「阿保坊」鐘捲 成貴 プロローグ

「天」……この世のすべて。金で買えるもの。
「凌」……金に代え難いもの。この世にないもの。
(鐘捲家百科事典より抜粋)

 

 地上から鐘が響き渡る。
 学園塔の頂上で校長が大鐘楼を鳴らす音だ。

「坊っちゃま、まもなく学園上空です。着陸のご準備を」

 ここはヘリコプター。上空2000m。
 教育係の黒畠が登校の準備を促す。僕は地上へ降り立たなければならない。
 大鐘楼の音に併せて、僕は歌声を発する。

『Komm,Deutsch macht Spaß——』

「ケビン聖歌」

 黒畠が即座に答える。さすが教育係だ。
 ケビン聖歌は1832年、デュッセルドルフの小さな村の教会で生まれた地方歌だ。生みの親は、なんと当時10歳の少年だった。

『Müde,guck mal wunderbar. Ich muss lernen. 』

 ケビン・マイヤー。
 辺境の小さな村の聖歌隊に入った彼はその年の暮れ、友人のボブ、スチュアートと共に2週間でこの曲を作った。天才だったのだろうか?僕と同じ歳で、これほど荘厳な詩とメロディを編み出すとは。

『Pass auf. Ich weiß nicht. Ich habe keine Zeit. 』
(御元より来たれ。私は罪が許されるよう、小さな祈りを捧げる)

『Frohe Weihnachten.』
(メリークリスマス)

 空から見下ろせば、丘の上に学園が見える。
 自然豊かな緑、険しい森林、一面の花畑。
 周囲を自然によって隔絶された学園。
 誰が呼んだか、そこは牢獄(Gymnasium)。
 大多数の生徒たちはこの地で「普通」のフリをして暮らしている。

 風が、貧しさを帯びている。
 分からないのか、ケビン。

「坊っちゃまのお感受性、この黒畠にはまこと計り知れませぬ」

「ならば見てろ黒畠……僕は金の力で天の國すら御してみせる」

 若い僕を見ていてほしい。天のママン、グランマも。
 黒畠は僕の背中にパラシュートを装着して、ヘリコプターのドアを開ける。貧乏人ども、いざ行かん。

「ふふふ……この鐘捲成貴、今より『ファンタスティックスカイ・イリュージョンショー』の能力を発動する!!行くぞ黒畠!ハーっハッハッハ!」

 

 ¥ ¥ ¥

 

 早朝6時半にもかかわらず、4年一組の教室は騒々しかった。校舎に接近するヘリコプターの駆動音のせいだが。

『ハーっハッハッハ!!この鐘捲成貴、文化祭の栄誉のためなら朝から演技の自主練だ』

 ヘリコプターのドアは開け放たれ、そこから本物の一万円札が雨あられと舞い落ちる。とりあえずは挨拶がわりの一京円、東京ドーム一個分の規模だ。
 その最中、拡声器を手にした少年がヘリコプターから飛び降りる。変声期前の天使のような美声で叫ぶ、パラシュートを装着した一人の少年だ。

 鐘捲成貴、10歳。
 鐘捲グループ総帥鐘捲自酔の一人息子にして、天凌学内最大派閥を形成する『鐘捲派』の頭目だ。今日も文化祭の出し物であるクラス演劇に向けた練習のため、いち早く教室を訪れた。

『努力は金に代え難いと人は言う。だが果たして本当か!?価値があるからこそ換金可能だと僕は断じる!!とうっ!』

 少年は空から一直線に4年一組の窓を蹴破る。ダイナミックかつゴージャスに教室へ突入だ。千本桜の散り様もかくやとばかりに一万円札が室内へ舞い込む。少年の一挙一動には億兆円でも及ばない。
 続いて黒服の男が生身で静かに教室内に着地する。

「さあこんな朝早くなら誰もいないから練習し放題——」

 

■■:嗚呼、詩人さま。あなたはいつ来られるの
  私にうたを届けるのはあなただけ

 

 次の瞬間、少年は亡我の渦中にあった。
 教室内ではすでに一人の赤髪短髪の少女が演技の練習をしていた。

 

■■:心を喪い——愛を喪い——恋を喪い——
  音すら喪った私を憐れんでください
  あなたを喪う孤独に耐えられるでしょうか?
  どうか、うたを届けに参ってください

 

 精神は肉体を離れ、視線は先客の演技に釘付けになる。
 まるで花の蕾のような美しさだが、少女の表情からはどんな感情も読み取れない。ただ、幼少の背丈に似つかわしくないゾッとするような美しさがある。

