天凌の月光

(続・舞台裏の雑談)

「すごっ! 回顧録あの本からもうそこまで調べ上げてるんだ」
「まだまだ分からないことは多いけど、七奇跡に関しては少しずつ全容が見えて来たよ」
「全てを解き明かした暁には、モモカにもおこぼれ下さいよ。功労者なんだし」

「……にしても、やっぱりこの七奇跡、色々と隠しルールがあるんだね~」
「ああ。例えば有名な保健室の奇跡。これは対象が別の魔人能力や、呪いの影響下にある間は、発動しない。能力や呪いが解除されれば元通り奇跡は発動するんだけどね」
「つまり、殺された時に何らかのデバフが掛かっている間は、生き返れないのか~。確かに復活にタイムラグがあるケース、ちょくちょくあるもんね」
「聖ペトロの伝説でも、当事者二人は相討ちになって死んでいるだろ。あれもお互いが、呪いの影響下にあったため、復活が叶わなかったんだ。というわけでコレ」

「何これ? この煌びやかな短剣は……?」
十字ペトロを討伐したときの奇跡封じ。これが刺さっている間は、保健室の奇跡そせいは発動しない」
「なるほど、これをモモカに渡すということは……?」
「月張がどちらに転ぶかまだ分からないし・・・・・・・・・・・・・・・、まだこちらの動きを嗅ぎまわられるのは良くない」
「まあ、不正選挙ギリギリのことしてるしねー」
「だから、何か不穏な動きを見せてるネズミがいたら……」
「これでサクッと。ってわけね」
「売らないでね」
「ギクリ。そそそ、そんな足の着くような真似、しないってば!」

『私は今まで苦悩という重荷を担ぎ、倒れぬよう常に足元を見据えて生きておりました。満天の空を仰ぎ、高らかに歌う貴方に、どうして私の苦しみが分かりましょう?』

『貴方の苦しみを全てを理解することは叶わぬのかもしれない。けれど歩み寄ることはできるはず。これから毎日、貴方のために新しい歌を届けましょう』

『たとえ見えている世界が違えども、この地上に生を受けた以上、音楽という祝福を享受する資格のない者は居ない、私はそう信じております』

 穴が開くほど読み通した台本。今では一言一句頭に入っている。

 しかし、それをどう表現するか。そこから築き上げたものを、共演者に、観客に、どのような形で伝えていくのか。突き詰めれば突き詰めるほど、深みにはまってしまう。
 視野が広がれば、それだけ兄貴の天稟の才の凄まじさを思い知らされる。演技を学べば学ぶほど、『四波平 日向』という存在が遠ざかって行く。こうしてこの俺、四波平 月張は、兄貴が消えた四年間も変わらず、その大きすぎる存在に削られ続けていたのだ。

――五十鈴 陽乃。

 俺のライバルとなった彼女もまた、天才と呼ばれる人種。兄貴と似たようなタイプの人間だ。役者としての『華』があり、一分の隙もない。また人当たりも良く、周りに自然と人が集まってくるような愛嬌がある。もちろん、色々拗らせた俺にとって、すこぶる相性は悪い。

 しかし、俺が個人的に気になっていたのは、そんな陽乃の妹、月乃の方だった。

 月乃のことを知ったのは中等部の頃。同じ双子、共に兄と姉が天才と呼ばれていること、そして、時折みせる物憂げな表情に、自分の抱えている悩みと似たようなものを感じていた。とは言え、その時は特別何かあるわけでもなく、高等部に進級した。

 その関係に変化があったのは定期公演。月乃と俺は、とある演目で敵同士の役柄となり、舞台で殺陣を繰り広げた。(お互いスポットライトの当たらないパートだったので、俺も何とか取り繕ったのだが)
 俺はここで月乃のアクションに感嘆する。呼吸の合わせ方、得物の捌き方、体の動かし方等、彼女の演技はアクションに必要な要素が高水準で纏まっていた。気が付いたら俺は月乃に声をかけていた。

 コレがきっかけで、俺たちは時々一緒に稽古をするようになり、お互いの距離感が少しずつ縮まった。相変わらず観客に弱い俺だったが、月乃と共演する時だけは、なけなしの勇気を振り絞ることが出来た。だが、月乃はある時、突然転科すると俺に漏らし、暫くして……

