ようこそ神様ちゃん

「はい。やっぱり神様ちゃんは暗躍するのです。囲む会のみんなの働き、期待してるのですよ〜」

甘い声が、昼下がりの談話室に響き渡った。

「あれ?確か五十鈴さんの弟子になったんじゃ?」

ちょっとばかり支持者は減ってしまったけれど、「神様ちゃんを囲む会」は健在。
相変わらず面白半分に、メンバーは情報を交わす。

「神様ちゃんは、師匠越えをする気満々なのです。師匠と言えど、隙あらばムフムフ!!」
「やだ神様ちゃん。やっぱり悪の組織してんじゃん」

仲間たちの無責任ながら楽し気な声に笑いながら答えた。

「神様ちゃんが主演を目指しているのは確かですが…神様ちゃんの他に主演に立つ人がいるとしたら、それはやっぱり陽乃ちゃんさんであってほしいのです。というわけで、神様ちゃんは陽乃ちゃんさんに師事を受けつつ、他の候補者にアタックするのです!」

一つ息を吸い、満面の笑みで至神かれんは告げた。

「なので!神様ちゃんは、天龍寺あすかを狙うことにしたのです!」

その自信満々の笑みに、周囲の面々は顔を引きつらせる。
随一の難敵を、至神かれんは笑顔でロックオンした。

「大物喰い出来たら最高ですし?何か傷を残せたら陽乃ちゃんさんへの援護射撃になりますし?こっちは特に失いませんし?おお!神様ちゃんに得しかないじゃないかです!!」

「いやそうは言っても…どうすれば大物喰いできるっていうのさ?」

「ムフフン。だからこそお呼びしていたのです!羽曳野琴音パイセンを!」

仰々しい身振りで紹介されたのは『不屈の作曲家』、羽曳野琴音。
苦虫を噛み潰したかのような、不快さを隠しもしない顔をしている。

「お前凄いな…付いてきてしまった私も私だが、図太さならナンバーワンだろ」

「照れるのです」

「褒めてねえよ!」

眉間のしわを深くした後、琴音は向き合った。

「…で、何が聞きたいのよ…」

「ずばり、天龍寺あすか対策です!画鋲トラップとか全部回避されたのです…」

「もう仕掛けてるのかよ!」

完全に至神かれんのペースになっていることに頭を抱えつつ、琴音は答えた。

「まぁ、雑なトラップなら躱されるだろうね。天龍寺あすかは、狙われ慣れているのさ」

「狙われ慣れている?」

「ん。実力があって目立つ天才肌の自信家だからなあ…あいつと直に接してる人間は良い奴だって分かるけど、遠巻きに嫉妬する奴はどうしても出る」

「ふむふむん」

「…常にうっすらと警戒はしているけど特定の何かに警戒はしていない。何か来たら対応するってスタンス。対応できちゃうのが天才なんだろうね」

「むむむん…」

「逆に言えば、だ。こちらが準備してアタック仕掛けてもそれに対し事前に何かしてくるという事はない。だから後輩、何かしたいなら全力で一気に攻めるしかないんじゃないかな?」

「おおー!!ありがとうです琴音センパイ!」

至神かれんは琴音の手を握りブンブンと振った。

「でも、どうしてここまで教えてくれるのです?あすかちゃんさんのお仲間では?」

「まぁ、これで潰れたらそれまでってことで。私も奇跡が欲しいからね、色んな陣営に恩を売っておくのさ」

さらりと告げて琴音は姿を消した。

(…正直、アイツがあすかをどうにかするのは難しいと思うが…ま、面白くなるでしょ)
(むふ~…神様ちゃんが勝っていること…やはり吸血鬼パワーですかね??痛いの嫌だったらしばらく大人しくしてるのです!とかでなんとか!??)

「神様ちゃんを囲む会」のメンバーも、羽曳野琴音も。
そして、至神かれん自身ですら想像していなかったことであるが。

────この日、天龍寺あすかは至神かれんに打ち負かされる。

■■■

ようこそ神様ちゃん

■■■

学園の周囲を取り囲む鬱蒼と茂る広大な雑木林。
その一角に向かい天龍寺あすかは歩を進めていた。

そこには、求道匠のアトリエがあった。
様々な大道具を試作するため、人に迷惑をかけない広大なスペースを求道匠は確保している。
大道具のスペシャリストの協力を仰ぐため、天龍寺あすかはやってきたのだ。

