私は舞台を眺めている。
熱が伝わるような最前列で。
弾けるような笑顔の人たちがところ狭しと舞い踊る。
激しく騒々しいはずなのに時間の流れはゆっくりで
楽しい気持ちが永遠に続く。
お腹の底から温まる
優しく、力強い…
でも泣きたくなるような
純真なお芝居。
最高の演劇。
この物語は喜劇。
誰がなんと言おうと揺るがない
ぽたり。頬を伝う一筋の雫。
「雨?」
斎藤響子は頬を拭って怪訝そうに青空を見上げた。
中庭から覗く空は、囲う校舎と木々で、額に飾られたように美しく、青葉茂る緑と花々の香りが、いかにも生命というように、縁取りを活気よく彩っている。
さらに額縁の中には、花壇の土をいじる園芸部員や、自主練に大小さまざまな管楽器を演奏する吹奏楽部の姿がある。
そんな様子を、古びた鐘撞き櫓が、悠然と見下ろすのどかな昼下がり。
絶対に雨ではない。
もし通り雨でもくるのならば、響子は音響セットを非難しなければならない。
吹奏楽部がゴールデンウィークに開催したパレードに、演出補助として響子は音響機材ごと駆り出されていたのだ。
皐月の陽気に足を止めていたが、胸騒ぎを覚え、ベンチから立ち上がり荷台に手を掛けた。
ぽたぽた。今度は飛沫のような水滴の感触。
いよいよ水源はどこだと響子が辺りを見渡すと、中庭の噴水がクジラの潮のように吹きあがり、花壇に備え付けられたスプリンクラーが水柱をあげる。まるでどこかの噴水ショー。
これには中庭にいた生徒たちも阿鼻叫喚の様相。
「なんなのよこれ!」
響子も機材を守るべく、荷に覆い被さった。
「探したぞッ!!!斎藤響子ッ!!!」
中庭全体に通るマイクいらずの爆音声。
水柱が声の主まで誘うようにモーゼよろしく道を作る。
その道は響子だけでなく、中庭にいた生徒全員の視線を集めた。
黒のウェーブの長髪を携えた小柄な女生徒。ネクタイの赤が響子と同じ高校1年生であることを指している。
「天凌学園高等部1年
大嵐 閃里!
急転直下の大嵐!
あなたのハートの最大瞬間風速!
見事、更新して見せる!」
「ショータイム!《ときめきモブラッシュ》!」
女生徒が指を弾けば、今まで逃げ惑っていた園芸部たちがピタリと脚を止め、響子へ一斉に踵を返す。その圧力に響子は「ヒッ」と思わず声をあげる。
園芸部女子4名がじょうろを片手に白鳥が踊るようにくるくる回り、響子の視界を遮り交差。続けて2人の園芸部男子が連続バク宙。
大嵐と名乗った女生徒は、響子にまっすぐ駆け寄って、腰を抜かした響子へ手を差し伸べる。
「斎藤響子!君の音の力を貸してくれ!」
花びらが舞い、晴天にかかる水のスクリーンは、2人の頭上に虹をかけた。
この間5秒。その嵐のような一瞬で、怒涛の別世界を体験させられた響子は、放心状態のまま、固まることしかできなかった。
女生徒は力強い眼差しを少し和らげて、小さく語りかけ直す。
「君の音響の技術で、この世界に心躍るような音を響かせて」
これはフラッシュモブだ。
通りすがりを装い、前触れなくパフォーマンスを行うゲリラパフォーマンスの一種。
女生徒のいうように、音が加われば、この即興演劇はさらに華やぎ、美しく幸せな空間になるだろう。
より心が高揚するようなシンフォニーを奏でることができるのではないか。
二つほど瞬きをし、口を開こうとした。
それを遮るように、不平不満が堰を切って飛び出し、中庭を浸水させた。
「え!私は今なにを…?」「びしょびしょなんだけど!」「もぉー!服汚れてるし!」
そして、不満を漏らす生徒が口を揃えていう。
「「「どうしてくれる!大嵐 閃里!」」」
閃里は、姿勢を適当に正し、ぶつけられた怒りに対して頬をかきながら苦笑いをした。
「えー…でも楽しかったでしょ?」
大嵐閃里は響子の部の先輩が注意喚起していた人物だ。
彼女は高校進学早々、そこかしこで即興演劇を公演し、人を操る魔人能力で、大勢を操って嫌がられているらしい。そうしてついた通り名が『ゲリラテンペスト』。
