前に、いったい、何が言えるだろう。
遠く、アンデレの歌が聞こえる。
ペトロの鼻歌が、それに重なる。
ほんの少し何かが違っていれば、二人のハーモニーが人々を魅了したはずだ。
その状況に。
極彩色の業と愛によって賦活された過去のイメージが、重なった。
「――【四波平、すまん】」
口をついて、思考より先に、セリフが出てきた。
二人の演技に圧倒されていた理性を、シモンという役への共感が凌駕した。
どうして、こうなってしまったのか。
こうなる前に、自分は何かできなかったのか。
いつかの朝練の後。
半ケツ状態だった俺に、訥々と投げかけられた親友の言葉が、腑に落ちる。
ああ、俺のお節介なルームメイトは、こんな気持ちで、俺を見ていたのではなかったか。
都合のいい妄想かもしれない。それでもいい。
観月 藤十郎を核に、ペトロという役を構築する。
かつて、兄貴に対していたことを、対象を変更して再演する。
「【皆が来たことに、気付かなかった】」
「気付いたならば、君に何ができた? ペトロは世界に仇なす化け物で、それでも性根は悪くないから舞台に上げてくれとでも頭を下げたか? そうして観客全てを――アンデレを、化け物にする逆十字を、僕とともに受け入れてくれたのか?」
極彩色の演技は、次々と俺の、かさぶたのような記憶を呼び起こす。
『業と愛』。
脳を焼く炎は消せない。観客の内省を喚起するその力には抗えない。
だから、その想起したものを核に、リアルタイムで演技の根拠として出力する。
あの日のルームメイトの言葉。
その光を、この身で照り返す。
「【それでも! おまえは、オレに事情を教えてくれた。なら、当然気遣うべきだ】」
「もう遅い!」
酒力のまとう極彩色の炎が、差し出した俺の手を灼く。
まるで現実のような痛みが精神を苛む。
「【おまえは、ルームメイトで……オレの尊敬する人の、四波平 明の、弟なんだ】
だから……最後の舞台を、この場所で、俺に見せてくれ」
それでも、俺は引かない。
口惜しいのは、この才能と努力の結晶に人々が報いなかったこと。
もし人生が二度あるならば――シモンは、この演技を世界中の人々に認めさせるために、あらゆる犠牲を払うだろう。
「正気か、シモン。僕の演技を最前線で見るということは――」
「正気だ、ペトロ。その観客席と引き換えなら、命なんか安いもんだ」
俯いて、ペトロが歌う。
遠くかすかに聞こえるアンデレとのユニゾン。
呼応するように、彼を苛む呪い――極彩色の靄が俺を襲う。
これだ。全ての元凶。逆十字の呪い。
ペトロはただ、己の努力が報われることを真摯に祈っただけだ。
その心につけこんで、こんなものを押し付けやがって。
歌いながらも、呪いに突き動かされ、ペトロが襲い掛かってくる。
虚を突いた低い姿勢から、軸足を狙う蹴り。
ああ、その姿勢。
いつもおまえは、そんな風に朝早く舞台を雑巾で磨いていたっけ。
跳躍と同時に、次の攻撃に移れるよう姿勢制御。
踊りが苦手で目を回すのだと笑っていたこともあった。
今は、そんな動きまでできるのだな。
もしも、俺に、ペトロを殺さず、この呪いだけを殺す力があれば。
レイピアを繰り出す。
団に支給された武器。
ペトロと育ったこの街を守るために振るうのだと誇らしかった刃。
その刃が――本当に守りたかったはずのものこそを、貫いた。
瞬間、没入した演技の中で、俺の中に、それが暴発した感触が生まれる。
――『真偽体』
まずい――勝手に――
俺の異能は、アクション演技により発生するはずのダメージを再現する。
つまり、今頃、酒力は刺された痛みを感じているはずで――
「?!」
しかし、その瞬間。
酒力の表情に浮かんでいるのは、苦痛ではなく、呆然とした驚愕だった。
痛みを感じていない?
なら。俺の演技は――何を刺し貫いた?
