流れよ我が涙、と不死鳥は言った。

放課後の部室棟。
『不屈の作曲家』こと羽曳野琴音は二つの悩みを前に頭を抱えていた。

一つは、支持者数の伸び悩み。
現在の支持者は1601人。
東京屈指のライブハウス、マイナビBLITZ赤坂を満席にしてなお余りある人数に支持されていることは素直に嬉しい。

しかしその得票にはRainbow Ignitionのファン、
および事故によりメンバーを失った少女に対しての同情票が多分に含まれていることは、琴音自身が一番よく分かっていた。

興味本位の支持はあっという間に頭打ちとなるだろう。
票を得るために何かアクションを起こす必要があるのは明白であった。

(…やはり音楽しかない。“私に出来る最高の音楽”をもって他の候補者を圧倒するしかない)

しかしそれには羽曳野琴音だけでは足りない。
琴音は生粋のバンドマンであり、ソロで名だたる候補者たちに渡り合う自信はなかった。

(誰かの力が必要…だが、誰の力を借りればいいのだ??)

琴音は頭をぐしゃぐしゃと掻き、目前の二つ目の悩み・ ・ ・ ・ ・ ・に溜息を吐いた。

(そして何より、この状況!)

「先輩?溜息は幸せが逃げちゃいますよ?笑っていきましょう!」

全開の笑顔で明るく話しかける二つ目の悩み。
『ミス・パーフェクト』こと天龍寺あすかが、目前に在った。

■■■

流れよ我が涙、と不死鳥は言った。

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天龍寺あすか

“奇跡の担い手”に最も近い位置にいる、天才の名をほしいままにしている人物。
現在の支持者は2301人。琴音の1.5倍近い支持を早々に得ている。

外見、能力、家柄、性格全てにおいて隙無く高水準。
奇跡の候補者としては最も警戒すべき対象である。

その対象が無防備に、爛漫に自分の前に座る。
琴音はもう一度溜息を吐いた。

「…後輩。良い度胸しているね。部室棟は軽音部である私の空間…一人で来るのは無謀と思わないか?」

「…それって、先輩がワタシを仲間たちと一緒にやっつけちゃう、ってことですか?それで支持が得られるならやればいいと思いますよ♪」

挑発にも余裕の笑み。
天龍寺あすかのロジックの確かさに琴音は歯噛みをした。

目の前の後輩の言うとおり、ここで力任せに打ちのめしたとしても支持を得られる保証はない。
それどころか“演劇部外者”が“演劇の天才である最有力候補”を暴力で制圧する形となり支持が下がる可能性すらある。

「何をしに来たんだ後輩。殴り合いならよしてくれ。私はそっちには自信がないからな」

琴音は早々に意識を切り替え、自分も暴力に頼るつもりはないことを示した。
少なくともこれで向こうから暴力に訴えてくることは無いだろう。
実際問題、琴音の『不死鳥の翼(Phoenix Fluegel)』は生存特化であり戦闘能力はない。
拘束などされてしまえばあっという間に無力化されてしまう。
そして何より、琴音の能力はあの日の事件により大半の生徒の知るところとなっている。
能力を知られている、というディスアドバンテージがある以上武力行使をするつもりはなかった。

「単刀直入に言いますね。先輩、ワタシを主役にするために協力してくれませんか?先輩の音楽があれば、ワタシはもっと高い場所に行ける…。報酬は…奇跡のおすそ分けでいかがですか?ワタシが主演に立てたなら、先輩の願いを奇跡の鐘に祈ります」

「…私に奇跡を分けると?お前自身の願いはないのか?」

「ん~、正直言いますと、ワタシは奇跡とやらを信じてはいないんです。50年も昔の誰も詳細を知らない奇跡…。それに何かを託すつもりはないです。そんなことより、どうせなら最っ高の舞台にしたい!誰もが忘れられない、キラキラした舞台にしたい!先輩となら最高の舞台が作れる!その上でもし奇跡が本物なら、先輩の願いに使いましょう!」

一点の曇りもない瞳。
天使のように明るい笑顔。

(なるほど。支持を集めるわけだ)

琴音は静かに納得をした。

「…そんなことを誰にでも言っているんじゃあないのかい?最後に奇跡を求めるもの同士で血肉の争い…なんてのは御免だぞ私は」

当然の疑問を口にする琴音にも天龍寺あすかは動じない。

「先輩は、奇跡の言い伝えを覚えていますか?

