天凌の霊脈と十尾の狐

 一歩。また一歩。

 終わりが近づいてくる。行列が続いている。
 神通力で手足の自由は奪われ、その歩みを止めることはできない。
 私たちは贄だ。いや、そんな上等なものでもない、単なる材料の一部だ。
 行列の先に見える、あの赤黒い沼に身を投げれば、どろどろに融かされて■■の霊力となるのだろう。

 けれどそれが、私たちの運命だ。父も。母も。ケンちゃんも。フブちゃんも。この里のみんなは、一人残らず材料となる。

 妖狐の長はかつてニンゲンに奪われた霊脈を取り戻すため、究極の妖狐である■■を生み出そうとしている。その材料は、千の妖狐わたしたちだった。
 恐ろしい計画に気付いた私たちは、怨念の化身となり果てた長を打倒するために立ち上がったが、最強の妖狐である長の霊力は余りにも強大だった。

 戦いに敗れ、降伏した私たちに残された道は、ただひとつ。
 ■■の材料となるべく、どろどろに融かされて、それっきり。

 一歩。また一歩。

 どぼん。どぼんと材料が赤黒い沼に身を投げる。
 私の番ももうすぐだ。口惜くやしさと悲しさで唇が震える。
 ならば私は呪いを刻もうのこそう。美しく平和だった妖狐の里。緑あふれる豊かな地。その原初の光景を、生まれたての■■の脳裏に焼き付ける。深い郷愁と共に。
 とうに失われたものを追い求め、彷徨い続け、その全てが無駄だった時の虚しさだけが、私たちの魂の留飲を下げるのだ。

 

  
――それが、単なる材料に貶められた私たちの、最後の意地なのだ。

「満天の空と約束の鐘」が上演される天凌祭まで、ついに二週間を切った。

 五十鈴 陽乃は地道な草の根活動と、役者としての元々の人気、そしてこれまでのレッスン会の評価が実を結び、第二回の中間選挙で一位の得票数を稼いでいた。しかし、周りの評価とは裏腹に、今、彼女の心は大きく揺らいでいる。

(四波平くん……。何で今更……)

 四波平 月張の突然の告白。自分が『月乃』だった頃には、少なからず意識していた男子だった。しかし、『五十鈴 陽乃』を借りて生きている今、彼の好意を受け入れて、『陽乃』を死なせるわけにはいかない。なにより、『死人』である月乃に生きる希望などあってはならないのだから。

 邪な思いを振り払うように、陽乃はレッスンに打ち込む。しかし、メンタルが空回りしている今の状態では、何もかもが上手くいかなかった。

(今日はもう、休んだ方が良いのかも……)

 そう思わせるには十分なほどに、陽乃は月張の行動に動揺していたのである。

 レッスンを切り上げ、荷物を片付け帰りの準備をしている頃、中等部と思わしき女子生徒が何か言いたそうにこちらの様子を伺っているのに気付いた。

(どうしたのかしら? 校舎も違うのにわざわざこんな所まで来るなんて……?)

「君、どうしたんだい? 何かご用でも?」

 陽乃が女生徒に話しかけると、ピクリと軽いリアクションを取ったが、恐る恐るこちらに歩み寄ってきた。

「あ、あの。五十鈴 陽乃先輩ですよね?」

 陽乃が頷くと、女生徒はさらに続ける。

「あの、天龍寺先輩から言伝を預かってます。話があるので玄関前で待っているそうです」

 天龍寺という名前に陽乃は反応する。天龍寺 あすか。演劇専修科の中等部ナンバーワンとの呼び声が高い後輩だ。
 勿論、今回の演劇の主役候補者の中でも一、二を争う実力の持ち主である。

 だが同時に陽乃は微かな違和感も覚えた。彼女は何故この後輩を伝言係に使ったのか? 見たところ、高等部に縁のある生徒というわけでもない。
 伝え聞く限りの本人の性格は、堂々として度胸があるとのこと。用があればむしろ本人自ら乗り込んで来るようなタイプのはずだ。

「悪いけど、ここで友達を待っているんだ。また後日改めてということで……」
「はあ、そうですか……」

 襲われかけた前例がある分、用心に越したことはない。陽乃は肩を落とす女生徒をあしらって、早々に諦めてもらう事にした。しかし――

 俯く女生徒の顔を再び覗き込んだ時、陽乃は自分の目論見の甘さを後悔した。既に何かを仕掛ける直前の、思い詰めたような表情がそこにあった。

「それじゃあ、少し手荒な手段を取らないといけませんね」

 突然。背後から現れた二つの人影が、陽乃の両腕を掴み、羽交い締めにする。潜んでいたような気配は無かった。一体どこからと思い姿を見ると、目の前の女生徒と瓜二つの顔がそこにあった。恐らく分身か何かの魔人能力だろう。