そして、同時に。
酒力の演技からは、極彩色の炎のような靄が、消えていた。
文字通り、憑き物が落ちたように。
「――ああ、くそ」
全く、別人のような声で、酒力は漏らした。
だが、演技は続いている。
むしろその豹変こそが、今のペトロには相応しい。
直前までの、『極彩色の業と愛』の演技ではない。
もっと、深い領域に、鬱屈して、沈み込んだもの。
業と愛から。
因と憎へと。
観客を焼き尽くすのではなく、過去の傷に直面させるものではなく。
静かに、暗く包み込む夜の闇のような。
――名付けるなら、『悉無彩の、因と憎』。
じゃらり、と鎖の音がする。
今の酒力の演技は、人を強烈に魅了する太陽ではない。
けれど、今、この瞬間は、太陽のそれよりも、相応しい。
【おまえは月だ】
クソジジイの言葉を思い出す。
繰り返し、言われてきた。
だから、太陽には勝てないと思っていた。
自分は太陽の下位互換だと認識していた。
それこそが、自らを縛る鎖になっていた。
けれど、目の前には、鏡がある。
鏡像がいる。
莫大な努力の蓄積で完全を再現する、五十鈴 陽乃。
眩しい極彩色と、沈んだ悉無彩を併せ持つ、酒力 どらいぶ。
【おまえのできることは、それだけだ】
いつかの撮影を思い出す。
クソジジイに頬を張られた、映画撮影でのこと。
【今、『日向を演じた』な?】
そう言って、アイツは俺を殴ったのだ。
あのイカれたやり方を一生許す気はないが。
最低の教育者で、最悪の保護者で、最高の役者であったスーパースターは、こう言いたかったのだろう。
役者は役を演じるもの。
他の役者を演じるものじゃない。
スタントダブルは、役者の身代わりではない。
四波平月張が演じるべきは、日向の太陽の演技ではない。
日向が演じていた役を、月として演じるべきだったのだ。
なんて、当たり前のこと。
月の演技でいい。
太陽の演技でなくていい。
『極彩色』と『悉無彩』を併せ持つ、今の酒力どらいぶのように。
兄貴を見続けてきた蓄積と、俺の積み上げてきたものを混ぜてやれば――それは、四波平月張だけの――
じゃらり。
心を縛っていた鎖を握る。
長い付き合いの呪いを、武器にするために。
――そして、エチュードは終わった。
「ありがとう、勉強になった。
主役になれるのは一人だけど、あなたたちと同じ舞台に立てるなら、嬉しいわ」
五十鈴の言葉に、俺と酒力は顔を見合わせた。
「だって、『満天の空と約束の鐘』は、二人芝居じゃないもの。
八枠は名のある役がある。なら、期待してもいいでしょ?」
そう言って、五十鈴は笑う。
誰からも好かれる、太陽のような笑みで。
「でも、当日――ここで、スポットライトを浴びるのは、私だから」
【今、『日向を演じた』な?】
どうして、その笑顔に、そんな言葉を、思い出したのか。
――もしかして、そういう、ことなのか?
五十鈴は有名人だ。
こいつが双子の妹を亡くしたことは、俺でも知っている。
――だから、酒力の演技に呑まれなかったのか?
根拠はない。けれど、なぜか、俺にはその予想が間違っていないような気がした。
心を剥き出しにする、酒力の演技のせいだろうか。
――役を演じる、自分ではない誰かを、演じ続けるという、二重演技者。
五十鈴の演技を、俺は、完璧だと思った。
それはきっと、一般的な意味での「完璧」ではない。
――アイツは、共演しながら、俺たちを真の意味では見ていなかった。
それは、十年ほど前の俺が目指していた、理想の姿に対する「完璧」。
――自分の演じている何かだけを見続けてきた。
四波平 日向の、完全な身代わりという、手の届かない、誤ったゴール。
――その二重構造が、極彩色の業と愛を、遮断していた。
五十鈴は、それを、目指し続けている。
――アレは、おそらく――五十鈴 陽乃の、代演者だ。
【明】 【転】
(語り手:八重桜 百貨)
荊木 きっどクンは、一部始終を黙って見ていた。
彼は、自分の終生の推し、酒天 十字の残留思念を憑依させた『極彩色の演技』を、奇跡の舞台で叩きつけることが目的。
酒力 どらいぶクンはその依り代に過ぎない。
過度のトランスによる酒力クンの廃人化も、観客の心に与える傷もどうでもよかった。
けれど、彼は今、月張クンの能力で剥き出しになった、酒力クン本来の『悉無彩の演技』を見た。
『極彩色』とはベクトルの違う、才能の片鱗を見てしまった。
彼が、過去の妄執に囚われるだけの人間でないのなら、こう思うはずだ。
――酒力 どらいぶは、依代として使い潰すには惜しい、可能性なのでは?
「もし、酒力クンが、『極彩色』から学べるものを学んで、自分本来の演技と融合させたら……それは、50年前以上の何かを、見せてくれるんじゃないかな?」
荊木クンは何も言わず、中庭に背を向けた。
「十字クンの残滓の宿主の情報、買う?」
「いらないスよ。茨木 童司はもういない。
ここにいるのは、荊木 きっどっていう、不良生徒だけス」
素直じゃないなあ。
まあ、男の子ってのはそういうものか。
御年67歳だけど。
「なら、荊木クンは別に、酒力クンや月張クンと、普通の友だちになってもいいよね?」
「……考えて、おくスよ」
ふう。「舞台観客精神崩壊&主演が廃人」というバッドエンドは回避できたかな?
