神様の話 ~The Name of the God~

「さて、何から話したものだろう」
「天凌学園の五十年に一度の奇跡を巡る数多の物語はあまりにも鮮烈で……すべてを子細に語っていたら、私のような老骨の時間などあっという間に無くなってしまうほどだ」
「そもそもの話をするなら、五十年前の私とギムナの話から始めないといかん。あれはいかん。青少年諸君には刺激が強すぎる。禁書じゃ禁書」
「……失敬。柄にもなく少々興奮してしまった」
「話を戻すと、全てを語るには我々の時間はあまりにも短い」
「だから、やはりここは、あの二人の物語によって他の全ての物語に代えるとしよう」
「高らかに詩を謡う者と、心を閉ざした者」
「あたかもそれは、あの演劇の主役たちのような」
「……その片割れが我が孫だというのは、やはり、少しは誇りに思ってもよいのだろうね」
「さあ、始めよう」
「古人曰く――」

In principio erat Verbum始まりに言葉があった,
et Verbum erat apud Deum言葉は神と共にあった,
et Deus erat Verbum言葉は神であった.

 鐘の音が校内に響き渡る。
 奇跡を告げる伝説の鐘の音ではない。だが、限りなくそれに近い音色。
 天凌祭前夜祭に行われる演劇――その、幾度目かのリハーサルにて鳴らされた鐘の音である。

 無論、リハーサルで幾度鳴らしても、本番までは奇跡が起こる事は無い。この場にいる全員は皆、それを知っていた。
 だが、それでもなお、鐘が鳴るこの瞬間には特異な緊張感が立ち込める。
 それは主演とパートナーの二名にとっても同様であった。

「『嗚呼』」

 主演である紫がかった髪の少女が、鐘の音の残響が消えるのを待って、言う。

「『この鐘の音。これが、君の心にかけられた帳を掃う、奇跡の音色』」
「『君よ、我が心から想う君よ、この音色は君に届いただろうか。君の心を震わせただろうか』」

 パートナーの栗色の髪の少女は、その言葉に少しだけ目を伏せ、応える。

「『いいえ』」
「『私の心の帳は、とうの昔に開いていました。貴方の鳴らした音色は、とうに私の心を震わせていました』」
「『ごめんなさい、我が心の君。私は嘘をついていました――貴方の音色は、この鐘の音を待つまでもなく、私の心に届いていたのです』」

 この台詞は、『満天の空と約束の鐘』の伝統的な脚本として受け継がれてきた物だ。
 心を閉ざしていた者の心は、奇跡を待つまでもなく、詩人の投げかけ続けた数多の詩に応える形で開かれている。
 だが、奇跡を起こそうとするその瞬間まで、心を閉ざしていた者はそれを明かす事はできず――結果、鐘の音の奇跡は無為に消えるが、それはもはや必要ない。
 奇跡を起こすのは、鐘の音ではなく、奇跡を求めるほどの強い意志である――それが、五十回の内四十九回奇跡を起こさない・・・・・・・・・・・・・・・・・劇の結末として描かれた脚本の結末であった。

 もちろん、劇中の二人ならいざ知らず、主演とパートナーの二人の俳優も、脚本の内容はすでに知っている。
 主演――紫がかった髪の少女、五十鈴陽乃も。
 パートナー――栗色の髪の少女、至神かれんも。
 それを知った上で、舞台に立っている。

「『謝る事は無い、君よ。君の心に我が音色が響いていたというのなら、それは、奇跡を無為にして有り余る行幸』」
「『私は、この喜びをうたにしよう。世界に響き渡らんばかりの声で謡おう』」
「『君よ、今度こそこの声に、応えてくれるだろうか』」