「き、君は……一体?」
「初めまして。飯綱 千狐といいます。少しわたしに付き合って貰えますか?」

 この状況では陽乃も抵抗は無駄だと悟り、無言で頷いた。

 運動場の旧体育倉庫に連れて行かれた陽乃は、その中に入るよう促される。その旧倉庫は現在、体育祭等のイベント専用の物置となっており、滅多に人は立ち入らない。仮に閉じ込められれば見つけてもらうまで時間がかかるだろう。

「ごめんなさい。あなたには、天凌祭が終わるまでここに居てもらいます」

 一番手っ取り早く、ライバルを脱落させる実力行使。無論、そんな要求を飲むことは出来ない。しかし、あの分身の魔人能力を出し抜いてこの場から逃げ延びることは、現状難しいだろう。

「君は確か、故郷へ帰る為に奇跡を目指していると聞いているよ。でも、こんなやり方はお互いにとって良くないと思う」
「分かっています。けれど、わたしが確実に主役を勝ち取るためには、もうこの方法しか……」

 千狐は後ろめたい感情からか、陽乃から目を逸らす。彼女はこの強硬手段が本意ではない様子だ。ならば、説得の余地はあるのではないか?

「天龍寺さんに、何か言われたの?」
「違います!!」

 千狐ははっきりと否定した。

「天龍寺先輩ほどの名前を出さないと、あなたの関心を引けないと思ったからです。この件に関してはわたしの独断です」
「そう、ならば尚更君の態度は不自然じゃないかな? 何かとても切羽詰まった状況に見えるのだけど……」
「……」
「ねえ。私に協力できることはないかな? 私だってこんなところに閉じ込められるわけにはいかない。だから、君に何があったのか教えてほしいんだ」
「……じぃじと……ばぁばが……」

 千狐はそう言って涙ぐむ。そして、ここ数日の内にその身に起こったことを話し始めた。

 千狐はまず陽乃に、自分の出自を打ち明ける。勿論人外の存在であることを隠しながら。
 昔、故郷から拉致されて、魔人能力者として、様々な人体実験の被検体となったこと。その研究施設から、命からがら逃げ出してきたこと。当てもなく彷徨っていたところを、じぃじとばぁばが助けてくれたこと。そして、孫娘のように受け入れてくれてこんな立派な学校にまで通わせてくれたことを、辿々しくも語った。

「けれど、とうとう研究施設の人間に、わたしの居場所がバレてしまったんです」

 施設のエージェント達は、千狐の保護者となった老夫婦を拉致し、千狐に脅しをかけたという。ここ天凌学園で起こる、七つの奇跡の源泉となっている『天凌の霊脈』を確保せよ、と。

「正直、『天凌の霊脈』というものが、何を指しているのか、わたしにはピンと来ていなかったのですが、とにかくそれを見つけないと、じぃじとばぁばの命が危ないのです」

 自らの手でこの学校最大の奇跡を起こせば、それとリンクした霊脈の位置も辿れるはず。故に、千狐は故郷の手掛かりを探っていた時以上に、形振りを構って居られなくなっていたのだった。

 陽乃は少し考え、千狐にある提案をした。

「とにかく、おじいちゃん達が人質に取られている以上、私達だけでは手に負えない問題だと思う。だから、ここは素直に大人を頼った方がいい」
「でも、一体誰を?」
「保健室の那須先生っているじゃない? あの人、この学園の歴史にやたら詳しいから、頼るには打ってつけだと思うよ」

 養護教諭という立場から、こういった生徒のデリケートな問題にも的確な対応をしてくれるだろう、と陽乃は千狐に優しく諭す。無論、この状況を切り抜けたいという打算はあったのだが。

「そう……ですね。分かりました、わたしは那須先生を当たってみます。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