モモカ、がんばった! えらい!
【暗】 【転】
(BGM停止。『贋・音楽神のテーマ』アカペラコーラス。転調、リズム、複数アレンジで繰り返す。不協和音を交えて輪唱。音忘れの君の試行錯誤)
『――嗚呼、違う。足りない。何かが。何もかもが。
私の調べは月影の仄か。陽を照り返す借り物の輝き――』
『人の身で神威を奏でるならば。
月が陽の輝きを求めるならば。
――何かを薪としてくべなければ。』
(SE:焚火のはぜる音)
『――心を失った。それを技芸の炎にくべた』
(SE:焚火のはぜる音)
『――愛を失った。それを技芸の炎にくべた』
(SE:焚火のはぜる音)
『――恋を失った。それを技芸の炎にくべた』
(SE:焚火のはぜる音)
『残ったのは、極彩色の神の音とは似ても似つかぬ悉無彩』
(SE:焚火のはぜる音)
『全てを薪にくべた果て、月では陽には届かずに――私は、音を、失った』
【暗】 【転】
(語り:五十鈴 陽乃)
酒力どらいぶと、四波平 月張。
私が二人と接触したのは、直接的な妨害工作を警戒したからだ。
彼らは、候補者の中でも有数の、シンプルな暴力を保有している。
酒力 どらいぶの相棒、一騎当千、学園有数の特記戦力、「決殺」荊木 きっど。
目立つ出自のせいで多くの生徒に狙われながら、一度として保健室で蘇生したことのない、――さらには、誰も保健室送りにしたことのない、「不殺」四波平 月張。
だが二人とも、拍子抜けするほどに「正攻法」で主役を狙っていた。
手段を選ばず奇跡を欲する理由がないのだ。
安堵する半面、苛立ちもある。
その程度の理由で、私の前に立たないでほしい。
陽乃を正しい姿にする、邪魔をしないでほしい。
二人とも、私から見れば笑ってしまうほど甘い。
おそらく、「妹を蘇らせたいから主役を譲ってほしい」とでも言えば、それで身を引いてくれるだろう。
けれど、それはできない。
同情で他人の夢を曲げるような卑劣は、月乃の思考だ。
陽乃は、そんなことは言わない。
「やっほー、五十鈴チャン、同盟のお誘いに来ましたー」
いつの間にか、隣を、満面の笑顔の二年生が歩いていた。
何でも屋、八重桜 百貨。
「あなたは、四波平君の協力者だと思ったけど」
「んー、思ったより月張クン、健康だったんだよね。
ほいで、見つけちゃったもんだから」
彼女はくるりとかわいらしくターンをすると、私の顔を覗き込む。
「他の子より押しに弱いっていうか自信なさそうで、ほいで、ほどほどにファンが多くて票が稼げそうかつ、チョロそうな子」
それは、全てを俯瞰したような目。
数年前、ある新入生と出会ったときに感じた、全てを丸裸にされたような錯覚。
「それは、五十鈴 陽乃とは正反対な評価ですね」
「ほいで、五十鈴 月乃の根っこにある本質だね」
彼女は、知っている。
なぜ? いや、今考えるべきはそこではない。
彼女を、どうする?
「――月乃さん、モモカのビジネスパートナーにならない?」
「あなたの目的は?」
「お金だよ」
「金目的なら、鐘捲財閥に擦り寄ればいい。
そもそもあなたなら、小金なんて、簡単に稼げるはず」
動機がわからなければ、駆け引きもできない。
素直に回答するとは思えないが、反応から手がかりは得られる。
役者とは、言葉から、断片から、人格を想定し、空想し、再現する職業だ。
八重桜 百貨という登場人物を解析するために、私は彼女を観察する。
「んとね。モモカは、国がほしいの。
ほいで、誰かに借りを作ると、モモカの欲しい国は手に入らない。
それが鐘捲クンに頼らない理由」
国?
突拍子もない単語に、思考が一時停止する。
「モモカが力を隠し立てしなくても、お節介な幼馴染が、心配しなくてすむ。そんな――」
八重桜 百貨は、遠くの何かを掴もうとするように、手を空へと掲げた。
「――モモカーランドが、ほしいんだ」
その手には小さく丸め込まれた、紙幣のようなものが握られていた。
【明】 【転】
「姉である五十鈴 陽乃を演じ続ける、五十鈴 月乃」
「名もしらぬ酒天 十字の極彩色を追い続けている、酒力 どらいぶ」
「祖父の命令を、四波平 日向を演じることだと思い続けていた、四波平 月張」
「朋友と括るには似過ぎて、同類と評するには違い過ぎる」
「八つの役に一人の脱落者。
50年前の鐘の音は、七つの奇跡を生んだ。ならば――」
「演者三日会わざれば刮目して見よ。君たちの舞台は、どんな軌跡を描くのだろうね」