――消えるように、いなくなってしまった。

「アイツとなら、いい舞台が作れると思ったんだがな……」

 そんな月乃の、目標となっていた存在。五十鈴 陽乃が自分の前に立ちはだかる。しかしこちらも譲れないものがある。ここで躓くようならば、ハナから奇跡を求める資格などない。俺は越えるべき大きな壁を見据える。

「兄貴との約束を果たす資格があるか、これが試金石となるかもしれないな……」

 

 日も傾き、西日が差し込む稽古場に、五十鈴 陽乃は一人残っていた。

 放課後の自主練、いつもと変わらないルーティーン。けれど、『月乃』だった頃の仲間は、今や私の望みを阻むライバルとなってしまった。
 あの・・四波平くんが、天凌祭の奇跡を目指す候補者になったと聞いた時、私は密かに驚いていた。

 四波平くんと共に稽古を重ねた日々が頭をよぎる。 『月乃』が死んだという事実で、『陽乃』の望みは察しが付くはず。それでもなお、この戦いに参加したということ。つまり、彼にはそれだけ譲れない願いがあったのか、それとも、彼にとって『月乃』は所詮、その程度の……

(……仕方ないわよね。彼の励ましを無駄にして、私は途中で「折れて」しまったんだから……)

 彼の真意を探るのが怖い。陽乃は嫌な想像を振り払うかのように、稽古を続けた。そんな折――
 

――突然。黄昏時の西日を遮る長い影が、陽乃の背に迫る。

――その気配に気付き振り向くと、鬱屈して鬱陶しく陰鬱な碧のシルエットが、こちらを伺っている。

――それは人の形をした、碧なす髪を振りかざす蒼褪めた馬。

「奇跡を望むライバル。どんなものかと思って来て見れば……」
「……君は、確か」

 蒼褪めた馬の名は、酒力 どらいぶ。
 酒力は、心底呆れたという目つきで、苦笑いを浮かべている。

「……上質で、精緻で、刺激のない、借り物のような演技。天凌の表舞台では、こんな役者が有難がられるんですかねぇ」

 明らかな敵意。明らかな挑発。

「……言ってくれるね。そういう君は、どれほどのものなのかな?」

 酒力は答えず、懐から金属製のスキットルを取り出す。蓋を開け、中に入った琥珀色のスコッチをぐびりとあおる。

「ちょっと君! それって……お酒?」

 その姿に陽乃は目を丸くする。微かに漂うアルコールの匂い。酒力の常軌を逸した行動に陽乃は驚き、咎めようとした。しかしそれよりも早く、酒力の口が開く。

――『嗚呼。この旋律が神の祝福と云うならば、我々は何故忘却の彼方へと置き去りにしたのだろう』

――『届かぬ憧憬は、時として人々に昏い影を落とすこともある』

「!!」

 その台詞は、たった今陽乃が稽古をしていたシーンのものであった。
 同じシーンの、別アプローチからの再演。酒力のボルテージが次第に上昇していく。

――『其れでもなお! 私は信じたい。この地上が愛を取り戻すことを!』

 正直技術面は、陽乃に遠く及ばない。しかし、酒力の演技には異常とも言える熱量があった。
 己の命とアルコールを炉にくべた破滅的な太陽。それは『五十鈴 陽乃』とはまた違った、見る者を釘付けにし、そのまま灼き尽くさんとする暴力的な太陽の演技。

「な……何これ……?」

 脳を灼かれ、理性が灰になって落ちる。剥き出しの本能が熱を帯び、極彩色の炎を噴き上げる。

「や……止めて……。こんなの、どうかしてる……ッ!」

 酒力 どらいぶ。この男はかつて別の演劇部を三つも潰したと噂されていた。当然だ。こんな演技を見せつけられたら、まともな人間は正気を保てない。それが酒力本人の演技力によるものか、はたまた彼の持つ異能の効力によるものなのか、本人ですら知りえない。酒力はケタケタと笑いながら演技を続ける。