 少女の周囲には色鮮やかに輝く光の玉のようなものが滞空している。その不可解な明滅が演者の喜怒哀楽をむしろ表情より繊細に伝える。魔人能力であることに疑いはないが、なにより少年の目を惹きつけてやまないのは、演じる少女そのものだ。

『——ならば共に行こう。諸国放浪すれどあなたとなら満天輝く丘の上でも。地に座す鐘楼の頂天までも』

 少年が少女の演技に合いの手を入れる。少女もまた、パラシュートを装着した金持ちの少年に気がついたようだ。

「おはよう。鐘捲くん」

「不和頼えみ!!キミは素晴らしい女優だ!そして美人だ!やはりキミをパートナーに選んで正解だった。成功は約束されている!」

 臆面もなく少年は言い立てる。そして万札を少女に手渡す。彼女の表情は相変わらず彫刻された氷像のようだが、心なしかほんの僅かに口元が緩んだように見える。

 一方、天から舞い続ける猛烈な一万円札の真下、地上には鐘捲成貴の登校を祝うパレードが形成されていた。

「うおー鐘捲様ご登校おめでとうございます」「金を!」「文化祭の出し物はいかがですか!」「ゲッヘッヘ、ギムナジウム、ギムナジウム」「金をくれ!」

 パレードには学生だけでなく先生、宇宙人、モヒカンザコ、ビッチなども含まれる。これらすべてを金の力で操る少年は天凌を統べるに財力を持つといえよう。
 少年が地上に向けて無言で挙手すると、群衆は一斉に静まり返った。

「だが美人はもっと笑うべきだ!金は人を笑顔にする!!」

 彼女、不和頼えみは鐘捲成貴と同じ4年一組の生徒だ。半年前に鐘捲少年が引き抜いてきた。演技の天才、しかし経済的問題を抱える。そういう子供を見つけ、天凌を買収する形でやや強引に入学させた。
 それが金の力『ファンタスティックスカイ・イリュージョンショー』だ。彼女も自身の扱いに不満はない。買収されなければ、そもそも学校に通い演技を追究する機会すらなかったからだ。

「えーと、残念だけどお金で解決する問題じゃないよ。詳しい説明は省くけどね、私は演技でしか感情を出せないの。交換条件でどうにか出来る話じゃないんだ」

「なるほど、心の問題か!ならキミの心を買えばいい!!万事任せろ、何が望みかを言ってみたまえ!」

 傲岸不遜な問いに違いないが、少年は金でこの世の全てを買えると強く信じている。
 そして鐘捲少年は不和頼えみについて、実は詳しく知らない。先ほどの演技を見て、彼女を値踏みしたい気持ちが芽生えていた。

 演技とは理屈、感情の高度なバランス、それらを長期間維持する体力が要求される。彼女が一義的に求めるのはそれだ。早朝の時間を対価に成果を得ようとするほどに。
 だが、少女にとって「降って湧いた幸運」は何か。少年が知りたいのはそこだ。

「答えてくれ。より良い環境か?栄光ある舞台か?それとも承認欲求か?僕の『ファンタスティックスカイ・イリュージョンショー』は汎用性の高い能力……!いかなる望みも叶えられる!」

 鐘捲少年は不和頼少女の返答を待つ。地上で一京円規模の金を拾い集める群衆が「室外機」「美少年同士の寮内での絡み合いに出くわして謝罪しながら立ち去りたい」「溢れるほどの蕎麦つゆプールで溺れ死にたい」「サイボーグ化して苦しみから逃れたい」などとめいめい好き勝手な欲望を捲し立てる。全員48時間以内に願いを叶えてもらえました。

「じゃあ、一つだけお願いしていい?」

「もちろんだ!」

「今年の文化祭のクラス演劇に、観客として外部の人間も参加できるようにして欲しいの」

「ふむ、実行委員の買収は関係各所を含め実行中だ!招待の名目を置けば学校側も気に入るだろう。だが理由を聞きたい!なぜだ!」

 多くの人間を買収した少年は理解している。突発的幸運とはそれを受ける人間が日常的に切り捨てている財に他ならない。生活費を工面するためには金を。努力を得るためには時間と体力を。
 彼女が切り捨てているのは外部との接触か。

「4年一組ってほとんどの生徒が魔人でしょ?宮本さんとか佐々木くんも、みんな寮で暮らしてるじゃない。色んな事情があって親に会える機会が少ないから、せめてクラス演劇を見せられたらって思うんだ」