「『――はい』」
「『はい、君よ。貴方のうたに、私は応えます』」
「『そして、私も謡いましょう。私のまだ拙い想いが、貴方に届くことを信じて』」

「『ならば君よ、共に謡おう』」
「『この、歓喜の歌を!』」

「陽乃ちゃんさん、お疲れ様です」
「……ああ、至神さん、お疲れ様」
「んもー、もっと気軽に『神様ちゃん』って呼んでくださいって言ったですのに」
「ごめんね、あんまりそういう気持ちになれなくて」
「そんなぁ。神様ちゃんをパートナーに選んでくれたあの日の気持ちは嘘だったんですか? うるうる」
「私はあんまり能動的にあなたを選んでないんだけどね……ものすごくアピールしてきたのはあなたの方でしょ」
「はっはっは、何のことやら」
「――私が主演に決まったとたん、天龍寺さんも四波平君も……至神さん以外の主だった主演候補者全員・・・・・・・・・・・・・・・・・・が、聞いてもいないのにパートナー辞退したのはどう考えても変でしょ。何したの」
「なーんーのーこーとーやーらー」
「……はぁ、まあいいけど。私は、この劇の主演をちゃんと務めるだけだから」
「……まあ、そうなりますよね」
「え?」
「何でもないでーす。あ、ところで陽乃ちゃんさん、話は変わるんですけど」
「うん」
「鐘に願う奇跡って、もう決めてます?」
「……」
「いや、『いまさら?』って顔しないでくださいよー。陽乃ちゃんさんとはこれまで手に汗握る色々がありましたけど、そういえば聞いてなかった気がしたので」
「……まあ、そういえばそうか。うん、決めてるよ」
「そうですかー。それ、諦められません?」
「――無理、かな」
「そうですよねー。うん、分かりました」
「……話は終わりかな。そろそろさっきのリハの映像チェック、始まると思うよ」
「あ、もうそんな時間です? じゃ、神様ちゃんはちょっと遅れるって伝えといてください」
「また? いい加減みんな呆れる頃じゃない?」
「主演は遅れて登場するもんだぜい」
「助演でしょ」

『おかけになった電話は、現在電波の届かない所にあるか、電源が――』
「――まだ、なんですか?」
「急いでくださいよナミーくんさん達……ほんとに、間に合わなくなっちゃいますよ」

 そして、また幾度か後のリハーサル。
 鐘が鳴り響く、最後の場面。

「『嗚呼』」
「『この鐘の音。これが、君の心にかけられた帳を掃う、奇跡の音色』」
「『君よ、我が心から想う君よ、この音色は君に届いただろうか。君の心を震わせただろうか』」

 詩人の問いかけに、静かに答えるはずの心を閉ざした者の声。
 だが、この時は違った。

O Freunde, nicht diese Töneおお友よ、このような旋律ではない!」

 脚本と違う声に、詩人――陽乃は怪訝な顔をする。
 内容に聞き覚えはある。ベートーヴェンの交響曲第9番、第4楽章冒頭の第一主題。
 だが無論、この場面で聞こえる内容ではない。

Sondern laßt uns angenehmereもっと心地よいものを歌おうではないかanstimmen und freudenvollereもっと喜びに満ち溢れるものを!」

 それを高らかに謡い終えた至神かれんは、にやりと挑戦的な笑みを浮かべ、陽乃を見た。
 五十鈴陽乃は――その表情を見て、表情を凍らせる。
 なぜなら、それは――。

「……陽乃? 嘘、なんで?」
「詳しい事は後でみんな・・・に聞いてね。詳しい理屈は私にもさっぱりだから」
「みんな? ……まさか」
「うん。かれんちゃんに始まって、四波平君に天龍寺さん、それからこの劇の参加者演出その他もろもろ……この形に持ってくるためにみんながグルになってた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……何それ」
「『復活の逆十字の聖人:地下霊廟カタコンベ演劇死闘編』についてはまたの機会に」
「何それ!?」
「まあ、そんな事は今はどうでもいいの。ねえ、月乃」
「……何よ、陽乃」
「私達が語り合うために、これ以上ない舞台が揃った。なら、やる事は一つ」

即興劇エチュード『満天の空と約束の鐘・改』、受けてもらえるよね?」

「……私としても不本意ではあるのだよ。全てを語れないのはね」
「だが、仕方のないことだ。時間という死神は何者にも平等に襲い掛かる」
「だから、この物語の顛末について、君達に語れるのは」
「最後に掲げる、ありふれた言葉を以てして、となる」
「願わくば、舞台の外側に歩みだす彼女たちに幸あらんことを」

God’s in his heaven,all’s right with the world天に神はいまし、世は全て事も無し

 

 

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