――貴様の演技など、表面を取り繕っただけの偽物だ。

――太陽を沈めた貴様が、嘘で塗り固めて新たな太陽となるなど、恥知らずにも程がある。

――姑息な詐欺師に、償いを。偽りの太陽は、冷たく沈め。

 碧なす髪を振りかざす蒼褪めた馬が、呪詛の言葉で月乃を糾弾する。

「いやああああぁぁぁ!!」

 徐々に精神を冒されてゆく陽乃ができる抵抗と言えば、幼子の様に泣き叫ぶこと。ただそれのみであった。

「何……してやがるッ!!」

 だが酒力の演技は中断される。叫び声を聞き、突如乱入してきた四波平 月張の飛び蹴りによって。
 虚をつかれた酒力は舞台袖を模した壁際まで派手に吹き飛んだ。

「あ……よ……四波平くん……?」
「陽乃。アイツに何をされた?」

 我に返った陽乃は、慌てて体裁を整える。結論から言えば何もされていない。ただ、酒力のあの極彩色の演技を見ていたら、次第に自分が人殺しの恥知らずと糾弾された気がしただけだ。

「あっ……うん、ごめん。大丈夫。ちょっと驚かされただけだから」

 あの叫び方はちょっと驚かされたなんてものじゃないだろと思いつつも、月張は酒力と陽乃の間に割って入る。
 酒力は、幽鬼のようにふらりと立ち上がる。酒は回っているが、月張の能力、『真偽体』によって、酒力の身体には一切の怪我もダメージも無い。月張は酒力を睨みつける。

「優しいんですね。わざわざ手加減してくれるなんて」
「一回目はただの警告だからな。次はねぇぞ」
「おお怖い。流石『天才の弟』と呼ばれるだけのことはある」
「アンタが一体陽乃に何をしたのかは分からないし、知る気もない。だけど、これ以上この子に何か仕掛けるつもりなら、俺も黙っちゃいないぜ」
「へぇ、そんな紛い物を庇うんですか。一応ライバル同士ってのも分かってやってるんですよね」
「ああ、ライバルだからこそ、こんな下らない小細工で潰れてほしくないんだよ」

 お互い視線を外さずに、相手の出方を見る。荒事になるのは避けたいが、場合によっては血を見る事になっても止むを得ない。それが、魔人能力者同士の衝突だからだ。しかし――

「……良いっスよ。あんたに免じて今日のところはこのまま退散しましょうか」

 拍子抜けする程あっさりと、酒力 どらいぶは引いてくれた。威力偵察のつもりだろうか。
 酒力は再度スコッチを喉に流し込み、この場を立ち去ってゆく。

 残された月張と陽乃。しばしの沈黙。奇跡を求めるライバル同士となった時に、なんとなく避けていた二人。どう会話を切り出すか、月張が少し困惑したところで、陽乃が先に先に口を開いた。

「一応、助けられちゃったわけだし。ありがとう……」
「……別に。礼はいらないっつの。アイツにも言ったけど、俺たちはライバル同士だしな」
「それでも、助けてくれた時は少し嬉しかったよ……」
「!」

 ドキリとした。何だか今日の陽乃は、一段と月乃に似ているような気がした。

――待ってくれ。『月乃』と同じ顔で、そんなことを言われるのは少し動揺するんだよ。

「と、とにかく気をつけろ。本番が近づけば、それだけ手段を選ばない奴も増えていくんだからよ」
「うん、分かってる。今後自主練は寮でするよ」
「それがいい。何なら寮の入口まで送ろうか? まだ気分がすぐれないようだし」
「平気だよ。自力で帰るくらいはできる」
「そうか……」

 これ以上は余計なお節介かなと思い、月張は帰宅する陽乃を見届けるに留めた。

 そんな稽古場の物陰から、二人の様子を監視していた者がいた。『何でも屋』の八重桜 百貨だ。

「へぇ。月張クン、もしかして陽乃さんを意識しちゃってる系? なんか面白いことになりそう」

 次の日の放課後、早速百貨が月張に絡んできた。

「いやー。先輩は驚いちゃいましたよ。まさか奇跡を狙う宿敵が好きな人だったなんて」
「は? 何言ってるんだモモカ先輩」
「またまた~♪ 陽乃さんを颯爽と助けた月張クン。お姉さんもキュンと来ちゃったぜ!」
「ちょっと待て、あの場面見てたのかよ」
「今なら恋愛相談も受け付けますぜ。一回千円で」

