「海で溺れたんだって」
去年の夏休み前に演劇専修科の星宮ルイちゃんが亡くなった。
溺死だった。
交換留学先で現地の友達と海で遊んでいて波に流されたのだという。
きらきらの髪にまばゆい笑顔が印象的な子だった。
来年は50年に一度の奇跡の年。
学校の誰もが噂している。もし自分が主役に選ばれたらどうしようって。
だけど私は知ってる。
そんな50年に一度しかないような機会を得られる子が身近にいるのだとすれば、きっとルイちゃんのような子なんだろうなって。
彼女がふさわしい。
彼女なら皆が納得するに違いない。
そう確信するほどに私の中で彼女は誰よりも光り輝いていた。
そこまで私が心酔する類ちゃんだけど、私とルイちゃんは友達ではない。
挨拶を除けば、話をしたことなんて数えるほどしかない。単なる私の片思い。
地味で何の取り柄もない私と可愛くて何でもできちゃうルイちゃんでは、そもそも初めから釣り合わないのだ。私とルイちゃんが仲良く並んで歩く? そんなの想像できないし、そんなことを考えることさえとんでもない。
それでも、私には誰にも明かせない密かな自慢がある。鼻で笑われるかもしれないけど、私とルイちゃんは幼稚園の入園当初からずっと同じクラスだった。このことはルイちゃんはもちろん私以外誰も気づいていないかもしれない。
ずっと同じクラスと言うことだけが、私とルイちゃんと唯一繋ぐ不思議な縁だった。
だから、高等部から私は普通科、ルイちゃんは演劇専修科と進路が別れてしまったのはショックだったし寂しかったけど、やっぱりなという気持ちの方が大きかった。
ルイちゃんのお母さんは有名な舞台女優でお父さんも同じくらい有名な劇作家だった。演劇の名家に生まれた彼女は、中等部から演劇部に入るとたちまちその才能を光り輝かせた。演劇専修科の先輩たちも彼女に会うためだけに、中等部まで足を運ぶのを見た。
彼女はクラスどころかこの学校におけるビーナスで、それはまるで宇宙の中心だった。文化祭のクラス発表もすんなりと演劇に毎年決まったし、ルイちゃんは満場一致で主役に選ばれた。
ルイちゃんのことをずっと追っていた私にとっては、ルイちゃんの素晴らしさにみんなが気づいてしまったのには少し複雑だったけれど、ずっと憧れてたルイちゃんが舞台で輝く姿を裏方として見るたびにどこか誇らしい気持ちになれた。
だからルイちゃんが高等部で演劇専修科に行ってしまうのは当然と言えば当然。私も追いかけようと演劇専修科を志望してみたけど、まるで才能がないと進路指導の先生だけでなく親や友人にまで嗜められた。それでも頑張ってみたが結局ダメで普通科に決まり、偶然とは言えど今まで続いたルイちゃんとの関係はそこで終わってしまった。
クラスは分かれてしまったけれど、ルームメイトから「中等部まで同じクラスでいられたことをむしろ神様に感謝すべき」と嗜められてしまい、それを機に気持ちを切り替えることができた。
それでもルイちゃんへの憧れは消えず、文化祭でルイちゃんの演技をみることだけが、私にとってこの学園での最高のイベントであることに変わりなかった。
二年生になり交換留学で半年ほど海外に行くとは聞いていたけれど、私の心配は今年も文化祭でルイちゃんの演技が見れるかどうかということだけであり、ルイちゃんが無事に帰ってこない可能性など微塵も想像していなかった。
だからルームメイトが慌てた様子でそのことを伝えてくれたとき、何て悪質なデマだと憤慨したし、そんな話を得意げに言いふらす輩には、そんなデマを流すなときつく言って回った。
だけど時を経ずして先生から正式に訃報が流れてしまい、とうとう否定できないくらい追い詰められてもなお、私の中にはどこか悪い夢を見ているような感覚が拭いきれなかった。
この学園に入ってずっと、どれほど怪我を負ってもけろっと戻ってくる生徒達を見てきた。