「失礼します!中学三年、天龍寺あすかです!事前にご連絡した通り、協力いただきたくご挨拶に参りました!」

アトリエの外でよく響く声を発した。
準備をすでにしていたのか、すぐに求道匠は顔を出した。

全開の笑顔で天龍寺あすかを歓迎する。
その笑顔は不自然なほどに明るかった。

「やぁやぁ!ようこそあすかちゃん!約束通り一人で来たね?勿論私は君に協力するよ!」

あまりにもスムーズな展開にやや拍子抜けしながらも天龍寺あすかは感謝の言葉を告げようとする。

「でもね!他にも協力を求める声があってね!」

返事も効かずに求道がまくし立てる。

「私も忙しい身だからね!どちらかに協力するから話し合って決めてくれ!」

その声とともに、先着していた至神かれんがアトリエから出てきた。

「至神先輩…」

「ふむん!神様ちゃんの名前を知ってるとは偉いのです。求道センパイの話は聞いたですね?早速始めるのです!」

言うが早いか、至神かれんは握り拳を作った。

「神様ちゃんはこう見えてちょっとばかし腕っぷしが強いのです。勝負なのです!」

「至神先輩…暴力でワタシを打ちのめしたって、なんの意味もないですよ?ただの闇討ちじゃないですか…」

呆れた顔をする天龍寺あすかを、意外な声が切り裂く。

「別にそこの心配はしなくていいよ。私が立会人として、誇りを賭けた尋常な勝負だったって証言するから。支持率にも影響するだろうね」

求道匠が、立会人になると宣言をした。
──暴力を肯定したのだ。

「…求道先輩?」

よく見ると、求道匠の瞳は不思議な興奮でギラついていた。

「私はね、気が付いたんだ。50年に一度の奇跡。それを担う主演なら、暴力程度には負けないのさ。それが華。…血と煙の中から立ち上がる美もある」

酔ったような口調で求道匠は滔々と語る。

「不思議に思ってますね~。神様ちゃんもなんですよ~。『囲む会』のみんなから貴方がここに来るって聞いて、ダメもとで『下剋上狙いで襲っちゃうけど立会人になってくれませんか~?』って聞いたら二つ返事でOKもらっちゃいまして」

至神かれんは更に構えた。

「何があったか知らないですけど、大ラッキーチャンス到来なのです」

「この勝負に勝った方に、私は全面協力すると約束しよう!さぁ!見せてくれ!苛烈な世界を!」

求道の丸く大きく可愛らしい瞳の中では、
碧なす髪を振りかざす蒼褪めた馬が、極彩色の呪いを吐いていた。

■■■

大道具の協力を仰ごうとしていたのに、理不尽な暴力に巻き込まれている。
学園屈指の穏健派である求道匠も、その暴力を肯定している。

しかし天龍寺あすかは、別に怒りなど感じていない。慌ててもいない。
「まぁ、そういうこともあるか」と思う程度だ。
目の前の至神かれんに対しても、求道匠に対しても思う事は特にない。

ただ。天才であり自信家であり向上心のある『ミス・パーフェクト』として振舞うならば。
社会に好かれる存在として“マシ”な生き方を目指すならば。

「…先輩。申し訳ないですけど。ちょっと敬語はヤメにさせていただきますね」

天龍寺あすかは上着を脱ぎ、無造作に雑木林に放った。
首をゴキリと一度鳴らし、ボクシングでいうところのオーソドックススタイルの構えを取った。

「ワタシ、売られた喧嘩は買うようにしてるの」

天龍寺あすかの心は動かない。
ただ、社会に好かれる人物として“マシ”な生き方をするために障害は叩き潰す。
敵に対しヘラヘラと笑い、その場しのぎでお茶を濁すよりも、堂々と立ち向かう方が人には好かれる。
そちらの方が努力家の自信家らしい在り方である。
そう判断してのロールであった。

あまりにも堂に入った構えを前に、至神かれんは羽曳野琴音の言葉を思い出した。

「天龍寺あすかは、狙われ慣れているのさ」

■■■

パン、と乾いた空気音が鳴った。
天龍寺あすかの右ハイキックをかれんが受け止めた音だった。

「え?ちょっと??」

吸血鬼の凶悪な筋力をもってしても響く一撃だった。
「まぁ直接戦闘なら分があるでしょ」などとふんわり考えていた至神かれんの目が覚める。

天龍寺あすかは、元々非常に恵まれた身体能力を持っている。
それに加え、定期公演で華麗なジュテを披露したことからも明らかなとおり、天凌学園に入ってからはバレエを嗜んでいた。