 ノリノリの百貨を見て、月張は心底面倒くさそうに大きなため息をつく。

「なんか大きく勘違いしてるみたいだけどさ。俺があの場にいたのはたまたまだし、同じ科の同級生が襲われてたら普通助けるだろ」
「ほんとに~? なんか月張クンから青春オーラがドバドバ出まくってた気がするけど? 嬉しかったとか言われた時、おもっくそ動揺してたじゃん」

「違う! それは陽乃がアイツに似すぎているから……!」

 ここまで言って、月張はしまったという表情で口を閉ざす。百貨もそれに気付き、全てを察した。

「あー、そういう事か……。ごめん。流石にそれいじるのはNGだね」
「待て……この言い方だと誤解を生むな。別に俺とアイツに何かあった訳じゃないんだ。ただ……」

「んー、でもさ。それってめっちゃ戦いにくくない? 陽乃さんの願いが叶えば、君の思い人も復活する・・・・・・・・・・かもしれないのに?」

 

――は?

 

 百貨の思いがけない台詞に、月張は動揺する。

「おい、今、なんて言ったんだ?」
「へ? だからさ、陽乃さんが奇跡の主役に立候補したってことは、多分死んだ『月乃』さんを生き返らせる為でしょ?」
「死んだ……? 『月乃』が……?」
「え、ちょっと待って。何そのリアクション。まさか知らなかった……の?」

 死んだ? 死んだって何だ? いったい何があったんだ? 

「いや、おかしいでしょ。あんだけ酷い事故だったのに」

 事故? 月乃が?

「もしもしー? 大丈夫ですか? 月張クン」

 大丈夫なものか。俺の記憶が確かならば、月乃は普通科に転科して、その後の足取りは……どうなった?
 おかしい。何もかもが理解出来ない。世界が丸ごと反転した気分だ。月乃が既にこの世の何処にも居ないなんて、タチの悪い冗談にしても笑えない。

「えっと、なんかやらかしちゃいました? モモカ」

「陽乃に……確かめないと……」

 月張はボソリと呟き、陽乃を探すべく、勢いよく駆け出した。

「ちょっと! 月張クン!」

 百貨が呼び止める声も無視して、月張は校舎の奥へと消えていった。

 その後、陽乃を捜す傍ら、ツッキーを始めクラスメイトに同様の質問をさりげなく投げかけたが、いずれも返ってくる答えは同じものであった。

(どういうわけか、この学校で月乃の死を認識出来なかったのは、俺だけのようだ。けど、今なら何となく察しが付く。恐らく兄貴の差し金だ)

(『四波平 明』が、一人の子役として売り出された時、その真実が発覚しなかったのと同じ手口。兄貴は祖父の伝手を頼り、認識異常の魔人能力者を使って俺に暗示をかけた)

(『五十鈴 月乃』の死は、俺の願いである、二人の舞台を『諦めるに足る理由』だからだ。)

「ああ、モモカ先輩の言う通りだ。認めてやるよ。俺は月乃のことが――」

 この時期は日の落ちる時間が早い。陽乃を捜しているうちに辺りはすっかりと暗くなってしまっていた。宵の月が暮夜を照らす。

「流石に……もう帰っちまったよな。昨日の今日だし」

 しかし、そんな月張の視界に、捜していた女生徒の後ろ姿が映る。支持者拡大のロビー活動を終えた陽乃は校舎を出て、中庭から寮へと向かう途中だった。

「陽乃!」

 月張は慌てて声を掛ける。

「よ、四波平くん!? 血相変えてどうしたの?」

 月明かりの下、その顔を見る。月張の身体に再度電流が走る。
 

――そこには同じ顔の、別人がいた。
 

「え? 月……乃。何……で?」

 思いがけない名前に今度は陽乃つきのがドキリとさせられる。だが、すぐに平静を装って『陽乃』を演じ始める。

「四波平くん。からかうにしても少し傷つくよ。月乃はもう……」

 しかし月張は、確信している。目の前の女の子が、五十鈴 月乃であることを。

「ああもう……馬鹿か俺は。思い出してみれば、昨日の陽乃の印象も、何処となく引っ掛かる感じはあっただろうが……」
「ねえ、本当に一体どうしたの?」
「どうかしてるな……俺。お前は最初から月乃じゃないか」
「四波平くん、いい加減にしないと、私でも怒るよ」
「なあ月乃……」