 肩をすくめ立ち去ろうとする千狐を、陽乃は一呼吸してから呼び止める。

「待って、私も一緒に行くよ。君一人だと危なっかしいし」
「陽乃先輩……? いいんですか?」
「乗りかかった船だからね。それにさっき、協力するって言ったでしょ」

 この場を切り抜けた以上、陽乃に千狐を助けるメリットは薄い。けれど、この状況を見て見ぬふりは出来ない。
 私が『陽乃』である以上、そうあるべきなのだから。

 陽乃つきのはそんな演技エミュレートをしたつもりだったが、それが彼女本来の優しさから来るものであったことを、当の本人は自覚していなかった。

 保健室では、事務処理をしていた那須先生が珍しい組み合わせの訪問者に驚いていた。

「おや? 有名人二人が何の用かな?」

 ここまで残っている奇跡の主役候補ともなると、校内では既にちょっとしたネームド扱い。そんな二人が神妙な顔をして保健室へと訪れた。
 那須先生は、何か厄介ごとにでも巻き込まれたかなと推測する。良くも悪くも目立つ存在はトラブルを引き寄せるものだ。

「実は、天凌学園の歴史に詳しい那須先生の知識をお借りしたいのですが……」
「ほう、それは感心な事だ。私でよければ、何でも聞いてくれたまえ」

 まずは千狐が恐る恐る切り出した。

「あの、先生は『天凌の霊脈』なるものをご存知でしょうか……?」

 那須先生の表情が少し固くなる。

「飯綱さん。君はどこでそれを知ったんだい?」
「実は――」

 千狐は、陽乃に語ったものと同様の話を、那須先生にも語った。すると那須先生は険しい表情を浮かべながら、千狐に説明を始めた。

「順を追って話そう。まず、君の祖父母を拉致した連中の言う通り、『天凌の霊脈』というものは、この学園で起きる様々な奇跡の源泉となっているエネルギー流のことだ」

 那須先生は更に続ける。

「それは古の時代からこの地の地下に広がり、地上に様々な怪奇現象を起こしていた。ここに藩校が建ったのは江戸時代中期。それ以前のこの地は、天凌の森と呼ばれ、霊力を持った獣達の楽園だったんだ」

 そう言うと、那須先生は奥の本棚から資料を捜し始める。数分後、その手に古びた書籍を数冊抱えて戻ってきた。

「飯綱君。君の魔人能力と関係あるのかは知らないが、『天凌の霊脈』の守り人とされていたのは、とある妖狐の一族と言われているんだ。ほら、ここのページ」
「これは……っ」

 那須先生が指した資料を見ると、天凌の森に関する言い伝えを記した巻物の写真と、なんとなく読み取れる「妖狐」の文字。千狐は、この学園に伝わる妖狐伝説に、不思議な縁を感じていた。

「もしかして、飯綱さんの祖父母をさらった連中は、彼女の耳と尻尾を見て、『天領の霊脈』の管理者だと誤解したとか……?」

 陽乃の推測に、那須先生が返す。

「それもあるかも知れない。それに、今の天凌学園はどこぞの大金持ちキッズのおかげでセキュリティレベルが異常なほど高いから、内部の人間を使って霊脈を確保したいんだろう」

 その割には、私二度も襲われかけてるんだけどと言う不満の声を飲み込む陽乃を横目に、那須先生は別の資料を指差す。

「この資料と照らし合わせると、天凌の奇跡っていうのは時代によって増えたり減ったりしているんだ。その歴代の奇跡の発生地点をマークしていくと、おのずと霊脈の中心が見えてくる」
「霊脈の中心は……この大鳥居ですね。これって学校のどの辺りなんでしょうか?」

 千狐の問いかけに、那須先生は答える。

「現在の運動場に当たる位置だね。恐らくここの地下数十メートル以内に、大きなエネルギー流が埋もれているのだろう」
「けれど、それを確保するって、どうすれば?」
「このエネルギー流は、かつての管理者である妖狐の一族が編み出した制御方法があるらしい。それを使えば、人為的に小規模な奇跡を起こすことも可能なんだ」
「制御方法ですか……?」
「で、ここからが重要だな。飯綱さんの祖父母をさらった連中は、本来秘された霊脈の存在や妖狐の伝説に精通したような動き方をしている。つまり、彼らは妖狐の末裔である可能性が高い・・・・・・・・・・・・・・・・・
「!!」

 それは千狐にとって衝撃的な事実だった。故郷から自分をさらった者たちは、ニンゲンではなく、同属の妖狐だった。自分は、仲間であるはずの妖狐たちに身体を弄られていたのかと思うと、悲しみが込み上げてきた。

