■プロローグ、の前に
至神かれんが自死を決意したのは、中学三年の十二月も半ばに差し掛かった頃だった。
理由は大したことではない。何か劇的なきっかけがあった訳では無い、と本人は自認している。
肉体に怪我を負ってはいない。そんな物があったとしても、彼女の神の左手は全て癒してしまう。全て、須らく、跡形もなく。
(……かえって、それが良くなかったのかなあ)
誰もいない放課後の屋上にぼんやりと立ちながら、至神かれんはふわりと考える。
彼女の体には傷一つない。不調もない。不備もない。
だが、心は別だ。
(痛かった腕は治っても、痛かった記憶は残るもんね)
(それを分かってないのか、分かってても変わらないのか)
(毎日毎日、何かしら理由をつけて傷つけてきて)
(それで、みんな口をそろえて言うんだ)
『治せばいいじゃん』
「~~っ」
ぶるり。かれんが体を震わせる。
肌寒い夕方である。一般的な冬用制服に身を包んだだけのかれんの体を風が少し撫でたが、震えたのはきっとそのせいではなかった。
「……早くしよ」
つぶやいたかれんは、よし、と小声で気合を入れると、一歩一歩と歩みを進める。
目指す先は、屋上を取り囲むフェンスが少しだけ破れた場所。かれんの小柄な体躯なら、容易にすり抜けられる程度の穴が開いている。
何故そんな場所が補修されず残っているのか、かれんは知らなかったし、知るつもりもない。
ただ、好都合だとは思っていた。
(面倒だものね)
(フェンスを壊したり、乗り越えたりするの)
自死という一大事に面倒とかそういうことはあるのか?
少し可笑しくなって、かれんはくすっと微笑んだ。
気が付けば、屋上の縁、フェンスの穴は目の前まで来ている。
(さて)
(それじゃ、逝きましょうか)
最後の数歩を、助走のように軽く勢いをつけて。
ひょっとしたら、熱血漢の先生が突然現れて、受け止めてくれたりして?
なんていう戯言も、現実にはならず。
至神かれんの体躯は、綺麗なフォームで空中に投げ出され、そのまま落ちていく。
偶々頭を下にした形で安定し、重力に引かれて徐々に加速して。
かれんの視界に映るのは、上下逆さの教室の風景が幾つかと。
(……)
(…………え?)
十字架。
至神かれんの全長と同じぐらいの、大きな十字架。
それに張りつけられた誰かが、かれんと目を合わせたかと思うと、困ったように笑って。
直後、かれんの意識は途切れた。
同時に、至神かれんは死んだ。
間違いなく。
■プロローグ、のちょっと前
「神様ちゃんちーっす」
「お、めーちゃんじゃん、ちーっす!」
「今日はまだ一人っすか? 珍しいっすねー」
「はっはっは、聞いて驚け六限が自習だったのだよ。神様ちゃんは課題さっくり終わらせて早抜けしてきました、羨ましかろ」
「ぐわー羨ましいー。あ、ってことは今日あたし一人目っすか?」
「うん、そだよー。やったじゃんめーちゃん。ずっと狙ってたっしょ?」
「い、いやいやいやそんなことねーですし。あたしは三歩下がって影踏まないタイプっすし」
「ごめんネタ分からん。じゃ、やめとく?」
「…………」
「あははは、ごめんごめん。じゃ、襟首出してー」
「……はぃ」
「こっち来てー」
「……」
「はい、じゃー……がぶっ」
「~~、あっ……!」
「ちゅーーーー」
「~~っ、~~~~っ!」
「……ふう、ありがとー、ゴチになったぜ☆」
「……ぁ……あ……」
「あはは、めーちゃんトリップしてる。ごめんごめん。お詫びに傷は消してきれいにしとくから許して」
「……」
「ありゃ……気絶しちゃってる? 吸い過ぎたかー。ま、ウィンウィンだよね」
「……」
「めーちゃんは気持ちよくて、神様ちゃんは血が吸えて」
「……」
「…………」
「……神様ちゃんは」
「ほんとーにウィンかなあ……?」
「負けっぱなしじゃねーか……?」
■プロローグ
『逆十字の聖人』。
天凌学園七奇跡の一つに数えられるそれは、限られた生徒の前に時折姿を現し、その生徒に奇跡の力を授けるという。
神様ちゃんの場合は、いわゆる吸血鬼の力って奴だった。
なんか筋力がすごい。
爪とかすごく伸ばせる
太陽光受けるとだるい。
ご飯食べると吐いちゃう。
代わりに血が美味しい。
血を吸ってる相手は、なんかものすげー気持ちいいらしい。
ざっくり言うとこういう感じ。
……いや、まーね?
屋上からステップ決めようとしたのはちょっと早まったとは思いますよ?
でもなあ……だからってこう、なあ。
なんか違うんだよね……。
『神の左手』で自分を触って、分かったこと。
神様ちゃんは今、死んでる。
文字通りの歩く死体。
血を啜る化け物。
把握した時は吐きそうになった。
吐く物が無かった。
ちょっと泣いた。
だから、まあ。
自業自得とはいえ、ですね。
これを何とかできるなら、神様ちゃんは、やりますよ?
がんばっちゃいますよ?