「あなたの人生を変えます」
それは天凌学園高等部三年、古院櫻花の口癖。
舞台前のインタビュー記事、見出しから飛び出すキャッチコピー。
入学当時から一貫する表現の理由。
嘘に塗れたこの世界で唯一の本当を提供する。
それが私の夢であり、この小さな人生の目標。
私たち表現者の世界は、多数派と比べて凶暴だと言う。
創造の評論は極めて主観的で、価値観さえ時世と二人三脚。
昨日笑ってくれた人が、明日は嘲笑っているかもしれない。
晴れの日のまま、嵐が頬を打ち付ける。安寧とは無縁の茨道。
これを勧める人は悪童だから、忘れた方が良いとあなたは言う。
幼き日の憧れなんて汚れと同じ。お風呂に入れば泡は流れてしまう。
一時の劣情に身を委ね、”人生”を賭けるには重すぎると。
『仰々しい物言いは、矮小な自分を隠すための大声だ』
違うよ。私は虎になんてならない。
『頂上目線の発言は、鼻を伸ばしきった傲慢な人形か』
違うよ。私は嘘の一つもつかない。
『生きている。ただ、それだけでいい』
舞台の上に立つ私は、誰よりも純粋だ。
だから、力強く。高らかに宣誓しよう。
「──断じて、否だ!」
ホール中の空気を、力強い否定が震わせた。
櫻花は響いた声が収まるのを待つように観客たちを見回し、全員の顔を視界に収め言葉を続けた。
「希望とは……奇跡とは! 熟せば落ちる林檎では決してない! 自分で、自分の手で!落とさなければならないのだ!!」
握った拳が突き出され、その勢いに呼応するかのように声が上がる。
それは会場全体を包みに次第に大きくなり、地鳴りのような歓声と共に舞台は暗転した。
演目『エルネスト』。
貧困を救うべく革命を起こす青年の生き様を描くこの物語は、主人公にどれだけ共感出来たかによって評価が変わると言ってもいい。
その主役に六花が選ばれたのは、やはり彼女の能力を考えれば当然だろうと水火金は考えていた。
(観客を民衆に見立てて行う演説シーン……直接客席へ言葉を投げる演出は効果が大きい。しかし、演説が響かなければ余計にこの革命が陳腐に感じられてしまう。 だが……)
水火金が視線を動かせば、誰も彼もが期待を込めた目で舞台を見上げている。
不安は消え、ただ革命への希望だけが瞳に宿る。
本当に民衆の一員になったかのような錯覚を感じさせるほど、彼らは熱に浮かされた表情を浮かべていた。
(馬鹿弟子の言葉は届いている。誰もが聞き入るほどの熱量を持って)
これから始まる決戦シーンを迎える為に、この舞台で最も重要なシーンがこの演説だった。
そして、六花の演技は見事に成功したと言えるだろう。
「世界を救うのは俺達だ。 さァ、腹括ったか?」
スポットライトが舞台中央へと注がれ、そこに立つ一人の青年の姿を照らし出す。
(青年は銃を肩に担いだまま不敵に笑い、進軍の声を上げた。
「──行こうぜ」
(この舞台が、合格か不合格か……それを決めるのはクライマックスじゃない。──故に、もう見るまでも無く評価は下せる)
◇ ◇ ◇
「不合格だ、タコ」
「なんでぇ!?」
思わず悲鳴を上げる櫻花を横目に見ながら、水火金は苦笑した。
打ち上げの最中、自信満々で駆け寄って来た彼女は先程までの堂々たる演技から一転、年相応の顔で目を丸くしている。
「でも……でもでも! 観客はみんな満足してました。間違いなくこの舞台は成功だった筈です!」
「そりゃあ、成功するだろうよ。これを見に来るのは舞台関係者ばかりなんだから」
首を傾げ、困惑を露わに櫻花を見て、水火金は内心ため息をつく。
ここまで言ってまだこの少女は分かってない。櫻花が秘めた才能と水火金の流儀は、根本から違う物だ。
だからこそこの学校に送り出したというのに、彼女はまだ私の影を追おうとしている。
「櫻花、舞台とは学問だ」
「がくもん」
「芸術とは往々にしてそうだが、歴史や技術……評価を下す人間には相応の知識が必要になるんだよ」
腑抜けた顔をする弟子の頭を撫でてやりながら、水火金は言葉を続けた。
「だから『良い演技』ってのは、兎に角ハイコンテクストになりがちなのさ」
彼女の演技は素晴らしかった。技術的にはまだまだ甘いが、やはり彼女の”伝える力”は同世代の中でも群を抜いている。
それでも櫻花は水火金に向けて演技をした。水火金にとって演劇の正解とは観客が求めている物だ。
目の前の少女は愚かにも私に評価される為の演技をしたのだから、水火金が求めていない舞台を見せた彼女には不合格を下すしか無かった。
(ああくそ、ロードバイクに跨ってレースで勝っちまった馬に私はなんて言葉をかけるべきなんだ?)