止まらない不満を他所に、閃里は響子に向き直る。
「ね!一緒にしない?イイ作品が作れると思うんだ!ゴールデンウィークのときのパレード見てたよ。こうタイミングがバチーッと合ってて、気持ちよくって…。効果音のチョイスも最高だったんだよなー!」
心底楽しそうに語る閃里に、気持ちが乗せられる。
「…いいよ。私やる」
「ほんと!?ありがとう!すごい嬉しい!」
最初から距離感は近かったが、もう密着寸前まで詰め寄っては、響子の両手を持ち、すごい力でぶんぶんと振り回した。
そんな中、ギラリと、閃里の目を射す反射光。その先は空から。
ふと見上げれば、日を背負う黒い影が迫っていた。
「危ないッ!」
閃里は飛来する影を避けるべく、響子を抱えてその場から飛び退く。
『 Excellent!!! 』
先ほどまでの足場が爆音とともに爆ぜて粉と化し、『Excellent(エクセレント)』という煌びやかな文字が一緒に浮かび上がる。
距離を取って着地すれば、閃里は響子を自分の背中に隠した。
「斎藤。帰りが遅いと思ってたら、おまえめんどくさいのに絡まれてんな?」
「江崎先輩…!」
煙の中から出てきたのは、響子が所属する機材部の先輩であり、注意喚起をした張本人だ。気だるそうな黒髪にヘッドホンをぶら下げ、サングラスをかけている男子生徒。
地面にめり込んだ腕を引き抜いた。
「アンタ!急に殴りかかってきてなんのつもりよ!」
江崎は両手を広げて、にやりと笑った。
「見ろよゲリラテンペスト。中庭が台風が通ったあとみてえに酷いありさまだろ?だから俺が鉄拳制裁してやろうと思ってな」
「アンタの後輩まで巻き添え食うところだったじゃない!その力、魔人能力でしょ!」
「いや、おつかい頼んだ後輩が道草くってるもんだからいっちょ死んでもらってお灸でもすえとこうかなーって」
閃里の小さな体になんとか姿を隠そうとしている響子が、閃里へ警告する。
「江崎音夢先輩は、音ゲーのやりすぎで能力に目覚めた魔人だよ。音楽を聞いたとき、巨大な譜面が現れて、タイミングよく攻撃を当てると強力な一撃をあてることができる戦闘型の魔人。大嵐さんじゃ勝てないよ」
「響子は危ないから向こうに隠れてて」
向こうに見える花壇を指差し、それに従い響子は身をかがめながら閃里の元を離れる。
「ちゃんと許可とってさー。演技した方がいいんじゃないのっていってんの。ルールってもんを守らねぇといけねぇと、先輩は思うぜ」
「私は先月から演技を始めたばかりだからみんなに追いつこうと思ったら場数を踏まないといけないの」
閃里の言葉に響子は驚いた。発声や身振り手振り、人を操るにしてもその演出など、とても1か月でモノにできる技術ではないからだ。
「あとおまえ、素人の癖にいっちょ前に、前夜祭の主役に立候補してるらしいな?」
「スターになるには大きな舞台を目指すのは当然でしょうが!」
長い髪をマントのように翻し、怯むどころか前に出た。
「ちょうどいい。前夜祭の主役を争う投票はもう始まってんだ。ここで真っ先に沈めてやろうじゃねぇか!脇役もたまには主役になってもいいよな!」
江崎は腰にぶら下げていたワイヤレススピーカーを、へしゃげたベンチの上に置き、大音量で音楽を鳴らす。冒頭のエレキギターの掻き鳴らしと共に江崎は地を蹴る。
『 Excellent!!! 』
その力は江崎に爆発的な推進力を与え、一気に閃里の元まで詰め寄った。
そして『ノーツ』と呼ばれる音楽ゲーム特有のマークが次々に滑るように現れる。
そのマークは閃里の体のあちこちに飛来し、その飛来したマークめがけて高速の拳撃が放たれる。
「《T.T.R(タップタップレボリューション)》ッ!」
「────グハッ…っ!」
目にも止まらぬ早業である。強烈な連打を貰った閃里は大きく弾き飛ばされる。