「とにかく、人質の安全を確保するまでは、連中にこの霊脈の中心地を知られてはならない。その上で、次回向こうから電話が来た時に、人質交換の交渉を始めよう」
「……はい。わかりました」
「飯綱さん、大丈夫。おじいちゃん達を助ける作戦、一緒に考えようね」

 陽乃は俯く千狐の手を強く握り、勇気づけようと声を張った。

 翌日。千狐と陽乃は多少の後ろめたさを感じつつも授業をさぼり、保健室で那須先生と作戦を練っていた。
 先生から紹介された保健室登校常連の紙屋という生徒が、戦略アドバイザーとして作戦立案を手伝ってくれた。彼は、並行世界の自分の魂を持ってくることのできる魔人能力者で、この時は魔人自衛官の魂をその身に憑依させていた。

「とにかく、人質を奪ってからのスピード感が重要なんですわ。最速の逃走ルートを確保すると同時に、千狐ちゃんには敵の気を引いてもらいます。千狐ちゃん、例の文言・・・・は覚えてはりますね?」
「はい、紙屋先輩」
「んで、陽乃さんにはこれを。チャンスは一度きり。しくじらんよう気ぃ付けてください」

 そう言うと、紙屋は小振りな短剣を陽乃に手渡した。ペトロの『奇跡封じ』と対になる、煌びやかな『呪い破り』の短剣。コレも重要なアイテムの一つだ。

「分かっています。これでもプレッシャーには強い方ですから。公演で鍛えてますし」
「頼もしい言葉、期待しときますわ」

 紙屋の言葉に、皮肉交じりのニュアンスが混ざる。彼は自分よりも「格上」と認識している演者を目の前にして、多少なりとも心がざわついているのを自覚した。

――そして、作戦開始の合図を告げるように千狐のスマホが鳴り出した。

 千狐は意を決して電話を取り応答する。

「現在の進捗を報告しろ。『天領の霊脈』の手掛かりは掴めたか?」
「はい。実はそれに関して重要な資料を見つけました。旧天領の森における奇跡の発生地点のデータです」

 電話越しの相手は、しばし無言になったが、再び口を開いて千狐に指示する。

「よし。そのデータを今すぐ寄越せ。持ち帰って精査したい」
「それはできません、この資料は私の生命線です。じぃじとばぁばとの交換でないと渡せません。元々そういう約束でしょう?」
「……分かった。但し不自然な動きがあれば二人を殺す。たとえ学園内でも復活できない方法を我々は知っている」

 千狐は陽乃を閉じ込めようとした旧体育倉庫を引き渡し場所とする約束を取り付ける。時刻は向こうの指定した、今から七時間後の深夜十一時と決まった。

 電話を切ると、千狐は高鳴る心臓を抑えるように深い溜息を吐いた。那須先生はそんな千狐の頭を優しく撫でた。

「頑張ったね、飯綱さん。まずは第一関門突破。これで作戦を遂行できるよ」
「はい、ありがとうございます。先生」
「絶対におじいちゃん達を助けよう。飯綱さん」
「はい。陽乃先輩も紙屋先輩も、引き続きお願いします」

 そして四人は、取引までの僅かな時間を作戦の最終調整にあてた。

 
――夜。
 

 街灯に照らされた、狐耳の少女のシルエットが運動場へと向かう。その手に資料を携えて、決死の覚悟を胸に秘める。
 間を置いて、別の少女のシルエットが、暗闇に潜みながら運動場を目指す。懐に金の刃を忍ばせて。

 程なくして、狐耳の少女――千狐は、旧体育倉庫に辿り着く。同時に向かい側から、四つの人影が近づいてきた。
 二人は拳銃を携えた黒服のエージェント。そして、もう二人はエージェントに引き回されるように連れてこられた老夫婦。目の焦点が合っておらず、孫娘同様に可愛がっていた少女の姿を見ても、何のリアクションも示さない。

「二人に……何をしたんですか?」

 千狐は怒気を帯びた口調で、黒服に問いかける。

野狐やこの呪いを掛けさせてもらった。我々が解呪しない限り、思考力と判断力は低下し、学園内での死亡復活もかなわない。資料が本物だと確認できれば、解呪してやろう」

「……分かりました。これが資料になります」

 千狐は足元に資料本を置く。そこから両手を上げて、何も仕込んでいないことをアピールした。

「よし、そこから十歩下がれ。それで二人は解放しよう」

 千狐は無言で頷き、後ろに歩を進める。エージェントの一人が、老夫婦を引き連れて、資料の方へと歩を進めた。
 千狐が十歩下がる頃、エージェントも資料に辿り着き、それを拾い上げる。すると、エージェントの耳に千狐がぼそぼそと呟く声が聞こえてきた。