根っから理論派の水火金とは違い、櫻花は本質的には感覚派だ。
どれだけ言葉を尽くそうとも、正しく自分の意図が伝わることは決して無いのだろう。
「お前が私の横に並び立ちたいと言うのなら、その為のチケットは理論じゃあない」
故に、水火金は足で二度地面をタップする。
木造建築を思わせる壁。地面には靴が並び、棚には水槽──ホログラムによって望んだままの映像が映し出されていく。
学園のシステムを利用した即興劇だ。観客は打ち上げに来た舞台関係者で、演者は櫻花と水火金。
「お前が握るべき武器──それを、証明してやる」
◇ ◇ ◇
その瞬間、師匠が消えた。
──いや、水火金木月と言う女性が一瞬で目の前から居なくなったのだ。
(もう、既に劇は始まってる。ここで私が惚けていたら、舞台は一瞬で崩壊しちゃう)
場所は玄関。
眼の前の人間は家主で、自分は家に入って来た誰かだ。
玄関の広さから言ってここはマンションではなく一軒家なのであろう。
(家主は怒ってる……でも、敵意はない。ここまで警戒心が無いとすれば二人は元々深い仲だったハズ)
ただ立っているだけの演技──そこから発せられる無数の情報がピースとなり、どんな劇を描こうとしているのか……その形が見えていく。
この状況、自分に求められている役は一つしかない。
「ごめん、遅くなって」
(師匠が妻で、私は夫。恐らく……師匠は即興劇でおままごとをやる気なんだ)
「良いんです。 ただ、ご飯が要らない時は連絡して下さい」
そう言って、差し出した手に夫はスーツを渡す。
まだ残った酔いを醒ますべく、家に上がった夫はリビングで水を飲もうとする──その時だった。
「あの、これは何ですか……?」
妻の手に握られた一枚の名刺。
平仮名で大きく名前だけが印刷されており、それは明らかに仕事で貰った物ではない。
(嘘……でしょ)
隅にマジックで『木月ちゃんいつもありがとう♡』と書かれたメッセージを見て、櫻花は確信する。
(この人、自分が行ったキャバクラの名刺で人を詰めようとしてる──!!)
最悪だ。人としても最悪だが、それ以上に状況が終わっている。
勝敗は観客の票数で決まる。物語の面白さが演者を助けてくれない即興劇で彼等から評価を得る手段としての王道はキャラクターに好感を抱かせるか、技術の差を見せ付けるか。
(技術では当然雲泥の差。必然狙うのは好感度、なのに)
打ち上げ会場に居るのは櫻花と同年代が多数。
彼女達から理解を得にくいこの夫を好きにさせるのは至難の業だ。
幸い、キャバクラなら付き合いだと言えば通る。
ここは流れを変える為に認めて話を終わらせるのが間違いのない一手。
「ごめん! どうしても断れなかったんだ!! 連絡もするようにする。 それで……」
「いいえ、駄目です」
──だがそれは、正解でもない。
「私、見てしまったんです。先日届いていたメッセージ……同じ名前だった」
(誘われた……!)
掠り傷ならばと受け入れて見れば、浮気を誤魔化そうとした男にまで落とされる。
一度認めてしまった以上、ここから何を言っても逆効果だ。
もう、まともな手では太刀打ち出来ない。ここから取れる手段は──
(殺すしかない)
「違う……そう、勘違いだ!! それに、人の携帯を覗くだなんてお前こそ酷いんじゃ無いかなあ?」
熱くなって手が出る夫、そして事故で死んでしまう妻。
自分の役が死んでしまえばどれだけ演技の上手い人間でもアピールする事は出来ない。
そして、キャラが不快であるデメリットは夫が最後に報いを受けるオチで緩和する。
(演者を助ける物語を、一人芝居で創り出す)
「こんな騙すようなやり方、許されないよ」
「ひっ」
怯える妻に振りかざす棚の花瓶。
止めてと叫ぶ声が聞こえた気がしたが、もう振り下ろす手は止まらない。
鈍い手応えと同時に硝子の割れる音が響き、倒れる妻の頭からは湯水の様に血が湧き出す。
(待って……手応え?)
