「小さな大道具」「鋼鉄妖精」求道 匠 プロローグ

求道匠 プロローグ 「とある日、とある場所、とある生徒との会話」

 

 求道匠が「満天の空と約束の鐘」の主役を目指すと表明したと聞いて、私を含めて彼女を知るほとんどの者は困惑した。
 彼女はそういう役柄の似合わない、自分からも求めない、いわゆる縁の下の力持ちだと誰もが思っていたからだ。

「本気だよ!」

 本気なのか、と問いかけると直球の答えが返ってくる。
 こちらを見上げてにんまりと笑いながら、じっと視線を合わせてきた。頭の上で大きなリボンがひらりと揺れる。
 私だって彼女が冷やかしでやっているとは最初から思っていない。
 彼女の他にも誰それが件の劇の主役に立候補したという話がちらほら聞こえている。
 その中には普段から熱心に演劇に取り組んでいる者、奇跡に懸ける願いがあるという者、動機は明かさないけれど思いつめている様子の者、そういう真剣な人たちが何人もいる。
 求道匠は意味もなくそういう人々の邪魔をするような人間ではないのだ。

「……理由は?」
「いい劇にしたいから!」

 そういう気持ちがあるのは確かだろう。

「でも普段の匠なら大道具として協力するんじゃない?」
「うん! 去年と一昨年はそうしたね!」

 そうなのだ。天凌祭は毎年11月に開催されている。そして「満天の空と約束の鐘」はその前夜祭の定例演目だ。
 去年も一昨年も行われた。覚えている。

「どう思った?」
「どうって……」

 私は言い淀んでしまう。
 出来が悪かったわけではない。
 しかし取り立てて強い印象も残っていないのだ。

「正直に言っていいよ」

 匠はぎゅっと目を細めて困ったように苦笑した。
 それから一瞬の後には再びまぶたを開いて、きらきら輝くつぶらな瞳をこちらに向けた。

「普通に、楽しかったよ……」

 目をそらしながら言葉を絞り出す。
 私はもう匠の視線を受け止めることができなかった。
 この子の目は真っ直ぐすぎる。

「うん、楽しかったね。でもそれだけじゃなかった」
「……そうだね――」

 匠の方ではそういうつもりはないのだろうけど、私はこの小さな友人に気圧されていた。
 冷たいというほどでもないけれど、なんというか、雰囲気に遊びがない。
 演劇が関わることであれば、彼女はいつでも本気になるのだ。

「――楽しいだけじゃなかった。私にもそう見えたよ」

 これは勝手な想像なのだけれど。
 既に卒業した先輩たち、去年の三年生にはつらい経験だったのではないだろうか。

『あと一年、自分の生まれが違っていたら、奇跡は自分に訪れていたかもしれないのに』

 そう思わずにいられただろうか。
 演技の中に屈折した感情が混ざってはいなかっただろうか。
 どうせ今年は何も起こらないからと舞台を冷めた目で見ていた者はいなかっただろうか。

「みんな頑張ったんだけどねえ」

 私は顔を上げた。正面をうつむけば匠の顔が目に入るから。
 匠がただ懐かしがっているのか、悔恨を抱えているのか、私にはわからない。
 去年の劇に関わっていた人たちが何を感じていたのか。
 本当に勝手な想像に過ぎない。
 私は舞台を作る側の人間ではなく、ただ見ていただけの観客だったのだから。
 冷めた目で見ていた者、それは他ならぬ私自身だ。
 去年の劇のクライマックス。
 奇跡をもたらさない鐘の音は味気なく聞こえた。
 そのように受け止めたのは私自身だ。

「ごめんね」

 顔を見れないまま、私は言葉だけの謝罪を口に出す。

「謝ることじゃないよ。私たちの力不足だったんだから」

 私は目を閉じて首を振る。
 去年の私は最初から劇を楽しもうという心構えではいなかった。
 それこそ匠たちにはどうしようもないことだ。
 今年の劇はちゃんと見よう。
 そう思うと同時にふっと疑念も湧き出てくる。
 今年は50年に一度の奇跡が起こるという。
 多くの生徒はそれを信じている。
 他の生徒たちも劇そのものではなく最後に起こる奇跡に関心を向けているのではないか。
 だとすれば、今年の劇は去年よりも惨めになりはしないか。
 観客は劇を見たいではなく、奇跡に立ち会いたいだけではないのか。
 そんな人々にとっては、最後の鐘が鳴る瞬間、それまでの劇そのものはただの待ち時間でしかないのではないか。

 そうか。

「匠は、このままだといい劇にはできないと思ってるんだね」

 だから行動を起こすのか。

「うん! 本当はね、私が主演をするよりももっと相応しい人を見つけたいんだけどね。どうなるかわからないから大道具以外もできることをやってみようって思ったの!」

 誰が主演を務めるのか。
 それは投票によって決められる。
 票を集める方法は無法。
 親しくなっても、信任を集めても、英雄譚を作っても、プロパガンダを広めても、悪評を流しても、ぶっ殺してもいい。
 必ずしも良い演劇を作り出される者が選ばれるわけではない。
 そしてもしも、選ばれた主演が卓越した演技力を持っていたとして、生徒たちを魅了するカリスマ性を持っていたとして、私たちの心に訴えかける熱量を持っていたとして。
 それはみんなが待ち望む奇跡以上に観客を舞台に引き込むことができるのだろうか。

「匠はどう思うの。どんな人が主演ならいい劇になる?」
「わかんない!」
「わかんないか」

 わかんないから動くのか。

「とりあえずは立候補した他の人たちにも話を聞いてみようかなって思ってるよ!」
「他の人たち、そこまで劇のこと考えてくれるかな。私たちみんな魔人だもの。会っていきなり殺されちゃったりして」
「んー、でももう決めたから!」
「そう――」

 私だって匠を止めるつもりはないのだ。
 死者すら蘇る保健室を備えたこの学園では、命より大切なものなんていくらでもある。

「――うん、頑張って。応援してる」
「ありがとう! でも票は良い主役ができそうな人に入れてね! とにかく今年の劇では絶対に退屈させないから!」

 そこまで言われてやっと私はもう一度、匠の顔を見ることができた。
 あまりにも毒のない顔で笑っていたから、私はなんだか力が抜けてしまった。
 今年の劇はちゃんと見よう。
 きっと奇跡がおまけでしかないくらいの素晴らしい劇を作ってくれるのだろうから。

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