「神出鬼没の子狐」飯綱 千狐 プロローグ

「おかーさん、片付け終わったよ」
「よしよし、いい子ね。今日は午後から新しい変化の術を教えるから、お昼ごはんまでは自由にしていいわよ」
「はーい」

あの日はうららかで暖かい、春の日だった……と思う。

「うーん、いい天気。こういう日はぽかぽかおひさまに当たるのがいいわね」

十の尻尾を全開にする。大きすぎて邪魔なときもあるけどこういうときはクッション代わりになって気持ちがいい。

「ふわぁ……」

ほどなくわたしは眠りに落ちた。それが最後の故郷の記憶。
次に目覚めたときは周囲の様子が一変していた。

硬いベッドにふかふかには程遠い布団代わりの布。
無機質な白い壁。
でんしじょう?とかいう取手のない扉。
鉄柵で塞がれた、月明かりの射す窓。
なんか勝手に光が点いたり消えたりする天井。

そこがわたしの新しい棲家になった。
たまに白い服を着た人間に部屋から連れ出され、体を弄くられたりした。
なんか尖ったもの――後で知ったけど注射というらしい――を刺されたり、なんかよくわからない器具をつけられたりもした。
その結果なのか、いつの間にかわたしはわたしを増やせることに気がついた。

「わたしがいる」
「わたしだ」

手を振ったり腕を動かしたりしてみる。

「別々に動けるけど」
「わたしはわたし」

なにかに使えないかと考える。これを使ってなんとかここから抜け出せないか。
試行錯誤して尻尾一本分につきわたし一人を生み出せることと、増えた自分を自由に消すことが出来ることがわかった。

「……これなら、いけるかも」

窓から手を伸ばす。尻尾から手に霊力が伝わる。霊力は形を取り、もう一人のわたしになる。
握った手からぶら下がってる感触。出したもう一人のわたしの足に霊力を伝える。もう一人わたしが増える。
わたしがどんどん増えて、地面に足がつく。

ばらり、と上からわたしが消えていく。するするするっと光の玉が一番下のわたしに吸い込まれていく。
もといた部屋にわたしは無い。自由の身だ。

狐に化けて全速力で建物から離れていく。
背後から何かが追ってくる気配がする。
振り向いたり、足を止めたりすれば捕まるだろうという確信とともに。
駆けても、駆けても、振り切れない。そして背中の方から暗くなっていき……

「……はぁ!」

昔のことを思い返していたら、いつの間にか夢を見ていたらしい。たまに見る夢。ちゃんと逃げたはずなのに追われる夢。
わたしがここにいるということは、そんなことはなかったはずなのに。

ルームメイトが大丈夫?と心配そうに声をかける。

「ううん、起こしてごめんね」

もぞもぞと布団を被り直す。
あの後わたしは孤児として老夫婦に拾われ、変化の術を魔人能力と偽って天凌学園に入学させてもらった。
天凌学園はわたしがさらわれていたところでも噂になっていた。
曰く、魔人のぼんぼん(ぼんぼんが何かはよくわからなかったけど多分世間知らずとかそんな意味だと思う)がたくさんいるとか、あの学園内では安全が保証されているとか。
ともあれ、学園に入れたのは幸いだった。

故郷に戻る前にわたしが死んでしまっては話にならない。そのためにも安全が保証されているというのは都合がいい。
いろいろ知識をつけながら生きていくには絶好の場所。
それに……。

「ねぇねぇ、知ってる? 天凌学園このがっこうの七奇跡」
「いくら死んでも保健室で生き返れるのもその一つでしょ。あとは……」
「いろいろあるけど、前夜祭の鐘の話、50年に1度と言われてるけどそれが今年らしいよ」
「えっ、マジ? あの、演劇の主役が鳴らせば奇跡が起きるってやつ」
「そうそう。どんな奇跡が起こるんだろうね」
「むしろ自分で起こしたくない?」
「いいねぇ」

今年はみんなこの噂でもちきり。もちろんわたしも知っている。そのために6年待ったのだから。
わたしの目的は故郷へ帰ること。でも、元住んでいた場所がどこなのか、全くわからない。
地図を見てもわからない。なにか地名がついてたわけでもなし。それこそ奇跡でも起こらなければ見つかりっこない。

ならば、奇跡を起こそう。昔の資料によると昔もだいぶ大きな騒ぎになったらしい。
その反省から演劇の主役は皆から選ばれることになったとか。
つまり、自分にもチャンスはある。そのためにも、今のうちからコツコツと皆から好かれないと。
とはいえ一人では限度がある。あれもこれもすることなんて出来やしない。……一人では。

ひと目のつかない物陰に隠れる。わたしからわたしが生み出される。一人、二人、三人。
そして学校の各地に散る。

「先生、お荷物お持ちしますね」
「いやぁ、すまないねぇ」
職員室に行けば先生の手伝いをし、

「チコちゃん、チコちゃん、勉強教えてほしいんだけど」
「いいよー。どこらへんが分かんない?」
「えっとねー……」
教室に行けばクラスメイトに勉強を教え、

「おーい、チコ、ちょっと手伝ってくれないか?」
「はーい。どうすればいいですか?」
部室棟に行けば人手の足りない所の手伝いをし、

「もっと演劇について調べておかないと……」
図書室で資料を漁り、

「今日も勉強? マメねぇ」
「知識は重要だから。あと皆によく教えてってせがまれるし」
寮の自室で予習復習。

コツコツと、地道に皆からの支持を集めていく。仲良くなった相手も増えてきた。
……それだけでは足りない。他にもいろんな人達が主役の座を射止めようと色々策を巡らすだろう。
その中には仲良くなった人もいるだろう。わたしはその人達を出し抜かねばならない。
わたしに、出来るだろうか? いや、やらなきゃいけない。故郷に帰るために。

慌ただしい一日を終え、布団に潜る。
(おとーさん、おかーさん、村の皆、待っててください。わたしは故郷に帰るという奇跡を起こします!)

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