何かがおかしい。
そう思って手の中に視線を向ければ、そこに有ったのはホログラムで造られた花瓶では無く本物の酒瓶──
(本当に事故で師匠を殺してしまった……?)
「あっ」
「だれっ……誰か! 手伝って下さい! この人を保健室に──」
「はい、お前の負け」
呆然とする私に、起き上がった師匠は悪戯な笑みを浮かべ「Show must go on」と呟いた。
「ま、別にそのままやっても私が勝ってたけどな。 最初の意向と外れてしまうから終わらせた」
腰が抜けて地面にへたり込んだ私の頭はがしがしとかき乱され、乱暴さに思わず抗議の声を上げたくなったがそれは叶わない。
安堵から出た涙と嗚咽でとても言葉を発せられる状態では無かったから。
「理詰めからは枠内の発想しか産まれない。凡人には無理でも、お前なら初手で私に勝てる筈だった」
答えを出すつもりは無いのだろう。きっとこれは宿題であり、師匠なりの激励なのだ。
「知る人ぞ知る凄い奴になるな。 お前は、誰が見ても凄い奴になれ」
師匠の顔には珍しく優し気な表情が浮かんでいる。
それは下された評価とは裏腹に、私を一人の役者として認めているかの様だった。
◇ ◇ ◇
櫻花の住処は桜草棟である。部屋は最上階の角。
ドアプレートには『古院櫻花』の文字が一つ、右下には桜色のコインロッカーを模したステッカー。
そして、区切り線の向かい側には『 』があった。
夜間練習の申請を忘れたまま門限を破った櫻花にとっては、暗夜行路を照らす月明かりさえも眩しすぎた。
「……ただいまぁ」
屋内は1Kの簡素な作りだ。
ひとり分程度しかない細い廊下を数歩進むだけで、すぐに共有スペースの仕切り扉まで辿り着く。
櫻花はつま先立ちで古いゴミ袋や脱ぎ捨てられた下着の隙間を縫い歩き、不要な音を立てずに扉を開いた。
「独り言、増えたかな」
その空間は二分割されていた。
片や汚部屋と言って差し支えない、散乱した服と隅に積まれた小さな複数のゴミ袋を包括する櫻花の領域。
片や清廉潔白、掃除嫌いの櫻花が積層させた埃こそあるが、机の上にすら物一つも存在しない友達の跡地。
櫻花は境界線上に立ち、瞳を閉じて言葉を選ぶ。
「『貴女が巣立ったその日から、この部屋にも余白が生まれたよ』」
櫻花のルームメイトは2年生の冬、天凌学園を去った。
『大学に行くのよ』『モラトリアムはもうおしまい』『生きていかなきゃダメだから』
そう言って、几帳面な彼女は一足飛びで大人になった。
「『”卒業”』『”信用”』『”常識人”』」
櫻花の自称は”嘘発見器”。
それは”嘘”に反応して脳内にアラートが響く、真偽看破の魔人能力。
「──だけど、あれは心からの称賛だったね」
演劇専修科は表現者を志す者の集いであり、檻だ。
看守たる”大人”たちの言葉は、アラートが響かずとも難解なブロックパズルのように隠匿されている。
”嘘”はわかっても”本当”はわからない。それを理解することが、選択肢を増やすこと?
「……もう眠ろう。明日が来る前に」
私は彼女が”途中下車”を選んだ理由は聞かなかった。
転校前夜、月は頂点を超えて暦の上では巣立ちの夜。
私におやすみを告げて布団を被ったにも関わらず、声を殺してすすり泣いていたから。
私は言葉を選べなかった。何を伝えようとしても、アラートが響き続けて止まらない。
反響する音がぐるぐると地球の自転に添い、いつか朝焼けが空を漂白する。彼女はもういないのに。
朦朧とした夢の中、私は観客席に招かれていく。
剪定された分岐路の舞台は、後悔と現実の板挟み。そして、ひとしずくだけの理想郷。
「でも、夢は夢で終わる」
だから、叶えるために目覚めるんだ。
表現者であるために、古院櫻花は夢を見る。