50年に一度、文化祭の前夜祭にあたる開催宣言の演劇で
主役を務めた生徒が鐘を鳴らした時に奇跡が起きる

…これしか伝わっていません。奇跡の対象が複数ではいけないとも、譲ってはいけないとも、何も言われていません。私は奇跡を信じていませんけど…もしあるのなら、複数の願いが否定される道理はないですよね?」

元々曖昧な奇跡の条件。
複数人を対象とした奇跡を否定する根拠はどこにもなかった。

「確かにそうだな。…だけど、お前が奇跡を勝ち取るに足る実力を持っているか、私は知らない。無根拠なものに自分の願いはベット出来ないよ。私は私のやり方で主演を、奇跡を目指す。他を当たりな。後輩」

琴音は冷たく突き放す。

「先輩の願いは…やっぱり…?」

天龍寺あすかは唇を噛み締めながら、おずおずと聞いた。

(ああ、当然私の参加理由は知っているか。それを直接聞かず遠慮がちに尋ねている。聞くかどうか悩んだのだろう。先ほどまでの自信ありげな姿と違い、申し訳なさが全身から立ち上っている)

…こいつは“良い奴”だな。

と琴音は判断した。

「…まぁ、そんなところだ。知っているなら話は早い。私の願いは実力の分からない人間に託すことは出来ないんだ」

「そのために、門外漢でありながら演劇に挑むんですか?…ド素人が舞台に?」

「痛いところを突くねぇ後輩!」

にやりと狂暴な笑みを浮かべた琴音に、真正面から天龍寺あすかは告げた。

「…先輩はワタシたちの土俵に踏み入ろうとしている…なら、ワタシにも一度、先輩の土俵に入らせていただけませんか?」

天龍寺あすかの言葉の意味が分からず怪訝な顔をする琴音に、
誰もが見惚れるほどのパーフェクトな笑顔で追撃がなされた。
 

「先輩!ワタシと、ライブしましょう!!」
 

■■■■

羽曳野琴音と天龍寺あすかは部室棟の一角、倉庫代わりの大教室に訪れた。
様々な部活がこっそりと練習場に使用している教室だ。

最初からこうすることが目的だったのか、そこにはキーボードが用意されていた。
天龍寺あすかはギターを担ぎ、ドラムとベースのメンバーも連れてきていた。
中肉中背の男子生徒。
何故か二人とも仮面をつけており、それが誰かは分からなかった。

(なんだよあの二人は…)

内心警戒するが、ここでうろたえては思うツボだと判断し、琴音は仰々しい動きをする。

「準備万端、ってわけか後輩!前もって告知もしていたのか?観客まで万全とは恐れ入った!」

琴音の言葉の通り、大教室は既に羽曳野琴音の支持者と天龍寺あすかの支持者でごった返していた。
ご丁寧に配信の準備もされている。

「ライブをネットで生配信…私と支持者に実力を見せつけると?」

「まぁ、そんなところです。…逃げないですよね?先輩?」

安い挑発であったが琴音は乗った。
天龍寺あすかの提案は羽曳野琴音にとっても悪くない。

ライブという自分の舞台で、“奇跡の担い手”候補ランク1位を圧倒すれば支持者の大半は自分に流れてくるだろう。ライブ生配信という誤魔化しができないステージも琴音の好みだった。

「曲は何をご希望?後輩?」

「…【ムーン・ロック】でお願いします」

その曲名を聞いた途端、琴音は真顔になった。

「…本気、なんだな。本気で私の土俵でやろうっていうんだな?」

【ムーン・ロック】はRainbow Ignitionが初期に作成した曲だ。
まだ妹の心愛が“歌って踊れるアイドル声優”という方向性を固める前に作った曲。

硬質な曲調と派手なシャウトが混在する、Rainbow Ignitionとしては異質な曲であるが、根強い人気を誇るナンバーだ。キーボードの静謐なソロから入り、ギター・ベース・ドラムの順に合流しボーカルのシャウトが一気に持ち上げるピアノロック。

キーボードのソロからボーカルのシャウトにつなぐ構成。
完全に“ぶつけ合い”を天龍寺あすかは望んでいるのだと琴音は察した。

(上等だ…ここでランク1位を食えば、奇跡に近づく!!)