だから、どこか死を遠いものと感じるようになっていたのかもしれない。
私もその一人でルイちゃんが死んだと聞いても、また明日になればあの明るい笑顔が戻ってくるような期待を捨てきれずにいた。
なのに、ルイちゃんは戻ってこないまま、粛々と葬儀が始まっている。
啜り泣く生徒達の声。
ここに来てようやくルイちゃんの死をみんな理解し始めている。
「交換留学になんて行かなければよかったのに」
すぐ隣でルームメイトは鼻を啜りながら呟いた。
ああ、私だけか。私だけが未だにルイちゃんの死を受け入れられずにいる。
「とても二目と見れる姿じゃなかったらしいよ」
お葬式の最中にひそひそとそんな声が聞こえてきた。
ルイちゃんはとても優しい子だったけど、そんなルイちゃんであっても、その死をみんながみんな悼むとは限らない。中には心無い子達も数多くいる。そんな子達からすればこんな葬儀に参加させられていること自体が苦痛でしかなく、せめてその死をネタに盛り上がることが彼らなりのささやかな意趣返しなのかもしれない。
そんな彼らに対しても、祭壇の上に飾られたルイちゃんの遺影はきらきらとした笑顔を向けている。
記事や噂によれば。
留学先の友達と海に遊びにきていたルイちゃんは、海水浴中に突然姿を消した。
波に流されたと判断されたことから、広域に渡って懸命に周囲を捜索されたが何一つ手がかりはなかった。
それでも捜索を続けて一週間後。失踪現場から300キロメートル以上離れた場所で、ようやくルイちゃんと思しき情報が届く。
若い女性の遺体と思しきものが、網に引っかかっているとの通報だった。
一報を聞いてルイちゃんの関係者も急いで現場に駆けつけるも、既に規制線が張られていた。
ルイちゃんと思しき遺体にはブルーシートがかけられており、固唾を飲んでルイちゃんの両親の到着をみんなが待っていた。
「見ない方がいい」
発見した漁師達や警官が口々にそう呟き顔を曇らす中、一人の生徒が規制線を越えて侵入した。
それはルイちゃんと同じ交換留学に参加した生徒の一人で彼女の友達だった。その生徒は警官の制止を振り切り、ルイちゃんの遺体を確認した。そして……ルイちゃんの遺体を見て、悲鳴を上げると青ざめた顔でその場で意識を失ったのだと言う。
その生徒はサチさんという方で、ルイちゃんと同じ交換留学プログラムに参加した彼女の友達だった。
サチさんは今年の四月からの転入生で前の学校のものだという白と黒の制服が印象的だったとみんなが口を揃える。交換留学については前年に審査があるはずなのに、既に参加が決められていたという噂もある、聞けば聞くほど何だかよく分からなくなるような生徒だった。
サチさんはルイちゃんと同じクラスになり、ルイちゃんも交換留学を希望していたこともあってか二人はすぐに打ち解けたらしい。
私は普通科なので、転入して数日のうちに留学したサチさんを見たことがない。私にはにわかに信じられないが、噂に聞くにはルイちゃんに並ぶほどに可愛い子で、二人が並んで立つとそのまま額縁に入れて飾っておきたいと思えるほど、その姿は絵になったと聞く。
サチさんがどんな想いでルイちゃんの遺体を確認しに行ったのかは本当のところは本人に聞かなければ分からない。
ルイちゃんの周りからは、サチさんの行動を批判する声も聞こえる。規制線を破ったのみならず、自分から遺体を見にいったにも関わらず、悲鳴をあげて意識を失うなんて、ルイちゃんにもその両親にも失礼だと言う意見は確かに正しい。
それでも、私はサチさんについ寄り添ってしまう。
ああ、目の前で空っぽの棺が運ばれていく。
もしも、あの中にルイちゃんの遺体が入っているのだとすれば、私も今この場で人を押し退けてでも中を確認しに行っただろう。そして、そこに遺体があり、ルイちゃんだと確信してしまったならば、同じように意識を失うと思う。