「違う!!!」

 陽乃つきのは思わず叫ぶ。

「月乃なんかじゃないわ! ここに居るのは五十鈴 陽乃! 月乃はあの日、事故で死んだのよ!」
「月乃……」
「違う……の。私……は……」

 視界が涙で滲む。『陽乃』の鍍金メッキが剥がれ落ちてゆく。
 俯く陽乃つきのに、月張は優しく囁き掛ける。

「なあ月乃……。俺はお前が死んだと聞いた時、心臓が凍りつく感覚を味わった。ものの一瞬で世界が灰色に変わったんだ。けど、こうやってお前の顔を見た時、陽乃には悪いんだけどさ……」
「四波平くん、それ以上は……」
「心底、ホッとしちまったんだ。そこで初めて気付いたんだ。俺は――」
「四波平くん! やめて!」

 月張の次の台詞を、陽乃つきのは制止する。そうしないと、決意が鈍ってしまう。こんな偽物の世界に、『月乃』の生きる理由が生まれるなんて許せない。許さない。

「……もういいわ。貴方の中で私が月乃でも。だけど、一つ教えてあげる」
「月乃……?」
「もしも私が月乃だったらならば、その望みはたったひとつ。この間違った世界を、元に戻すこと」
「元に……?」
「陽乃が消えて、月乃が残る世界なんて絶対に間違っているわ。だから月乃は、願いと共に陽乃と入れ替わるのよ……」

「ふざけんな!!」

 月張が震える声で叫ぶ。

「何でそんな悲しいことを言うんだ。あらゆる願いが叶う奇跡を勝ち取れば、きっと陽乃も取り戻せる。それでいいじゃないか!」
「それじゃ駄目なのよ! 私のせいで、陽乃は命を落としたのよ!」
「月乃!?」
「陽乃が生き返っても、私が陽乃を殺した事実は消えないの! だから『月乃』は許されてはいけないのよ!」

「俺が許す!」
「!!」

 月張は陽乃つきのを強く抱きしめる。それは陽乃つきのの決意を大きく揺るがす、蕩けるほどに甘い抱擁。
二人の心音が重なり合い、交錯する。耳元で聞こえる吐息も、火照ったような体温も、そのすべてが愛おしかった。

「俺が全部、許すから……。自分を価値のない者だなんて……思わないでくれ」
「……」
「大好きなんだ……。月乃のことが……」
「四波平……くん……」

――その真っ直ぐな感情に涙が溢れ出る。身近な存在が、あまりにも大き過ぎた者同士、彼とはずっとシンパシーを感じていた。

――彼なら、私の絶望きもちをきっと理解してくれる。今にも割れ落ちそうな、ひびだらけの私の心を、きっと繋ぎ止めてくれる。

――彼が優しく差し伸べてくれた手を、取りたかった。その想いに、応えたかった。

 だけど――

「ありがとう。死んだ月乃も、きっと空の上で喜んでいるよ」
 

――ああ、何て、白々しい演技。
 

 月張の腕を振りほどき、涙の雫を落として駆けだす。ここで『陽乃』を止めるわけにはいかない。ここで私が『月乃』に戻れば、本当の意味で『陽乃』は死んだことになってしまう。
 それだけは嫌だ。『五十鈴 陽乃』はいつでも、この舞台せかいを希望の陽光で照らし続けなければならないのだ。これまでも。これからも。

――だからお願い。もう、『月乃』の幻影を追うのは止めて……。

「……つ……きの、月乃おおおぉぉぉ!!!」

 徐々に小さくなるシルエット。追えない。追い付けば、月乃は今度こそ決定的に壊れてしまう。ただ一人残された月張は、呆然と立ち尽くすしか術がなかった。

 

 月張を拒絶した月乃。彼の純真な好意を拒むことで、月乃は辛うじて『陽乃』を守り通す事だけは出来た。それはささやかな『勝利』なのか、月乃にはもう分からない。けれどただ一つ、確かなことがある。もしも再び彼と対峙することとなれば――