【ムーン・ロック】のイントロはキーボードから。
琴音はメンバーの準備が出来たことを確認すると、フッと一つ息を吐き鍵盤を力強く弾いた。

■■■

第一音からして違った。

音楽の世界において、プロとアマを分けるのは音の“圧”だという。
同じ演奏をしているはずなのに、不思議とプロの演奏は骨まで響く。

琴音の奏でるキーボードの澄み切った音は、聴衆の脳髄に染み込むような静謐さがあった。
鍵盤の上を細く白い指が軽やかに踊る。
アマチュアとは一線を画した演奏に、大教室の空気が熱を帯び始めた。

(さぁ、そろそろギターが入るぞ…お手並み拝見といこうじゃないか後輩!)

ギラリと待ち構える琴音の耳に、天龍寺あすかのかき鳴らすギターの音が飛び込んだ。

(…上手いな。天才とか呼ばれているのは伊達ではないようだ)

琴音は素直にそう思った。
天龍寺あすかのギターは素人離れしていた。
実のところ天龍寺あすかはギターの練習を僅かしかしていない。
それでもその天才性で強引にカバーをする。

ギターの長音が何にも阻まれることなく真っすぐに伸びていく。
難関と言われるFコードも難なくこなし、弦の上で美しい指が大胆に舞う。

(でも、それだけだ。“上手い”程度ならな!サビのタイミングでギアを上げて圧し潰してやる!)

次いでベースが入る。
重低音は綺麗に響いたが、ややパンチに欠けるのっぺりとした音だった。
立ち振る舞いも、もたついた感じで不慣れであることが見て取れた。

(ベースは正直稚拙だな…だけど…)

ベースは確かに不慣れではあったが、懸命さは伝わった。
技量の上下を抜きにして、この演奏に賭ける何かがあるのだと琴音にはよく分かった。
下手くそなりに全霊を込めているのだと、音が教えてくれた。

(好き嫌いでいえば天龍寺の演奏よりこちらが好ましいかな)

そう思う琴音を、ドラムが襲った。

(…!?なんだこいつ??!)

それは琴音ですら驚愕に顔を歪めるような暴力的なドラムだった。
不快と紙一重の暴走的と言っていいほどの響き。
まるで荒れ馬を力ずくで御しているかのような、血と生命に満ちた演奏。
「俺にしか奏でられない音楽がある!!」と叫ぶかのようなドラミング。

お手本のような優等生ギター。
パッションでカバーする懸命なベース。
荒れ狂うドラム。
そして琴音の静謐で圧倒的なキーボード。

バンドとは化学反応。
属性の違う音が絡み合い、Rainbow Ignitionのオリジナル演奏とは全く色の違うグルーブが生まれる。

そのグルーブに、天龍寺あすかのシャウトが混ぜ込まれる。

「────────!!!────ッ!!!!」

演劇の発声法を応用したシャウトは、どこまでも伸びやかに強烈な圧をもって大教室に響いた。
軽やかでありながら生命力と熱に満ちた、魂のこもったシャウトだった。

(…コイツ!?“その手”があったか!!)

そして琴音はそのシャウトに天龍寺あすかの狙いを感じ取った。

確かに天龍寺あすかは万能の天才である。
本気でバンド活動に打ち込めば、数年ほどでギターもボーカルも最上位に達することが出来ただろう。

しかし今この瞬間の天龍寺あすかでは流石にプロレベルのパフォーマンスは出来ない。
セミプロであった羽曳野心愛と比較しても一段劣るだろう。

ただしそれは、“総合すれば”の話である。
先を考えず、一曲のみに全身全霊を注ぎ、持てる力を使い切るならば。
二曲目、三曲目のことを考えず歌い尽くすならば。

今この一瞬だけは最上位のプロレベルの歌唱が可能となる。

通常それは机上の空論であり、一曲に全霊を注ぎきるなど普通は出来ない。
それを『俯瞰症』が可能にする。

「この高さでもいけると思ったんだけどな」
「二番で声出なくなっちゃった」

カラオケなどで失敗した者が数多繰り返してきた言い訳。
それは全て自身のコンディションを把握出来ていないから生じるものである。

天龍寺あすかは『俯瞰症』を発動。
自身の体力、声量、喉のコンディションを完全に把握。
出せる限界ギリギリを計算して実行に移す。

それは、計算され尽くした全身全霊。
【ムーン・ロック】の演奏が終わった時、体力残量が1%以下になるよう調整された大熱唱。
荒馬のごときドラム、情熱的なベース、静謐なキーボードを従え、愛の歌を轟かせる。

