「天凌の陽光」五十鈴 陽乃 プロローグ

 陽乃は私の太陽だった。

 

 昔から何かと要領の悪い私と違って、陽乃は何でも器用にこなした。
 勉強や運動は勿論、従来の性格の良さから陽乃は常に人々の輪の中心に居た。
 その背中をずっと見てきた私。同じ肉体を持ち、同じ景色を見続けている・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・私なら、いつか陽乃のようになれるのだと、本気で信じていたのだ。だけど――

 燦々と輝く太陽なくしては、月は輝けぬと気付いたのは、この学園で共に演劇の道に進んでからのことだった。

 陽乃は生まれながらの「主人公」だった。

 人一倍研鑽を積み、仲間との絆を育み、舞台に青春の全てを注いでいた。
 私と陽乃は、お互いの努力を夢の中で見つめながら、励まし合い、刺激を受けつつ演技に磨きをかけていった。幾度となく挫けそうになった時も、陽乃の存在が心の支えとなってくれた。

――初舞台。

 陽乃は生まれながらの「主人公」だった。

 何もかもが違った。陽乃は華やかなステージの上で『別格』の存在感を放っていた。主演の先輩には悪いが、見ている者たちの視線は陽乃に釘付けとなっていた。
 同じものを積み重ねていては、陽乃には勝てない。私は、ダンスや殺陣の稽古を重点的に行うことにした。

――陽乃の初めての主演。

 陽乃は生まれながらの「主人公」だった。

 その舞台の上には、「ドロシー」が舞い降りていた。
 愛犬や仲間と共に、あらゆる困難に立ち向かう少女の魂が、陽乃の身体の中に宿っていた。陽乃の演技は、観客はおろか、演者をも巻き込む大きな渦となった。
 誰もが結末を知っているはずの「オズの魔法使い」は、何が起きるか分からない胸躍る冒険譚に変貌していた。
 この公演は学園内の伝説として、この先も語り継がれることになるだろう。
 当時の私は、そんな彼女に必死に食らいつこうと、大分焦っていたのかもしれない。

――私の初めての主演。

 陽乃は生まれながらの「主人公」だった。

 ウエスト・サイド・ストーリー。
 悲劇のヒロイン、マリアを演じた私の演技は、今持てる全力を出し切ったと言える会心の出来だった。
 けれど、ダブル主演で同役を演じた陽乃の演技は、私ごときが背伸びしようと届かない、天性のカリスマ性があった。しかし、私が本当に恐ろしかったのは彼女の演技力なんかではない。
 陽乃は、私が彼女に唯一対抗できるもの――私が入学以来積み重ねてきたダンスの技術を、僅か数日で自分のものにしていたのだ。
 
 それはつまり、夢の中で見た私の動きを、そのまま自身の経験として蓄積することが出来るということ。陽乃の魔人能力は知らぬ間に進化を遂げていて――

 私の能力にそこまでの力はない。やはり私は絶望的に要領が悪いのだ。

 演技は敵わず――

 ダンスは追い付かれ――

 それはつまり、「五十鈴月乃」では「五十鈴陽乃」に勝つことはできない。そんな厳然たる事実を突きつけられたことになる……。

 要するに、私なんかと違って陽乃は生まれながらの「主人公」だったのだ。

「ねぇ、月乃。何があったの?」
「別に、何もないわ。陽乃。単にやる気が無くなっちゃっただけ」
「嘘。だっておかしいじゃん。この前の定期公演だって、立派に主役を張っていたでしょ?」
「ごめん陽乃。でももう決めたの」
「月乃……」

 五十鈴月乃いもうとが演劇を引退して普通科に転科する。五十鈴陽乃あねにとってそれは衝撃的なニュースだった。
 月乃が演技に対しての情熱を失いつつあることを薄々感じてはいた。だけどここまで思いつめていたとは夢にも思わなかった。いや、分かっていてもそれを必死に否定しようとしていただけなのかも知れない。

「月乃、とりあえず次の休みに一度話し合おう? 気分転換にショッピングも兼ねてさ」
「そんなこと……」

 そんなことしても、私の結論は変わらないわ。と月乃は言いかけたが、陽乃の心配そうな目を見たら、冷たく突き放すのに僅かな躊躇いが生まれた。

「うん……分かった。最近忙しくて、公演以外で陽乃ともゆっくり話せてなかったしね」
「ありがとう月乃。楽しみにしてる」

(いっそ嫌な姉で居てくれたら良かったのに……)

 一人の演者として、ここまでプライドを傷つけられても、月乃は陽乃を憎むことは出来なかった。大好きな姉の困った顔は見たくない。我ながら酷いシスコンぶりだなと、月乃は自嘲した。