柔軟性とボディコントロールを鍛え上げるという意味では、バレエの右に出るものはない。
とある高名な空手家は、バレエダンサーが仮に喧嘩をするとしたら
「天下一品であろう」
と称したという。

その「天下一品」の蹴りを一切の容赦なく振るう。

対する至神かれん。
元々の魔人としての身体能力に加え、『逆十字の聖人』の奇跡により吸血鬼化している。
筋力は近接戦闘型魔人を凌駕する。

いくら天龍寺あすかが天才であったとしても筋力が違う。
素早さが違う。生き物としてのスペックが違う。
客観的に見れば天龍寺あすかは分が悪い。
バレエ仕込みの技を用いたとしても、純然たる肉体差を埋めるには至らない。

────しかし、至神かれんは優しすぎた。

至神かれんの『神の左手』ヒューメイン・レフトは非常に強力な能力である。自身に作用させれば治癒能力。敵対する相手に作用させればかすり傷であろうと致命傷に出来る。
まさに攻防一体。この能力を思うが儘に利用すれば、女王のごとく振舞う事も容易であっただろう。

ただ、至神かれんは戦うには気弱で優しすぎたのだ。

誰かの傷を魔人能力で広げるなど出来なかった。
「治せばいいじゃん」などと笑われながら暴力を振るわれてすら、他者を傷つけることが出来なかった。
いじめっ子どもを容易に跪かせる能力を持ちながらも、
傷を一人抱えて屋上から飛び降りることを選んでしまうほど、至神かれんは優しすぎたのだ。

一度死に、吸血鬼になったことで多少は闘争心のようなものは生まれた。
それでもそれは微々たるものであった。

五十鈴陽乃と敵対した時、
足を血に染めながらダンスをする隙だらけの陽乃の脚を無造作にへし折ってしまえば、その時点で勝負はついていた。しかし至神かれんにはそんな発想はなかった。なかったのだ。

ましてや吸血鬼になってからまだ一年程度。強大な力を使いこなせていない。
「吸血鬼パワーを見せたら降参してくれるかな?」くらいの考えであった。

戦い慣れていて、かつ、練り上げた技を容赦なく繰り出す天龍寺あすか。
圧倒的なスペックを持ちながらも経験不足と優しさが足枷となる至神かれん。

酷く奇妙な形で両者の戦闘は拮抗していた。

■■■

「あれ?」

かれんの視界から一瞬、天龍寺あすかが消えた。

彼女は前方に沈むように身体を投げ出す、いわゆる前回り受け身を行ったのだ。
そして、その縦回転の勢いのままに、踵を至神かれんにぶつけた。
空手随一の大技、胴回し回転蹴りである。

「ちょっとぉ!?」

急遽繰り出される大技に目を丸くしながらも、なんとかガードを間に合わせる。
しかし息をつく暇もなく下段の蹴り払い、いわゆる水面蹴りが飛んでくる。

「わ、わ、待って待つのです!」

襲い掛かる蹴りの乱舞。
横回転の中に縦回転を織り交ぜ、上中下左右使い分けた蹴りの嵐が暴れる。

その暴威に、拮抗していたはずのバランスが崩れ始めた。
大技が的確過ぎるのだ。

胴回し回転蹴りや後ろ回し蹴りのように、全身を回転させて放つ蹴りは確かに一撃が重い。
しかし回転するという特性上、どうしても視界から相手が外れる瞬間が生まれる。
故に当然、相手の急所を正確に狙うなどは至難の業である。

しかし、天龍寺あすかの蹴りは全て的確に急所を狙ってきていた。
目まぐるしく回転し、何度も背を向け、視界を外しているにもかかわらず、その蹴りは正確無比に襲い掛かっていた。尋常ではない位置把握能力。

まるで、背中に眼でも付いているかのような動きであった。

多彩かつ変則的な蹴りに対応しきれない至神かれんの脇腹に、深々と右の回し蹴りが刺さった。
痛みに悶絶し、前かがみになった顔面を鋭い掌底が襲う。
それと同時に放たれる左の膝蹴り。

一方を躱しても一方が刺さる、的確な攻めであった。

(…ここなのです!)