【あの日の月の下で】

【君が口ずさんだ下手くそな歌】

【調子外れの歌が 何故だか僕には愛おしくて】

(…作詞はみんなでやったんだっけ。『王道のラブソング作ろうぜ!』とか一花が言い出してさ…みんなでこっぱずかしくなりながら、それでも必死に作詞したんだ。ベタすぎる部分もあるけど、好きな曲だ)

琴音にとっては思い出深い曲。
それを穢す歌唱でなかったことに、密かに安堵していた。

曲はあっという間に進んでいく。
熱狂のままに天龍寺あすかは朗々とサビを歌い上げる。

【言えばよかった 今さら思う】

【言えばよかった 遅すぎるかな】

【言ってもいいかな 滲んだ月に】

切なくも伸びやかに。
哀しくも明るく。
残された者の情熱を、天龍寺あすかは高らかに歌い上げる。

(クソ!…悔しいが、ノッてしまう!やはり、やはりバンドは良い!)

一番が終わり間奏に突入。
ギターのソロが響いてから二番に向けて盛り上がる構成。

そのはずであったのに、天龍寺あすかはギターを操る腕を止め、手拍子を行った。
大教室に集まった生徒たちは熱狂し、同調するかのように手拍子を返す。
その勢いのままに天龍寺あすかはメンバー紹介を始めた。

「今日は集まってくれてありがとう!まずはキーボード!!『不屈の作曲家』!羽曳野琴音先輩!」

打ち合わせもなしに琴音にパスが送られる。
「このくらい大丈夫でしょう?」
と言わんばかりの挑発的な笑顔を添えて。

(…上等だ後輩!場数が!違うんだよ!)

琴音は無茶振りにも一切動じず、予定調和と言わんばかりのキーボードソロを響かせる。
その音は静謐にして硬質。ピンと背筋の伸びる涼やかな音色。
観客の熱狂はますます濃くなっていく。

「続いて!ベース!」

天龍寺あすかのパスに合わせ、ベースは仮面を脱ぎ捨てた。

「演劇専修科音響スタッフ!土浦!!」

それは、琴音も顔なじみの後輩。
「もう一度、僕は琴音先輩の音楽が聴きたいのです」
と言葉をかけ劇伴の世界に戻した本人。

(土浦…!そういえば彼は『音楽家としての先輩は尊敬しているが、役者としては別の推しがいる』とか言っていた…それが天龍寺あすかということか!そいつを勝たせるためにお前は懸命に…)

そう思った琴音を、土浦は真っすぐに見つめる。
必死にベースをかき鳴らす。
音が、想いを伝えると信じている演奏だった。

はたして、想いは届いた。

(違う…土浦は天龍寺のために演ってるんじゃない。…“私のため”だ。土浦は本気で、天龍寺と組んだ方が、私が奇跡を掴める可能性が高いと思っているんだ。だからあそこまで必死になってくれているんだ…)

天龍寺あすかほどではないが、土浦もこの一曲に全てを注ぐ演奏をしていた。
後輩の真摯な想いに琴音は揺さぶられる。

「続いて!ドラム!」

琴音の思考が整わないうちに、ドラムの仮面も投げ捨てられた。

「『屋上の1人オーケストラ』!長門艶奏!!」

地鳴りのような演奏が広がる。
荒れ馬を、狂える狼を、滑空する鷹を一塊に御するかのような狂気的音圧。
紛れもなく長門艶奏にしか出せない唯一の存在感のある音楽だった。

(長門!?確かアイツは、演奏による魔人能力で獣を産んでしまうから表舞台に立てなかったのでは!?)

琴音の疑問を、他ならぬドラムの音が払拭する。
獣を捻じ伏せ、内包するかのような暴力的リズム。
長門は大粒の汗を撒き散らかしながら、全開の笑顔を弾かせていた。

(乗り越えた、のか。魔人能力を完全に掌握したのか!天龍寺とどんなやり取りがあったか知らないが、自分の音楽を見つけたからこそ、候補者をサポートする側に回っているのか!)