 週末の駅前繁華街は賑わいを見せていた。森の奥の寮で暮らす天凌学園の生徒にとって、「下界」とも比喩される此処は、娯楽等も充実した数少ない息抜きの場所である。
 二人は冬物のコートを買いに、事前に目星をつけていた服屋に入る。

「月乃、これとか似合うんじゃない?」
「うーん、今持ってる服と合わせるってなると、正直微妙な色なのよね……」
「じゃあ、いっそあの上下も買っちゃうとかさ!」
「流石に予算オーバーだから。てか陽乃、また買い過ぎてない……?」
「えへへ。つい楽しくなっちゃって♪」

 久々の姉妹水入らず。夕刻まで二人は買い物を楽しみ、その後は近くのカフェで一息入れることにした。

 カフェラテを啜りながら、暫くは止め処無い世間話に花を咲かせていたが、やがて演劇の話題に移ると、月乃の表情が翳り始めた。

「本当に……辞めちゃうの……?」
「……」

 その沈黙を、肯定と受け止める。やはり決意は固いらしい。

「多分、私のせいだよね。こんな事になったの」
「……そんな事ないわ。結局私が実力不足だったってだけなのよ」
「違うよ。月乃はずっと頑張ってたじゃん! 月乃ほど完璧なダンスを踊れる人なんて、この学園には居ないよ?」

 陽乃の言葉で、月乃の表情が冷たく強張る。
 陽乃は彼女の積み重ねてきたものを肯定したつもりだった。だが皮肉にもその言葉がトリガーとなる。

「……わよ……」
「……?」
「……居るわよ……っ」

 月乃の身体が打ち震える。
(駄目よ私、この先を言ったら駄目。絶対後悔するって分かってるでしょう?)
 しかし、一度昂った感情は抑えきれず――

「貴方が居るじゃない!」

 珍しく月乃が声を荒げた。陽乃はギョッとして月乃の反応を伺う。

「そう。貴方なら、五十鈴陽乃なら、私の出来る事、全部出来ちゃうんでしょう・・・・・・・・・・・・?」

 陽乃の心に月乃の言葉が突き刺さる。それは、彼女が初めて陽乃に向けた心抉る刃だった。

「月乃、気付いて……っ、ごめ……月乃……」
「言い出せなかったのはいいわ。それに私達の能力って、元々コントロール出来るものじゃないでしょう?」
「でも……でも……私は結果的に月乃の努力を横取りしたんだよ?」
「百歩譲ってそれも許すわ。けれど……」

 月乃が俯く。その目は涙でうっすらと滲んでいる。

「どんな形であれ、陽乃が身につけた私のダンスを封印したのは許せない! 私に遠慮したのか知らないけど、それって舞台で全力を出していないってことじゃない!」
「!!」
「私がいることで、陽乃は実力を発揮出来ない。そして、そんな陽乃にすら、私は追いつけない。だったら、もう辞めるしかないよ! 私!」

 月乃が席を立ち、外へと駆け出す。大粒の涙をぽろぽろと零しながら。

「月乃!!」

 陽乃は致命的な勘違いにほぞを噛む。月乃は情熱を失ったんじゃない。むしろ私以上の情熱があるからこそ、ここまで追い詰められたんだ。月乃は私なんかより、ずっと舞台に誠実だった……!

(私、なんて残酷なことを……っ!)

 陽乃が月乃の後を追う。謝らなきゃ! 半端な心構えで舞台に立ってしまったことを。それが月乃の心を深く傷つけてしまったことを。
 表通りへ出る。逃げるように駆けだした月乃の後ろ姿を見定め、全力で追いかける。

「月乃、待って!」

 しかし月乃は止まらない。がむしゃらに走り続ける。

(陽乃に……言ってしまった! 自分の至らなさを棚に上げて! バカみたいに八つ当たりして!)