しかし、至神かれんは両方躱さなかった。
膝蹴りも掌底も吸血鬼のタフネスで受け止める。
そうして、顔面に来た掌底に狙いを定めて牙をむいた。

かぷり、と軽い音が響くとともに血が吸い上げられる。

至神かれんの吸血は尋常ではない性的快感を与える。
ほんのひと噛み、一瞬しか吸えなかったがそれでも十二分と至神かれんは判断した。

効果は覿面、みるみるうちに天龍寺あすかの顔が赤く染まる。

(今です!千載一遇!)

「あっ…」

天龍寺あすかの口から熱い吐息が漏れる。
下腹部が熱を持ち、胸の先端が痛いほどに主張をした。

しかし、それだけであった。

天龍寺あすかは吸血による快感を得たままの状態で、至神かれんに蹴りかかった。

(ちょっ…待って!?マジですかー!?)

至神かれんにとっては予想外なことであったが、天龍寺あすかは性的な事柄に初心ではなかった。

天龍寺あすかが奇跡の演劇に出会う前の話。
自らの心が死んでいるのを自覚した天龍寺あすかは、なんとか心を動かせないかと試行錯誤をした。

別に心が死んでいるのが悲しかったわけではない。焦りがあったわけでもない。
ただ、「どうやら世間一般的には心が動いた方が“マシ”な人生を送れるらしい、ならばどうしたら動くか試しておいた方がいいだろう」程度の実利に根差した行動だった。

様々なスポーツに取り組み圧倒的な成績を叩きだしたり
様々な資格を取得してみたり
絵画鑑賞をしたり映画鑑賞をしたり 思いついたものはとりあえず試してみた。

ただ何をやっても面白くもつまらなくもなく、淡々と「出来てしまう」ばかりであった。

そうした過程で、自らの体に刺激を与えることも試した。
クラスメイトの耳年増な少女たちが「人生変わっちゃうくらい凄いんだって!」などと黄色い声で話しているのを参考にしたのだ。

結論から言うと、天龍寺あすかは性的刺激に正しく感じた。
ただ、それだけだった。

彼女にとって性的刺激は
寒い日に風呂に入ると気持ちがいい
膝の下を叩くと脚が跳ね上がる
そのレベルの、「誰でもそうなる身体の反射」に過ぎなかった。

気持ちいいことに間違いはないが、心の在り方や行動に影響を及ぼすレベルではなかった。

そのような経験があったから、吸血による快感もそういうものと切り分けることが出来た。
ほんの僅かに動きが鈍る程度の働きしかもたらさなかった。

そして、その僅かな動きの鈍りこそ、至神かれんが狙ったものだった。

ほんの僅かに遅くなった蹴りを全身で受け止めた。
そうして、左手で天龍寺あすかの脚を触った。

(あすかちゃんさん…!出来るだけ使いたくなかったですけど…古傷を開いて戦闘不能にさせていただきますよ!)

『神の左手』ヒューメイン・レフト発動。

至神かれんの能力であれば完治した傷であっても傷のレベルを引き上げることで致命傷に出来る。
そのために天龍寺あすかの傷・症状・不具合をサーチする。

そうして、至神かれんは固まった。

天龍寺あすかの手首に、夥しい傷を見つけたのだ。

■■■

天龍寺あすかが自らを傷つけたのは、天才性が発露し、同時に心が乾いているのを自覚した四歳の冬の日であった。

何をしても心が動かなかった彼女は、他の子供たちが転び、傷つき、感情剥き出しに泣くのを見て、痛みを自身に与えれば何か心が動くかもしれないと考えたのだ。

天才とは言え、四歳児らしい短絡的な発想と言えよう。

よく消毒したナイフを何回も何回も自らの腕に突き刺した天龍寺あすかは、
痛いが、痛いだけであるとしか思わなかった。

なお、この件で生まれて初めて母に本気で叱られた。

「あすか、こんなことだけは二度としないで」

と泣きながら抱きしめられて以来、彼女は自傷だけはしなくなった。

 

そんな遠い日の古傷。
誰も覚えていない、本人ですら遠い彼方に記憶している古傷。

それを、至神かれんはありありと捉えた。
この古傷のレベルを跳ね上げて、大量の出血をさせれば逆転は十分可能であった。

────しかし、至神かれんは優しすぎた。

手首に刻まれた無数の刺し傷に、自分で勝手にドラマを作ってしまった。
即能力を発動すれば間に合ったものを、躊躇ってしまった。

気が付いた時には、天龍寺あすかの美しい上段廻し蹴りが下顎に叩き込まれていた。

■■■

勝負あり。
膝がガクガクと震え、どさりと地に着いた。

とどめを刺そうと仕掛ける天龍寺あすかに弱弱しい、しかし確かな声が届く。

「…あすかちゃんさんは、演劇素人が舞台の主演目指すのがムカついていると聞いたのです。演劇に失礼と聞いたのです」

大きくふらつきながら至神かれんが語る。
脳震盪を起こしているのか目の焦点が合わず、体を不安定に揺らしている。
衝撃で自分が何を言っているのか分かっていないのか、脈絡のない語りだった。
天龍寺あすかはその言葉を無視して叩きのめしても良かったが、一応最後まで聞くことにした。