「そして!ギター&ボーカルは!ワタシ!天才、天龍寺ぃ、あすかーーーーー!!!!」

派手なシャウトに合わせギターが唸りを上げる。

「投票、よろしくね♪」

配信を続けるカメラに向かい、パーフェクトとしか言いようのない笑顔が飛んだ。

まもなく、二番が始まる。

■■■■

羽曳野琴音のキーボード。
土浦のベース。
長門艶奏のドラム。
天龍寺あすかのギター&ボーカル。

全てが調和し反応し絡み合い複合し、波が生まれていた。
その熱波は演者も観客も巻き込み、砂嵐のごとく全てを取り込み疾走していた。
歌唱はますます熱を帯びていく。

【あの日の月の下で】

【綺麗だなんて言えるわけもなかった】

【「どっちが?」なんて聞かれても どっちの答えも意味は同じだから】

音が熱を生み、熱が音を生む。
演者と客が一体となり、一つの生き物として脈動する。

そこには正しい“ライブ”の姿があった。
琴音の演奏もどんどんと熱と鋭さを増していく。

正直最初は他のメンバーを値踏みするつもりだった。
しかしそんな上から目線は早々に消え去っていた。
音楽のもたらす陶酔感と万能感が琴音の脳髄を揺らす。

(ああクソ!楽しい!楽しい!最高だ!!)

今の天凌学園で、これ以上のグルーブを生むことが出来るだろうか?
そこには、羽曳野琴音が求める“私に出来る最高の音楽”があった。

────だからこそ、羽曳野琴音は泣いた。ポロリと、涙が一つ頬を伝った。

今のライブが自分に出来る最高のものだからこそ。
彼女のうちに潜む渇望が胸を切り裂く。

土浦のベースはパッションが注ぎ込まれた生きた音楽だった。
こういうベースと一緒に演奏できることは音楽の原初の楽しみを想起させた。

だけど、違う。

鳴門みみのベースのような穏やかで包み込む優しい響きがない。
どこまでも丁寧でパンチのある職人のような安心感がない。

【悲しいんだよ 君がいない今】

長門のドラムは暴力的ながら圧倒的なテクニックと音楽への愛に満ちていた。
こういうドラムと一緒に演奏できることは酒でも飲んだかのような陶酔感を引き起こした。

だけど、違う。

日向紗良のドラムのような泣きたくなる美しさがない。
夕闇を切り裂く流星のような、一本筋の通った響きがない。

【悲しいんだよ 遅すぎたから】

天龍寺あすかのギターは正確極まるもので抜群の安定感を誇る。
こういうギターと一緒に演奏出来たなら自分は思う存分キーボードを振るえるだろう。

だけど、違う。

栗東一花のギターのような他者を押しのける我儘さがない。
エゴ丸出しで、だけど愛さずにはいられない奔放な輝きがない。

天龍寺あすかのボーカルは豊かな声量と伸びやかな表現と、センスとしか言いようのない艶があった。
まさに華。こういうボーカルがいればバンドは成功し全国にだって進めただろう。

だけど、違う。

妹の、羽曳野心愛のボーカルのような、守ってあげたくなる躍動感がない。
時に不安定でハラハラさせられる、それでもキラキラした情熱的な何かがない。

違う。
違う違う。
違う!!違う!!違う!!
違うんだよぉぉぉおおおお!!!

彼ら彼女らの演奏が、バンドとしては、ライブとしては最高級だからこそ、琴音は比べずにはいられない。
自分が本当に欲しい“最高”とは違う。Rainbow Ignitionとは別物だと思わずにはいられない。

酷く悲しいことに。

羽曳野琴音が今できる最高の音楽は。

彼女が求める最高の音楽ではなかった。

彼女は、Rainbow Ignition以外の演奏を最高と言いたくはなかった。
Rainbow Ignition以外の演奏で、主演を掴むのは違う気がしていた。

───もう、Rainbow Ignitionは存在しないというのに。

【言ってもいいよね この言葉を】

(はははは!馬鹿だ!私はなんて馬鹿なんだ!Rainbow Ignition以外の最高なんて認めないくせに、“最高の音楽”で主演を掴もうとしていたなんてさァ!!)