「おい、お前! 一体何をしゃべっている!?」

「……天凌の霊脈よ。我が呼びかけに応えよ。この身を器として我を満たせ!オンベレブンビンバ ピンタラポンチンガー ボンタラクーソワカ!
「まさか!? その呪文は……!」
「おい、どうした!? うわっ!!」

 千狐は紙屋から教えられた文言を唱えた。地中から漏れ出る光が、千狐を包み込む。それは古の妖狐の一族が編み出した秘術の一つ。霊脈に流れる絶大な霊力を直接吸い上げる呪文であった。
 並の妖狐や陰陽師であれば、即座に圧死するほどの霊力。だが、一尾あたり百匹分の霊力容量を持つ千狐の十尾のキャパシティならば、それを受け止めることも可能である。

「ばかな! あの化け物の能力が、覚醒しているだと!」

 究極の妖狐を目指して作られたデザイナーズフォックス。霊脈から受けた絶大な霊力を蓄え、今ここに、完全体として顕現したのだ。

 黒服達は恐慌状態に陥る。闇雲に撃った拳銃弾は、千狐の強靭な毛皮の前に悉く弾かれる。さらにパニックになる二人。倉庫の陰に潜んでいた陽乃はその隙を見逃さなかった。

 
――ざくり。
 

 紙屋から受け取った、『呪い破り』の短剣を、千狐の祖父の左胸に突き立てる。野狐の呪いと心臓が同時に破壊され・・・・・・・・・・・・・・・・、祖父はすぐさま保健室に送られた。

「何いっ!?」

 慌てて陽乃に拳銃を構えるも、既に彼女は次の行動に移っていた。祖母も同様の手際で刺し殺し、保健室へと送る。
 何が起きたのか理解できぬ黒服は、反射的に陽乃を撃ってしまう。三発の銃弾を浴びた陽乃は、それが致命傷となり、祖父母と同様保健室へと飛ぶ。これが紙屋の目論んだ、最速の逃走経路だった。

 陽乃を撃った黒服は、自分達が嵌められたことに気付く。だが、陽乃が消えたことを見届けた千狐が、神通力で黒服の一人を金縛りにした。

「うっ、ぐうっ……!」

 ほんの指一本で無力化される黒服。
 ここでもう一人の黒服が、即座に逃走を選び、上に報告すればまだ痛み分けで済んでいた。しかし、彼の選んだ選択は……

――パン、と乾いた音が響く。

 自らのこめかみを撃ち抜き、陽乃達を追うというものだった。

 陽乃達を再び拘束すれば、ことを有利に運べると思った浅はかな知恵。深追いすれば当然、罠が待って居るのは道理であり――

 

 黒服は、復活地点に配置された鉄格子の檻に、自ら入る羽目となってしまったのである。

 千狐が拘束した側の黒服も、保健室の檻の中に入れられ、仲良く手錠を掛けられる。

「じぃじ! ばぁば! うわああぁぁぁん!」
「千狐! 怖かっただろうに。よく頑張ったね」

 解放された千狐の祖父母は、最愛の孫娘と共に、涙を流して再会を喜び合った。陽乃と紙屋も、その光景を愛おしそうに見つめている。だが、その光景に水を差す者がいた。

「人間と化物が仲良しごっこか。胸糞悪い」
「お前らはそいつの正体を知らないから、呑気にしていられるんだ」

 突然の暴言を吐いたのは、拘束されていた二人の黒服達だった。

「貴方たち……何を言っているの?」

 陽乃は心底理解できないような表情で、男たちを見る。

「飯綱 千狐。コード名DF-003。そいつは我が妖狐の長の命により人工的に作られたデザイナーズフォックスだ。本来ならば、この『天凌の霊脈』奪還の切り札となるべく、自由意志を排除した完全無欠の化物になる予定だった」

――この黒服たちは……何を言っているの?

――わたしは、どこにでもいる、普通の妖狐で。

「だが、どういうわけか、実験施設でもコイツは自分のことを里の妖狐と言い張っていた」

――そうだよ。わたしは、緑あふれる平和な妖狐の里で生まれて、おとーさんとおかーさんに可愛がられて。

「コイツの材料となった千の妖狐。その記憶の一つが、コイツと繋がってしまったらしい」

――なに……それ……?