そうしておいたほうが、立会人の求道匠には好印象だろうと判断したからだ。

「そうだけど?主演に対して懸命に努力してきた人たちがいるのに、眉唾の奇跡なんかのために素人が混ざってやる気になってるの、ちょっと我慢できないのよね。演劇を舐めんな!って感じ」

…単純に、至神かれんの問いかけが気になったというのもある。

「…神様ちゃんは、陽乃ちゃんさんを凄い尊敬しているのです。あんなにストイックで、根性があって、眩しくて、懸命な人を知らないのです」

急に出てきた五十鈴陽乃の名前に疑問を持つより早く言葉が続けられる。

「あすかちゃんさんも、半端ないのです。本当に天才なのです。華があって、ガッツもあって、頭が良くて、運動神経があって、カリスマもある。神様ちゃん、こんなスペック高い人間に出会ったことなかったのです。リスペクトしちゃうのです」

夢を見るようなぼんやりとした瞳。

「…正直、演劇とか全然興味なかったのですよ?でも、神様ちゃんの人生史上半端ないツートップが、二人とも演劇にマジになっているのです。だから、神様ちゃんは今、こう思っちゃったのです」

演劇、とんでもなく楽しい・ ・ ・んじゃない?

「凄い二人が夢中になるものなら、それはとてもとても凄いものに違いないのです。挑むにふさわしいものに決まっているのです。演劇は凄くて楽しくて、でかいはずなのです。だから神様ちゃんも主演を目指すのです」

脳震盪のダメージが少し抜けてきたのか、ゆらゆらとした不安定な動きがおさまった。

「素人が主演を目指すのは演劇に失礼?」

至神かれんは、真っすぐに天龍寺あすかを見つめた。視線が鋭く胸を射抜く。

「…貴方が焦がれた演劇は・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
そんなに小さなものなのですか?・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

────あ。

天龍寺あすかの中で、何かが音を立てた。
自身が参戦した前提がミシミシと揺らぐ。

天龍寺あすかの心は上がらない。
天龍寺あすかの心は沈まない。
天龍寺あすかの心は乾き果てている。
その心を僅かに照らす光が演劇であった。

【その演劇の主演を素人が目指すということが許せない】

それが天龍寺あすかが参戦を決めた理由であった。
しかし。しかし。

かつて自身を猛烈に揺さぶった古い映像。
演劇がもたらした純粋苛烈な感情の炎。
あの瞬間のような激烈な炎を感じることはそれ以来なかったが、
それでも今も胸の内に細やかな炎は残っている。

冬の夜の蠟燭の炎のように心細い、それでも確かに在る炎。
それのために天龍寺あすかは三年間演劇に勤しんできた。
ほんの僅かな熱に意味を求めて励んできた。

その炎が、眼前で至神かれんの胸にも灯ったのを感じた。

…誰にでも、この炎は灯りうる?

だとしたら、その炎を消す資格が自分にあるとでもいうのか?

「…小さくない」

天龍寺あすかは、呆けたようにポツリと声を溢す。
普段の天龍寺あすかを見知ったものが見たら目を丸くしていただろう。
それほどに今の彼女は気の抜けた顔をしていた。

「…演劇、は。小さくない。誰が目指したっていい。…ワタシが主演を目指すことと…他の人が…たとえ素人であっても主演を目指すことは、何も関係なかった。互いが好きに目指してよかったんだ。演劇は誰にでも平等で自由で…ワタシが許す許さない判断できるような、ちっぽけなものじゃあなかったんだ」

雑木林を静寂が襲う。不思議と樹木の音も虫の声も消え去っていた。
それは、主演女優の台詞を待つ観客の沈黙に似ていた。

 

「私は、間違っていた」

 

こんなにも明確に自身の誤りを突き付けられるのは生まれて初めてであった。
至神かれんの、朦朧とした意識が紡いだ言葉は、
『ミス・パーフェクト』をしたたかに打ち負かしたのだ。