泣きながら、羽曳野琴音は歌を叫んだ。
本来ならボーカルに任せる場面にもかかわらず、一緒に最後の歌詞をシャウトした。

【嗚呼!!もう一度会いたいよ!!!月が許すならば!!】

■■■■

大熱狂のライブが終わりを迎える。
配信は大盛況。
同接は1万を突破。学生の突発ライブとしては驚異的数字だった。

「後輩…お前はさぁ、分かっていたのか?私の歪さに」

もう存在しない“最高”をもって主演を目指すという歪み。
当然天龍寺あすかは気が付いていたが、応えることは出来なかった。
全霊を出した結果、全身を汗に染め荒く呼吸を繰り返すばかりだった。

(…かなわねえなぁ…。口で言えばいいものを、私自身に気が付かせるために、わざわざ今できる最高の演奏まで用意してさあ…)

残っていた涙をぬぐい、羽曳野琴音は手を差し出した。

「とても良いライブだった。…後輩。私はお前の言う通りサポートに回ろう。最高の音楽でお前を主演まで連れていこう」

ふらつきながらも天龍寺あすかは手を返した。

弱弱しく差し出された手を、ギュッと音が出るほど強く握り、琴音は咆えた。

「ただし!お前が腑抜けたマネしてみろ…さっさと別の奴について、別ルートから奇跡を目指してやるからな?支え甲斐のある主演でいてくれよ?“天才”!」

差し出した手に走る痛みに顔を歪めながらも、天龍寺あすかはパーフェクトな笑顔を返した。

「魂の震える時間でした。共に演奏出来て光栄でした!」

全てのやり取りは配信された。
何もかもが終わったあと、天龍寺あすかは羽曳野琴音の支持者を取り込んでいた。

■■■■

 

「魂の震える時間でした。共に演奏出来て光栄でした!」

(嘘である)
(天龍寺あすかの心は特に動いてはいなかった)

(Rainbow Ignitionの楽曲を上質とは思っていたが、それだけだ)
(天龍寺あすかにとってはベートーヴェンも、AKB48も、ビートルズも初音ミクもローリングストーンズも中島みゆきもバッハも、等しく“上質の曲”だった)

(羽曳野琴音の歪みには気が付いていなかった)
(【ムーン・ロック】を選んだのも自分ではない)

(天龍寺あすかは真に天才であるが故、人を頼った)
(『琴音先輩を仲間にしたいのだけど、どうすればいいかしら?』と真摯に(見えるように演技して)クラスメイトと演劇仲間に問うた)
(魔人能力者のひしめく天凌学園。感情の色が見える能力者がいた。数秒心が読める能力者がいた。感情表現をブーストさせる能力者がいた。一瞬過去を見る能力者がいた。仲間たちの能力を借りれば、羽曳野琴音を篭絡する計画を練ることは容易かった。琴音の歪みにもそこで気が付いた)

(あとはただいつものように、出来ることをするだけだった)

(土浦を引き入れることも)
(長門艶奏を引き入れることも)
(何もかもが容易かった)

(他人からは魂のライブに見える一連の行動も、天龍寺あすかにとっては攻略本を見ながら進めるテレビゲームのようなものであった)

(だが、それを悲しむ心も虚しいと思う心も天龍寺あすかには存在しない)

(演劇に真摯でない素人を舞台に立たせないで済んだ淡い喜び)
(それがほんの僅かに天龍寺あすかの心を照らすばかりである)

「────琴音先輩の音楽では、私の心は動かない」

天龍寺あすかは寮への帰り道、誰にも聞こえないようにボツリと呟いた。

 

 

 

■■■

「はぁ~、それにしても天龍寺のライブ最高だったな!」
「なー!クラスメイトってこと差し引いても、俺ぁ天龍寺に主役勝ち取ってほしいなあ~。あいつ良い奴だし」

天龍寺あすかのクラスメイトの男子が、世間話をしながら寮に戻っていく。

「天龍寺といえばさあ、さっき鼻歌で【ムーン・ロック】歌って歩いてたんだよな」

「いや鼻歌くらい普通だろ。あんな良いライブ決めた後なら誰だってテンション上がるわ」

「…そうだよなぁ。だから俺も、『Rainbow Ignitionの曲気に入ったん?』って聞いたんだよ」

男子生徒は小首をかしげながら話を続けた。

「キョトンとした顔してたからさ、『いや、鼻歌に出るくらいなら気に入ってるっしょ?』って聞いたらさ…」

 

「見たことないような顔して、

『鼻歌に出ていた?気付かないうちに?ワタシが自分の行動に気が付かない?』

ってブツブツ言いながら部屋に帰っていったよ。何だったんだろうなアレ」

 

────何かが、変わろうとしている。

 

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