「成る程、つまり君も練習の成果を見せたいんだな!」

「うーん……クラスのみんながそうなればって思うけど、私の親は多分来ないかな……」

 不和頼えみが欲するのは親からの愛。少年は得心するが、だが少女は言葉を濁す。

「踏み込んだ質問で失礼だが、君には母親がいるね?僕なら天才の演技を見るため地の果てまで飛ぶが、家庭の経済状況はそれほど逼迫してるのだろうか」

「言いにくいけど、お母さんは他の男の人と会ってるから。まあ私は後回しになると思う」

「あー……やはり失礼な質問だったか。だが君は貧乏だ。心が貧乏人だ。」

「えっ?」

 少女の答えに対し鐘捲少年の発言は不躾そのものだ。子が親からの愛を求めるのは至極当然のことだと鐘捲成貴は当然に考える。納得いかないのは、自らの意思でそれを切り捨てていると思う少女の在り方だ。

「貧乏人ごときが不幸にしてるんじゃない!僕のクラスメイトならもっと強欲でいろ!この世に金で買えないものがあると思うのか!?」

「お母さんのことは本当にいいんだよ。外に演技の先生がいて、先生は来てくれると思うから」

「ならば二人とも来るよう期待しろ!!前夜祭の開催宣言で最高の演技を見せてやろう!!君は練習しろ、僕は今すぐ買収工作に取り掛かり、また戻る!楽しい文化祭にしようね!」

 言うだけ言って、少年はドアから立ち去る。その周囲には相変わらず数垓円規模の金が舞い込む。
 少女が唖然として見るまま……。

「騒がしい人……」

 

¥ ¥ ¥

 

 少年が校内の廊下をひた走る。その足取りは大股で騒々しく、あたり一面に金が舞いパレードの群衆が形成されている。
 そこへ黒服の男がそっと駆け寄り耳打ちする。

「坊っちゃま、突然ですがお父上からお電話です」

「!」

 少年が黒服の差し出した携帯電話を手に取る。

『ブヒヒヒヒ。成貴かえ?調子はどうじゃ?』

「父上!文化祭の準備は全てつつがなく。つきましてはクラス演劇に父兄参観も認めさせたいと学友と話していた次第です!」

『重畳重畳。なら前夜祭にはワシも行こう』

「なんと!父上お自ら!」

『可愛い息子のためだ……父に情けない姿は見せるでないぞ。ではの』

 少年が電話を黒服に返す。
 そしてネクタイを正し、黒服に向かって言う。

「黒畠。この文化祭、なんとしても前夜祭の枠を勝ち取るぞ」

「は!」

「各方面への働きかけを強化する!学内人気ランキングを洗い直せ、二時間毎に更新しろ!僕の護衛は二人まで、クラスメイトにも人員を割け、残りは命令があるまで待機!」

「全て御意に」

「あと、有望そうな敵がいれば確保しろ、僕の性格は理解してるな……?決着は僕自身がつける」

 

¥ ¥ ¥

 

 その日の夜、天凌学園高等部男子寮の一室に黒スーツの男たちが集まっていた。
 彼らの前で話をするのは同じく黒スーツ長髪の男だ。

「以上が経緯だ。父親が関わる以上、阿保坊(あほぼん)は全力で動く。諸君らも知っての通り死者、怪我人は保健室で再生される。我々23名も学籍を取得済みだが、状況により増員を打診する。常に2人1組で監視しろ。」

「黒畠さん、要は坊(ぼん)がケガしないように守れってことっすか?」

「馬鹿か貴様は」

「は?」

「奴はバカだが馬鹿じゃない。だがバカだ。もしご学友までに被害が及んだらどうする。俺たちの任務はそうならないように未然に防ぐことだ」

「あ、なるほど……」

 黒畠は懐から何か冊子のようなものを取り出す。

「まだ報告してないが、今朝ご学友の演劇台本がこれにすり替えられていた」

 台本には『吊られた王の悲劇』と古い字体で書かれている。

「それは!!」

「精神汚染と死亡を伴う肉体損傷を強制的に引き起こす呪物だ。戦いは始まってる。もはや誰がどういう死に方をしてもなにもおかしくない。が、阿保坊(あほぼん)は明るく楽しい文化祭をご所望だ。」

「俺たち舐められてるってことっすね。許せねえっす」

「いいか、宇宙生物、異次元人、精子、モヒカンザコ、ビッチ、レイパー、不審者、悪霊、呪い、その他文化祭を不当に貶める連中は見つけ次第だ。所属の内外は問わん。阿保坊(あほぼん)が黙認してくださる。永久に封印しろ、お前たちの魔人能力でな」

「「「「イエッサー!!」」」」

 

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