何処か飛んでくるのは山桜の花弁。まるで楽譜のように流れる風。それに導かれるように大勢の人々が坂道を上がっていく。
行き先は皆ひとつ。ある山の中腹に建つ白亜の学び舎であった。
その名を私立天凌学園────場所は講楽堂ホールB────収容人数2527席。
今この星で、この時、この場所ほど清く、美しく、熱い場所はない。
場内に響き渡るアンサンブル。床を踏み鳴らし唄うトルヴェールたち。そしてそれを包み込む観客達の歓声。
アンサンブルと観客達との一体となった音の波動が、会場全体を揺らす程に大きく波打っている。
「マ・ジ・か……」
終幕の暗転からの幕間の客席の一角では感嘆の吐息が漏れていた。冷めやらぬ熱気に包まれながら、女性の抱きしめたパンフレットにもおもわず皺が走る。
「フフフ……生の天凌初体験はいかがだったかなぁ?君ぃ?」
「ヤバイヤバイヤバイ!何何何何何!?あの人たち一体何!?あんなに綺麗なのにみんなも男子だなんて信じらんない!」
「なんていうかもうホント色香が全然違う!神秘!超☆絶☆神秘‼️それにさっきから凄いイイ匂いもする‼️」
「ホッホッホッホッ!この程度で驚いてもらっちゃあ困るよ、君?服飾も照明もダンサーも全員学生。それもトップレベル。ここの歌劇は去年のトニー賞も受賞してるし、今や2.5次元から大河・ハリウッド全部ここの卒業生なんだからね!」
「はぁぇぇ~~ところで、トニー賞って何?」
しかし、客席に座るのはこのように天凌に魅せられ、車でフェリーで飛行機でやって来る熱狂的支持者や一見のミーハー共の熱い視線だけではない。
「ドイツもコイツもヘッタクソだな、オイ」
関係者席であった。200年以上の歴史ある天凌学園の歌劇には大手芸能事務所や海外の著名な演出家やエージェント、ショー・ビジネスの世界へと羽ばたいていった卒業生たちが睨みを利かせ、既に未来の投資への判断材料を探しに来ているのだ。
過去も現在もきっと未来さえ、観客たちを魅了する魔力が天凌にはある。
しかし、そんな熱気の中でも冷ややかにポップコーンをもしゃもしゃさせながら一人の男が舞台へ小さく拍手をしている男の名は、蔓鞭竜也。
今年の天凌祭開会式定例演目『満天の空と約束の鐘』の総合プロデューサーである。
「蔓鞭君。この学園に来たときの君よりは上手だとおもうがね?」
眉間に険のあるもう一人は現・天凌学園校長の押耳話太留である。
「ええ、まぁ、確かに。噂には絶対尾ヒレが付き物だか、実際観たらついでに翼が生えてて、オマケに火を吐いてる。私の時代より何倍もレベルが高い。特に彼らは────」
この私立天凌学園に通う生徒は入学時に学年・学科別のクラス分けとして、魂の資質に対応する七つに振り分けられた寮が存在する。
【クォーツ】────純粋。初等部。覚醒の間がない魔人たちが集まる。能力の基礎訓練・開発を行い、以下のいずれかに転寮することになる。
【スピネル】────解放。亜人種系魔人が集まり、芸術や文化活動に重きを置く生徒が所属し、国内外に著名なアーティストを多く選出させている。
【ベリル】────暗躍。初等部からの飛び級が集まる完全実力主義集団。魔人能力に秀でた生徒たちが集まる奇才集団。
【ジャスパー】────自由と混沌。異常性的倒錯者が集う魔窟。常にクラス存続は危ぶまれているが狂信的な支持者も多い。
【ギベオン】────革新。知略に優れた政治家タイプ。工学系の分野に優れている生徒も多く所属する。
【オブシディアン】────不屈。苛烈な競争とシラバス。それに裏打される一枚岩の結束。スポーツや格闘技などを得意とする肉体派。
そして……最後にひとつ。
【セブン】────孤高にして頂点。矮小な人間如きには辿り着けぬ極限。並ぶ者の居ない替えの効かないlonely one。
■■■■■
”2023年度”セブン”凱旋公演演目────『斬姫』”
沈……とした暗闇の中でさえ観客には違って見えてくる。
センター・ステージの暗闇の中に、光。
固く閉ざしてあった落幕が昇ると、拍手で劇場が一気に波だった。
チェレスタが響き、劇場の昏黒に唄を紡ぐ、人間という生命の枠組みの外に君臨する、一人の魔人。
黒装束を雲母のように煌めかせ現れたるは人形の如き皎き魔貌。
まさに穢れを知らない高貴の闇。
” I’ve Got A Pain In My Sawdust
That’s what’s the matter with me ”
来るその蓮歩の一歩ごとに、先程まで舞台で温められた熱気は、その絢爛たる舞台が始まる瞬間、吹き消えてしまう。
”Something is wrong wrong with my little inside
I’m just as sick at can be ”
声帯から発せられているとは思えない程、完璧な人の声。
たった一人の放たれる言霊に呼応し、大気を構成する原子は歓喜に打ち震え、来訪を受けた観客たちの呼吸は停まり、凍結した様に座席から動けなくなっていく。
その一人一人の瞳の涙は性差を超越し、ホモ・サピエンに美とは何かと言うことを雄弁に物語らせる。
電波や薬で至れるなら話はこんなに簡単ではないだろう。
────おぉ
────光が
────影が
”Don’t let me faint, someone get me a fan
Someone else run for the medicine man”
────色が世界から奪われる。
────神すらが嫉妬する程に、それは
”I’ve Got A Pain In My Sawdust”
────美しかった。
彼こそが天凌の誇る最高の歌姫────2年”乙姫” 瀧 せつら。
そして孤高の旋律に乗って現れるこの天凌学園の誇る圧倒的な華は────
星の光を想わせるシャンパンゴールドの長い髪。その長い長い金髪が肩のところで広がっていた。
自ら光を発して輝き、この場を統べるその彩に拮抗しうるのは黄金のみ。
天界から地上に零れ落ちたとしか思えない、まさに天使が地上に降りてきたと幻視するほどの天上の美。
主演────2年”天駆ける鳳” 不破 煉。
拮抗する二人を取り巻く空間はまさに宇宙の黒昏から放つ月の輝きと万を越す星々を凌駕する地上の星。神が手ずからに絵筆を手にし、黄金比を描き起こした奇跡の傑物たち。
終幕の拍手もささやか過ぎる。美の余韻に時の流れなど入り込む余地などない。
『皆様、本日は天凌学園歌劇場にようこそお越しくださいました』
前に立って、頭を下げる。始めの印象より、小柄な演者の両眼が金色に光っている。
照明に負けないくらいに耀く金髪は、天へと誘う天使を連想させずにはいられない。