 予測していた後悔が月乃を襲う。曇らせてしまった。あの太陽のような輝きを。何処でもいい、とにかく逃げたい。陽乃に合わす顔がない。

「ああああああああああっ!!!!」
「月乃……つきのぉぉぉおっ!!!!」

 陽乃の呼びかけも無視して走り続ける。涙で何も見えないし、頭の中がぐちゃぐちゃで周囲の音など聞こえもしなかった。

――だから、『それ』に気付くのが余りにも遅すぎて。

「月乃! 危ない!!」

 耳を劈くほどのクラクションの咆哮。我に返り振り向くと、月乃の身体は、急カーブでコントロールを失った過積載トラックの前照灯に照らされる。
 トラックは横倒しに滑りながらガードレールを破壊し、雪崩のように押し迫る。不可避の死が、眼前に展開される。

(えっ? 何なのこれ……)

 逃れようのない結末に、その足は竦む。人生ってこんな脈絡もなく終わっちゃうんだと、妙に冷静な自分がいた。

――スローになる時間。

――陽乃と過ごした日々の記憶が頭の中を駆け巡る。

――ごめん陽乃。最後に困らせちゃったわね。

――今まさに、その巨大質量に飲み込まれようとした刹那。

「駄目えぇぇっ!!!!」

 月乃の身体は、強く横から突き飛ばされ、転がるように暴走トラックの軌道から逃れる。そして、同時に轟く激しい衝突音。

 月乃を庇った■■は、なす術もなく吹き飛ばされ、宙を舞う。何処からか通行人の悲鳴が上がる。一拍置いた後、■■は固い石畳の上に、頭から激突した。

 車体を歪ませ、倒れて止まったトラック。その十数m先に、天凌の制服を着た少女が、糸の切れた操り人形のように横たわる。全身の骨が砕かれ、頭と耳から夥しい量の血が流れ出ている。

 どくどく、どくどくと――

「え……?」

 イミガワカラナイ。

 何で、私は生きているの?

 何で、あそこで■■が倒れているの?

 とりあえず早く起こしてあげなきゃ。門限もあるし二人で帰ろう、ね。

 体を起こし、ふらふらと■■に歩み寄る。涙を拭い、一歩一歩近づくごとに現実の解像度が増す。折れ曲がった手足、広がりゆく血溜まり。街行く人々は燃え広がる炎のように、狂騒状態に陥っている。

「陽乃……ひ……の……?」

 嘘だ。

 こんなこと、起こるはずがない。
 だって、陽乃は「主人公」なのよ? こんな処で「終わる」訳ないじゃない……!
 月乃は倒れている陽乃に寄り添い、その手を取る。

「ねえ、陽乃……返事して……よ」

 返事はない。呼吸も心臓も停止している。

「陽乃おおぉぉぉっ!!!!」

 陽乃の冷たい手を握りしめ、目を閉じる。すると彼女の言葉に出来ぬ想いが、月乃の心に流れ込んできた――

『良かった、月乃。助かったんだね』

『陽乃! 陽乃! なんで私なんかを!』

『当たり前だよ。月乃は私の大切な妹なんだよ』

『私、ずっと陽乃みたいになりたかった! でも、そうはなれないって気付いて。それでも、陽乃が私の太陽で居続けてくれたから、今まで演劇を続けて来られたのよ!』

『でも、その頑張りを私が台無しにした。だからバチが当たっちゃったんだね』

『違うの! 本当は私が死ぬべきだったのよ! 陽乃を妬んで、勝手にヘソ曲げて、陽乃は何も悪くないのに!』

『月乃、ごめんね。これは私の最期の我儘だけど……』

『嫌よっ、逝かないで! お姉ちゃん!』

 私の分まで、大好きな演劇を辞めないでね――

「もう平気なの? 五十鈴さん」
「はい先生。私の中で整理はつきました。あまり皆に迷惑は掛けられませんから」

(あれから一ヶ月、私は舞台に復帰した。私にはやらねばならない事が出来たからだ。
 稽古が始まると、私は自分の演技に少し驚く。歌声の伸びが良くなり、表現力の幅が広がっていたのだ)

 陽乃の最期の想いに触れた時、月乃は魔人能力が覚醒した。彼女は陽乃が積み重ねてきたものを全て再現することが可能となっていた。

(ああ、これが陽乃の見ていた景色なのね……)

 堂々としたその姿に、周囲の演者も感嘆の溜息を漏らす。

(……凄いわ、陽乃・・月乃・・が亡くなってまだ間もないのに、それを全く感じさせない。なんて精神力なの)

 月乃は双子の姉を演じて生きる。彼女は、「陽乃」が死んで「月乃」が生き残った現実をどうしても許せなかった。今の自分なら「天凌の陽光」を演じ続けることも出来る。いや、そうしなければ、「あの奇跡」になんて、到底届かない。

 死を覆す保健室の奇跡では届かないと知った。あれはあくまで校内限定の奇跡。

 けれど、50年に一度訪れると言われる、この学園最大最強の『七奇跡』ならば――

(この現実を、「元に戻す」事が出来る。「月乃」が死んで「陽乃」が生き残った現実に……)

――斯して、偽りの太陽は、奇跡を望むべく戦いに身を投じていくこととなるのであった。

 

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