「陽乃、陽乃。私に力を貸して。四波平くんの真っ直ぐな瞳を見続けたら、今度こそ私は『月乃』に戻ってしまうかもしれないわ。だからお願い。陽乃……っ」

 能力を使い目を閉じて、幾度問いかけてもその返事が帰ってくることはない。それがとても悲しかった。

――同じ月の下。

 荊木 きっどは、自身が感じた違和感から、水面下で動く支持者レースの裏側を調べる。

(求道と対峙した後。センパイはあいつの支持者を一人残らず丸ごと取り込んでいた・・・・・・・・・・・・・・・。各陣営の岩盤支持者層もいるだろうに、そんな極端な票の動きってあるっスか? 裏側で何らかの票操作が行われているのは明白っスね……)

 だが、何らかの証拠を掴まねば、運営委員会が重い腰を上げることもないだろう。
 逆にここで証拠をつかみ主導権を握れば、今後理不尽に支持者を簒奪される可能性も減らせるはず……。

(センパイは相変わらず狂ったように練習するか、ノープランでライバルにちょっかいかけるかの二択だし、勝ち上がる為の戦略は、こっちで何とかしないといけないっスからね……)

 荊木は、校内でその手の裏工作が行われそうな数か所に盗聴器を仕掛けることにした。生徒会室、運営委員会の会議室。そして、この職員室。

 机の下部、引き出しの裏側に仕掛ける盗聴器を、懐から取り出す。荊木は腰を落とし、機械に両面テープを貼り付ける。その油断した首筋に――
 

――ざくりと、銀の刃が深々と刺さる。
 

 荊木は後ろを振り返る余裕もなく、前のめりに斃れる。延髄にまで届く刺し傷は、荊木を即座に死に至らしめるに十分な致命傷だった。
 傷口からあふれ出る鮮血が、煌びやかな短剣の柄を赫く染める。うめき声一つ上げさせぬ、鮮やかな手際だった。

「おお、やっぱり保健室へ行かないぞ。となると、この死体、ちゃんと持ってかないとなー。二千円くらい掛かりそうだけど」

 下手人の女子生徒はスマホを取り出し、ある人物に電話を掛ける。

「終わったよー。盗聴器もぜーんぶ回収済み」
「お疲れさま。まあ、いずれバレることなんだろうけど、今はその時じゃない。時間稼ぎしてくれただけで充分だ」
「こんなんらくしょーよ。一撃で確実に仕留めるために、能力千円は使ったけど」
「頼もしいんだか物騒なんだか。まあとにかく、いつもの口座に入金しておいたよ。遺体の処理に掛かる費用も一万ほど経費として計上して置いたからね、『何でも屋』さん」
「あざーっす! あなたはいつも金払いがいいから、今後ともご贔屓によろしくお願いします! あ、あと一つ」
「ん?」
「あなたの弟さん、今結構面白いことになってるよ。なーんか思春期って感じで」
「へえ。一体どうしたんだい?」
「これ以上の情報は有料コンテンツとなってますから。よろしくっ!」

 その者は自身の半身を失ってから
 心を失い、愛を失い、恋を失い、
 ゆえに音を聞くことができなかった。
 

 月光輝く空を仰ぎ、四波平 月張は決意を固める。

――『五十鈴 陽乃』だけが居る世界を願い、奇跡を求める月乃。心を閉ざした彼女に、祝福の歌は届かない。

――勝っても負けても、その先に待つのは彼女の終焉はめつ

――ならば俺は、詩人になろう。奇跡を勝ち取って陽乃を取り戻し、月乃の心を救い出す。

――恨まれてもいい。憎まれたって構わない。だけど……

「ああ、こんなの、俺の身勝手なエゴだって、分かっているさ。だけど、もう月乃の居ない世界なんて、あり得ない」

――俺はもう、知ってしまった。月乃の居ない世界が、あれほどまでに色を失ってしまうものなのだと。

 だから奇跡は譲れない。「天凌の月光」は、俺が必ず救い出して見せる。月張はそう誓い、夜風が吹き荒ぶ中庭を後にした。

 

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