■■■■

初めての敗北感。

しかし、それは天龍寺あすかの心にある小さな炎を僅かに大きくした。

天龍寺あすかは考える。
自分の心は乾いていて演劇であっても僅かにしか揺れない。
しかし、この胸の炎を同じくする者同士が切磋琢磨し、本気でぶつけあったなら

───こんな私の胸の炎でも、大きくなるのではないか

今は僅かにしか揺れない心も、かつての冬の日のように激しく動くのではないか。

そしてそれは、もしかしたら、とても楽しい・ ・ ・ことなのではないか。

天龍寺あすかは心が僅かに高揚するのを感じた。

(主演を、目指そう)

天龍寺あすかは初めて明確にそう思った。
素人に主演を取らせたくないという暗い情熱ではなく、
自らの炎を大きくするという白い情熱のために進むことにしたのだ。

決意を新たにした天龍寺あすかを、至神かれんは薄目で見つめる。

(ん~?なんか意識朦朧として変なこと口走っちゃったです?…そして、なんかあすかちゃんさん、ぼうっとしてる?もしかしてコレってチャンスですかね?ふむふむ…いよっし)

「もう…無理…」

どさりと至神かれんは気絶し地に倒れた。そういう演技をした。

(気絶した振りをして、あすかちゃんさんが背を向けた瞬間に下剋上してやるのです!神様ちゃん…ワルだぜ☆)

天龍寺あすかは倒れた至神かれんを一瞥すると、雑木林に放っていた上着を拾い、埃を落とした。
そうして、求道匠の拍手を受けながら軽やかに寮へ戻ろうとした。背中ががら空きとなった。

(今です!神様ちゃんの野望のために、ねぇ~!)

三下丸出しのモノローグとともに、至神かれんは後ろから飛びかかった。

「それはそれとして」

当然、その動きは『俯瞰症』によりバッチリ捉えられていた。

「誰が主演目指しても、もう全然いいですけど、暴力で狙うのはやっぱ違いますよね」

何かひと皮むけたような笑顔と共に放たれた華麗な後ろ回し蹴りが、下顎を掠めるように打った。
重ねられた脳震盪。
「キュウ~」と、漫画のような声を出して至神かれんは今度こそ本当に気絶をした。

「先輩、演技、もう少し磨かないとね!舞台で待ってますよ!」

 

■■■

天龍寺あすかが寮に戻った時、寮は不思議なざわつきを持っていた。
天龍寺あすかをクラスメイト達が視認した瞬間に、そのざわつきは一段と大きくなった。

「?みんなどうしたの?ワタシの顔を見ちゃって」

クラスメイトは、黙って寮の集合スペースの壁を指した。
そこには主役候補の支持数予想と現段階でのランクを示す校内新聞が貼られていた。

天龍寺あすかは主演候補者の争いが始まってから常にランク1位であった。
であるので、いつも通りランクの上から眺めた。

「───あれ?」

天龍寺あすかの名前は、トップにいなかった。
常に一番を主張し、自らを天才と称し、『ミス・パーフェクト』などと呼ばれる天龍寺あすかの名が、一番上には無かったのだ。

クラスメイト達は不安げに天龍寺あすかを見つめる。
彼ら彼女らは、一番の天龍寺あすかしか見たことが無かった。
その天才性に触れていたクラスメイト達は
「なんだかんだ言ってあすかが一番取るんだろうな」
などと無根拠な信頼を寄せていた。憧れていた。

だからこそ、一時的とはいえトップではなくなった彼女に、どう接していいか分からず戸惑っていたのだ。

その姿勢を天龍寺あすかは笑い飛ばした。

「何よアンタたち!変にざわついちゃって!トップじゃないのは残念だけど、最後にはまたトップに立ってるわよ。なんせワタシ、天才だから!!」

相も変わらず完璧なロール。
クラスメイト達はほっと息をつき、
「ごめんあすか!いらない心配しちゃったよ~!」
などと笑った。

談笑の輪の中、天龍寺あすかは校内新聞を見つめる。
自身の名の上に、演劇に身を捧げてきた先輩の名がある。

もしこの人たちと主演を目指してぶつかり合えたなら。

胸の中の炎が、また一つ大きくなる。
羽曳野琴音とのセッションで少し大きくなっていた炎。
至神かれんとの問答で改めて存在を自覚し、より大きくすると誓った炎。

 

燃えてきたわね・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

(本心である)

 

 

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