だから、私はある意味でサチさんが羨ましい。きっとルイちゃんの死を自分の目で確認できたのだから。
私にはそんな機会は永遠に来ない。私は未だにルイちゃんの死が信じられないのに。
だから、もしサチさんが学校に戻ってきたら、私だけは彼女の味方になりたい。
そう思っていた。サチさんに寄り添えるのは私だけだって。
なのに、サチさんは、このまま学園を去るのだと言う。
ルームメイトによればサチさんは意識を失ったその日のうちに学園関係者に寄り添われて帰国し、それ以降誰もその姿をみていないと言う。既に退学手続きが取られており、次の学校も決まっているそうだった。
私はルームメイトに尋ねる。
「サチさん……来てると思う……?」
二人の関係がどれほど深かったのか私には分からない。
幼稚園から中等部までずっと同じクラスでも疎遠だった私に、半年に満たない二人の関係を推し量ることなんてとてもできないけど。
「転校するなら最後のお別れくらい……言い来たっていいじゃん」
このままお別れじゃ、ルイちゃんが寂しがるよ。
私は思わず周囲を見渡す。ルイちゃんに並ぶほどの美少女なら、一目見ればわかるかもしれないと思った。
だけどルームメイトは首を振った。
「無駄だよ。ルイほど可愛い生徒が一日でも在籍してたら、それこそ一目見ようとみんな押しかけただろうけど、そんな話全くなかっただろう? 事故直後は確かにみんなも色んな噂に振り回されたけど、今となればそんな生徒本当にいたのかすらボクには疑問だよ」
ルームメイトの言うこともその通りで、サチさんの存在はあくまで噂でしかない。
サチさんのことを知っていた演劇専修科の生徒達も、そのうち、サチさんについては何も話さなくなった。いや、むしろ存在そのものを忘れてしまったかのような印象さえ受けた。ルームメイトに言わせれば、ルイさんの死を受け止めたからだどうだけど、私にはわかる。
「サチさん、私はいたと思う」
そんな私をルームメイトはどこか憐れむような目で見る。そのルームメイトの視線が私の奥の方に移るのがわかった。
「どうしたの?」
私の問いにルームメイトは我に返ったように目を瞬かせる。
「ああ、もし君が言うようにサチさんが本当にいるのなら、きっとあんな感じなのかなって……」
ルームメイトの視線の先を追う。人混みの隙間から小学校高学年くらいの可愛らしい女の子が、大人達に付き添われるように立っているのが見えた。白と黒の制服が妙に印象的で、それは単に喪に服すとはどこか異なる雰囲気を帯びていた。整った顔つきは幼い頃のルイちゃんにも似ている気もする。
「まぁ、そんなわけ無いか。サチさんの話が本当なら、ボク達と同じ高等部のはずだからね」
ルームメイトはふっと笑みを浮かべて鼻で笑った。
私が「サチさんの親戚かも」と続けるが、「どうかな。ボクは違うと思うよ」と、既にルームメイトの中ではその少女とサチさんは関係のないものとされていた。
「私、話しかけてくる」
「おい!」
ルームメイトの制止を振り切って、私は列から離れる。
人混みを抜け、少女のいたはずのところまで来る。だけど既にそこには誰もいない。
「何ばかやってんの……!?」
ルームメイトが私の肩を掴む。見るとふらふらと行ってしまった私を心配して、自分も列から離れて追いかけてくれたようだった。
ルームメイトが私の手を牽く。
「ちゃんと向き合ってお別れしよう。それが今すべきことだよ」
顔を上げるとそこにはルームメイトのまっすぐな眼差しがあった。さらに向こうには、きらきらと笑うルイちゃんの笑顔。
「ああ、本当に、もうルイちゃん、帰ってこないんだね……」
そう口に出した瞬間、胸の中でつかえていた何かが外れた気がした。
気づけば、私はルームメイトの胸を借りてえんえんと小さな子どもにように泣いていた。
あの日から五十年ーーあの演劇をまた見るがために私はこの学園にいる。