「そしてある日、コイツは実験施設から逃走した。ありもしない故郷を求めてな」

「う……そ……」

――デタラメだ。こいつらの言ってることは単なる負け惜しみだ。

「だが、遺伝子レベルで自分の使命は覚えていたらしい。巡り巡ってコイツが流れついた先は、我が妖狐族の故郷、『天凌の霊脈』だった」

――もう喋らないで。何も聞きたくない。

「だから我々は、当初の予定通り、馬鹿なコイツを利用して霊脈の奪還を狙ったのさ」

「違う……ちがぅっ……うああああああああああっ!!」

 千狐は言葉にならない言葉で必死に否定する。だけど思い出せない。緑あふれる里の光景は覚えていても。人々のぬくもりは覚えていても。おとーさんの、おかーさんの、ケンちゃん、フブちゃんの顔も全く思い出せないのだ。

 何で? 何で? 何で? デタラメなのに。口から出まかせなのに。なんでわたしはこんなにショックを受けているの?

「お父さん、お母さん。千狐ちゃんを連れて帰ってあげて下さい」

 那須先生は祖父母に千狐を退出させるよう促した。祖父母は無言で頷き、千狐を連れて保健室を後にした。

「貴方たちは……最低よ……」

 陽乃が険しい顔で、黒服たちを睨む。だが、黒服たちは悪びれもせず睨み返す。

「お前らニンゲンこそ、我々の故郷を奪って、我が物顔でふんぞり返っている汚らわしい存在だ! 我が長が『天凌の霊脈』を奪還した暁には、こんな学園など、跡形もなく燃やし尽くしてしまうだろう。せいぜい首を洗って待っておけ」

 しかし、那須先生が間に立ち、二人の口論を遮る。

「もう夜も遅い。君たちも帰りなさい。紙屋君、陽乃さんを送ってあげて」

 紙屋は快諾し、陽乃を宥めながら寮へと帰って行った。保健室に残ったのは、黒服たちと那須先生。生徒たちを見送った那須先生は、黒服たちに向き直る。

「さてと。君たち、中高生相手にちょっと口が過ぎるよ。いじめ過ぎちゃ駄目じゃないか」

 黒服たちは無言で那須先生を睨みつける。二人のそんな様子に那須先生はにやりと笑う。

「だけどさ。私も少しほっとしてるんだ。これなら好都合だって……」

 好都合? 何を言っている? 黒服たちは首を傾げる。

 

――君たちをじっくり拷問するのに、良心が全く傷まない。これを好都合と言わずして、何というのだろう。

 

 ゴア趣味の那須先生の手によって、憐れな妖狐二人の長い夜が始まった。

――ほんとうは、こころのどこかでわかっていたんです。

――けれど、しんじたくなかった。わたしにはふるさとがあるんだっておもいたかった。

――だけど、さいしょからなかったわけじゃない。このこころにうかぶけしきは、たしかにあったのです。

――だから、だからわたしが。あのへいわなふるさとを、もういちど。

 

 千狐はあの故郷の景色を復活させたかった。だけど、里の人々の失われた命でできている千狐がそれを望めば、その存在は最初から無かったものになるのだろう。
 けれど、千狐はそれでも構わないと思っていた。私のせいで、沢山の人々の暮らしが、笑顔が、ぬくもりが失われてしまったのだから。家に帰る祖父の背中で眠りながら、千狐はとても悲しい決意をしていたのだった。

 それは奇しくも陽乃の決意と同じもの。自責の念に苛まれ、かけがえのない大切なものの為に、自らの命を使い潰す選択をした二人の先に、最後の奇跡はどのように訪れるのだろうか。その答えを知る者は、今はまだ誰もいない――

 

(余談・夜明け前)

「しかし、あの亡霊が未だにこの地を狙っていたなんてねぇ。少しお仕置きが足りなかったか……」

 虫の息となった妖狐の残骸と血まみれの檻を眺めながら、狐の目をした・・・・・・養護教諭はぼそりと呟く。

「人間側についた私にやられたのがそんなに悔しかったのか、あんなガラクタまで作り出して。全くお笑い草だ」

「まあ、今度また攻めて来たら、私の怖さを思い出させてあげるよ。妖狐の長クン」

 彼女はすべてを見通していた。紙屋を通して千狐に霊脈操作の文言を伝えたのも、彼女の働きだった。

――那須ほがらか。本名、玉狐。『天凌の霊脈』の現管理者。そして妖狐族で唯一、『天狐』の称号を持つ、最強の妖狐である。

 

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