「大嵐さん!先輩のペースに乗せられちゃだめ!」
「斎藤!おめぇは黙ってろ!」
足元に転がっていたじょうろを蹴り上げ、空中で蹴りぬく。
『 Excellent!!! 』
弾丸の如く飛んでいくブリキのじょうろが響子の頭に直撃する。
「痛ッ」
「アンタ酷すぎ!!」
「ハッ!これ終わったらどうせボコるし、こんなのじょのくち?」
ノリに乗ってきた江崎は体を上下に揺らし、ビートを刻みながら次の攻撃の準備をしている。
閃里はスカートのほこりを叩き落としながら、ゆっくり立ち上がり、よく通る声を叩きつけ、視線を突き刺す。
「…先輩!アンタさっき、『脇役もたまには主役になってもいい』っていってたわよね!」
そして、唐突に柔らかな笑顔を浮かべる。
────《ときめきモブラッシュ》
「ヤベッ」
江崎は咄嗟に体に力を入れる。操られてしまうと考えたからだ。
だが操られたようなそんな気配はない。
「私の操る能力は、『主役級』には通らない。つまり私はアンタを認めちゃったってわけさ。私とタメを張れる魅力的な『主役』だってね!!」
耳を劈くような爆音。江崎のスピーカーから流れるものではない。
これは中庭の端に避難していた自主練中の吹奏楽部たちの管楽器の演奏。
江崎のスピーカーの音がかき消され、ペースを乱すことを予測していた閃里は、怯んでいる江崎の前まで走り込んでいた。
「まずは一発ッ!!!響子の分ッ!」
懐まで潜り込んで強く握り込んだ拳をサングラスの顔面目掛けて叩き込む。
「────ウガッ」
だが、江崎は知っていた。閃里が操れる時間はとても短い間であることを。
「大嵐!所詮操ってるだけの中身のない演技なんて誰も感動しないんだよ!」
そして閃里が連続では操れないことも。
────《T.T.R(タップタップレボリューション)feat.U!HA!Shock!》ッ!
爆発的に増えるノーツが高密度で降り注ぐ。発狂だ。
「これでFULL COMBOだッ!」
江崎の乱打が閃里に襲い掛かる。
だが、江崎の拳が届くことはなかった。
江崎の行く手を水やり用のホースが阻み、足をひっかける。
江崎はこのブービートラップを仕掛けた役者を見る。
先ほど水を浴びたり、泥で服が汚れてしまったりと散々だった園芸部員を。
────なぜ助ける?
地面を叩きつけられた江崎に閃里は追い打ちをかける。
「《ときめきモブラッシュ》ッ!」
再展開する爆音の布陣。チューバが、トロンボーンが、ホルンが、トランペットが。
先ほどよりも音色良く、響く旋律は校舎に響き渡る。血の通った確かな演奏。
『達成感』というものは、一度味わうと強烈な刺激になり、何度も体験してみたくなる。
そして、閃里の能力が操るのは、動きではない。
園芸部員たちが、観客だった生徒たちが、即席の、ベンチや箱や人を積み立てて階段にし、閃里を高く、高く。
「私の操るものは衝動!衝動は、『魂』で動かすッ!」
駆けあがらせる。中庭の鐘撞き櫓に届かんばかりに。
「これは、私の分だッッ!!!」
中庭から降り注ぐは嵐の中から出でる一筋の閃光。高所からの飛び膝蹴り。
轟音が鳴り響き、奏者達が吹き口から口を離す。
「ね? アンタも楽しかったでしょ?」
江崎を見下ろす閃里。閃里の膝下にはワイヤレススピーカーだったものの破片。
そして、寝転ぶ江崎に手を差し伸べる。
江崎は砕けたサングラスを捨て去り、一つ息をついてから笑った。
「ああ、楽しかったよ」
訪れた静寂の代わりに、拍手が巻き起こる。
受けるのは中心にいるキャストたち。
閃里は次に響子を起こしあげながら、喝采に応える。
「改めて協力させて。大嵐さん」
「閃里でいいよ!よろしくね!響子!」
お腹の底から温まる
優しく、力強い…
でも泣きたくなるような
純粋な気持ち。
この気持ちはどこにあるのか。
次の舞台が教えてくれるはず。
この物語は喜劇。
誰が何と言おうと守らなければならない。